第9話

 グレンは翌朝やってきて、アーヤが夜な夜な描き上げた魔法陣を受け取ってどこかへ行った。カーレンたちとのお茶会には参加するらしいから、次に会うのは六日後になるだろう。



 珍しく何事も起きなかったこの日、アーヤは学園帰りにお茶会のためのお菓子を買いに行くことにした。


 学園からすぐの帝都の南門へ行き、そこから城下町に入る。ケランも賑わいはあるが、それとはまた違った活気があった。

 店の立ち並ぶ通りに出ると、そこは一層の賑わいを見せていた。流れに逆らうのが難しいくらいには混み合っているし、色んなところから「いらっしゃいませー!」「うちの自慢の商品今日は安いよ!」と声が聞こえる。

 北へ行くほど王宮に近づくので、南門から入ったアーヤが道をまっすぐ進んでいくと、徐々に周りの店は落ち着いた雰囲気のものになった。人通りは多いものの少しよそ見をすると人とぶつかってしまいそうな状態はもうない。


 店に入る人の服装も少し上等な生地の作りのものになっていて、平民の中の貧富の差がよくわかる。神殿があるところまでが平民街なので、このあたりに住むのは皆平民だ。


 歩いていると特に目立ったお店があった。カラフルな装飾をした看板や店内はとても可愛らしい。人気なようで、店内からはみ出て道にまで列が続いている。


 そういえばカーレンがお茶会で、帝都でゼリービーンズが流行っていると言っていたなとアーヤは思い出した。看板を見るにここがそのゼリービーンズ屋だ。


 ゼリービーンズの人気が出た理由はなんだろうと思いながらしばらくお店を見つめた。店内の装飾は若い女の子が喜びそうなものだ。他の店よりも凝っていて少し派手なくらいに飾り付けられている。そのあたりも人気の秘密かもしれない。列に並ぶのもアーヤと同じくらいの女の子が多い印象だ。

 ライバル店の偵察のごとく観察していたアーヤだったが、列に並んでいたある人物を見つけ動きを止めた。


――国境村の魔女。


 なぜ彼女が帝都のゼリービーンズ屋の行列に並んでいるのか。やはりあの年頃になると流行りのゼリービーンズというのを食べたくなるのか?


 アーヤは彼女に見つからないように顔を背けてさっさと立ち去ってしまおうとした。しかし、自ら謎解きに参加する日々に馴染んでしまったせいか好奇心が勝ち、ゼリービーンズ屋の列の最後尾に並んでしまった。国境村の魔女との間に四人の客を挟んでいる。

 アーヤは人の隙間から彼女を観察した。

 彼女はアーヤが村で見たときとほとんど同じような格好をしていて、違いはワンピースの色がピンクから紺色になっていたくらいだった。ワンピースの紺色がとても綺麗な藍染だったので、彼女の裕福さが窺える。藍染の染料は綺麗に染まるものほど高価だ。あの大きさと布の量を使ったワンピースを仕立てるのに莫大なお金がかかっただろう。


 見るからにお忍びの貴族のような格好だった彼女は、平民街から浮いて見えた。いくらここが裕福な層の集まる場だからといって、平民街で藍染ワンピースを着て歩く者はいないのだ。


 列は進み彼女は店に入った。少し遅れてアーヤも店内に入る。


 店内は色とりどりのゼリービーンズが透明のケースに入って並んでおり、外から見た時に派手だと思った装飾は実際並んでみると待たされている間に列から抜けたくなるのを防止しているようにも思えた。『ゼリービーンズの秘密』というポスターがあったりもする。ちょうど目に入ったそれには「実は製作に三日間かかる!」と書かれていた。


 商品の売り買いをするカウンターは店内で並んでいる人からは死角になっていて、国境村の魔女が買っている様子を見ることができない。カウンターへ向かった魔女を見送って、アーヤは彼女が買い終わって出口へ行くのを待った。


 彼女は短くない時間並んでいたというのに手に商品を持たずに出ていった。鞄のようなものは持っていないし、ポケットに突っ込んだわけでもあるまい。彼女は人気のゼリービーンズを買いにきたのではなかったのか。


