第6話 妻の実家で


 混乱したまま、エルフの青年は朝を迎えた。


神の祝福など生まれて初めてで、何か言葉を聞いた気がするが覚えていない。


「ありゃあ、どうしたんだ?」


ボーッとしているエルフの青年を心配した団長代理が魔術師の女性に訊ねるが、彼女は「さあ?」と惚ける。


とりあえず、王都は目の前。


朝、出発して、昼には到着する距離である。


無理をすれば一日早く着きそうだが、夜は門が閉まるため到着しても入れないのだ。




 教会の魔物討伐遠征隊は、その日、到着が遅れていた隊の最後尾がようやく王都に入った。


王都の教会本部は中央広場近くにあり、そこで証明書を受け取って解散となる。


後日、その証明書と引き換えに報酬が支払われ、さらに働きを認められた者には褒賞が贈られることになっていた。


 魔術師の女性が証明書を受け取る順番を待っていると、団長代理がやって来る。


「三日後に式典がある。 必ず参加しろ」


女性が嫌そうに顔を歪める。


そして団長代理は側に居た、まだ女装したままのエルフの青年に顔を向けた。


「お前さんにはここまで連れて来た依頼料を払ってもらう」


青年は頷く。


「仕事を探して、必ず払いに来る」


団長代理はチラリと二人の指環を確認した。




「いや、仕事はこちらから依頼させてもらおう」


エルフの青年は怪訝な顔で団長代理を見上げる。


「このバカ女を必ず式典に連れて来い。


それから、それまでなるべく側にいて、逃げないように監視を頼む。


それが依頼だ」


「そんなことで良いのか?」


エルフの青年は首を傾げる。


「ああ、力づくでも連れて来い」


団長代理はニヤリと口元を歪めて笑う。


「分かった」


「では三日後に王宮で会おう」


「は?」


聞き慣れない言葉にエルフの青年が唖然としている間に、団長代理はどこかに姿を消した。




 用事が終わったらしい魔術師の女性がエルフの青年の腕を掴む。


「行くぞ」


返事をする間もなく、二人は王都の街中を歩き出す。


エルフの青年が魔術師の女性に「どこへ?」と聞くと常宿があると言う。


大通りから裏道に入り、緑の多い広場のような場所を通り抜けると小さな一軒家に着いた。


「宿?」


「大きな宿で管理している家だ。 一日からでも借りられる」


当然、一泊でも料金は馬鹿高い。


連絡済らしく、女性は指定の場所から鍵を見つけ出して扉を開けた。


 台所付の広い居間と、寝室が一つ。


「こっちに風呂と御手洗い。


これだけだが、王都の中心でこれだけの家はなかなか手には入らないからな」


何故かドヤ顔の魔術師の女性にエルフの青年は「だろうね」と頷く。


彼にとってはどこでも構わない。


どんなに酷い環境でも生きてきたのだから。


買い物に出る彼女を見送り、青年は家の窓を開けてぼんやりと街を眺めた。




 以前の戦争を知っている身として、王都に来ることを今まで避けていた。


エルフの森、その奥にあった壊滅したエルフの里。


その頃の記憶が、戦いの怨嗟が、今でも耳に残っている。


 しかし、目の前の人族の王都は、まるで何事も無かったかのように賑やかで美しい。


人々は活気に溢れ、子供たちの声が無邪気にこだまする。


「俺も彼女と同じだ。 完全に昔を忘れているわけじゃない」


反射的に人族を恐れ、身構える。

 

