第23話
グレンは騎士団長から渡された一通の手紙を眺めていた。アーヤの魔法陣で体はすぐに家に帰って来れたが、心の方を水月宮に置いてきてしまったような気がする。
「見つけたよ。グレン、君宛だ」
騎士団長が差し出した封筒には本当にグレンの名前が書かれていた。
「……僕になんですね」
破り捨てたくなる気持ちと無意識下にあった僅かな期待が交差している。今さら何を期待してるんだとグレンは自分を叱咤し、手の震えを隠すように手紙を受け取った。
「決心がつかぬうちは見ない方がいいだろう。……だが、きっと悪いようにはならない」
礼を言ってグレンは騎士団長と分かれた。
「『決心がつかぬうち』か……」
それなら一生見ない方がいいだろう。今暖炉に放り込んでもいいかもしれない。しかし、そう考えるだけで結局手紙を手から離すことはできなかった。
真実を知りたい。
しかし、知ってしまったら今までのあの思いも行動も、そのために捨てたたくさんのものも無駄に終わってしまいそうで怖い。この決意が揺らいでしまいそうで怖い。
グレンはベッドに体を投げ出した。
そして、つい最近アーヤと話したことを思い返していた。
グレンはローザに異常に執着するアーヤが嫌いだった。いや、好き嫌いの話ではないかもしれない。ただただ不快な気持ちになった。
アーヤに協力を持ちかけたのはローザに盲目的なアーヤはグレンが何を思っているのかなんて考えもしないだろうと思ったからだ。彼女しか信用できない。他の人はグレンがローザを怖そうと企んでいるのを見抜いてしまうかもしれなかったから。
ともに行動するときもローザを守るためにまっすぐなアーヤを冷めた目で見ていた。ルークが出てきたときにはアーヤがローザという檻から出てしまうことを防ごうとした。あの男がなんとなくアーヤと外の世界を繋いでしまう気がしたから。
ローザに陶酔するアーヤは目にも入れたくないはずなのに、安心感も見出していることに気がついた時は笑いが込み上げた。
馬鹿馬鹿しい。
それなのに、彼女は一人で鍵を開けて檻から出てきてしまった。グレンも知らなかった真実を片手に今まで見せたことのない顔を見せた。
本当に気に入らない。
簡単に敵対の決意をしたことも、当たり前のようにグレンに相談したことも。
グレンは仰向けに寝そべったまま、手紙を持った手を天井に掲げた。
憎むべきと信じてそれを力に変えて動いてきたのに、そうでないとわかったらどうなるだろう。
ローザは壊したかったけれど、正しくあって欲しかった。
先代の風の使い手ノゼヌ・シラギは、非常に忠誠心の高い人物だった。人々は彼を褒め称える。王への忠誠を貫き通した騎士として。命にかえて人々を救った英雄として。
しかし、グレンからしてみれば彼は最低な父親だった。
何があってもローザローザと家に帰って来ない。「何があっても危険が迫ったら飛んでいくから」とノゼヌへ信号が送られる腕輪をグレンに渡して遠くへ行く。
最初のうちは大して問題がなかった。仕事に誇りを持っていてかっこいいと思っていた。
でも、あの日ノゼヌはこなかった。
何度も何度も腕輪から信号を送って助けを求めたのに。腕のいい魔術師の彼は風に乗って空も飛べたから、すぐに来てくれれば母は助かったのに。
一人助かったグレンは焼け野原になった街に座り込んで父親を待っていた。散々人を殺し、物を奪って、挙げ句の果てに街に火を放った盗賊団はもういなかった。
グレンと母親は最後まで息を潜めていて見つからなかったが、燃えた家の破片がグレンに飛んできた時に母親はグレンを庇った。結局グレンだけになってしまった。
街に盗賊団が来てすぐにノゼヌを呼んだ。母が下敷きになったのは鐘一つ以上の時間が経ってからのことだったのに。ノゼヌが来てくれていたら盗賊団は懲らしめられたし、街の人が死ぬことも、母が死ぬこともなかったのに。それなのに母ときたら最後の最後まで「もう少しで父さんが来るから安心しなさい」とか「父さんはお前を助けてくれるからね」とか言うのだ。
最後までノゼヌを信じた母を父は裏切った。結局父が来たのはグレンが騎士団に保護されて三日後のことだったのだから。
グレンがノゼヌに助けを求め続けた間、ノゼヌは風の使い手として戦闘を終えて王への謁見に向かっていたらしい。しかも、その後の二日間は国民に笑顔を振りまいていただけだ。何があっても飛んでくると言ったのに、ローザのしての名誉を選んだ父を、死ぬまで父を信じ続けた母を裏切った父を、許せなかった。
そして、気が付いてしまったのだ。
年に一度しか帰って来ない父。
父がいない間母が時折見せる悲しそうな笑顔。
帰ってきてグレンのことも母のことも聞かずに話すのは活躍した自分の話とローザの話。
