第4話 旅の野営地で


「だから俺は傷を消さない」


エルフの青年は、もう一度服を着て、何でもないことのように笑って見せる。


「今まで無理矢理に傷を治そうとするヤツもいたが、これだけ傷が多いと薬代だけでも高くつく。


回復魔法の料金もバカにならないし」


「ご、ごめんなさい」


魔術師の女性がしょんぼりと俯いた。


「俺の身体なんて、もう誰も見向きもしないよ。


気にするな。


貴女の優しい気持ちは有り難く受け取った」


エルフの青年はそう言うと「もう寝る」と部屋を出て行った。




 団長代理は青い顔で扉を見つめている。


「なんだか、私、自分が馬鹿みたい」


魔術師の女性がポツリと言葉を零す。


「いや、お前は善意で治そうとしただけだ」


団長代理の言葉に、女性は首を横に振った。


「ううん、違うの。


さっきまでの私は、彼の傷を見ても心のどこかで自分のほうが不幸だって思ってた。


でも今は、彼の痛みはまだ続いているんだって。


まだこれからも続くんだって、分かった」


自分はたくさんの人に気を遣わせ、八つ当たりして殴り飛ばしてきた。


こんなに強い自分が不幸なわけない。


「あのね」


魔術師の女性は俯いていた顔を上げた。


「自分より不幸な人を見つけたから自分が不幸じゃないって分かったんじゃない。


私、自分がとっくに傷が癒えてることに気づいたの」


嫌なら大声を出して抵抗すれば良い。


今の自分なら、もう出来る。




 だけど彼は完全に抵抗する心を折られている。


彼のあの傷は、傷付けられることを前提とした傷。


「私、やっぱり王都に着いたら彼の傷を治したい」


女性は団長代理の顔を真っ直ぐに見た。


「どうしたら治させてくれるかしら」


「そりゃあ」


団長代理は腕を組んで考えた。


「一生、アイツの側で守ってやれる者なら」


誰にも傷付けさせないように。


だが、そんなことが出来るのは同じエルフ族しかいない。


「あれは長命種族だから、俺たちじゃ救えない」


ずっと側に居たくても自分たちのほうが先に死んでしまう。


「……そうね」


考え込んだまま、女性は部屋を出て行った。




 翌日も移動は続く。


荷馬車二台に歩けない物を乗せ、動ける者と護衛はその周りを警戒しながら歩く。


街道は滅多に危険はないが、それでも町から離れれば野性の獣や盗賊の被害はそれなりにある。


 その夜は街道沿いにある野営地での泊まり。


建物は屋根と壁だけの馬小屋と、煮炊きが出来る炊事場しかない。


大切な馬を休ませ、当番が食事を作る。


あとの者は建物の周囲にテントを張っていく。


「狭いけど大丈夫?」


女性が訊ねると女装のエルフは笑って頷く。


「こっちが訊きたいよ。 俺と二人で一つのテントだけど良いの?」


女性も笑って頷いた。




 遠征隊の若者が設営を手伝ってくれる。


エルフの青年の女装だとは知らずに、出発してから何度も声を掛けてきては魔術師の女性に追い払われていた。


「まったく、アイツらは見え見えなんだよ」


女性は怒るが、青年はおっとりとした女装の顔で微笑む。


「ただの同情だよ。 彼らは自分が優しいんだってことを確認してるだけさ」


自己満足しているだけで、それ以上は踏み込んで来ない。


「私は違う!」


魔術師の女性はエルフの青年に顔を寄せて訴えた。


「うん。 貴女は俺が頼んだからね。 同情ではなく、仕事だ」


だから王都までは世話になる。


エルフの青年は、二人で満員になるテントに潜り込んで横になった。




「仕事なら報酬は出るのか?」


エルフの青年の隣に腰を下ろした女性が訊く。


寝返りのように身体を女性に向け、エルフの青年が唸る。


「んー、すまない。 そこまで考えてなかった。 王都で仕事を探すから、しばらく待ってもらえないか」


女性は笑いながら首を振る。


