第5話 教会の中で
エルフの青年が指差したのは、見張り番をしていた若者たちだった。
女装したままのエルフの青年を抱き抱え、団長代理は焚き火の側に移動する。
「あ、団長代理!。 俺たちも行きます」
護衛たちは周辺に散らばり、すでにどこから襲われても対処出来る体勢を整えていた。
「待て、お前たちはじっとしてろ」
団長代理は、剣を片手に戦う気でいる若者たちにエルフの青年を近付ける。
「どっちだ?」
白い、女性そのものに見える手が伸びて、ひとりの若者の服を掴んだ。
「えっ、何ですか、こんな時に」
少し顔を赤らめた若者に、女装したエルフの青年が顔を近付ける。
「なにか、もら、た、まえの、まち」
力を振り絞り、途切れ途切れの言葉を発する女装の青年。
異様な気配に気付いて若者が後ずさる。
「何か前の町で手に入れたものがあるはずだ」
団長代理が若者を問い詰める。
「前の町って、何もないっすよ。 変なこと言わないでください」
顔を赤くした若者が慌てたように首を横に振る。
しかし、もう一人の若者が口を挟んだ。
「お前、前の、その前の街で、出発する直前に何かもらってただろ」
門が閉じていて足止めされ、さらに若い男性ばかりが身体を調べられた。
「あー、あの時、確か物売りの爺さんが売れ残りだからタダでいいって」
若者は懐から煌びやかな小袋を取り出す。
エルフの青年は団長代理の腕の中で意識を失った。
目覚めたのはゴトゴト揺れる荷馬車の中だった。
エルフの青年は自分の身体を確かめる。
(女装はそのままか、良かった)
もう日は高い。
「大丈夫ですか?」
荷馬車の怪我人に付き添っている教会のお婆さんの声がした。
なるべく声は出したくない。
エルフの青年は黙って頷いた。
やがて休憩のために馬車が止まる。
すぐに誰かが駆け寄って来て、荷馬車の中を覗き込む。
「お、起きたのか。 気分はどうだ?」
女性魔術師の申し訳なさそうな顔に、エルフの青年は明るい笑顔で頷く。
そして、お婆さんや魔術師の女性が止めるのも聞かずに立ち上がり、荷台から降りた。
団長代理を見つけて近づく。
「もういいのか?。 次の町まで馬車に乗ってろ」
エルフの青年は首を横に振る。
あ、あ、と少し発声を確かめてから声を出す。
「昨夜は、あれからどうなりましたか?」
気になって寝ていられないらしい。
そこへお茶のカップを持った女性魔術師が来て、エルフの青年に差し出した。
「その、昨夜はすまなかった」
突き飛ばされたことだろう。
エルフの青年はカップを受け取り、首を横に振る。
「あれはこちらが悪い。 貴女が嫌がることをしたのだから」
どんなに頭で理解していても、身体が反応してしまうことはある。
おまけに、昨夜は魔力を上手く抑えられていなかった自分のせいだ、と青年は理解していた。
「気にしてません。 それより、狼は?」
エルフの青年が周りをザッと見た限り、被害は無いようだ。
「ああ、あれか」
ズズズと音を立ててお茶を啜り、団長代理が一息吐く。
「あの魔道具を遠くに投げ捨てたら、アイツらはそっちに向かって行っちまった」
あの辺りには確か沼があった、とエルフの青年は思い出す。
危険を承知で誰かが捨てに行ったのかも知れない。
「お蔭で特に被害はない」と団長代理が笑う。
「そうでしたか、それなら良かった」
あの魔道具は獣を呼び寄せると同時に、エルフの感覚を狂わせる何かが含まれていたのかも知れない。
すぐに効果が出るものではなく、徐々にそれが広がるという手の込んだ悪意。
おそらくは、エルフを弱らせ、炙り出すための。
「すみません、ご迷惑を」
エルフの青年が謝ろうとすると、団長代理は真面目な顔で遮る。
「謝るな。 この隊の責任者は俺だ」
全員を無事に王都へ連れて行く、それが任務。
