第11話
アーヤはテキパキと男装をして田舎者のアールノーの姿になった。それから丈夫な皮の鞄に使えそうなものをポンポン放り込んだ。
あまりの早技にぽかんとした顔でその様子を見ていたグレンはアーヤがその鞄を肩にかけたところでとっさに叫んだ。
「え、今から行くの⁉︎」
アーヤが「だってまだお昼だし、グレンが次来れるのはいつかわからないし……」と気合の入りすぎた自身の行動を今更ながら恥ずかしがってそう言えば、グレンは笑いながら「ちょっと待ってて」と準備をした。
魔法陣で向かった先はグレンの派遣地デグレエのグレンの家。
「ここでいいの?」
「うん。土砂崩れがあったっていうところに案内してもらえる?」
アーヤの作っておいた魔法陣のストックは、グレンに渡すために描いたアーヤの家に転移するものとグレンの家に転移するものが六セット。それから村へ転移するのが四枚。今回はグレンに渡す予定だった魔法陣の一枚を使った。
グレンに案内させて一昨日あったばかりの土砂崩れ現場にたどり着いたアーヤは鞄から銀色の細い筒状のものを取り出した。手のひらサイズだったそれは、伸ばしていくとアーヤの背よりも長くなった。これも男装セットと同様に土の使い手メイがアーヤに押しつけられた――プレゼントしてくれたものだ。
アーヤは無言でそれを地面に突き刺して埋めていく。さすがメイの発明品だと言うべきか、地面が硬かろうと柔らかかろうとするすると吸い込まれるように埋まっていく。
「なにするの?」
グレンは前振りもなく始まったアーヤの奇行を見守っていたが、興味が勝ったのか埋め終わってズボンの裾に少しついた土を払っていたアーヤに尋ねた。
「カーレンの仮説では地下に道がある。それは話の通りならここにもあるはず。だから確かめる」
そう言うと親指の爪ほどの高さ地面からのぞいている銀の細い筒に、持ってきていた瓶から星のかけらを一つ取り出して入れた。そのまま人差し指を筒にあてて目を閉じる。
グレンはまばたきを忘れてその光景を見ていた。
しゃがみこんで地面に指を置いて目をつぶる。
普通なら土いじりをしている幼子のように見えるだろう。
それなのに、その光景は荒地に春を呼んでいるかのような輝きがあった。輝きというのも比喩ではない。星のかけらから舞った粉は蝶に形を変えてアーヤの周りを飛んでいた。透き通るような水色や紫の蝶はキラキラした光の粉を残しながらアーヤを取り囲む。土砂に流された建物の残骸や折れた木々が散乱したこの場では余計にその様子は際立った。
アーヤは今、どこにでもいる普通の男の子アールノーだ。綺麗なプラチナブロンドは茶色のカツラの中に仕舞われ、質素なシャツとズボンの姿。神秘的な美しさとは不釣り合いなそれらもこの空間においては演出の一部と化していた。
「……ちょっとだけわかった」
アーヤが指を離してそう言うと光の蝶は消え、現実にあっと引き戻される。蝶が待ってからの時間、グレンは長く感じられたが、アーヤが指をつけてから離すまで実際には木の葉が木から落ちて地に着くくらいの短い時間しか経っていない。
アーヤは星のかけらから地中に伸びた棒の先の様子を探っていた。この道具は、メイが言うには『海の中も土の中も見通せるメイ式万能杖』だそうで、アーヤが自分と繋がる星のかけらを落とせばその先のイメージを得られる優れものだという。
アーヤはこれをもらった時、物干し竿にでもしようかと考えていたが、細くて折れそうだと判断してメイからのもらい物をひとまとめに詰め込んだ引き出しに入れていた。男装セットといい、この万能杖といい、メイがアーヤの後に必要になるものを見通しているのかと思うほど的確なプレゼントだ。もしかしたら家にある残り五十五の発明品もこのあと使うことになるのかもしれないとアーヤは思った。
「ここからだいたい三十歩先に地下空洞があった」
アーヤは壊れた建物の裏口があったあたりを指さした。
「それは地下道なのか?」
「あそこの空洞のとこで試してみてもいい?」
アーヤは地下空洞があるとわかった場所の真上に立ち、もう一度万能杖を刺した。
「……たぶんある。グレンは自分の空気の場所わかるんだよね?」
グレンは風の使い手。彼の固有能力は『風読み』。自分が出した風・空気の広がり方や進み方を正確に知り操ることができるというものだ。ローザの中では一番地味だと言われがちだが、とても便利出し、応用も効く。
