第26話

 アーヤたちはサーヤを先頭に道を進んだ。


 サーヤはいくつもある分かれ道も、扉も、迷いなく選んでいく。地底国家とテルノルトは言ったが、今のところ大きな迷路だとアーヤは思った。国にあるような住宅街とか都とか畑なんかはない。


「一旦止まって」


 サーヤが扉を開けてみんながひらけた空間に入ったところでカーレンが口に人差し指を当てて「静かに」と言った。


「カーレン? どうしたの?」


 小声でアーヤが尋ねると、カーレンは目を左右に動かして辺りを確認した。ここは円形になっていて街の広場のような場所だ。ここへ繋がる扉が二つとトンネルが六つ大体等間隔にあった。


「足音がする。それも大勢の」


 アーヤたちは立ち止まって耳を澄ませた。アーヤたちが来た方向と別の方角から、たしかに足音が聞こえていた。広場に繋がる扉のないトンネルのうちの一つからだ。三十人以上はいるだろう足音は、だんだん近づいてきていた。


「サーヤ、わかるか?」


 ゼンナンが聞いたのは「この足音の主が誰かわかるか」ということだろう。サーヤは「うーん……」と少し考えた。


「足音だけだとわかんない」


 アーヤとグレンはすぐにでも魔術を発動できるように準備した。ルークとゼンナンも腰に付けている剣に手をかけ、引き抜く用意をしていた。カーレンとサーヤは音のする方をじっと見つめていた。


 トンネルから出てきたのは様々な人だった。「様々」というのは、ドレスを纏った貴婦人がいたり、ワンピースの町娘がいたり、派手に着飾った男がいたり、畑仕事をするような格好の年寄りがいたり、小さな子どもがいたり、ということだ。


「あの人たちおかしいよ」


 サーヤがアーヤの肩を叩いて訴えた。


「おかしい?」


 アーヤたちが彼らをよくよく見てみれば、たしかにおかしかった。


 まばたきをほとんどしていない。表情は動かない。怪我をしている者もいるが、血を垂れ流しているのを気にした様子もない。そこにあるのは虚無感。


 三十人ほどが広場に出終わると、その後ろからコツコツとヒールを鳴らして着飾ったメイが現れた。人々は左右に割れてメイが通れる道を空けた。


「あらあらアーヤにグレンにサラノーン。それから、ルークとカーレンだったかしら? 後の一人は……初めて見るわね」


 メイはアーヤたちの顔をいつもの明るい笑顔で眺めた。


「ねぇ、アーヤ。今からでも遅くはないわ。一緒に地底国家のローゼリアとして働かない?」


 テルノルトが地底国家を創ってローザはローゼリアという名前になったらしい。その誘いは、パーティーでメイの言葉を聞いているアーヤの心を少しも動かさなかった。


「そんなに使い勝手が良かった?」

「使い勝手だなんて! ただ優秀なあなたと働けたらいいなと思ったのよ」


 テルノルトもロイセンもメイも優秀と言う。彼らの言うそれは、思い通りに動く扱いやすい人間だという意味だともう知っていた。


「残念だけど明後日にはローゼリアなんてなくなってるからそのお誘いに魅力を感じないかな」


 メイはちっとも残念そうな顔をせずに「あらそれはもったいないわね」と言った。


「そういうことなら地底国家の記念すべき国民第一号たちに働いてもらいましょ」


 メイがパチンと手を叩くと、メイのヘッドティカの額の真ん中の位置についていた青黒い宝石がにぶく光った。三十人の国民たちの胸――心臓の位置も同じ色に光る。そして彼らはアーヤたちの方へ隠し持っていた武器を手に走ってきた。


 武器は剣を持っている人もいたが、農民らしき人が持っているのは鎌だったり、貴族の夫人らしき人が持っているのは扇子だったり、子どもの持っているものは木の枝だったりする。


 アーヤが攻撃すれば一瞬で決着はつく。だが、どうも彼らはメイに操られられている。


 ゼンナンとルークは躊躇わず剣を振るって次々に押し寄せる国民たちをさばいていった。


「アーヤ、村の時みたいに動きを止めるやつってできないの?」


 カーレンが言ったようにそれが一番人を傷つけないだろう。星のかけらが十分にあれば迷わずあれをした。今アーヤが恐れているのは、小屋にあった星のかけらが使われることだ。それを注ぎ込まれてしまうと勝てる確率は十分の一ほどになる。星のかけらはなるべく節約しておきたかった。


