第25話
大通りは焦げ臭い匂いがしていた。あの地震と火事が併発したのだ。大通りの右半分は焼け焦げていて、左半分は見事にドミノ倒しになっている。
転移した先にはゼンナンとルークがいて、アーヤと同じタイミングでカーレンも来た。皆帝都の酷い有様に言葉を失っていた。転移してきたから街の様子はこの場所のことしかわからないけれど、朝食の準備をしていた家や火を扱う料理店などで火事が起きており、焼け焦げた家や、炭になって崩れた家がいくつもあった。比較的裕福な平民街でこれなら、造りの甘い下流階級の平民街の家は木屑と化しているかもしれない。
「――これ、これは、どうして……」
グレンの声がして彼が到着したことがわかった。その声は現実を飲み込めないとばかりに掠れていた。
「これは、今朝の地震のせいだ。地震自体は、地底国家の入り口を外に出す時に生まれたものか、それとも住む場所を奪って地底国家へ来る人を増やそうとしたためか、どっちにしてもテルノルトたちが原因だ」
ゼンナンはグレンに言い聞かせるように話した。ゼンナンの言葉は時折り突き刺さるように重い。
グレンはゼンナンの言葉を脳内で反芻させて「こうなるのは予想外――いやでもたしかにどんな形であれそうなるのは当然だったのか」と焼けた家々を見つめてつぶやいた。
アーヤたちを見据えたグレンの目は、それまでの疲れたような虚構を見つめる焦点の合わないものではなく、強い意思の宿ったものだった。
「――あの扉は僕が壊す」
グレンが指さした先にあるのは、地面を下から押し上げて無理矢理地上に姿を見せている扉だった。遠目からでも見えるということはそれなりの大きさということだ。
五人全員が地底国家へ入る決心を固め、扉のある方へ歩いていく。
アーヤはこれまでに感じたことのない緊張感を胸にしまいこんで、自分に言い聞かせるように口にした。
「偽物の楽園が生み出す苦しみを終わらせる、絶対に」
それぞれがそれぞれの思いを胸に歩く。
アーヤの言葉は五人の思いを強くさせた。
「それじゃあ、行くよ」
グレンは大きな風の刃で扉を割った。音を立てて扉が落ちる。現れた地下へ続く階段をアーヤたちは駆け降りた。
グレンが程よい追い風を作ってスピードを上げてくれる。
階段はいくら降りても終わりが見えず、段々と急になっていくので、追い風も相まって巨大な落とし穴を落ち続けているようだった。
「あんたら何やってんの?」
下から声がした。土遊びをする子どもに何を作っているのかと尋ねるような口ぶりだ。
「グレン、あの声――」
「ああ、ロイセンだろうな」
危篤の知らせがきてから状態がわからなかった水の使い手ロイセン・ハリ。
彼はいた。当たり前のようにその場所に。アーヤたちがしていることをおかしいと理解できないと心の底から思っているようだった。
地底にたどり着き、ロイセンと同じ目線に立ったアーヤは睨みつけた。
「生きてたの?」
「なにそれ酷いな。勝手に殺さないでくれない?」
飄々とした彼は状況が見えていないのだろうか。
アーヤたちはロイセンが邪魔するならば攻撃するつもりである。そんなことはローザナンバーワンの力を持った彼には関係ないのだろうか。
「今まで何してたの?」
「この辺で準備?」
ロイセンの危篤はある意味で正しい情報だったのだ。ロイセンは地上からは消えて、地底にいた。地上の彼は仮死状態というわけだ。
ロイセンが相手方だと決定してグレンも敵対態勢に入ったみたいだった。
「人が地に埋まるのは死んでからがいいと思うけど」
アーヤはグレンの挑発に本当にその通りだと思った。生きているのに死んでいるなんて死ぬより怖いことだと思う。
「……グレンもアーヤもおかしくなっちゃった? 二人ともローザ大好きだったじゃん。王様の言うことは素晴らしいことじゃん。どうしたの?」
グレンは「ローザ大好きだったじゃん」という言葉に忌々しげに目を鋭くさせた。
「君、邪魔」
それだけ言ってロイセンに大きな風の刃を放った。
ロイセンは薄い水の膜でそれを受け止める。
「急に何すんの? 危ないじゃん」
防がれるとわかっていたのだろう。グレンは次々に風を生む。階段を降りたばかりのこの場所は幅の広い道で、グレンが攻撃するたびにその一部が横の土壁にあたって土を落とす。
「やっぱあいつの息子なんだな」