それが癖になっていて、人族の街に住みながら誰も信用出来ない。


そのため、どうしても一つの場所に長く住み続けることが難しかった。


「俺はなんで生きてるのかな」


どんな目に遭っても生き延びてきた。


身体も心もズタズタになりながら、それでも自分から死を選ぶことだけはしなかった。


その答えは、いつか見つかるのだろうか。




「ただいま!」


荷物を抱えた魔術師の女性が、窓から青年の顔が見えたせいか、突然駆け出す。


荷物が落ちそうだ。


「お帰り」


青年は扉を開けて彼女の荷物を受け取った。


 魔術師の女性の実家は宿のすぐ近くにある。


今夜、さっそく夕食に呼ばれ、二人でお邪魔することになっている。


青年は身体と髪を洗われ、女性が買って来た服に着替えさせられた。


 大きな店だった。


王都の一等地、中央通りに面した老舗の服飾店である。


青年がポカンと見上げていると、バタンと音を立てて正面の扉が開く。


「お嬢様!、お帰りなさいませ。


今回もご無事で、誠によろしゅうございました」


飛び出して来た高齢の男性使用人が、魔術師の女性の前で大声で挨拶する。


「お嬢様はやめて」


顔を顰める女性の隣でエルフの青年は笑いを堪えていた。


青年は紳士の帽子を被り、仕立ての良い男性用の服を着ているが、華奢な体型のせいで性別が判りづらい。


「お嬢様、こちらの方はお客様ですか?」


「彼はその、私の夫だ」


頬を染め、目を逸らすお嬢様。


わっと声が上がり、数名の女性使用人が出て来て二人を店内へと押し込んだ。




 興味津々の使用人たちの手を逃れ、二人は店の奥にある住居の方に向かう。


案内された家族用の食堂で軽く挨拶を交わす。


女性の両親と兄夫婦と幼い甥、そして妹夫婦。


青年が帽子を取るとエルフの耳が現れ、一瞬、場が静かになった。


しかし、家長である父親はそれ以上は何も訊かず、すぐに食事が運ばれて来た。


 食後は部屋を移り、中庭が見渡せる落ち着いた部屋に案内された。


「やっと決まったのねえ」


口数の少ない家族を代表するように、妹が深くため息を吐いて呟いた。


軍を辞め、迷惑が掛かることを恐れたのか、何も言わずに姿を消した娘。


傭兵になった後は、碌に手紙も出していなかったらしい。




 エルフの青年は優雅にお茶を飲み、ただ話を聞いている。


全て妻である魔術師の女性が受け答えすることになっていたので、青年は人族の家庭というものをじっくりと観察させてもらう。


 魔術師の家系であるということは、母親は貴族出身だったのかも知れない。


礼儀には煩そうだ。


父親は元騎士で、背筋が伸びた隙のない姿勢をしている。


こちらはまた違う意味で厳しい雰囲気だ。


「綺麗なお作法ね」


青年は女性の母親に話し掛けられる。


妻である女性に困った視線を向けられているところを見ると、もう会話が続かなくなったのだろう。


 エルフの青年はお茶のカップをテーブルに戻す。


「両親を早くに亡くしまして、ひとりで商売をしております。


礼儀作法は見様見真似の独学ですが、褒めていただき、大変嬉しく思います」


本当は貴族の家で飼われていた時に厳しく躾けられた。


勉学をはじめ、ダンスや芸術も、飼い主に恥をかかせないようにと完璧を求められ続け、最後には。


あまり話せない事情もある。




「眠くなる前に採寸させよう」


ずっと黙っていた父親が使用人を呼ぶ。


三日後、王宮に入るための衣装を作らなければならない。


採寸をするということは、エルフの青年はどうやら女性の両親に認められたようだ。


こっそり安堵の息を吐く。


 採寸は、エルフの青年が頑なに服を脱ぐことを拒否したため、妻である女性が別室で行う。


仕立て作業は幼い頃から見ているので問題はない。


使用人には、エルフとはそういうものだと無理矢理納得させた。


二人とも詳しく採寸され、髪に使う香油や肌に塗る薬をたくさん渡される。


キチンと手入れをしておけ、ということらしい。


「ありがとうございました」


青年は、大店のお嬢様の夫として、使用人たちにもキチンと挨拶をする。


そして。


「おやすみなさい」


優雅に礼を取り、二人は店を後にした。


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