第15話

 地下の入り口には既にグレンとカーレンとユーメルが立っていた。そのそばには騎士の格好をした男が転がされている。その男は魔女と共に領主様の横に立っていた男だった。


「肩どうしたんだ!」


 出てきたアーヤを見てグレンは声を上げた。そういえば止血するのを忘れていたとアーヤは気がついた。


「ちょっと手こずっちゃって。見た目ほど痛くはないから大丈夫」


 グレンに笑いかけ、服を破って腕に巻きつけて応急処置をした。応急処置を忘れるくらいなら大丈夫か、とグレンはほっと胸を撫で下ろし、アーヤが止血をするのを待って地面に転がした男について軽く説明した。


「領主様とやらの命令で侵入者の排除しにきたってことしかわからなかった」


 領主様には侵入者がいることが知られているということだ。屋敷の警備がどれほどかはわからないが、警戒はされているだろうとカーレンがグレンの言葉を引き継いで話した。


 アーヤは魔女との一件を頭の奥の箱の中に閉じ込めた。さまざまな感情で混乱していた頭はずっと冷え、いつものアーヤに戻っていくのが自分でもわかった。


「じゃあ行こうか。この人は置きっぱなし?」


 アーヤは目を覚さない男を見てグレンに尋ねた。


「とりあえずはここに置いて行こうかと思ってる。この拘束は他の人が来ても外せないはずだから」


 アーヤが星のかけらを使った固有魔術の他に光や火の一般魔術が得意なように、グレンも『風よみ』の固有魔術の他に罠と水の一般魔術を得意としていた。グレンが騎士風貌の男の拘束に使っているのはグレン以外が解こうとすると攻撃魔術を放つという超強力且つグレンの得意なトラップ系魔術だ。


 アーヤとグレンを先頭に、領主様の屋敷へ歩く。屋敷はもう目の前だった。

 歩きながらルークはアーヤの様子を盗み見ていた。地下で見せていた、思い詰めたようなところは一切なく、それどころかそれを隠している様子も全くなかった。地下でのことを知らないグレンたちは肩を大した怪我ではないと思っているようだったが、ルークはそうではないことを知っている。肩の痛みすらも忘れてしまったかのようなアーヤの姿は危うさを感じさせた。


「あれって村の人たちかい?」


 カーレンが指を指したのは、屋敷の入り口あたりで集まっている人たちだった。村が静かだったのは、ここにいたからだったのか、とアーヤは気がついた。


「いたぞ! 侵入者だ!」

「俺らの村を守れ!」

「俺らの村を壊すな!」


 口々に村人たちは騒ぎ出す。「私たちの居場所を壊すな!」と魔女が言っていたようなことと同じようなことを叫ぶ者も多い。ルークは思わずアーヤの耳に手を当てて塞いだ。

「ルーク?」

 きょとんとした顔でアーヤはルークを見上げた。急に耳を塞がれ、わけがわからない。


「動きを止めるやつでさっさとやっちゃえば?」


 ルークはアーヤの耳から手を離し、誤魔化すようにそう言った。彼はその魔術で相手の感情が流れ混んでくることを知らない。百人弱いる村人たちに使えば、彼らの侵入者に対する怒りで頭の容量をオーバーしてしまうだろう。アーヤはそう考えたが、ふと思いつき、ルークの言うように星のかけらを使った魔術をすることにした。


 アーヤは手を胸の前で組み目を閉じた。ふわりと海の香りがし、星のかけらは生まれる。そして、その形を崩さず手を握る力を強めた。


 泡や光の蝶をともなって薄水色の光が大きな輪を描きだす。それが村人たちの頭上で止まったかと思うと、村人たちを囲うように降りてきて、大人の腰の位置まで来た時強い光を発生させた。およそ百人の村人は薄水色の円盤にはまるような形で拘束された。魔女に使った時とは違い、拘束のためだけの魔術だ。そのかわり口はきけない。威力を押さえた結果か、アーヤに流れ込む感情はうっすらとした怒りだけで、意識しなければわからないほどだった。


 動かなくなった村人たちの横を通り抜け、アーヤたちは屋敷に入った。背中に届く村人たちの憎しみの混じった、射るような視線を感じながら。



 屋敷は円柱形の塔のような造りの左右に三階建ての建物がくっついている洒落た造りで、クリーム色の壁面と朱色の屋根は童話のお城を模しているようで可愛らしい。

 室内は風景画や植物画などの絵画が多く飾られ、年代物のおしゃれな家具が使われている。アンティーク家具の埃っぽさと木々の青々とした香りが混ざり合ってしっとりとしていた。


