第8話

 戸惑いを隠せないままアーヤは帰路についた。痛みは『影』が壊れると同時に消えた。だが、校舎から門までがやけに遠く感じた。


 歩いていれば庭師が木の形を整えているのが目に入った。彼らのおかげでいつも学園はどこの宮の庭園だと言いたくなるほど美しい景色だ。


「そこのキミ、ちょっといい?」

「わたしですか?」


 木の上から若い庭師がアーヤに声をかけた。

 木からひょいと飛び降りた庭師の発言にアーヤは凍りついた。


「ずいぶんひどい顔色じゃないか、星の使い手様?」


 これぞまさに急速冷凍。アーヤは錆びたブリキの木こりのようにギギギと首を動かして左右を確認し、庭師の腕を無言で引っ張って木の陰に押し込んだ。


「どこでそれを? ……え⁉︎」


 人違いだと言って通り過ぎればよかったかもしれないが、反応してしまったからには問い詰めなければと思い、庭師を木に押し付けて精一杯の低い声を出した。そして睨みつけようと目を合わせれば、そこにあった見知った顔に、アーヤは間の抜けた声を上げたのだった。


「久しぶり」


 笑いを堪えるのを見せつけるようにわざとらしく下唇を噛む男は、木とアーヤに挟まれたこの状況を楽しんでいるようだった。


「どうしてこんなところにいるの? 任務は?」


 押し付けていた手を退かし、パッと一歩離れて姿勢を正す。

 水色に近い銀の髪。妙に落ち着いた雰囲気。

 庭師に紛れていたこの男はアーヤと同じローザの風の使い手グレン・シラギであった。


「アーヤの家で話しても?」


 グレンは答えになっているような、なっていないような返答をして困ったように笑った。

 別々に学園を出てくることになり、アーヤは一足先に家へ入った。


 グレンがアーヤに用事があるなんて今まで一度もなかった。グレンとはほとんど接点がなく、話したことは両手で数えられるほどと、とても少なかったのだ。


 庭師の格好ではなくなったグレンがアーヤの家に着き、二人でテーブルに着くとグレンはさっそく話を始めた。


「僕がどこに派遣されたかは知ってる?」

「西の工業都市デグレエのお役所の派遣勤務、だった?」

「そうそう」

「デグレエからここは少し遠いけど手紙ではダメだったの?」

「だめな理由はいくつかあるんだけど、その前に本題に入ってもいいかな?」


 グレンが話したのは、デグレエの役所で巻き込まれた一つの事件のことだった。


「細かい部分とかは割愛させてもらうけど、僕が役人としてイエンディの視察団に同行したことがあってね、その時に色々あってバイオテロを計画する人たちを捕まえるに至ったんだ」


 序盤から繰り広げられるまさかの話にアーヤは目を丸くしながら相槌を打った。


「その間イエンディの視察団を観察していたらどうやらこの事件に裏があるらしいとわかってね、探ることにしたんだよ」


 グレンはグレンで怪しい何かを勝手に調査することにしたらしい。アーヤのしていることとなんだか似ている。


「調べていると――あ、もちろん任務のついでにだよ? 麻薬の密売まで見つかって、しかもその麻薬は昔に絶滅した植物が元になってた。その植物の出どころはまだ調査中なんだけどね」


 バイオテロに麻薬の密売に絶滅したはず植物の発見。さらにそれに他国のイエンディが絡んでいる。話がめちゃくちゃである。どこの小説だと言いたい。


「しかも問題なのは、僕のことを監視する人がいたことなんだ。なぜ監視しているかも誰に報告しているかもわからない。僕が行くよりずっと前から役所に勤めている人だったからますますよくわからなくなってくるだろ?」