 それでも、視界の中で赤色がちらつくたびに、星のかけらを節約して後に備えるという合理的判断が罪深く思えてしまう。


「さっきと同じだ。メイを狙うぞ」


 アーヤはいつも通りのつもりだったが、冷静さを少し欠いているようだ。グレンの言葉にはっとしてメイのヘッドティカを見て、気がついた。

 あの宝石は星のかけらだ。


「アーヤ、あなたと、そこにいるサラノーンのおかげなのよ? こうして忠誠心を持った国民を迎え入れられたのは」


 メイは蛇のようだった。獲物を見据えて引きずり落とそうとしてくる。


「気づいたでしょ? あなたの力なのよ?」


「あれはたしかに君の力なのかもしれないけど、あれを使ってるのはあいつらだ。君がやってるわけじゃないからな」

 ルークが飛んできたナイフを弾きながらすかさず言った。メイの言葉に惑わされるなと言われている気がした。


「これ知ってる?」


 メイがポケットから取り出したのは青色のゼリービーンズだった。


「サラノーンにゼリービーンズ屋へ秘薬を届けてもらったの。――星のかけらの粉末をね。あそこの店長ったらすぐに魔術にかかって受け取ったわよ」


 サーヤが息を詰まらせて下を向いた。


「これを体内に取り込んだ人はこの本体に従属するようになってるのよ。あなたの『影』を参考にさせてもらったんだけど、なかなかすごい発明品でしょ」


 あのヘッドティカの宝石が脳味噌で、星のかけらを取り込んだ人間が『影』ということか。発明品を自慢げに語るメイはいつもアーヤが見ていたメイと同じだった。アーヤに発明品を渡して嬉しそうにその効能を教えてくれたメイ。


「散々利用してくれたみたいだけど、その分はしっかりと返してもらうから」


 アーヤはメイの額に雷を纏わせた矢を放つ。アーヤが攻撃を開始したのを確認したグレンは小型の水球爆弾を送り込む。それらは全て、メイの前に現れた土の壁によって防がれた。メイは袖口から杖を取り出した。何千年も生きた木から魂を抜き出して固めたような杖だった。


「アーヤ、あなたは強いわ。だけど、それだけじゃ勝てないのよ。大人しく私の『聖霊樹』の餌食になりなさい!」


 メイは杖――『聖霊樹』を天に掲げた。

 杖の先に紫と黒が混ざった禍々しい靄が集まっていく。


「生憎だけど、そういうわけにはいかないの!」


 アーヤは自分の体よりも大きな魔法陣を頭上に展開させた。魔法陣の中心から光の柱が立ち、その周りに黄色い光が渦を巻いていく。


 広場はメイを中心にした闇の渦とアーヤを中心にした光の渦がそれぞれ広がって、二つに割れていた。

 ただ強いだけじゃ勝てないかもしれない。メイには誰にも負けない思いがあったから。


 だけど、それは今のアーヤも同じだから。


 アーヤの魔法陣から広がっていた光は一気に中心に集まる。

 メイの闇も杖の先に集まっていた。


 アーヤもメイもほとんど同時にそれを相手に向けて放った。


 激しくぶつかり、アーヤとメイの間で押しあっていた。決して混ざることなく、押し勝とうとせめぎ合う。

 メイは杖に魔力を流し込み続けた。アーヤも負けじと光を強くする。


 長いようで短い時間だった。


 グレンがアーヤを後押しするように高圧力の風を送り込んだことでアーヤの光はメイの闇を掻き消し、メイへ向かって突き進んだ。


 メイが慌てて立ち上げた土壁も破壊して、光はメイにぶつかった。


 ぶつかって飛び散った光が宙に消える。

 アーヤの両サイドで繰り広げられていた国民たちによる捨て身の攻撃も止んだ。人が崩れ落ちていく音が聞こえた。


「……アーヤが勝つことはないわ。私が死のうが、勝つのは私たちよ」


 立っていられなくなって座り込んだメイは肩で息をしながらアーヤを睨みつけた。


 グレンがメイにとどめを刺すために風の刃を出そうとした時、メイたちがやってきたトンネルから一人の少女が飛び出してメイの前に立った。


 その姿にグレンは手を止める。


「ユーメル!」


 カーレンが叫んだ。


「アーヤさん。邪魔しにきたのならここを通すわけには行かないのです。お兄様まで連れてきてどういうつもりです?」


「ユーメルこそ、ここで何を? カーレンはあなたを探しにきたの。こんなところで――」

「こんなところ?」


 ユーメルはアーヤの声を遮った。


「ここは素晴らしいところよ。地底国家は絶対にお兄様が生きやすい国になる。そう、お兄様が胸を張って歩ける国になる!」


 お茶会で見ていた賢黙なユーメルはいなかった。ユーメルは地底国家にカーレンのための救いを求めたのだ。


「目を覚ませ」


 強い口調だった。アーヤはカーレンのこんなところを見たことがない。ユーメルもそうだったのだろう。目を見開いて衝撃を受けた顔をした。


「ユーメル、いや、ナタリー」


ユーメルは――ナタリーは見開いた目をそのままに声にならない声を出した。


「……どういうこと?」


 カーレンはナタリーの方へゆっくりと歩いて行った。


「僕はいつ君に今の生活が苦しいと言った?」


 カーレンは厳しくナタリーのことを見ていたが、そこに自分への失望や後悔があったのは誰の目に見ても明らかだった。


「僕は今のままでずっと君に救われていた。ナタリーと謎を解いてお茶をして。ナタリーには迷惑しかなかったかもしれないけど、このままずっとこんなふうに暮らしていけたら満足だった」