アーヤは自分が立っていた場所をグレンに譲った。グレンはアーヤが入れたままにした万能杖にそっと小指を当てた。指によって風が色々違うらしい。アーヤは黙ってグレンの指先を見ていた。
「うーん……確かにこれは道だと思う。地図はある?」
「帝国全体のでいい?」
「なるべく細かく道とか描いてあるやつがいいんだけど、まぁ、なければいいや」
アーヤは持ってきた地図を何枚か取り出しそのうちの一枚をひろげた。帝国を四つに等分した時の西側の南半分の地図で地図自体が大きい分細かい道もかき込まれている。
「ええとね、この地図だとここが現在地だけど、この空間はここをこう行ってここで曲がってここでこう分かれて――」
地図を指でなぞりながらグレンは棒から流した風が広がっていく様子を説明した。
「それってほとんどこの道に沿ってる?」
「うん。この道の少し横を大体通ってる気がする。さっきの風じゃここからだとこの街の手前くらいが精一杯だけど」
グレンが「この街の手前」と示したところはデグレエの隣の隣の街なので風を流すだけでこの距離を探ったグレンは十分にすごい。
「カーレンが他の土砂崩れが起きているところもって言ってたけど、そこにもあると思う?」
「こうして実際地下道を見つけてしまった今は試す価値があると思ってる」
グレンはこの地下道を見つけるまでカーレンたちの話に半信半疑だったようだアーヤもだ。ようやく現実感が出てきた。
「この近くだと土砂崩れがあったのはここ?」
アーヤは地図でカラトン山を指した。
「そこだと思う。たしか一ヶ月前だったと思うよ、あったのは。デグレエにきたばかりのときに役所の人が事後処理に追われていたから」
カラトン山は今アーヤたちのいるデグレエの東部から北東に町一つ半ほどの場所にある。歩いていくとすれば半日ほどかかるだろう。
「転移陣を描くのには時間がかかるんじゃない?」
今からカラトン山に行く気満々のアーヤにグレンは「水を差すようで悪いけど……」と帰宅を促した。だが、こうしてうまくいっているうちに疑問点を明確にしておくべきだと考えたアーヤは一筋縄では動かない。
「そういうときは、これ!」
アーヤは鞄をあさった。また土の使い手お手製の便利グッズが飛び出てくると予想したグレンはほんの少しの好奇心を抑えられずアーヤの手元を覗いた。
「これ、以前もらったのだけど今までそういう機会がなかったからずっと栞代わりに使ってたの」
とっておいてよかったと微笑みながらアーヤは長方形の紙を何枚か取り出した。
「それは?」
「馬車に乗るときにこれを渡せばお金を払わずに乗れるんだって」
それはつまり馬車乗りチケットである。
予想外の普通の品にグレンはかえって驚くことになった。
「さっき通ってきた道に馬車の停留所あったよね?」
街には馬車を持っていない多くの人のために、お金を払えば目的地まで馬車に乗せてくれる一般乗用旅客馬車がある。
結局馬車に乗ってカラトン山へ行くことに了承したグレンはアーヤと共に来た道を引き返した。
「それは帝国じゃ扱えないよ。ほら、サンライン交通局の印が押されているだろう?」
停留所まで来たアーヤは御者のその一言で初めてそのことに気が付いた。この券は王国で山小屋の管理者の姪として任務していたときに山小屋に泊まった客がアーヤにくれたものだ。王国でもらったのだから帝国で使えないことくらい考えればすぐわかるのに、気が急いでいたのか気づくことができなかった。
「すみません……。教えていただきありがとうございます」
笑顔でお礼を言ったアーヤだったが、がっかりとしているのがグレンにも伝わってくる。御者もそれがわかったのか「ボクはどこまで行きたいんだい?」とアーヤに優しく話しかけた。
「ぼくたちはカラトン山に行こうとしてました」
お金を払って乗ればいいが、今回使うとは思っていなかったためアーヤは持っていない。グレンが携帯しているお金も、馬車に乗ることができる分よりいくらか少ない。
グレンが家も近いし一度家に取りに帰ってまた来るかと考えていたとき、後ろから声をかけられた。
「御者さん、僕もカラトン山に行きたいんだ。彼らと相乗りしていいかな?」
グレンに「ちょうど目的地一緒だからついでに乗っていくといいよ」と小声で話しかけると御者にお金を手渡した。カラトン山で行うことを考えると他人と行動するのはやめた方がいいと思ったグレンは断ろうとしたが、そうする前に御者と彼に押されて馬車に乗せられていた。