 カウンターから「お次の方ー」と声がかかったので、店の人に彼女のことを尋ねてみることにした。


「さっきの金色の髪を二つ結びにしていてワンピースを着ていた女の子、何買ってたか覚えていらっしゃいますか?」


 頭の両側の高い位置に手をやってここでこんな感じの、と髪型を説明する。

 店員のおばさんは商品の質問ではなかったことに戸惑っていたが、「彼女の母からお目付役を頼まれていたのに離れちゃって……」と言うと貴族の事情だとでも察したのか、思い出そうとしてくれた。


 潜入調査を何度も繰り返しているせいで、成りすますことにどんどん抵抗がなくなってきている気がする。


「うーん、豪華なワンピース着た子だろう? 何買ってたっけね」


 いちいち誰が何を買ったかなんて覚えていないのだろう。こんなに繁盛していたら尚更だ。


「あの、無理言ってすみません。何か買ってたとだけ彼女の母には伝えます」

「そうかい。わるいねぇ」


 アーヤは一番人気と書かれた色々な色のゼリービーンズがミックスされたものを袋一つ分買った。おばさんは思い出せなかったことを悪いと思ったのか、黄色いゼリービーンズをおまけしてくれた。


「今日の朝の客が黄色いのを袋六つ分も買って行ってね。そのあと午前中だけで十二人も黄色を買ったんだ。黄色をこんなに売った日はなかなかないよ」


 袋に詰めながらおばさんは世間話を始めた。アーヤが商売とは関係ない話をしたせいで、普通なら気まずくならないはずの店員と客の沈黙も気まずかったのだ。


「そうなんですね。おいしそうです」

「そうかい? 四日後に新商品出すからぜひまた来ておくれ――次は青なんだよ」


 秘密だよ、と茶目っ気たっぷりに笑っておばさんは新作の色を小声で教えてくれた。



 まだ彼女が店を出てからそこまで時間はたっていない。彼女は北へ向かって歩いていったから、早くいけばまた見つけられるかもしれないと思い、アーヤは北へ早足で向かった。


 しかし、一本道のどこへ消えたのか、いくら急いでも見つけられない。お店に入ってしまったのかと、スピードを落とし、周りを注意深く見ながら歩いていると、路地の方から「お姉ちゃん!」と小さな子に話しかけられた。


 他にお姉ちゃんと呼ばれそうな人がいないか振り返ったが、通りかかったのはおばあちゃんやおじさんやだったので小さい子に目線を合わせ「どうしたの?」と尋ねた。


 子どもは古く擦り切れた服を着ていて一目で貧しいとわかる。路地裏にはスラムもあるというからそこからきたのだろう。上流の平民が暮らすこの辺りでは、この子のような子は他に見えない。花売り娘で花を買ってくれそうな人に声をかけたのかと思ったが、彼女は花を持ってはいなかった。


「これ、お姉ちゃんのだよね?」


 小さな手をアーヤの方に見せて差し出したのは少し錆びついた指輪だった。宝石がついていたりするわけではないが、リングには細かく植物や鳥の模様が入っていて凝った作りになっている。

 アーヤはこの指輪に関することを何も知らない。


「お姉ちゃん、あのお店行ったでしょ?」


 子供が指さしたのは豆のように小さくなった行列のあるお店。かろうじて見えるゼリービーンズ屋である。


「西の門から入ってきたお姉ちゃんに渡したくて追いかけていたんだけど、あのお店に入った後わかんなくなっちゃってようやく見つけたの!」


 アーヤは南門から来たのだ。やはり人違いだ。


「ごめんね、わたしじゃないよ。――そうだ、この辺にヒラヒラがついてて、ここにこういう形のリボンがあったお洋服の人覚えている?」


 ずっとゼリービーンズ屋を見ていたならわかるかもと聞いてみた。すると子どもはぱっと顔を輝かせて「あ! お姉ちゃん着替えたのか!」と言った。


 どうして急にそんな話になったのかわからない。


「どうして?」

「え?」


 まさか、国境の魔女と間違えられた? そんなことあるのかと思いながらも「二つ結びしていた女の子と間違えてるのかな? ほら、髪の毛の色とか違うでしょ?」と髪の毛をつまんで見せた。


