第3話scene 3

「夢みたい。うん、まさに夢」

2人は現実に居た。夕凪の家の玄関内だ。


もうそろそろ、試してみて、とこの前凛音に言われたのである日決意した。

「凛音、来て!」

願いを込めて叫んだのだ。

すると、夕凪の身体から煙のようなものが出てきた。

思わず後ろに下がったが、煙はだんだん人型になっていき、濃縮されるとそれは凛音の姿になり、実体化したのだ。


「凛音!」思わず抱きついた。

「どう?具合悪くない?」心配そうに夕凪は彼を見上げた。


「不思議な、感じだ。空気が、違うっていうか。でも、何とも、無いようだ」

自分自身の手足を見て、右手をくるくるとまわした。


服装はいつもの和装に、下駄を履いている。

カン、と下駄を地面に打ち付けた。

「外に行かないから、履き慣れないや」

「素敵ね、和服とよく合う!」

2人同じタイミングでフフっと笑った。


「何処に、行きたいの?」

夕凪は目を大きく見開いて言った。

「水族館!一緒に見て回りたい」


「ここから、近いところ。海遊館かい?」

夕凪は驚いた。

「よく知ってるね!そこだよ、そこ!行きたいとこ!」 


夕凪は肩からかけているバッグをポンポン叩いた。

「バイト代入ったから、お金は大丈夫だよ!早く駅に行こう。ここから15分位歩くけど」


うーん、と凛音は唸った後、にっこり笑った。


「そんな必要は、ないよ。夕凪が行ったところが、ある場所なら」

「うん、だいぶ前だけど?」


周りの景色が一瞬ぶれたようにピントが外れた。

夕凪は思わず凛音の袂を掴んで目を瞑った。


「夕凪」

肩を叩かれ、怖々目を開けた。

周囲が一変していた。

2人は青暗い空間にいた。

「ここ、でしょ?海遊館」


目の前に、大きな水槽越しにジンベイザメが回遊している。


「え、これ、現実?凛音の見せてる夢?」


夕凪は焦って周りを見た。馴染みのある薄暗い通路と、目の前の水槽。


「夢見せる能力は、無いな、そう言えば。ここは、現実だよ。

僕がいる部屋を通して、別の場所へ行けるんだ。ビックリ、した?」


「凄い、凄いよ!凛音!神様みたい!」

周囲に人がいなかったら手を叩いて飛び跳ねたいぐらいの勢いで絶賛した。

「神様って」

「そうだよ、神様だよ!少なくとも私の神様」

思わず凛音を拝んだ。

「ここ、入館料高いから助かる」

彼は少し照れながら言った。

「どう、致しまして。こんな事で、神様、呼ばわりは、本物に、悪いよ」最後は尻すぼみになった。

夕凪は最後は聞こえていなかったようで、全く気にせず彼の手を引っ張った。

「エイがこっちに来るよ」」


しばらくあちこちの水槽を見て回り、最後に海月の水槽まで来た。


「きれいねー。ふわふわして、優雅だ」夕凪は海月を見るのが好きだ。

「何にも考えず、漂って、自分の体も海の色に染まって、どこまでも透明で」


凛音は何も言わず、食い入るように海月を見ていた。

「凛音?」

彼はハッと息を吐いた。

「何処から何処までが自分の体って分かってるのかな?ほとんど海水でしょ?海月って」

凛音は無表情に言った。

「どこまでが自分がわからないのなら、身体が欠けている事すら、気が付かないんじゃないかな。海の月だけに」

夕凪は早口で平坦に言う凛音に不安になって

「クラゲって海の月って書くんだ」

と自分に言い聞かせるように呟いた。


しばらく2人は海月の水槽の前に立ち尽くしていた。

「もう、帰っていい?あの部屋だけど」

凛音は不意に言った。

「疲れた?」胸騒ぎがした。


「うん、ちょっとね。慣れない事、したし」

いつもの話し方に戻った。

凛音は夕凪の頭を撫でた。


「ごめんなさい、無理言って」

夕凪は俯いた。


「いや、楽しかった。大丈夫だよ」

少々青ざめた顔色だったが、ニッコリ笑った。


次の瞬間、凛音の部屋だった。


2人して座り込んでいた。凛音の下駄が脱げて傍らに転がっていた。


「ゴメン、ここまでしか、戻れなかったよ」


凛音はすっかり疲れ切った様子で息を継いだ。

夕凪は凛音の様子にすっかり後悔して彼の背中を撫でた。


「ごめんなさい、こんなに具合悪くなっちゃうなんて。無理させてごめんなさい」


「フフ、格好悪いなあ、僕。せっかく良い所、見せようと、思ったのに」 


彼は力無くずるずると横になった。

「神様って言っても、こんなもんだよ」


夕凪が泣きそうになっているのを見て、下になってない手を伸ばした。


「ちょっと、休めば、よくなるから、心配、しないで。

今日は、夕凪に、喜んで欲しかった。楽しめた?」

夕凪は鼻を啜って手を握った。

「うん、とても、楽しかった。ありがとう、凛音」

長居しては身体が休めないと思い、名残惜しそうに夕凪は帰った。


しばらく目を閉じて横になっていたが

「もう少しだ」

凛音は息を吐き出して天井を向いた。

「もうすぐ終わる」机の上の紙の方を見つめた。

「今日のことも早く書かなくては」

むっくりと起き上がった。

温かいお茶が入った湯呑みが机の上にあった。

「本当に、これも、どこからやってくるんだろう?」

彼自身、喉が乾くことはないが、見ると気分的に欲しくなった。

彼はお茶を少し飲んで、机に座った。前に終わった続きから書き始める。


凛音はしばらく食べも飲みもしていないが、別に何も不自由はしていない。生理的欲求が無い。

トイレも風呂もない一間だけの部屋でずっと事足りている。


「当たり前か、僕の心臓は止まってるし」


夕凪を手に入れて、まず最初にする事は、心臓の音を確かめることにしよう。

彼はニンマリと笑った。








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