第8話 宿の部屋で


「あーはっはっは」


突然、部屋の中に男性の笑い声が響いた。


王太子が顔を歪める。


「殿下、貴方の負けだ」


「くっ」


姿を現したのは豪華な服を着たダークエルフの男性だった。


「失礼、私はダークエルフ族の長だ」


夫婦に向かって軽く礼を取る。


「この愚か者に代わって詫びよう。 私に免じて許してやってくれ」


「代わり?」


国の王太子に代われる者がいるのか、とエルフの青年は首を傾げた。


「ふふ、私はな、この国の王族と同じ権限を持っているのだよ」


二百年前の戦争でダークエルフ族は妖精族を裏切り、人族側に付いた。


勝利を与える代わりに得た権利がこれだという。


「王族に馬鹿が現れた時にこうして止める者が必要だろう?」


「ああ、なるほど」


夫婦は頷き、ダークエルフに促された椅子に座る。




 ダークエルフ族はエルフ族と同じように美男美女が多い。


浅黒い肌に白髪、燃えるような赤い目が特徴的である。


戦闘に特化した種族なので、華奢で中性的なエルフに比べ、筋肉が発達し身体能力が高い。


ただし、魔力についてはエルフ族に敵う種族はいないとされる。


「腹は減っていないか?、何か持って来させよう」


まるで本物の王族のようだ。


エルフの青年はダークエルフの様子をずっと覗っている。


 料理が運ばれてきて妻がそれを摘んでいる間、夫は彼らの話を聞く。


「それで、私たちを足止めしている理由は何です?」


「ふふふ、エルフを見るのは久しぶりだからな。


そういえば、お前のことを王太子に献上しようとした貴族の息子は二度とエルフに関われないようにしておいた」


まだ狙われていたようである。


「腕ですか?、それとも脚?」


エルフの青年の問いにダークエルフの長は「目だ」と答えた。


自分に関わっただけで目を潰される。


エルフの青年は、やはり自分たちは『災いの種』なのだと実感する。




「それで、お前たちはこの王都で暮らすのか?」


ダークエルフの言葉に、エルフの青年は自分の動揺を必死に抑え込んだ。


「そうですね、まだ思案中です」


完璧な作法でお茶を飲みながら答える。


「そうか、まあ良い。


もし王都を離れるなら、ここへ行くと良い」


地図と手紙を渡された。


「王族の一人が治めている辺境だが、最近、何故かエルフの数が増えているそうだ」


「私たちにどうしろと?」


「いや、君たちにとって王都は住み難いだろうなと思っただけだよ」


エルフの青年はダークエルフの表情を窺うが真意は見えそうもない。


「……考えておきます」


さて、これはエルフである自分への言葉か、傭兵である彼女への依頼か。


エルフの青年は、とりあえず自分が受け取っておく。


「それでは失礼します」


妻を促して立ち上がる。


汚れた服は後日綺麗にして妻の実家に届けてくれるそうだ。




 宿の部屋に戻り、着替える。


先に女性を風呂に行かせた青年は、隠しておいた自分の荷物を確認した。


たいした物はない。


わずか四日前に着いた時には何も持っていなかったのだから。


それなのに、今は着替えや気に入った小物が入っている鞄。


何故か胸が痛むのは彼女との別れか、それとも、この快適な生活を捨てるのが惜しいのか。


青年は苦笑する。


彼女が眠りに着いたら、そのまま王都の闇に消えればいい。


魔法で探されてもすぐに分からないよう、適当な場所にこの荷物を捨てて。




 青年は風呂で疲れを落とした後、ベッドの端に座る。


ランプの光を消し、ぼんやりとした月明かりだけの部屋。


「疲れているところ悪いけど、少し話を聞いて欲しい」


青年は、すでに横になっている女性の背中に語りかけた。


「ここまで連れて来てくれて、ありがとう」


優しく囁くような声。


「食事や、服や、それに、薬や治療も感謝している」


「それは!」


女性は思わずガバッと上半身を起こした。


つい大きな声を出してしまい、恥ずかしそうに顔を逸らす。


「ごめんなさい、勝手にやって」


小さな声で謝罪した。


エルフの青年が、生きていく上でわざと傷跡を消さないのだと分かっていたのにである。


それでも、どうしても治したくて、金と魔力を注ぎ込んでしまった。


まるで彼の過去を消すように。




「ありがとう。 貴女の気持ちは嬉しい」


彼は気付いてはいたが、必死な彼女の様子を見ていたら止められなかったのだ。


「俺は幸せ者だ」


これからまた新しい傷が増えたとしても後悔はない。


エルフの長い長い寿命の中で、彼女に出会えた短い時間は、自分にとって幸せな思い出になる。


それだけで良い。