笑っちゃうよねホント、と言いながら魔法陣から水球爆弾も送り込む。どこなく悔しそうで、しかし吹っ切れたような顔をして、休む暇もなく攻撃していた。
アーヤは一歩前へ出て魔法陣を五つ展開させた。
「わたしも参戦するから」
アーヤの魔法陣から稲妻が地下の空気の隙間をぬって走り出す。爆発しかけたグレンの水球に絡まり、爆発音は遥か上の地上まで聞こえるのではないかと思うほどの音を立てて耳を裂こうとした。
「ねぇこれさ、オレ死んじゃうと思うんだけど」
自慢の長髪の先が燃えてチリチリになったロイセンは、初めて怒りの感情を見せていた。
グレンもアーヤも、ロイセンに何も返事をしなかった。
「あんたたちはオレを殺したいってわけ? へぇ?」
アーヤは「殺したいわけじゃない」という言葉をすんでのところで飲み込んだ。殺したいわけじゃないのは本心で、人を殺すなんてとてもやりたくない。そうは言っても殺さないで前に進める保証もない。
「オレはあんたたちのことはゆーしゅーな仲間だと思ってたんだけどね?」
ズキリと痛む心臓をアーヤはロイセンを睨む力を強くすることで誤魔化した。
今まで防ぐばかりだったロイセンの反撃が始まった。
ロイセンの背中から、蝶の脱皮のように龍が出てくる。
彼の固有能力『水神』は架空生物のはずの龍を生み出して戦わせられるものだ。
水龍は長く太い体をくねらせて、鱗を飛ばす。
グレンの風の刃と同じくらいの速さで真っ直ぐ飛び出してくるそれをアーヤは炎の壁を立てて迎え撃った。
水龍の鱗はジュッと音を立てて蒸発する。
しかし、炎の勢いが弱まった一瞬に壁を越えた数枚の鱗はアーヤの頬をかすり、グレンの服の袖をとばした。
後ろにいたルークとゼンナンが武器を構えたのが微かな空気の揺れでわかった。
「今剣は意味ない」
グレンが二人を静止した。水龍には魔術しか効かない。
アーヤは水龍の脳天目掛けて光の矢を放った。
水龍は尾で払う仕草をした。
爆風が生まれ、周囲の土壁を削りながらアーヤたちに近づく。土煙と嵐の日の川の濁流のような音が視力と聴力を少しの間奪った。
グレンは両手を前に伸ばして手のひらを前に向け、最大風力の風で龍の爆風に対抗する。
風と風がぶつかり圧縮された空気が弾け、アーヤたちもロイセンもお互いに後方に押された。
「いつまで経ってもこれじゃ埒があかないだろ」
グレンは顔に垂れた汗を拳で拭った。
たぶん、続けていれば決着はつくだろうとアーヤは思う。ただそれは、アーヤたちの体力が尽きて押し負ける形で。
「隙を見て術者本人に魔術を使う」
ロイセンの意識が切れれば龍も消える。今ロイセンの前にいる龍を抜けてロイセンへ魔術を当てることが唯一の勝ち筋だ。
その隙ができるまでできるだけ龍の攻撃を防ぎ切らなくてはならない。
グレンは自分の身長ほどの竜巻を三つ操り、龍の体へぶつける。竜巻の外側では風の刃が回っていて、人にあたればすぐに肉片と化すだろう。
竜巻はさっきの爆風で崩れた土の一部も吸い込んで龍を削ろうとしている。
龍は小蝿を見るように頭を持ち上げた。
アーヤは必死に頭を回転させていた。宙に浮かぶ龍の下、地面すれすれを通してロイセンへ魔術を届かせる。初っ端からもったいないが、星のかけらを使うべきだろう。
魔法陣から炎の矢を飛ばす間に手を後ろにまわして握った。
手の中にかけらの感触を感じ、握った手を離して前へ持ってきた。
龍は竜巻を蒸発させ、炎の矢を一枚の鱗で相殺させていた。その体に隠されたロイセンの顔は見えないが、片足に重心をかけて立っているのが隙間から見え、楽しげに傍観しているだろうと簡単に想像できた。
龍は周りに邪魔な虫がいなくなったことに満足そうに目を細めた。それから体を揺らして、大きく空気を吸い込んだ。
「おい!」
グレンが焦った声を上げた。
アーヤも目を見開いた。
これはまずい状況だ。ものすごく。
「みんな全力で身を守って!」
アーヤは光と炎の壁を五重六重に出現させながら、声を絞り出して張り上げ、早口で言った。
グレンも風を集めてドームを作り、アーヤたちを囲った。
龍は口の中を見せびらかした。
その中で水球と言っていいのかわからない神々しい光を放つ球体を大きく大きくさせて、エネルギーを凝縮させていく。
それは雑草一本引き抜くのに街を焼き尽くそうとするのと同じだ。