 すると子どもは苦笑いをして「ごめんね私色を見分けるの苦手なの」と言った。住んでいるところでもみんなの言う色の違いがわからなかったりすることがあるらしい。


「そんなに似ていた?」

「これの持ち主はあんまりじっくり見てないけどたぶん似てたと思うよ!」


 アーヤはまさか彼女に間違われるとは思わなかったので、笑顔の裏で思いっきり驚いていた。


「わたしはこの指輪の持ち主じゃないけど、その女の子と知り合いだから渡しておくね」


 また彼女に会うかはわからないが、この子よりはアーヤが持っていた方が持ち主に帰る可能性は高いだろうと指輪を預かった。この子のように貧しい暮らしを強いられている人にとって、落とし物は収入源だ。特に金属類なんかは。この子のように優しい子は生きにくい世界に違いない。


 アーヤは落とし物を持ち主に返そうとした子どもに感心して「これ、代わりになるかわからないけど……」と買ったばかりのゼリービーンズを手渡した。


「ありがとう! またね!」


 女の子は大切そうにその袋を抱えると、路地の方へ駆けて行ってあっという間に見えなくなった。


「……似ているのかな?」


 魔女の子とは雰囲気や身なりが自分とは違いすぎて似ているという自覚は全くなかった。忘れているだけなのかもしれないが生き別れた姉妹が居たりする記憶はない。特に特徴的な顔かと言われるとそういうわけではないと思う。もしかしたら遠い親戚だったりするのだろうか。


 彼女のことを不気味だと思っていたが、ゼリービーンズ屋に並んだり顔が似ていると言われたりするとだいぶ認識は変わるものだなと思った。


 受け取った指輪はやはり、錆を取れば美しい一品になるだろう。だが、アーヤの指ではどの指にはめてもぶかぶかになりそうだ。背格好も似ていたからあの魔女もこの指輪をはめるのは難しいのではないだろうか。だから指からすり抜けて落としてしまったのかもしれない。




 翌日、日が登る前、アーヤは王宮へ派遣していた『影』に貴族帳簿をインストールさせていた。やり方は簡単。『影』に帳簿をくぐり抜けさせるだけ。こんなに朝早くにやらなくてはいけなかったのは、夜勤との交代の時間しか帳簿の近くから人がいなくならないからだ。


 インストールし終えた『影』を再び王宮に送り出し、アーヤは手に入れた帳簿のデータを頭から引っ張り出した。ハラン家のページをひたすら紙に書き写す。鐘半分の時間をかけて四十年分のデータを写した。


「さすがに手が痛い……」


 昨日の夜はグレンに渡す転移魔法陣を四枚描いたところで手が疲れて就寝したのだ。早起きしてすぐに再び手を酷使したので手首に疲労が溜まっている。


 椅子の背に体重を預けて伸びをすると、アーヤは今しがた書き上げた数字の羅列を大きめの封筒に入れて、それをさらに学園へ行くためのカバンに入れた。学園へ行くにはまだ時間があるため、朝からココアを淹れてのんびりとした時間を楽しむ。学者は多くの人のイメージ通りに夜型が多いのか、学園都市の朝は静かでアーヤは学園へ行く前のこの時間が結構お気に入りだった。


 そう、朝はいつもとても静かなのだ。


 しかし今日はどうも様子がおかしい。空気を入れ替えるために開けた窓から新鮮な空気よりも人のざわめきが入ってくる。ココアをのんびり飲んでいたアーヤは、至福のひと時を邪魔したその原因は何かと窓から顔を出した。


 騒ぎの中心は少し離れたところらしい。窓から顔を出すと住宅街の奥の方に人が集まっていた。目を凝らすと警備団がちょうど到着したところだった。これ以上は目をこらしても何が起きているかわからない。野次馬根性は手持ち分を不思議村に使ってしまったのでわざわざ足を運ぶ気になれず、騒ぎをBGMに学園へ行く支度を始めた。



 朝の騒ぎがなんだったのかは比較的すぐに分かった。学園で早くも噂がまわっていたからだ。どうやら住宅街の大通りで地面が陥没したらしい。大人が縦に二人並べるほどの深さで、そこまでの大きさではなかったものの周囲の家の一部が巻き込まれたりしたという。耳を塞いでも入ってきそうなくらい多くの人が話していて、アーヤは噂の広まるスピードに驚いていた。

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