 エルフの青年は魔術師の女性の髪に手を伸ばす。


「もう触られても平気?」


「うん。 アンタなら大丈夫」


青年は、手に取った長い藍色の髪の先にそっと口付けする。


「そのうち、誰でも気にならなくなるよ」


そう言って手を離した。




 さらに、青年は俯く女性に対して話し続ける。


「俺は貴女に返すものが何もない。


この身体くらいしかないけど、好きにしてくれ」


そう言って服を脱ぎ始めた。


「ちょっと!」


女性が顔を赤くして慌て出す。


月明かりにエルフの青年の、青白い肌が浮かぶ。


「ば、ばかっ!、私に、アンタの身体を傷付けたヤツらと同じ真似をしろっていうの。


そんなこと、出来るわけないでしょ」


女性は青年を睨む。


「分かってる。 貴女がそんなことを望まないことも」


だけど、それでも。


「情け無いことに、俺には本当に何も無いんだ」


青年は、目尻の下がった深緑の瞳を申し訳なさそうに伏せる。


「わ、私はアンタに夫になってもらったし、勝手に傷を綺麗にしちゃったし」


女性の言葉に納得せず、青年は首を横に振る。


「俺がしたことなんて、貴女にしてもらったことに比べたら全然足りないだろう。


殴っても、投げ飛ばしても構わない」


「ばかっ!」


女性は青年に詰め寄り、その顔を覗き込む。


「私は、アンタを生涯守れるのは同じエルフだけだって言われて、なんだか負けたくないって思ってしまっただけなのよ」


青年はそんな彼女の告白も嬉しそうに聞いていた。




「短い間だったけど貴女に幸せな時をもらった。


俺は、そのお礼がしたい」


青年の身体はまだ痩せ過ぎだが、傷跡が消えた白い肌は男にしては十分に艶かしい。


最初は燻んで見えた髪も手入れされ、今は月の光に美しい金色となって輝く。


その金の光が女性の紫水晶の瞳に浮かぶ。


「私の好きにしていいなら、 アンタをもっともっと幸せにしたい」


女性の言葉に青年が唖然とした。


「……えっ。


俺をこれ以上、幸せにしようっていうのか?」


たとえ長い生涯の中でほんの一瞬だとしても『災いの種』であるエルフを。


「そうよ」


それが望みだと、瞳を潤ませた女性が微笑む。




 二人は見つめ合う。


自然に顔を近づけて唇を重ねる。


「大丈夫?、嫌じゃない?」


青年の気遣う言葉に、


「もう!、うるさいっ」


と、女性はつい荒い言葉を返し、そのまま青年を押し倒した。


躊躇いがちだった青年の腕がやがて強く女性を抱き止める。


そして、二人は身体を重ね、思いを重ねていく。


ゆっくりと、言葉の意味を確かめるように。




 早朝、目覚めたエルフの青年が身体を起こす。


何か考え事をしながら、のろのろと水を頭から浴び、出掛けるための身支度をする。


身に着けたのは彼女と出会う前に着ていた服、と似たものを探して買って来てもらった旅用の服。


 青年はベッドの端に座り、名残惜しそうにスヤスヤと眠る女性の髪に触れる。


そして自分の指に嵌る細い指環に気付く。


どうしよう。


外して置いて行くべきか。


じっと指環を見つめて悩んでいた。




「もう行くの?」


女性の声がした。


彼女はあくびをして毛布から抜け出す。


「待っててね」


そう言って浴室に向かって行く。


彼女は浴室の扉が閉まる直前に振り向いた。


「私たち、もうちゃんとした夫婦なんだから、これからはずっと一緒よ」


だから置いて行かないで。


「あ、ああ」


指環は外さなくて良いみたいだ。


エルフの青年の小さな嗚咽は水の音に掻き消える。


 一組の夫婦が、その日、王都を去った。




 一年後、辺境地の領主から、王宮のダークエルフに宛てた手紙が届く。


「ほお?、案外役に立つな」


あのエルフの青年から受けた『辺境地にエルフ族が増えた理由』の調査報告が詳細に綴られていた。


「なるほど。 新しいエルフの里の一つが辺境の森に出来ていたのか」


エルフでなければ手に入らない情報である。


ダークエルフの長は、傭兵の魔術師と貧弱なエルフという変わった取り合わせの夫婦を思い出し、赤い瞳を細くして笑う。


「ふふふ、これは使い出がありそうだ」


今後、どうやって任務を押し付けようかと考える。


その日、王宮にダークエルフの不気味な笑い声が響いていたという。




      〜終わり〜


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誰も知らなくてもいい恋の話 3 さつき けい @satuki_kei

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