第14話

 『影』を見失ってしまった。薄暗い地下を歩いていたアーヤは『影』の言っていたことを考えていた。


「おい、何ぼけっとしてんだ」


 『影』は「まじょさま、わすれられる、かわいそう、おまえ、ひどい」とアーヤに言った。国境村の魔女を忘れたとはどういうことか。考えれば考えるほど思考にもやがかかり頭が痛む。


 そして、うっすらと浮かび上がった記憶の輪郭にアーヤは言葉も動きも失ってしゃがみこんだ。


「動かないと追えないぞ?」


 ルークがアーヤの肩を強めに揺さぶった。頭がガクガクと揺れる。しかし、そんなことを気にしている余裕がアーヤにはなかった。


「……わたしは」


ルークは怪訝な顔をした。


「あの子は……どうして忘れてたんだろう、なんで……?」


 地面に座り込んだまま、アーヤの目はどこか遠くを見ていた。


「おーい、しっかりしろ。……ったくなんなんだよ一体」


 ルークはアーヤの顔を覗き込み顔の前で手を振ったが、アーヤは「どうして」「なんで」と繰り返すばかりだった。


「あら、ようやく思い出してくれたのかしら」


 よく響く女の声だった。その声色は幼さを残しているのに、どこか達観したような節があった。塔の上から豆のような人を見下ろして話しているかのような。


「――っ誰だ」


 ルークは放心状態のアーヤを庇うように立ち上がり、剣を構えた。それを見て女の方はころころと笑った。


「そんなに警戒しなくってもいいのに。ちょっとそこをどいてくれる? 用があるのはあなたじゃないの」

「知り合いなのか?」

「そうね――もっとふかーい間柄。その人に命をかけるほどの価値はないと思うけど?」


 ルークは女を睨みつけた。別にアーヤを守る騎士になった覚えはない。一時的な協力者。だが、だからといってはいはいどうぞと差し出すわけにもいかない。


「ルーク、いいよ。これは、わたしの問題みたい」


 アーヤは声を振り絞り立ち上がると、ルークの肩にそっと触れた。下がってて、という合図だ。アーヤは彼女を、国境の魔女を知っていたはずだった。本当は誰よりも。


「久しぶり、だね」

「そうですね? おねーさま?」


 国境の魔女は分厚い扇で口元を隠してにっこりと笑った。こてんとかしげられた顔は、街の子からすればアーヤとよく似ている顔だった。しかし、ルークからしてみれば二人はまったく似ていなかった。


「……どうして、こんなことになってるの?」

「そうよね、おねーさまにはわからないでしょうよ。ここにいる忘れ去られた者たちのことなんて」


 アーヤはどうしても聞くことができなかった。「名前は?」と。いつから忘れていたのかわからない。ずっと昔に一人、妹がいた。たぶん母親も父親もいて、四人家族だったのだと思う。部屋に飾ってあった幼少期の写真の左側に空いた空間に妹も写っていたはずだった。そう、だからあの写真だけは大切にしていて、なぜ飾っているのかわからなくなっても大切にしなきゃならないと思って額に入れていた。自分の姿しか写らなくなって二人で書いたサインがアーヤの名前だけになっても。


「――忘れ去られた者?」

「ききたいの?」


 妹だったはずの国境の魔女は静かにアーヤを見た。何かを考えてにやりと笑うと「ええ、いいわよ。話してあげる。その代わり、武器を置いてくれるかしら? 話しにくいんだけど」と重そうな扇でルークの剣を指した。

 ルークが剣を地面に置いたのを確認して、国境の魔女はのんびりと話し始めた。


「ここの村は救いの村なの。普通の世界に見捨てられた人々が救われる場所。偉大なるフルノーレ・エジアン様によって創られた人間世界の楽園」


 魔女は少し得意げだった。彼女にとっても、村の人々にとっても、フルノーレ・エジアンという人物は救いの手を差し伸べてくれた神の使いのような存在なのだろう。


「私は絶望の淵にいた時、フルノーレ様にこの能力を買われ救い上げていただいた。そして、フルノーレ様は私にエジアンの名を授けてくださった」


 魔女はそこまで言ってからゆっくり扇を広げて顔を半分隠した。アーヤたちから彼女の表情を見ることができない。ただ、彼女の雰囲気がそれまでの誇らしげなものから、長年たまった恨みを抑えるようなものに変わったことは肌で感じた。


