第20話

「フルノーレ・エジアン……」

 そこにヒントがあるとカーレンは思っていた。


 事の始まりは昨夜。夜ご飯を食べようとユーメルに声をかけに行ったら、部屋はもぬけの殻だった。慌てて家中を探すと、玄関に『戻ってくるので心配しないでください。しばらく帰れませんが、帰るときはお土産を持って帰ります。』というメモ書きを見つけた。


 ユーメルが家を抜け出したのはこの日に限ったことではなかった。夜中に何度も外へ行っている。カーレンはそれに気が付かないふりをしていた。ユーメルに強く出れないのは、ユーメルに引け目を感じているからだ。


 カーレンは五歳の頃、家族で別荘に行った時に呪いに侵された植物に取り込まれた。一人で森へ行き、逃げ切ることができなかったのだ。騎士が来て間一髪で助かったものの、後遺症として、体に呪いが溜まった。青かった瞳は黒くなり、色素の薄い金髪だった髪は赤の濃い茶色になった。


 生まれたばかりの妹に近づかないよう、カーレンは部屋に閉じこもって過ごした。呪いはよく体の中で暴れた。


 普通の医師や魔術師はお手上げ状態で、最後の希望だと頼ったのは呪術師だった。人間は呪いを生み出せても扱うことはできない。八歳になっていたカーレンは呪術師のことを怪しいとしか思えなかった。三年間部屋から出ずに、本を読み漁っていたカーレンは同年代の子どもと比べ物にならないほどの知識を蓄えていた。解明されている限りの呪いの原理についても。


 呪術師がカーレンを診断した結果はこうだった。


「ゼロにすることはできませんが、半分にすることならできるでしょう。妹に譲渡するのです。半分になれば苦しみは減り、そうなればどちらも大して苦しむことはありません」


 この診断を聞いた両親は当然難色を示した。カーレンが部屋に閉じこもってから両親はカーレンからは遠ざかり、娘のユーメルを溺愛していた。カーレンの扱いがわからなくなり逃げたのか、カーレンの代わりにせめて妹はとおもったのか、今となってはわからない。ただ、ユーメルはまだ二歳で、しかも病弱だった。呪いを移すなんてことを両親は認められなかった。


 散々悩んだ末、両親は孤児院から安く引き取りやすそうな子ども、ナタリーを引き取った。親心か罪悪感かカーレンを見捨てることができず、その子どもをユーメルの代わりにしたのだ。しかし、ナタリーは六歳。ユーメルと偽るには無理がある。呪術師に無理を言って、その子どもに呪いを譲渡させる儀式を行った。


 しかし呪術師の懸念通り、血のつながりがないため受け入れられづらく、譲渡は中途半端に失敗。二人で共に行動するときだけは呪いがナタリーの方へも流れ、カーレンの痛みが減るというものになった。


 カーレンは呪いを受けてからほとんど部屋に閉じ込められていたのでユーメルと最後に会ったのはユーメルが生まれて二ヶ月の時。両親はナタリーのことをユーメルだと説明し、カーレンの部屋に入れた。さすがのカーレンも、彼女がユーメルでないことくらいわかっていたが。


 カーレンはナタリーに部屋の中で沢山の物語を教えた。不思議の国の物語を気に入ったナタリーと、物語の世界を再現するごっこ遊びをした。ひとりぼっちだったカーレンは、ナタリーに救われた。


 相変わらず部屋から出ずに過ごしていたカーレンが十三歳になった時、本物のユーメルは風邪を拗らせて亡くなった。それを知ったのはその三年後、両親が事故で亡くなり部屋の外に出て書類整理をしていた時だった。


 成人したカーレンは、呪いの強い場所に行かなれけば、呪いの影響をほとんど受けなくなっていた。呪いに弱い程度の普通の人になったのだ。


 しかし、呪いによって変わってしまった瞳と髪の色と幼い頃に呪いが暴れてできた黒い痣は消えなかった。それに、五歳から引きこもっていたカーレンの噂は社交界に広まっており、呪われた人として嫌煙された。結局外へ出てもナタリー以外と関わることはなかったのだ。


 ナタリーはカーレンがユーメルでないと知っていることを知らなかった。だから、ユーメルとしてカーレンと一緒にいた。


 カーレンが言い出せなかったのは、ナタリーにユーメルでないと知ってると言ってしまったら、ナタリーはカーレンから離れるのではないだろうかと思ったからだ。結局のところカーレンとナタリーを繋ぎ止めているのは、ユーメルとカーレンの、兄妹という設定だけだったから。


 十八になったカーレンはある日いいことを思いついた。ナタリーがカーレンといることを楽しく思えるように、とナタリーの好きな推理小説を再現することにしたのだ。幼いころに何度も繰り返しあそんだ不思議の国ごっこを取り入れて。



 カーレンは、メモ書きをきれいに折りたたんだ。きっとユーメルは、いやナタリーは、たぶんいつも行っている場所にいる。そう信じるしかない。


 文字は丁寧に書かれていて、慌てて書いたようには見えない。


 なぜカーレンに行ってきますと言わないのかと思ったが、すぐに納得した。ナタリーはカーレンがナタリーといなくても大丈夫になったことを知らないのだ。カーレンが教えていないから。それならもう大丈夫だよね、と離れていってしまわないように隠してきたのだ。だからナタリーは行ってきますが言えず、申し訳なさでいっぱいになりながら隠れて出ていくのだろう。


 ナタリーがカーレンから逃げるためにいなくなったのなら、後追いはしないようにしようとカーレンは決めた。でも、それを確信するまでは探そうとも決めた。簡単に諦められるほど紳士ではない。


 ナタリーはどこかからか事件解決に役立つ情報を集めてくる。それは国境村の時も例外ではなかった。ナタリーが国境村へ行く前にカーレンに渡したレポート用紙。その中身は、フェイズの生い立ちや研究内容で、その中には研究を支援していたフルノーレ・エジアンしか知らないはずの研究記録も混ざっていた。


 フルノーレ・エジアンを探ればナタリーを見つける手がかりが出るかもしれない。

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