第13話

 アーヤが差し出したのは『風の使い手行方不明』と書かれた手紙。すっかり夜も更けている。それでもグレンには聞いておきたかった。


「本当に行方不明と言われるようなことはしてない。僕がどういうことなのか聞きたいくらいだ」


 グレンは困ったように肩をすくめた。


「これは、誰が送ったのかな。」

「ん? ローザの鳥が持ってきたんじゃなかったの?」

「そうだと思ってた。でも、夜で暗かったし他に鳥が手紙を持ってくるなんて考えもしないから本当は違ったのかもしれない」


 たしかにいつもの鳥だとは思ったけれど送り主を疑う以外誰を疑うというのかとアーヤはグレンを見た。グレンはアーヤと目が合うとしばらく見つめて、複雑な表情をした。


「キミは、いざというときローザを守るよね?」

「もちろん」


 即答した。あたりまえだ。何をグレンは心配しているのだろうか。

 アーヤにはグレンがどんな気持ちでどんな意図でその質問をしたのかわからなかった。アーヤが大事にしていることはローザと、そのための任務の成功で、それ以上のものもそれ以下のものも存在しない。


「そっか。いや、最近役場の人が人生で一番大切なものはなんだとかそんな話を延々としていたんだ」


 アーヤが口を開きかけてやめたのを見てグレンはいつもの調子に戻っていた。「その人勤務時間がまるまる同じでさ、毎回僕に人生の設計だとかなんだとか色々語ってくるんだよ」と冗談めかして職場の愚痴を言う彼は、まるで本当に役所の職員であるかのようだった。


「……それでその手紙なんだけど」


 グレンは喋らなくなったアーヤに気を遣ったのか、職場の話は早々に切り上げ話を元に戻した。


「ロイセンの危篤の手紙が届いていないか、この前キミに会ってから探したけどやっぱりきてなかった。――じゃあ今日は帰るね。三日後にまたここへ来るよ」


 これ以上話しても何も解決はしないことはわかっていた。アーヤは大人しくグレンを見送った。




 翌日アーヤは、学園へ行った後ルークに会うべくデグレエへ向かった。みどり屋という宿屋は個人営業であるのに大きく、質の高いサービスを提供すると、デグレエでは有名らしかった。


「そっちの話はわかった。その村に次行くのはいつだ?」


 アーヤはもう一度カーレンと会ってからグレンと共に行こうかと考えていた。この流れだとルークも一緒に来ることになるだろう。


「近々行く予定。でもその前におつかい頼んでもいい?」


 アーヤがつけた条件の一つにあったおつかい。それは、グレンにも言えないことだった。だからあの場で詳しく説明できなかったのだ。


「できることであれば。そういう約束だからね」

「ゼンナン・サールという人物を知ってる?」

「凄腕暗殺者の?」

「そう、そのゼンナン・サール」


 彼は暗殺者だというのに名前が知れているという珍しい暗殺者だ。暗殺される危険があるようなやましいことをしている人たちは彼の名を恐れている。名前が知られることでのメリットはそういうところにもあるのだろうか。彼の所属は明らかにされておらず、固定の家の依頼を受けていないことから彼を専属にしようとする貴族は多かった。


 しかし、名が広まっているからといって姿がわかる者は少ない。金色の瞳であるらしいことは噂になったが、本当のところを知っているのは彼を雇った人か殺された人か。


「ゼンナン・サールを一ヶ月間雇いたい。彼を見つけて来てくれる?」


 彼への伝手がないためアーヤが直接雇うのは探すところから始めなくてはならない。だが、ルークは違う。彼の家は一度ゼンナンを雇ったことがあるはずだ。


「そんな内容だとは思ってもみなかった。はじめてのおつかいにしては難題すぎない?」


 面白がるように言うルークに「できないの?」聞けば、難題だと言っていたくせに「いや、簡単な話」と請け負った。彼の使い道を聞く気はないらしい。暗殺者にこっそり『影』を忍ばせて帝国の裏の顔を探ろうとしているなんて考えはしないだろう。