「フルノーレ様がこの楽園を創り上げる時、私の力が必要だとおっしゃった。実の娘のように可愛がってもらったり、私の持っていた力を伸ばす手伝いまでもしてくださった。楽園をフルノーレ様と完成させることができたときどんなに幸せだったか」


 魔女はアーヤたちのことを見てはいなかった。


「この世には私のように見捨てられた者が数えきれないほど多くいる。自ら命をたとうとする者は後をたたない。だから、この楽園は必要だった」


 彼女が見捨てられたものというのはどういう事なのだろうか。アーヤは昔彼女を大事にしていなかったという事なのか?


「楽園に入った者を外界から守るため、楽園外では存在が消されます。その人に関する記憶も、品も、あらゆる形跡が」


 それがどういう原理で実現されているのかはわからないが、だからアーヤは妹を忘れてしまったのだ。写真からも消えた。


「普通の世界で必要とされているあなたにはわからないでしょうね。私たちがどんな気持ちでかすかな希望にすがったのか」


 魔女の目がアーヤに戻ってきた。そこにあった深い闇に、アーヤは一瞬息を忘れた。


「ここは私たちの楽園。私たちの神聖な場。私たちの場所! あなたが勝手に入り込んでいいものじゃない。簡単に奪っていいものじゃない!」


 魔女の叫びはアーヤに突き刺さった。彼女たちにとって、国境村はアーヤが好奇心で足を踏み入れていい場所ではなかった。あらゆる手段を駆使して創って守ってきた場所だった。


「わたしは、忘れたかったわけじゃないよ」


 だって、じゃなきゃ写真なんて飾ってない。無意識でも大事にしていたのだから。

 しかし、アーヤはそれ以上何を言えばいいのかわからなくなった。事実、覚えていないのだから何を言っても薄っぺらい。


「そう。でもね、忘れたくないけど忘れてて、こうして今人のものを奪おうとしてるわけでしょ? それって忘れたくなかろうが忘れたかろうが関係のないことなんじゃないの?」


 魔女の言うことはもっともだ。アーヤは彼女と対等に心を通わせることができない。わからないのだから。

 アーヤはそう思って口を閉ざした。謝ることもできない。なぜなら、アーヤはアーヤで壊せない生活があるから。


「そろそろ時間切れ。お話はおしまい。おねーさまには申し訳ないけど、これもフルノーレ様との約束だから」


 魔女はそれまで口元に持ってきていた扇をパチンと閉じ、アーヤに向けた。それはよく見ると魔術銃と呼ばれるものだった。


「まって、最後に一つ」


 アーヤは紐に通して首にかけていた指輪を見せた。帝都で彼女に間違えられて預かった指輪だ。

 魔女は指輪を一瞥しただけだった。


「なんの冗談? おしゃべりは終わりって言葉、聞こえなかったのかしら?」


 憎々しげにそう言う彼女はアーヤを血縁のある家族だと思っているようには見えない。本当に撃たれるとアーヤは思った。もう下手には動けない。ルークも剣を手にとれていない。家族に会えたと思ったらこうして魔術銃を向けられるなんて、つくづく嫌な世界だ。彼女を殺さないように出力を絞る余裕は持ち合わせていない。アーヤは手を後ろに回し握り合わせた。


