異世界巡るたずねびと。 〜異世界の時計屋と、時の止まった世界にて〜
四巻き族
道中、汽車の中にて
「ねえ、どこに行ったの?」
エプロンドレスを見にまとった金髪の少女は、紫色の空に照らされた花畑の中一人で呟く。
目の前には、本当ならば待ち合わせの場所であったリンゴの木。しかし、そこに誰かの姿はない。
手に握られたのは、くしゃくしゃになった招待状。宛先に書かれた名前は、『アリス・リデル』。それは、他でもない彼女の名。
差出人の名には、『グリム』と書かれていた。
目から溢れ出る雫が、花弁に落ちる。
くしゃり、と音を立て手紙が握りつぶされた。
「どうして、居なくなっちゃったの?」
お話を聞かせてくれると約束したのにと、零す。
招待状が出されたのは一年前のこの日。その日から、グリムの姿は消えた。
グリムだけではない、アリスの両親や姉達。そして、周囲の人間。それら全てが何処かへと消えた。
それでも、と。
「来てくれるって、信じてたのに。どうして、グリム先生……」
彼女が呟く。
そんな彼女の背後から、誰もいなくなった世界から、足音がした。
「……っ、誰っ!」
振り向くと、そこには男性用のスーツを纏った中性的な女性が立っていた。
彼女の表情は薄暗くよく見えない。だが、手を差し伸べていることだけは分かった。
「この世界はもうすぐ消える。だから、キミと交渉しに来たんだ」
「交渉?」
「私の出せるカードは、キミの命の保証と、そうだな――」
彼女は口に手を当て少し黙考したのちに、頬を緩める。
そして、もう一度口を開いた。
「グリム。キミが探している人について、知っていることを教えよう」
「先生を、知ってるの?」
「ああ」
彼女は一歩、また一歩とアリスはと歩み寄る。
そして、膝を折り、ぶらんと垂れ下がったままの彼女の手を取った。
「キミの知りたいことを全て話そう。代わりに、私と共に世界を救ってほしい」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
木製の床や壁で作られた部屋の中を、温かい紅茶の匂いが眠っていた少女の鼻をかすめた。
いや、部屋というよりは車両だろうか。向かい合う形のソファが何個もあり、がたんごとんと音を鳴らし揺れていて、そのたびにふわふわした緑色のソファの感触が少女の手に伝わる。
目の前には木目調の机、紅茶のほかに、砂糖が降りかけられた茶色いハートの形をしたクッキー。
そして、目の前には先ほどの女性。
その事実が、アリスに先ほどの出来事は夢でない事を告げていた。
「おはよう。目が覚めたかい?」
「……え?」
「どうしたの? もしかして、寝ぼけているのかな」
ニコニコと人当たりの良さそうな顔で微笑む青年に、少女……アリスは戸惑うことしかできなかった。
そんな様子の彼女に気付いたのか、女性は微笑みながら少しだけ胸に手を置き、頭を下げる。
「改めて、私の名前は『ジャック』。職業は……まあ、時計屋といったところかな」
「えと、初めまして。ジャックさん」
「ジャックでいいよ。おおよそ女性らしくない名前だとは私も思うけどね」
「それは、えと、えと……」
「そんなに慌てなくてもいいよ。お茶でも飲んでリラックスするといい。お菓子もいるかな?」
差し出された湯気のたつ紅茶を嚥下し、そのまま小さな鷲のような小さな口でクッキーを頬張る。
そして、落ち着きを取り戻し、ふうと息をついた。
「ここは、どこなんですか?」
「ここは汽車の中の一室。世界を救う仕事道具の一つさ」
ウインクをしながら微笑むジャック。
一見優しげにみえる彼女だが、血のように赤い目はまっすぐと彼女を捉え、何を言うでもなく見つめ続けていた。
その視線を不気味に思い、アリスが目をそらすと、その先には窓に映る暗闇が、彼女の視界を覆った。
「ここからは何も見えないよ。ああ、いや、何もではないね。よく目を凝らしてごらん」
ジャックの言う通りアリスはじっと窓を見つめると、あっと声を漏らす。
ガラスには可愛らしいおでこを出した腰まである長い金髪に、白と青のエプロンドレスを見にまとった空のように青い目の少女。そして、雪。