「じゃあそういうことだから」

「見つけ次第教えるよ」 




 アーヤが家に帰ってくると、窓の縁にレーレイがあった。白い小ぶりの花がいくつかまとまって一つの花を形作っている珍しい花だ。ほんのりと熟れた果実のような香りがする花でとても可愛らしい。


 どこから落ちてきたのかわからないそれを拾い、割れた瓶にさしておく。せっかくの花だが、割れた瓶ではなんだか不恰好だ。アーヤの家にはそれかコップくらいしか花をさせるような容器がなかった。

 花を愛でながらお茶会の時の残りのバームクーヘンを食べていると、山奥の方のアーヤの家に来客があったと知らせるベルが鳴った。アーヤの家に人が訪ねてくるなんて珍しい。暖炉を潜って急いで玄関に向かった。


「やあ、突然ごめんよ。ちょっと急ぎで村へ行こう」


 ドアを開けて見えたのはカーレンとユーメルだった。彼らが事前の便りなしに訪問してくるのは初めてだ。


「いらっしゃい。村へ? どうしたの?」


 カーレンたちをいつもお茶会をしている部屋に招き入れ、お茶を出した。カーレンたちは急いでアーヤのところへ来たようで、いつもおしゃれに決めているカーレンがシワのついたシャツを着ている。


「明日の夜、村で取引が行われる」


 カーレンは一枚のメモをアーヤに見せた。


「うちの伝手からマーキン家の裏ルートを掴んだ。取り引き場所はあの村だ」


 あの村だ、とカーレンはいつにも増して強い口調で言う。カーレンたちの話では麻薬の製造が行われているということだったからその通りなら取り引きの一つや二つあの村であるだろう。何がカーレンをこんなふうに切迫した様子にさせているのかアーヤにはいまいちピンと来なかった。


「この件が表沙汰になったら国家反逆罪で一斉粛清が行われてもおかしくない」


 どうやらただの麻薬取り引きとはいかないようだ。麻薬によって傾いた国家の話は傾国の美女の話とならんで吐き捨てるほど存在する。


「それと、あの村を支えているのは水晶。夢を見た」


 ユーメルはごく稀に予知夢を見る。ユーメルの出すヒントが的確なのも予知夢の能力の副効果らしい。あの村を支えているのが水晶というと、あの村の不思議現象や魔術の源ということか。


「その水晶を取り引き前に壊す」


 カーレンが説明したのは、国家の一大事に交わらせてはいけない古代魔術のことだった。

 奇跡が古代魔術を模したものだと前回のお茶会でカーレンは言った。それは、あの奇跡が精神を誘導させる効果を含んでいたからだ。そもそも、エセナリンの花粉は精神の免疫や疑うなどの防御機能を低下させる効果を持っている。古代に禁止された精神干渉の魔術の媒体にされていたものだったのだと言う。


 しかし、エセナリンが現代で出回ることは不可能に近い。それは、エセナリンの絶滅が呪いによる空気の汚染だったからだ。微量の呪いにすら耐えきれないエセナリンは絶滅した。それが再び出てきたのは、あの村の不思議な力のせいだとカーレンは言った。


「水晶を壊せばそれによって作られていた魔術は消える。だから、大規模取引が行われる前に壊す必要がある」


 精神干渉が可能になったらまともな政治は望めない。わかりきったことだ。

 きっとローザを守ることにもつながる。


「グレンとルークを呼ぶ。とりあえず出発は明け方で大丈夫なのね?」

「明け方でいい。ここに泊まってもいい?」

「客室を使ってくれて構わない」


 アーヤはグレンに『即集合』とだけ書いた紙を飛ばし、ルークを迎えに魔法陣を出した。

 カーレンがお茶を一杯飲む間にアーヤはルークを連れて戻ってきた。

「アーヤ、何があったの?」

 グレンも到着した。

「突然ごめん二人とも。明日の明け方、村へ行かなくてはいけなくなった。一緒に来てもらえる?」


 アーヤはカーレンを見た。カーレンはその目線で言いたいことを察したのか、アーヤにした説明をもう一度グレンとルークに話した。


「水晶を壊すというが、どこにあるかわかっているのか?」


 グレンはカーレンの話を聞いても動揺した素振りは見せなかった。いつものようにこめかみに手を当てながら思考を練って、質問をする。水晶のありかはアーヤに一つ心当たりがあった。