ローザと家族を選ばなくてはならなくなったら迷わずローザを選ぶのがノゼヌだったのだ。最初からそういう人だったのだ。
グレンはノゼヌが王都に構えていた家で寝食を共にするようになった。
ある時見てしまった。ノゼヌがいとも容易く人を殺す姿を。これが決定打だった。
『ローザのため』という大義名分のもとでなら何をしても許されるのだろうか。ローザの邪魔になるものなら排除するのが当たり前なのだろうか。命じられたことを忠実にこなせばそれは罪に問われないのだろうか。
ノゼヌが殺したのは一人ではないはずだ。とても手慣れていた。あの時は、お腹に子どもがいる若い女だった。任務内容を詳しくは知らないが、状況的に敵情視察だろう。国内で反発していた勢力をおさえるためだったのだと思う。それで、情報を得るためか、もしくは人質にとって交渉するつもりだったのか、勢力のそこそこの地位にいた男の妻に接触した。女は何も知らなかった。しつこいノゼヌに、生まれてくる子どものためにも必死に抵抗しようとした。そしてノゼヌは、ローザの邪魔になると判断して殺したのだ。
グレンは偶然居合わせただけだった。その頃騎士団の部隊長――今の騎士団長に可愛がってもらっていて、夕方ごろには仕事が終わると聞いていたから会いにきたところだった。
無表情で「ローザのためにも命はもらうね?」と言って斬り捨てたノゼヌに気づかれないよう、グレンは震える足を懸命に動かして走って家に帰った。
その一ヶ月後、ノゼヌは任務中に王を庇って死んだ。
その知らせは、グレンの心に溜め込んでいたノゼヌへの憎悪を膨らませた。今までノゼヌが怖かったこともあって知られないようにしまいこんでいた感情が、ストッパーが外れて溢れた。
それからグレンは、民がノゼヌを褒め称える声を憎悪の足しにしながら魔術を極め、ローザの席をもぎとった。ノゼヌの人生の全てだったローザを壊すために。ローザの名を貶めるために。
しばらくは普通に働いた。ローザの中でグレンの立場が完全なものにならないと大きく動けないからだ。順調に功績を出して、さすがノゼヌの息子だと言われた。
ローザを恨む者は少なからず存在していて、そういう人たちがローザを潰す算段をつけながら動いていることを知り、それを利用してしまおうと考えた。
バイオテロだの麻薬の密売だのに関わったのは偶然だった。成り行きだ。しかし、そこからローザを壊す手立てを導くことができた。
全ての悪事の根源にローザを恨む者がいると考えられたからだ。
グレンが風の使い手だと知った一人の男が「主人様が知ったらお前は破滅に導かれるだろうな! 主人様はお前を殺したくて仕方ないだろうから!」と笑いながら死んでいったのだ。
主人様というのが他の悪事も働いているというのは少し調べればわかった。わかったうちの一つが紫気岩の不正密輸だ。
それが国境で行われていると知ったとき、アーヤも国境を探っているとわかった。ローザの危機をうたってアーヤの力を利用した。
グレンの目的はたった一つ。ローザに悪事がどんどんと潰されていくとわかった主人様という人がローザへの恨みを爆発させること。そうしたらグレンは自分が風の使い手としられないようにしながら支援しようと思っていた。
フルノーレ・エジアンが主人様だろうと見当をつけたグレンが調べ回っていた時に、アーヤはグレンを呼びつけた。
そして真面目な顔で言ったのだ。「ローザは悪の組織だった」と。
父親が自分たちを蔑ろにしてまで信じたものが悪だったという言いようもない虚しさで乾いた笑い声を上げた。その虚しさは、ノゼヌの生き方を貶めようとした自分のこと空回りな努力へも向けられていたのだろう。あれほど復讐心とも言えぬ感情に取り憑かれていたのに、もともとノゼヌの人生は褒め称えるものではなかったのだ。悪の組織の手駒がいいところ。グレンが何もしなくてもノゼヌの人生は地の底で石に色を塗って作られた偽物の宝石だった。
グレンは手紙をクローゼットに投げた。薄っぺらい封筒はクローゼットまで届かずにひらひらと目の前に落ちた。
拾う気も起きず、のろのろとキッチンへ行き、マシュマロを口に入れた。
マシュマロは甘さを残して溶けてなくなる。
アーヤにはまた協力すると言ったけれど、何を力にすればいいのだろう。復讐心ともいえないような怒りは子どもの癇癪のようにひどく幼く思えた。その気持ちだけで生きてきたグレンは、それが萎んで小さくなった今、全てのことがどうでもよくなってきていた。
手紙を開けることをしないのは、それが完全に消えるのが怖いからだと気がつき、何度目かの乾いた笑いを漏らした。
「……決心なんてつくわけないじゃないか」
グレンの声はゆらゆらと風に散った。
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