彼女が驚いたのはおそらく後者だ。
そんなアリスの様子に声を漏らしながら、目を細め紅茶を見つめながら言った。
「雪が降っているんだ。他には何もないけれど、見ていて飽きないと思うよ」
「わぁ……!」
「おや、雪を見るのは初めてだったか。それじゃあどうかな? 初めて見た雪の感想は」
「すごく綺麗で……すごく、その、白い」
彼女の語彙に対抗するべく少女なりに頑張って言葉を紡ぐが、その間には埋められないほどの差があった。
しかし、彼女は笑うでもなく、ただうんうんと頷く。
「そうだね、綺麗だ。実のところ、私も少し気に入っていてね。喜んでくれて嬉しいよ」
「触れないの? ……ですか?」
「楽にしていいよ。それと残念ながら、それは出来ないんだ。といっても、仕事の中で何度か触ったことがあるけどね」
「仕事、って何するの?」
首を傾げながらクッキーを頬張るアリスに、皿に乗せたお菓子を皿ごと渡す。
それに嬉しそうな態度を隠せないアリスに、ジャックは嫣然と微笑み、口を開いた。
「例えばそうだね……この時計はアリスが見てなくても動くだろう?」
ジャックは胸元から取り出した懐中時計を机の上に置き、秒針が進む様子をアリスに見せる。
当然、動き続けているため、少女も頷く。
「ところがね、ある時から時間が止まってしまっている異世界が多発したんだ」
「どうして?」
「そういう意地悪をする人がいるんだよ。だけど、どういう訳か時間が止まるのは破滅へと向かっている世界が多い」
「じゃあ、止まってた方が良いんじゃないの?」
「そうもいかない。時間を止めている奴に用があるからね。それに、世界の破滅と言っても、破滅への矢印を私たちで変えればいいだけさ。それで、世界はまた進み始める」
「じゃあ、もし……ジャックが仕事をしなくなっちゃったら世界はどうなるの?」
「色んな世界が止まり始めるだろうね。だから、そうなる前に原因を排除しなくちゃいけない」
「それで、どうしてジャックは時計屋をやってるの?」
しばし黙考した後、ジャックはいつの間にかなくなっていた紅茶をティーポットからアリスのティーカップに注ぎ、なくなりかけていたジャックのにも注ぐ。
角砂糖を一つ入れ、瓶ごとアリスに渡した後に言葉を続けた。
「憎いからさ。そいつが」
「憎い?」
「一度ね、世界を救うのに失敗したことがあるんだ。そこでは大勢の人が死んだ。私だって、そいつのせいで死にかけた」
「……」
「さて、どうする? 共に世界を救う契約する以上は、そちらのデメリットを明確にしておく必要があると思ってね。怖くなったかな?」
「ううん。それでも、会いたい」
決意に満ちた表情で、アリスは頷く。
あまりの思い切りの良さに少し戸惑ったかのように笑い、もう一度聞く。
「即答だね。一応言っておくけど、命を落としかけたってのは、脅しなんかじゃないよ」
「それはちょっと怖いけど……でも、なんかカッコいい! 止まった世界の針を進める、なんて!」
「カッコいい?」
「うん!」
「……ああ、そうか。確かに、カッコいいかもだ」
少し困った様に笑うジャックに対し、両手をグーにして目を煌めかせるアリス。
そんな彼らの横顔を突然窓の外にあった黒が徐々に白に代わり、思わず目を細めてしまうほどに照らし出す。
突拍子もないような出来事にアリスはぎゅっと目を瞑り、慌てて問いただす。
「ジャック、これは?」
「開幕が近い合図だよ。次の世界が近付いてきている」
「次の、世界……」
「次の世界は、もしかしたらつらい世界かもしれない。逆に、とても嬉しいことが起きるかもしれない。だけど、これだけは覚えておいてほしい」
「なあに?」
「どうか、めげないでほしい。くじけないでほしい。……それじゃあ、行こう、アリス。出発だ」
アリスの返答を待たないうちに、車内に光が満たされ、空いていないはずの窓から、桜の花びらが入ってくる。
そして、彼女たちの視界を遮ったのちに、今度は自分の手さえ見えないほどの純白に包まれた。
どこかで、汽笛の音が聞こえる。
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