 アーヤの頬を汗が伝った。


「さよーなら、おねえさま」


 彼女は迷いなく引き金を引いた。耳をつんざくような銃声が響き、銃口は煙をふいた。アーヤの手から水色の光が溢れたのはそのほんの少し後だった。誤差程度の遅れだった。

 血の匂いが海の香りと混じり合い充満した。


「おい、なんで攻撃しなかった!」


 ルークが焦ったような声をだす。アーヤが魔女の銃弾を弾く前提だったらしい。確かにここに来るまでのように魔術を使えば弾けたのかもしれない。

 服が撃たれた左肩からじんわりと血に染まっていくのが自分でもわかる。肉が焼けるようなズキズキと熱をはらんだ痛みがある。心臓が左肩にもう一つついていたのかと思うほどにどくどくと脈を感じる。


 それでも、やることは決めている。

 星のかけらは生まれた。


「一緒にココアを飲んで話す時間に憧れてた」


 アーヤだって切り捨てられないように一生懸命ローザの席を維持している。村の人に慕われていた魔女を羨ましいとさえ思った。そして、お互いに譲れないとわかった。だから、もう後には引けない。


 アーヤは生み出したいつもの二倍ほどの大きさの星のかけらを右手で握りしめた。


 右手から青や緑の光の輪が生まれ、魔女の方へ猛スピードで向かっていく。魔女が魔術銃を乱発したが、光の輪に吸い込まれて消えた。


 魔女は動かなかった。いや、動けなかった。光の輪は魔女が魔術銃を六発撃つ間に魔女のことを包んでいた。アーヤの右手から生まれた光は泡や光の蝶も生み出していて、それらが舞う地下は血の匂いも忘れられた幻想的な空間に様変わりしていた。


「……私から奪うのは楽しい? やっと、やっと創ったこの場所も壊すの? ここを壊したって忘れられた人たちは元の世界に戻れないのよ? みんなの楽園を返してよ!」


 魔女は光の輪の中で叫んだ。光の輪の中にいたら体の自由が効かなくなったのか動かない。かわりに喉が枯れるのも気にせずに叫んだ。


「外の人にはわかんないでしょ? 選ばれたあんたにだってわかりっこない! 私たちの居場所が、私たちの生きる意味が、安らぎが、どんな思いで手に入れられたかなんてわかるわけない!」


 アーヤは眉一つ動かさなかった。耳を塞ぐこともしなかった。撃たれた肩を庇うこともしなかった。ただ無表情を崩さずに右手に祈りを込め続けた。


「……なんで、なんでなのよ。どうしてこんなふうになっちゃうのよ。上手くいってたじゃない……」


 堪えきれなくなった涙が魔女の目から流れ、地面にシミを作った。

 アーヤは目を閉じ、右手を強く握った。アーヤから出る光は強くなり、ひときわ大きな青い光が魔女を包んだ。夕焼けの海の香りがした。

 星のかけらは役目を終えたと手の中から静かに消え、光も少しずつ弱くなっていく。アーヤの目から涙が溢れることはなかった。しかし、次第に消えていく光はアーヤの心を表しているかのようで、ルークは声をかけることができなかった。


 最後の一匹の光の蝶がアーヤの頬に触れ、消えた。

 アーヤは首から紐を通した指輪を外し、横たわった魔女の胸の上に置いた。


 星のかけらの光の魔術は強力な代わりに術者と受け手のその時の感情や思考を共有させてしまう。アーヤに流れ込んできたのは魔女の切望した外の世界での幸せと、外の世界への妬み、それから指輪を受け取って微笑むアーヤとの記憶。


 この指輪はアーヤとお揃いの指輪だった。記憶にはいない母親が渡したもの。彼女の記憶では、この指輪は命を助ける指輪だと言われて渡されていた。アーヤの分の指輪はどこへ行ってしまったのだろうか。


 アーヤは静かに入ってきた地下の入り口へ歩いた。ルークはアーヤを黙って追った。まだ終わっていない。領主様の持つ水晶を壊すのが目的だ。それに、フルノーレ・エジアンという人物に会わなくては。彼はアーヤからローザを奪うかもしれないから。……アーヤが彼女から楽園を奪ったように。

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