「確信を持っているわけではないけど、たぶん領主様という人の屋敷にあると思う」


 あの村の不思議現象を引き起こしている張本人であろう子ども。領主様の屋敷は入り口からはとても遠く、木々に囲まれていたためほとんど見ることができなかったが、ずいぶん大きかったように思う。


「僕も賛成かな。一番可能性があるよね」


 カーレンは少し落ち着いてきたのかいつもの穏やかで演技くさい話し方に戻っていた。村に行ったことのあるアーヤがわかる限りの村の情報を開示し、カーレンを中心に村での行動を考えて危険因子の排除方法について議論する。五人が集まったのは多くの人が寝る時間だった。もう日付が変わり、日の出まで鐘二つをきっている。話がひと段落したところでアーヤはそれぞれを客室に案内した。


 鐘一つ半ほど仮眠をとったアーヤたちは、再びお茶会の部屋に集まった。転移の魔法陣はアーヤ六人分で重量オーバー。カーレンとグレン、アーヤとユーメルとルークで一つずつ魔法陣を使って村へとんだ。


 白紫のような灰青のような色の朝日が、夜を割って一筋さした。アーヤたち五人は木々に遮られ日の光がまだ届かない村へ、『影』を纏って入った。アーヤが来た時のように、『影』を被って入らないと本当の村には辿り着けないようだった。


 村はまだ眠っていた。人の気配はなく、玄関先に飾られていた草花が揺れ、井戸の釣瓶がカコンと傾いた音がした。


 五人は息を潜めて村の真ん中へ足をすすめた。


 地面が土から石畳に変わった時だった。


 石畳の石が動き、周りの家の屋根から弓矢が降り注いだ。


 グレンが風で矢を散らし、ルークがこぼれた矢を盾で弾いた。アーヤは飛んできた矢は彼らに任せ、足元で発動したトラップの変化に注意を払う。


 石畳の石はからくり箱のように不規則にスライドしている。グレンの風で巻き上げられた矢がアーヤたちの周りにカラカラと落ちてきたのと同じタイミングで、その動きは止まった。そして、石がずれてできた大きな隙間から石材でできた大きな人形が現れた。


 それは体の所々から金属の発条や魔術回路が見えており、太い手足にはそれぞれ大きな魔法陣が刻まれていた。小さく乗った頭についた赤い石が魔術回路の制御機能を持っているのだろうか。ゆっくりと頭が持ち上がり、それは目のように見えた。


「足を落とす。魔術回路の無力化を頼む」


 グレンが戦闘体制に入り、アーヤに声をかけた。


「了解」


 アーヤは答えるのと同時に魔法陣を即座に展開した。アーヤの腕の長さほどもある火を纏った矢がそこから四本飛び出して見え隠れする魔術回路のパイプに火の粉を散らして向かっていく。 


 人形は硬い体で矢や風の刃を弾こうと手を動かして攻撃を払っていた。しかし、アーヤの放った火の矢は意志を持っているかのように払い落とそうとして来る手をくぐり抜け、魔術回路に突き刺さる。四本の矢が突き刺さったところから回路を燃やしていく。猛スピードでコアに迫る炎は体の内から崩壊させていった。


 炎が回り始め、石の巨人から悲鳴のような金属を引っ掻くような音がしたかと思うと、胸のあたりが開き、そこから大きな銃口が伸びた。黒光し獲物を見定めるそれは石でできた体とはチグハグで狂気な演出に一役買っている。そのまま巨体に見合う巨大な弾丸を勢いよくアーヤたちに三発撃った。もはや銃弾ではなく爆弾だ。