アーヤは声の主、ともに馬車に乗り自分の前に座っている男を見てどうしようかと思考を巡らせていた。黒目黒髪の紳士的なこの男、何を隠そうアーヤにナイフを投げた暗殺未遂者。
馬車が走り出した。この狭い空間、捕まりたがり屋の暗殺未遂者の目の前。カラトン山につくのは鐘四分の一ほどかかる。
「勝手に相乗りにしてしまってごめんよ。僕はルーク・ユシュール。君たちは?」
アーヤはなぜか今更接触してきたルークに警戒心マックスである。アーヤの雰囲気の変化に気が付いたのかグレンは何かあるのかとアーヤに目を向けた後「グレン・モノエだよ。こっちは従兄弟のアールノー」と名乗った。モノエというのは王国の方に多い家名だ。グレンが紹介してくれたのでアーヤは軽く会釈するにとどめた。
「君たちはどうしてカラトン山に行くの?」
「少し用があってね。そういうキミこそどうしてカラトン山なんかに?」
当たり障りなくグレンがルークに応対する。
「僕はね、弱みを探しに来ているんだ」
秘密なんだけどね、と小声でルークは言った。誰かの弱みを握る調査をしにきているというのを見知らずの人に言っていいものなのか、とアーヤとグレンは思った。任務として調査なんかをしているだけあってそのあたりの危機管理の強さは人一倍だ。だが、そうでなくとも軽く口にしていいものではないとわかるだろう。
「最近紫気岩の品質低下がひどくてね。カラトン山は自然文化財保護の目的だとかで紫気岩の採掘をしていないだろう? だから行ってみることにしたんだ」
ルークの話はわかるようでわからない。前後の文の間にもう少し説明がないと繋がらない。グレンはピクリと眉を上げた。
「そうなのか。大変だね」
まるでそう思っていないことが丸わかりの笑顔でグレンは相槌をうつ。アーヤはルークのこの紳士の仮面もニセモノだと知っているので二人の会話に背筋がぞわぞわとした。
ルークは声をひそめ、グレンとアーヤの座る方へ顔を近づけるとこう言った。
「君たちは知っているはずだ。——第三派閥の腐敗を」
口の端を上げて同意を待つルークになんと答えるべきか。第三派閥の腐敗ときいてユーメルの言っていたことを思い出した。しかし、それを言うわけにはいかない。彼がなぜアーヤたちがそれを知っていると断言できるのかもわからず、アーヤとグレンはルークへの正しい対処法が書かれた本を心の底から欲した。
「キミの言っていることは、僕たちにはよくわからない」
結局グレンが言えたのはそれだけだった。
「その言葉を信じるわけにはいかないよ」
ルークは緊張感をそのままにアーヤたちに近づけていた顔を戻した。アーヤとグレンはルークの真意を測りかねていた。
「悪いけど君たちが茶色い紫気岩の輸送経路を探っていたところは見させてもらった」
ルークは眼光を鋭くしてアーヤたちを見た。それが先程の地下空間を探していた行為を指すのだとしたらまずい状況ではないかと思う。
「僕も追っていたんだ。原価割れするはずの茶色い紫気岩が大量取引され、その後の使い道が不明だった。それを追求するのに時間がかかっていてね、同業者なら取引がしたい」
怪しさはまだ残っているが、いくらか険悪さが薄れたところでアーヤの思考も復活した。
「悪いんだけど、ぼくたちはその件は追ってない」
「でも――」
「ぼくたちが追っているのは別のことなんだ」
ルークが反論しようとしたのを遮って強めに言う。グレンは何かあったら間に入ろうと考えたのか隣で見守っていた。
「でも、あなたが言っていた紫気岩の輸送経路が僕たちの探っていたものと同じなのだとしたら情報を提供するくらいはしてあげてもいい」
冷静になったアーヤは利害関係を結ぶのは悪くないという結論に、色々な条件を考えた上で至っていた。物騒な話だが星の使い手アーヤとしてであれば、いくらでもルークをつぶす手段はある。深入りせずさせず、取り引きをするのはうまくいけば役に立つ。
「取り引きに応じてくれるの?」
ルークは目の鋭さをいくらかおさめ声を弾ませた。捜査が難航していたのだろう。
「そのかわり、条件が三つ。一つ目はぼくたちと行動している時に魔術を使いたいとなったらぼくかグレンに申告すること。無断で使ってもぼくたちにはわかるからね」
ルークはその条件を魔術による攻撃や記録を防ぐためと見当をつけたのかあっさりと頷く。
「二つ目は、僕たちのしていることが外に漏れることがあれば責任を取ること」