「金は要らない。 ただ一つだけ、頼みたいことがある」


「ああ、何でも聞く」


『何でも』だな、と確認した女性がエルフの青年の隣にゴロリと横になる。




 じっとエルフの少し垂れた濃緑の瞳を覗き込む。


「王都の私の両親に会って欲しい、恋人として」


縁談を断るための「ふり」で構わない。


遠征中に出会って恋仲になったと紹介するだけだ、と言って女性は少し顔を赤くした。


「それが報酬代わりになるなら」


青年は驚いた様子もなく、特に何も変わらない笑顔で引き受ける。


「え、いいの?」


逆に心配になって女性が訊ねると、エルフの青年はニコリと微笑む。


「恋人のふりや愛人のふりはよく頼まれるよ。 気にしないで」


「あ、そうなんだ」


二人はそのまま黙り込み、いつの間にか眠っていた。




 いつもなら多少の騒ぎに目を覚ますことなどない。


魔術師の女性は異様な魔力を感じてハッと起き上がる。


「ごめん、起こしちゃったね」


それは隣に寝ていたエルフの青年の気配だった。


彼も起き上がり、どうやら外を警戒している。


「さっきからどうも嫌な感じがして、集中出来ないんだ」


小さな明かりを点けている彼の横顔には汗が流れている。


「私が様子を見て来よう」


「ああ、すまない、頼む」


女性魔術師は小さく頷き、上着を羽織ると周りを窺いながらテントの外に出た。




 見張り番の焚き火が見える。


二人の若者が笑いながら火の番をしていた。


「ご苦労様」


そう声を掛けると驚いて飛び上がる。


「ヒェッ。 驚かさないでくださいよ、もー」


本当は誰かが起きてきたことに、真っ先に見張り番が気付かないといけないのだが。


「異常はないか」


傭兵とはいえ、相手は年上で経験も豊富な女性魔術師である。


「もちろん、大丈夫ですよ」


若い見張り番は胸を張って答えた。


 しかし、その時。


ワォーーーッン


狼らしき獣の遠吠えが聞こえた。




 数名の聖騎士たちがテントから出て来る。


「狼か」


「普通の獣なら良いがな」


魔法を使う魔獣や盗賊が操る獣の可能性もあると、警戒しながら装備を整え始めた。


 魔術師の女性も準備のために一旦テントに戻る。


「おい、大丈夫か?」


大きく肩を上下させ、苦しそうに息をするエルフの青年がいた。


「ま、まりょ、おいか、けて」


「何だ?、しっかりしろ」


必死に女性に何かを伝えようとしている。


「どうやら狼の群れが近くにいるようだ。


心配ない、ちゃんと守るから」


魔術師の女性はローブと魔法の媒体になる杖を取り出す。


「だめ、だ、あれ、おと……り」


エルフの青年が、いきなり女性の手を掴んだ。




 魔術師の女性は思わず、その手を振り解き、エルフの青年を突き飛ばしてしまう。


「あ」


身の軽いエルフの身体はテントを突き破り、外に転がって止まる。


「すまん!、大丈夫かっ」


女性は駆け寄るが、さっき彼に掴まれた恐怖が身体をすくませた。


「どうした?」


団長代理が二人の側に駆け付けた。


ガタガタと震えている女性と、地面に倒れ、苦しそうに呻いているエルフの青年。


「ここは俺に任せて、お前は護衛たちと合流しろ」


女性に指示すると、団長代理はエルフの青年を抱き起す。




 痩せた指が団長代理の服を掴んで顔を引き寄せた。


異様な魔力がエルフの身体から溢れている。


「どうしたんだ、何があった」


団長代理の耳に何とか近づいたエルフの青年の口元が動く。


「なにか、ま、どう、ぐが、よびよせ、て」


「魔道具だと?。 それが狼をこの場所に呼び寄せているのか!」


青年は必死に首を縦に振る。


「どこにあるか、分かるか?」


細い指が誰かを指差した。


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