「……塔の上」


 ユーメルがため息を漏らすようにそう呟いた。ユーメルの呟きを聞き取ったカーレンが「たぶん三階の中央に何かある」とひそひそとグレンに伝え、グレンがアーヤに耳打ちし、それをアーヤがルークに伝えた。屋敷に侵入している立場だからというのもあるが、この屋敷は音の何もかもを吸い込んでいくように錯覚させられる。音を繋ぐのにいつもの何倍も疲れる気がした。


 五人は黙々と階段を登った。気味が悪いほど簡単に三階までたどり着いた。外から見て塔に見える中央の部屋は、他の部屋と比べ扉の装飾が豪華だ。グレンは迷わずその扉を押し開けた。



「ここまで来たんだねー。僕のお気に入り全部壊しちゃったの?」


 重い扉の正面奥には長テーブルがあり、その上に子どもが一人座って足をぶらぶらさせていた。にこにこと笑いながら首を傾げる子どもは、アーヤが前に村で見た領主様と呼ばれていた子どもだった。


 お気に入りというのはあの石の巨大人形のことか、それとも領主様に付き従っていた魔女や騎士のことか。アーヤたちは扉を開けたはいいものの、部屋の中に入ることができなかった。領主様というのはどうにもただの子どもではない。


「グレン、あのテーブルの後ろ」


 アーヤは隣に立っているグレンに聞こえるか聞こえないかギリギリの音量で声をかけた。

 領主様で隠れているが、あの長テーブルの後ろにアーヤが抱き抱えてようやく持てるほどの大きさの紫がかった水晶玉がある。金色の台座に乗せられており、等間隔に四箇所管がつけられて壁に伸びていた。


 アーヤの声を聞いた瞬間、グレンは前置きなしに手から鋭い風を飛ばした。それは部屋を大きくカーブして水晶と壁を結んでいた管を四本ともバッサリと切り落とした。その風で領主の髪がふわりと揺れるは時には管は床に落ちており、水晶の色は紫が濃くなった。


 領主様は振り返ってそれを目にした途端、それまでの余裕のある笑みが消え、怒りに顔を赤くした。そして何やらぶつぶつと口を動かしたかと思うと、顔をキッと上げてアーヤたちを睨み、首に下げていた赤い石を投げた。


「僕の世界で好き勝手しないでもらえるかな?」


 おもちゃを取り上げられた子どものように、長年のマイホームを燃やされた老人のように、領主様は怒りを吐き出した。投げられた石は宙に浮いた瞬間に火を散らし、形を変えた。それは屋根を突き破り、大きく大きくなっていく。 天井や屋根の破片が降り注ぐ。グレンはそれを風で散らした。


 それは、いつか絵本の中にでてきた醜いトロールそのものだった。

 毛むくじゃらの巨人。

 灰色と緑の毛が体を覆い、見え隠れする目は鋭く赤いく、ひと睨みで人を殺せそうだ。


「ルークは領主様を拘束して!」


 ここはトロールにとってはものすごく狭い。外に出る前に勝負を決めればアーヤたちに有利すぎる条件だ。


 グレンは青い魔法陣を展開し、水球を生み出す。巨大な水球はトロールの頭を覆い鈍い音を立てて爆発した。


 その間にアーヤは小さな魔法陣を六つ、トロールを囲むように展開させる。魔法陣は光の矢を射りトロールの胸に突き刺した。矢は雷のような衝撃を生み、トロールの体を焼く。その痛みからトロールはさらに暴れ、屋敷はどんどん崩れていく。

 不安定になった足場の中、グレンは鋭い風の刃でトロールの足を落とす。トロールの体が傾いたところをすかさずアーヤが炎を吹きながら突き進む巨大な矢で射止め、トロールの体が床に着く前に燃やし尽くした。


 最後の力を振り絞ったトロールの打撃はアーヤたちに届く前にアーヤの炎によって弾け飛んだ。


 屋敷は傾き、少し衝撃を加えたら音を立てて崩れそうだった。大きな穴の空いた天井からは青い空が見える。屋根や壁が消え瓦礫の山となった屋敷の三階は埃の匂いが消え、緑の優しい風が吹き込んだ。


「なぜ、なぜだ」


 ルークによって剣を突きつけられていた領主様は抵抗する気力が残っていないのか、さっきまでトロールのいた宙を見つめて惚けていた。


 カーレンはアーヤたちの後ろ成り行きを見守っていたが戦いが終わると領主様に近づいていった。領主様の目の前に行くと、何か一枚の紙を領主様に見せた。アーヤたちからはそれが何かわからなかったが、それを見た瞬間に領主様の表情から幼さが消え、困ったような諦めたような笑みを浮かべた。