 ナタリーは体を震わせて手で顔を覆った。


「そんなの……じゃあこれは、ただの裏切り……」


 そんなナタリーのことをカーレンはそっと抱きしめた。


「――帰ったら美味しいマカロンでも食べようか。とっておきのを街で見つけたんだ」


 あたたまった空気は、メイの狂ったような笑い声で飛び散った。


「あはは! 最近はすごいのね。自分が殺されても許せるキョウダイアイ!」


 それはカーレンたちのことだけじゃなくアーヤたちに向けられていた。アーヤは服の裾を握り、顔を凍らせた。

 そうだ、サーヤが悪いみたいになっているけど、一度殺そうとしたのはアーヤの方だ。


 グレンは静かに言った。


「やり直せるならやり直せる内にやり直すべきだ」


 その言葉で鈍る思考を解凍させて、アーヤは浅くなっていた呼吸を整えた。

 ちらりと見えたグレンの顔から、グレンもやり直せるならばやり直したい相手がいるのかもしれない、とアーヤは思った。


「あら、そう。私には理解できないわ」


 メイの笑顔は狂気に満ちていた。耳に揺れている茶色の雫型のイヤリングを触り、笑い声を上げる。


「理解したくもないもの!」


 死にかけているとは思えない耳を通り越して頭にキーンと響く声。


 カーレンとナタリーはアーヤたちのところまで歩いて来た。ナタリーはまだ納得できないような複雑な顔をしていたけれど、肩に添えられたカーレンの手に自分の手を添えて涙を堪えるように不恰好な笑みを作った。


「アーヤ、最後に一つ教えてあげる! あんたの罪はまだ終わってないのよ! この大陸が呪われるのももう少し! あなたのおかげなのよ!」


 アーヤがどういうことなのか問い詰めようとメイの方へ足を一歩踏み出した時、メイは触れていたイヤリングに高濃度の魔力を一気に流した。

 何をするのか悟ったゼンナンがメイからできる限りの距離を取る。


「離れろ!」


 耳をつんざく破裂音。

 目に見えないほど細かくなって飛び散るメイの体。

 宙にまった煙。土埃。

 えぐれた地面に、剥がれた壁。


 聴覚が戻ってもしばらく世界から音が消えた。

 最後まで自分の世界で生きたメイ・サンリュ。彼女の心は地底国家に埋まったままだった。


 アーヤは奥歯を噛み締めてから息を吐いた。



「あいつの言ってたお前の罪に心当たりは?」


 ゼンナンは冷静に次に起こりうる危機に備えようとしていた。

 アーヤは罪と言われてたくさん思いあたった。しかし、同時に一つもわからなかった。今までのローザでやってきたことを罪だというならわけもわからないままたくさんの罪を犯しているが、どれがどういう罪で、今回は何を言われているのかわからなかったのだ。


「今までしてきたことの何かなのだろうけど何のことを言われているのかは……」

「ひとまずテルノルトのとこへ急ぐぞ――サーヤ」


 ゼンナンに促されたサーヤはまた歩き出した。メイたちが入ってきたトンネルの一つ横のトンネルに入る。地下なのに、明るかった。


 道が二つに分かれたところでサーヤは立ち止まった。

 右の方を指して、「この先にはフルノーレ様がいます」と言って、左の方を指して、「この先にはさっきのようなこの国の国民がいます」と言った。


 さっきのような国民ということは、メイのように操っている人もいるということだ。たぶんそれは、炎の使い手デリバン・フール。


「――三日後に集まる国民『候補』の選別を行うのはデリバンだ……」


 三日後にここに押しかける人々を全員受け付けるわけではなく、選別が行われる。さっき見た国民一号と呼ばれていた人たちは、共通点がまるでないようであったのだ。


「アーヤ、僕はこっちに行くよ」


 グレンが左を指さした。

 にやっと笑ってゼンナンは右を指す。


「俺はこっちにしか用はない」


 カーレンはナタリーの顔を見てから左の道の方を指した。


「僕たちはこっち、かな」


「それなら僕はこっちの方がいいか――アーヤもだろ」


 ルークが右の道の方を見て言った。


「うん。そっちへ行く」


 それぞれが次に進む方の道の側に分かれた。


 サーヤは「フルノーレ様に会うのは気まずいからこっち行くね。またね、お姉ちゃん」とグレンたちの方に寄ってアーヤに手を振った。


 アーヤとルークとゼンナンは無言で道を進んだ。たまに土の壁が開いて岩が転がってきたり、天井から太い針が降ってきたりしたが、アーヤが燃やしたりルークとゼンナンが剣で弾いたりした。


 道は途中で分かれたりすることもなく一つの扉まで繋がっていた。


 この先にテルノルトがいる。

 ルークが扉を横にスライドさせた。

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