 撃たれた瞬間にアーヤが展開した魔法陣から淡い光を放つ大きな剣が生まれたかと思うと、銃弾に向かって目で追うことのできない速さで大振りした。剣から光が混じった爆風が発生し、銃弾を粉々にしながら巨大に突き進んだ。


 グレンの放つ鋭い風は右足を最も容易く切断していた。音がするよりも早く対象物を切る風は、足を切り落とした余波で家ひとつ離れたところにある木の枝も落としていた。休みなく放たれる風の刃はバランスを崩した石人形が倒れる前に左足も落とした。


 アーヤの放った爆風が石人形にたどり着くころには両足がなく、魔術回路も焼き切れて、ただのかまどになっていた。爆風は既に事切れたそれを粉々にして後ろの家に届く前に最初からなかったかのようにパッと消えた。


 残ったのは砂のようになった石のかけらだけだ。


「じゃあ行こうか」

「やっぱりアーヤは上手いね」


 グレンはアーヤの戦闘技術を素直に尊敬していた。アーヤほど強力な魔術をハイスピードで効果的に使える人をグレンは知らなかった。


 アーヤはグレンの言葉になんと答えればいいか分からずさっさと歩き出すことにした。さっきまでかまどを粉々にするために魔術を乱発していた人とは思えない。アーヤの戦闘を初めて見た三人は愕然とした状態が抜け切らぬまま、表情ひとつ変えないアーヤとグレンの後を追った。


 それにしても静かだとアーヤは思った。銃声はそれだけで敵意を削ぐような威力があったし、攻撃が当たった時や地面に倒れた時もそれなりに大きな音がした。それにもかかわらず、相変わらず蟻の声でも聞こえそうなほど静かなのだ。家の中に隠れて身を守っているのだろうか。いずれにしてもアーヤたちが侵入したことはばれているに違いない。

 アーヤが「急ごう」と言おうとした時、目の前に肩に大きな鳥を乗せた老人が現れた。その姿にアーヤは息を詰まらせた。


「まじょさま、の、めいれい」

「まじょさま、わすれられる、かわいそう、おまえ、ひどい」


 『影』だ。アーヤが国境に派遣した鳥の姿の『影』と、一緒に村に行く予定だった老人の姿の『影』。


 アーヤに見せるためだけに形を保っていたのか、『影』たちはぐにゃりと形を歪ませた。鳥の形と人の形をした『影』が歪んで形を変えていくのは異様で、ルークやグレンは顔を引き攣らせた。


 アーヤは影の変形が終わる前に魔法陣を展開させた。魔法陣はから出たいくつもの光線は『影』を取り囲むように張り巡らされ、一瞬動きが止まったかと思うと、瞬きするよりも早く『影』を押しつぶすように中心に集まった。『影』は高音の鉄板に水を垂らしたような音を立てて溶けた。ドロドロとしたものがゆっくり地面に広がる。


 液体になった影はそれでもなお体をくねらせていた。当然といえば当然だ。アーヤの星のかけらから生まれたのだから。

 アーヤはもう一度魔法陣を出そうとしたが、光の束の隙間から『影』はものすごいスピードで逃げていた。


「ごめん、追いかける」


 アーヤは『影』を追った。ルークもアーヤに続いて駆け出す。他の三人もアーヤを追いかけようとしたが、それは叶わなかった。


 先程まで『影』がいた場所に、騎士のような格好をした若い男が剣を構えて立っていたからだ。

「領主様から侵入者は排除せよとのご命令だ」

 男はそう言うと構えた剣の刃に炎を纏わせた。走ってグレンに斬りかかる。


 横目でアーヤとルークが地下に降りていくのが見えたグレンは「入り口で合流だ!」と叫び、斬りかかってくる男に風の刃を振るった。

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