「フェイズ・ローガンさん、お話をいいかな?」


 カーレンはいつもののんびりとした口調で領主様に呼びかけた。なぜ彼が領主様の名前を知っているのかとか、聞きたいことはあったがアーヤは黙ってそれを見守った。


「ああ、もちろん。話をしなくてはならないようだ」


 フェイズ・ローガンが領主様の本名なのは間違いないようだ。領主様は子どもの姿をしているのにそれまでの子どもらしさはない。


「なぜここに?」

「僕の研究を支援してくれた人がね、ここに居場所をくれた」

「どなたかお伺いしても?」

「ああ。フルノーレ・エジアン様だよ」


 その名前にアーヤとルークは顔を見合わせた。楽園を創った、魔女を救ってくれた人。


「君はもう知ってるみたいだけど、僕の研究は禁忌だったし、自分を実験台にしたものだから普通の世界じゃ生きていけなかったんだ」


 フェイズは寂しそうに語った。アーヤはその研究というのがどういうものかを悟った。フェイズが子どもらしかったりそうでなくなったりするのも、普通の世界で生きていけないのも、もしかしたらこの屋敷の家具も、禁忌であるというその研究のせいだ。


「君以外の人は知らないのかな? 自己紹介しよう。僕はフェイズ・ローガン、八十四歳、魔術研究者」


 彼の研究は若返り。


「あれ、驚いてる人少なくない? 驚く顔が見たくて言ったんだけどなー」


 見た目の年齢に相応の膨れっ面を作って拗ねたようにそう言うフェイズは子どもらしさを作っている違和感はなく、とても八十四には見えない。子どもっぽいところも、幼さの消えた大人の顔も、どちらも彼の素の性格だったのだろう。


「本当は僕のための研究じゃなかったんだ。でも、肝心の本人はいなくなっちゃうし、研究は面白いから続けていたらこんなことになっちゃって」


 こんなことに、と小さな子どもの手を見せた。


「この村の仕組みを造ったのも僕だよ。君たちがめちゃくちゃにしたけどね」


 恨めしそうにアーヤたちを見たけれど、そこにトロールを出す前のような怒りはなかった。フェイズは「この村がただの救いの村ではないことくらいは僕も知っていたさ。これでも八十四だから」とわびしげな顔で言った。


「ここに純粋な救いや希望を求めていた者たちには酷いことをした」


 ただの救いの村ではないというのが何を意味していたのか、フェイズの顔には長年降り積もった例えようのない自責の念が浮かび上がっていた。


「偽りの楽園はもう消えた。僕もいい加減現実を見なくっちゃね」


 フェイズはポケットから薄く桃色に色づいた液体の入った小瓶を取り出した。そばにいたルークに止める隙も与えず、一気に中身を口に流しこんだ。

 カランと瓶が手から落ち、フェイズの体も傾いた。


「……死ななくたって」


 思わずといったようにユーメルがつぶやいたが、彼にとってはこれが良かったのかもしれない。公的機関に見つかれば極刑は免れないし、自死を選ぶということはフルノーレという人物に再び匿ってもらうことはできないのだろう。いずれにしても死ぬ運命ならば自分の手で。ポケットに即死の毒を常に入れて持ち歩いていたのなら、もともとどこかでけじめをつけるつもりだったのかもしれない。


 後味の悪い結末にアーヤは心の中で手を合わせた。


 水晶にはひびが入っていて、グレンが小さな風を送っただけでパラパラと崩れた。これで村にかけられていた魔術は効力を失うだろう。砕けた水晶は陽の光を反射してキラキラと輝いた。アーヤにはそれが涙のように見えた。



 なんとか残った階段を降り屋敷を出ると、アーヤの魔術で拘束されていたはずの村人たちは水分を失って干からびていた。アーヤが魔術を解除すると魔術によって支えられていた村人たちの体は地面に落ちた。


「は? どういうこと?」


 ルークが顔を顰めた。


「そっか……魔術が解けたら生きていられるはずがなかったんだ……」


 アーヤが村で青年にもらった食事は村を出たら消えていた。村人たちが食べていたものがそれと同じなら、その食べ物は魔術の効く村の中でしか意味をなさない。


「偽りの楽園とは言い得て妙だな。領主様はそれがわかってたんだろうね。たぶん領主様や魔女たちは普通の食べ物を食べていたんじゃないかな」


 グレンもこの惨状の原因に思い当たり苦い顔をして目を逸らした。魔術の解けた村は地獄絵図だった。活気に溢れていたはずの人々は生気を失い地に伏し、綺麗な家だったものは腐った木材や苔の生えた石の山となり、色とりどりの花の植わった花壇だったものは乾いた土の塊となった。


「取り引きの時間まであと鐘二つほどあるし一度帰る?」


 カーレンがそう言い、ユーメルやグレンも頷いた。アーヤはのろのろと魔法陣を二つ取り出して血を落とす。魔法陣から出た水色の光と海の香りは枯れた土地を憐んでいるかのように見えた。

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