「お前さんもその内のひとりだ」
エルフの青年は黙って俯いた。
自分はあの街から出ることしか考えていなかった。
追っ手が来ることも予想出来たし、彼らを巻き込むことも分かっていたのに。
何故、ここの人たちは自分を放り出さないのか。
「次の町で一泊したら、王都はもう目の前だ。
そこで何をするかでも考えとけ」
そう言いながら団長代理は立ち上がり、大声で出発の合図を出した。
王都の一つ手前の町では、宿ではなく教会で泊めてもらうことになった。
教会内の食堂で全員揃って夕食を取る。
あと一息ということで、長く遠征隊で旅をしていた者たちの中には、はしゃいでいる者もいた。
全体的に和やかな雰囲気になっている。
魔術師の女性と女装のエルフの青年のところに、昨夜の見張り番の若者が謝りに来た。
「すみません、すみません」
何度も頭を下げる。
きっと昨夜から隊の皆に謝り続けているのだろう。
「オ、オレ、あれがそんな危険な物だって知らなくて」
女性用のお土産にちょうどいいと思って受け取ってしまったと話す若者の目が真っ赤になっている。
エルフの青年は優しく微笑んで、彼を許した。
教会の中といっても怪我人を優先するためベッドの空きは少なく、男性たちは食堂の床にごろ寝である。
数少ない女性たちは礼拝堂の隅に固まって寝ることになった。
エルフの青年と魔術師の女性は、その固まりから少し離れた場所に移動した。
床ではなく、礼拝用の木の長椅子に座る。
エルフの青年は椅子に座ったまま毛布を頭から被って、神像を見上げていた。
「珍しい?」
同じように身体に毛布を巻き付けた魔術師の女性が隣に座る。
「うん、こんなに近くで見たのは初めてだ」
二人はしばらくの間、黙って前を向いていた。
他の女性たちが寝静まった頃、魔術師の女性がエルフの青年に話し掛ける。
「お願いがあるの」
「うん?、恋人のふりだけでは足りないのか」
エルフの青年が苦笑いを浮かべる。
魔術師の女性が突然、エルフの青年の手を握り、その細い指に指環を押し込んだ。
どこの町の雑貨屋でも売っている安物である。
「ん?」
「恋人じゃなくて、夫になってもらうわ」
ハハハ、とエルフの青年が乾いた笑い声を零す。
「何でも良いよ、貴女の気の済むように」
お互いの指に光る細い銀の指環。
女性は青年の手を離そうとしない。
「どうしたの?」
青年が彼女の顔を覗き込むと、一筋の涙が頬に流れた。
その涙を拭ってあげたいが、また拒否される恐れがあるので青年からは手が出せない。
「どうして」
いつもの彼女らしくない、か細い声が聞こえる。
「どうして、そんなに何もかも許せるの。
わ、私は何年経っても、身体が覚えていて、反応してしまうのに」
エルフの青年は、俯いた彼女が握っている自分の手をそっと握り込む。
「貴女はたぶん幸せな記憶があるから、傷付けられた怖さを忘れられないんだ」
女性が顔を上げると、青年と目が合う。
「でも、俺には幸せだった記憶が無い」
微笑んだ彼は、まるで何も知らない幼い子供のようだ。
「もしかしたら、俺は今が一番幸せかも知れないな」
彼が幸せならそれで良いと女性は思った。
ふいに魔術師の女性がエルフの青年の頬に口付ける。
「えっ」
エルフの青年は頭の中がグラグラした。
「何か声が」
頭を抱えて呻る。
「あ、説明してなかったわね。
神前でお揃いの指環をして口付けすると、神様が一度だけ祝福を与えてくださるのよ」
「何だって?」
エルフの青年がポカンとしている。
「だからね。
今、私たちは神様から結婚を祝福されたの」
「結婚?、したのか、俺が」
魔術師の女性が笑顔でコクリと頷いた。
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