ルークが原因でなく漏れることがあることはアーヤもわかっている。しかし、それくらい強気でいくくらいがちょうどいいとも思っていた。
「それは……。うん、わかった。それが君たちが故意に流したものでなければね?」
ルークは一瞬迷いを見せたが、それでも利益があるとみたのか、アーヤたちに責任転換する算段を既につけたのかあっさりと了承した。
三つ目がアーヤが取引に応じた一番の目的だった。
「最後、三つ目。ぼくからのおつかいを一度引き受けてほしい」
「おつかい?」
「今は言うことができないけど」
自分に不利になるばかりの条件にさすがに怯みを見せるかと思ったアーヤだったが、ルークは反論することも代替え案を提案することもなく条件を呑んだ。
横でアーヤを見守っていたグレンは、アーヤの出す強気で真意の読めない条件に内心冷や冷やしていた。
「こっちから一ついいかな」
「どうぞ」
「君と話がしたい」
ルークはアーヤの目をじっと見つめた。
静観していたグレンが雲行きの怪しくなりかけた話に割り込んだ。
「今話せばいいじゃないか」
「それもそうだ。だけど、これができないなら君の出した厳しい条件をのんだ僕は圧倒的に不利だ。フェアじゃない」
「もともと僕たちはキミの申し出を受ける必要もなかったんだが」
グレンはルークを不用意にアーヤに近づけるべきではないと思っていた。
「わかった。応じるよ」
「おい、アールノー?」
隣のグレンがひじでアーヤを突くのを無視する。
「わかってもらえて嬉しいよ。この後カラトン山に着いたら少しいいかな?」
「手短に済ませてもらうよ」
グレンが何か言おうと口を開きかけたところで馬車が大きく揺れて停車した。御者が扉を開け、到着を知らせる。アーヤたちは礼を言いながら馬車から降り、手前に見えるカラトン山の入山口へ歩いた。
「グレン、風で読んだりしないようにして。あったことは必要に応じて伝えるから」
アーヤはグレンにそう耳打ちして、一歩先を歩くルークのところへ行った。
「話はここでいいの?」
「君の従兄弟くんが離れてくれればどこでも」
「それなら少し先を歩くくらいで問題ないね?」
ルークとグレンは馬車で少し時間を共にしただけだが反りが合わなかったようだ。
「それで、話したいことは何?」
「君、ここではアールノーだったっけ? まぁ、名前は別にどうでもいい」
ルークはアールノーがアーヤであることはわかっていたようだ。男装したアーヤを眺めてわざとらしくそう言った。
「一時的な協力関係を結ばないか?」
「それはどういった意味で?」
「この件が終わるまで調査をしたりするのに協力し合う」
前回暗殺を仕向けてきた誰かからの指示だろうか。
「そう。雇い主からの御命令?」
「いや? もう雇用期間は終了している」
「ああ、仕事の不備でクビにでもなっちゃった?」
「まさか。満足してもらえたよ。――これ以上は契約で口止めされているから言えないけど」
ルークは馬鹿にしたような笑いをして「で、返事は?」と言った。
「じゃあ、そのメリットになることを教えてぼくを納得させてよ」
アーヤだとばれているのは知っているが、男装中はアールノーを貫こうとちょっとした意地を張っていた。
「君の追っていることと僕の追っていることが本質的には同じことだからだ」
それについてはアーヤもほとんど同じ意見だった。無関係のことがここまで上手く噛み合うことは珍しい。アーヤが探っている様子を見て勘違いしたのなら尚更だ。
「あなたが言いたいのはお互いに情報提供し合って早期解決を目指すということ?」
「そう思っていてくれればいいよ」
「馬車で言った条件は変えない。それと、この関係は即席だ。最低限の信用はするがそれ以上もそれ以下もないから」
「それは僕も望むところだ」
アーヤが普通の編入生であれば、自分を暗殺しようとした人と関係を新たに築くなんていうことはできなかっただろう。しかし、学園での出来事はアーヤ・サラクスの管轄。あれはアーヤ・レイアにとっては大した話ではなかったのだ。
「それじゃあ最初に、あなたがここに辿り着くまでの話をしてくれる? お互い状況把握が必要だからね」
「話は少し長くなるけど」
「鐘ひとつ分語り続けるような男を知っているから少し長くなるくらいなら問題ないよ」
ルークは「それなら大丈夫そうだ」と言うと話を始めた。
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