過剰だ。
死ぬ。
下手したら頭上の帝都も消える。
ロイセンに使おうとしていた手の中のかけらを防御に転換させる。
目を閉じるなんてことをこの状況でするなんて自殺行為もいいところだと思いながら瞼を下ろして祈る。
目を閉じても龍の生み出す光を感じた。
アーヤは過去一番の強さで祈りを込めた。
アーヤの髪はふわりと浮かび、ローブはたなびいた。
握り合わせた両手から青や黄色や紫の光が溢れ、光のリボンのようなそれはアーヤの体の周りをまわってから空中の一箇所に集まっていく。
たくさんの光が絡まり合い溶け合った。
細かな光の粒を撒き散らしながらまとまった光の塊が優雅に羽を広げた。狭い地下の道幅目一杯に。
そうして生まれた蝶は龍と対峙した。
龍は爆発的威力の球体――龍球を完成させつつあった。
「――あれって何」
ルークがその場の異様な緊張感に体を強張らせて盾を構えながら尋ねた。
「あれは、街一つ抉り取れる力」
ロイセンの攻撃の中で一番消滅能力の高い攻撃。
「あれを防げるかは正直五分五分なんだよ」
グレンの言う通り、いや、防げる確率が半分あるかもあやしいか。こっちにはロイセンの次に攻撃能力の高いアーヤも、戦闘に長けているグレンもいる。それでも、あの攻撃は、レベルが違う。
「こんな序盤に出てきていいやつじゃないじゃんそれ」
カーレンは息を飲んだ。アーヤもまさかこれが自分に向けられることになるなんて思いもしなかった。
「来るぞ!」
グレンの叫びに皆が足に力を込めた。
龍の口から飛んできたものは太陽をぎゅっと小さく濃縮させたような熱と光と威圧感を持っていた。高スピードで吐き出されているのに、近づいてくるのがとてもゆっくりに見える。
アーヤは爪が食い込むのも気にせず握る力を強くした。
――もっと光を、もっと強く、もっと頑丈に
龍の放った球を蝶が羽で抱え込んで勢いを止めた。
ジリジリと蝶の光が溶けている。
ジリジリと後退している。
でも、ジリジリとエネルギーを吸い取っている。
蝶の形が端から崩れてきていた。威力は抑えられたが、このままあれがきたらアーヤやグレンが魔術で作り出した壁やドームは木っ端微塵確定だ。
アーヤは、歯を食いしばり握り合わせた手を胸元に押し付けた。
「――入り口でこんな」
誰の言葉だっただろう。皆同じ気持ちだった。
花火が弾けた瞬間。そういう感じだった。
蝶は弾けた。
蝶の体の真ん中を龍球が貫いたのだった。
それを理解した時には、龍球はアーヤの立てていた炎の壁を一枚、二枚、と壊して進んできているところだった。アーヤの魔術で確実に龍球の威力は落とされている。それでも、アーヤたちのところまで届いてしまう。
「行ける人はさっき降りてきた階段の上へできる限り登って!」
アーヤは魔術を維持するためにも動くわけにはいかないが、そうする必要のない人は龍球の被害を少しでも少なくできるように動くべきだ。ここはまだ入り口なのだから。
動いたのはゼンナンとカーレンだけだった。薄情でもなんでもない。それが賢い選択だとわかっているからだ。
「ルーク! 早く!」
アーヤはルークの顔こそ見えなかったが、彼が実は優しいともう知っていたから、そのせいで行けないのだとわかった。
あと光の壁一枚とグレンの風のドーム。
迫ってきている。
新たに魔術を発動させられる時間の余裕がない。
「ルーク、身を守れ。――アーヤ、最後のが壊されたらロイセンを狙って」
その間がんばるから、と風の出力を強める。
パキパキとヒビが入り光の壁は壊された。
龍球が風のドームにめり込もうとしている。もうだいぶ小さくなってきていた。
アーヤは握りしめたままだった手に祈りを込めて星のかけらを創り出した。
早く、強く力を込めて、あの村で国境の魔女に使ったものを発動させる。
青と緑の光の色は、あの時よりも濃かった。濃くて、どろどろとしているような気がした。
地面をすれすれを低空飛行して光の輪がロイセンにぶつかった、はずである。龍の体が邪魔だから目で捉えることはできなかったが、たしかに引っかかった。
龍の裏で油断していたロイセンは光の輪の中に飲み込まれていた。いくらか粘着質なそれは、ロイセンのからだを絡めとって光の束の一部にしてしまおうとしているようだった。
「――伏せろっ!」
グレンが叫んだ。
龍球が風を散らしている。ドームはもう瞬きすれば壊れる。
今伏せたらロイセンへ届いた魔術は弱まる。ロイセンは力があるからその隙に逃れることができるだろう。
「アーヤ! 何してんだ!」
後ろからルークの声がした。
龍球の大きさは人の頭ほどになっていたが、その中にあるエネルギーはアーヤが炎の矢をまとめて十本撃っても敵わないくらいだろう。
――あれが届く前にロイセンを無効化する。しなくては。
握り合わせた手に全神経を集中させた。目を瞑り、叫ぶルークの声をシャットアウトし、手に、光に。顔に熱気がこもった空気があたり肌をピリピリさせる。来ている。五、六歩先に迫っている。
「はやくっ!」と心の中で叫んだ時だった。
けたたましい破裂音が鋭い熱を持った空気を散らしながら響き、空間が揺れた。
いつまでもやってこない龍球にアーヤは恐る恐る目を開けた。最初アーヤは、ロイセンが倒れたから龍球がその場で破裂して消えたのかと思った。しかし、それは違った。
一歩先も見えないようなひどい砂埃がおさまってきて見えたのは、アーヤの前に立って大きな魔法陣を広げた少女の姿だった。
「え……?」
状況が飲み込めないアーヤに、少女は振り返らずに言った。
「はやく、あの人やっつけるんでしょ」
アーヤは輪になってロイセンに絡み付いているはずの光を締め付けた。アーヤと繋がっている光はその感触をなんとなくアーヤに伝えていた。
『なんでこんなことになっているんだ?』『王の考えに反するなんて馬鹿なのか?』
アーヤに流れてくるロイセンの感情は大体そんなものだった。ロイセンにとって王の考えを肯定するのは、息をするのと同じくらい当たり前のことだった。これまでのアーヤと同じだ。――いや、少し違うかもしれない。
アーヤはローザの椅子を離したくなかったからという願いが根本にあった。ロイセンの場合、そういうものはなく、王が言うのだから間違いないという純粋な思い。
徐々にアーヤに流れ込むロイセンの声は小さくなっていって、消えた。それと同時に水龍も薄くなっていく。グレンがすかさず拘束の縄を罠の魔術で作り捕らえた。
ロイセンから視線を外したアーヤは握っていた手を下ろし、目の前で背を向けたままの少女に話しかけた。
「どうして……?」
威力が落ちていたとはいえあの龍球を壊す力を持っていたなんて。あの時はそんな素振りも見せなかったのに。それに、そんなことよりも、どうしてここにいるのだろう。
龍の危機から脱して緊張が落ち着いたアーヤの頭の中は、今度はそんな疑問でいっぱいだった。
「ココア飲みたかったって言ったの……お姉ちゃん、じゃん。嘘じゃないのは知ってるんだから」
ルークの言った通り、生きていた。アーヤに会いに来てくれた。
振り返った国境の魔女――アーヤの妹は叱られる前の子どものような顔をしていた。
「うん。うん……」
「名前、サラノーン・エジアン……じゃなくて……サーヤ・レイア。ちゃんと全部思い出してね」
アーヤとサーヤは目を合わせてお互いにそわそわとして目を逸らすのを我慢していた。
「……サーヤ」
アーヤはその名前を宝物のように口の中で転がした。
「一緒に、行ってもいいかな……?」
ぎこちない姉妹の会話。アーヤは水龍との戦闘の余韻を感じる暇もなく、姉妹の会話に浸っていた。
「うん」
一部始終を息を殺して見守っていたグレンたちは激しい姉妹喧嘩の仲直りが一区切りしたところで、アーヤたちに近づいた。
「サーヤって言ったか? ここにどうやってきた?」
ゼンナンは戦力になりそうなサーヤを、信用はしなくとも歓迎してはいるようだった。口調とは裏腹に目線に棘は少ない。
「地底国家を造っている途中に混ざったの。たぶんお姉ちゃんたちが来るはずだと思って」
「じゃあここの構造はわかるか?」
サーヤは得意げに胸を張り、ゼンナンに親指を立てて見せた。
「ばっちり!」
アーヤはサーヤがあれほど慕っていたフルノーレに今どんな感情を抱いているのかわからず、戸惑いがちに聞いた。
「それならテルノルトって男……フルノーレがいるところはわかる?」
そんなアーヤの心配をよそにサーヤはとびきりの笑顔で答えた。
「まっかせて! 完璧に案内してあげるから!」
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