 グレンは息を大きくはいて椅子の背もたれに体を預けた。


「それで、なんでわたしのところへ来たの?」

「ぼくはそうして色々しているうちにローザをつぶそうとしている人がいるという結論に辿り着いた」


 その言葉にアーヤの顔から血の気が失せた。


「それ、は、誰が……?」

「それがわかったら苦労はないよ」


 確かにそうだ。


「だから、アーヤ。キミに協力して欲しいんだ」


 ローザの危機だなんて考えもしなかった。そんなことになったらこの先どうすればいいのか。焦りとすぐにでも頷きたくなる衝動を抑え、アーヤは聞いた。


「なんでデグレエから近いデリバンのところや、頭の切れるメイのところに行かなかったの? それに、協力って何をする気なの?」


 アーヤの質問にグレンは目を彷徨わせた。


「僕は、信用できる人がキミしか思いつかなかった」


 グレンのその言葉は、つまり、アーヤ以外のローザや知り合いが信用できないということだ。


「僕のことを監視する人がいるって言ったでしょ。その人の雇い主と目的がわからない限り、僕は誰を信用していいのかわからない。でも、キミだけは違うでしょ」

「もしわたしがその人の雇い主だったらどうするの?」

「それはないよ。だってキミはそういう調査に人を使わないじゃないか」


 グレンがアーヤに対してだけは疑いを取り除くことができたのは、アーヤが調査のためにいつも派遣するのは人ではなく『影』だったからだとアーヤは気がついた。


「そういうことね。グレンの状況はなんとなくわかった。それで、何をするつもりなの?」


 三度目になる質問にようやくグレンは答えた。


「ローザを狙っているだろう人がやっている悪事を突き止めた。それの調査と対処を一緒にしてほしい」

「――わたし、今謎解きの最中なの。だから、それをするにしても時間が限られちゃうというか……」

「え?」 

 突然そんなことを言ったアーヤに、その返事は予想していなかったのかグレンはパチパチとまばたきをした。


「とはいっても、謎解きの謎すら謎に包まれていてまだ解く段階に入れてはいないんだけどね……」

「……ローザって探偵事務所か何かだったっけ?」

 ぽつりとそうもらすグレンを「そうなったらわたしは即クビ確定だよ」とアーヤは笑った。それを否定できないからかグレンの笑いは少しぎこちない。アーヤは「それに、後の二人は謎解きとは無縁かもしれないし」と話をずらした。


「そういえばさっきから気になっていたんだけど、どうしてロイセンのことを仲間外れにしているの?」

「だって、ロイセンは」


 水の使い手の危篤の手紙をグレンは読んでいないのだろうか。グレンは疑問符を浮かべて言葉の続きを待っている。


「ロイセンは危篤状態だって、お知らせがきたでしょ?」


「……そんな知らせ聞いてないけど」


 アーヤは引き出しに溜め込んだ手紙の数々の中から水の使い手の危篤を知らせる手紙を探してグレンに見せた。


「ほら、これ。ちょうど五日前にいつもの鳥が持ってきたの」

「五日前ならまだデグレエにいた。デグレエを出たのは三日前なんだ」


 本当にわけがわからない。ここ数日はおかしなことだらけだ。


「キミが今取り掛かっている謎っていうのはどんなものなの?」

「えっと、ロイセンは国境の兵士だったでしょ? それで、国境で何かあったのかなって思ってた次の日に密会を見ちゃったの。そこで国境に何かあるっていう会話をしてて、やたら国境が出てくるから『影』を送ってみたの」


 グレンは長い話を聞く体勢になって「そしたら何かわかったの?」と聞いた。


「それがまったく。次の日には送った『影』との繋がりが切れてしまったの。こんなこと初めてだから自分で国境へ行くことにした。国境の近くに村が一つあったからひとまずそこへ行って国境付近で暮らす人の様子を探ろうとしたのだけど――」


 アーヤは村で見たことを話した。それから今日、『影』が壊されたことも。

 全て聞き終えたグレンは「たしかに謎だし、ただごとではないようだね」と頷いた。

 グレンと会って『影』が壊された衝撃をいくらか忘れていたが、また思い出してアーヤは再び落ち込みはじめた。


「だから会ったときひどい顔色だったのか」


 グレンはこめかみをトントンと人差し指で叩いた。彼の何かを考えるときの癖である。


「よし、決めた」


 グレンは名案だとばかりに身を乗り出した。


「キミの謎の解決に協力しよう。僕、けっこう役立つよ?」


 国のトップレベルの魔術師をけっこう役立つという言葉で済ませていいのかは知らないが、早く終わればグレンの言っていたことにも協力できる。ローザがなくなるのは絶対に阻止しなくてはいけない。


「一週間後に謎解きに協力してくれている人たちとのお茶会があるの。その日空いていたりするかな?」


 グレンは珍しく目を見開いた後「転移魔法陣は貸してくれるの?」と言った。


 グレンはイエンディの視察団が来た時に休みを返上して仕事をしたおかげで五日間の休みをもらったらしい。今日は休みの四日目。帰りにアーヤの転移魔法陣を使う気満々なスケジュールである。基本週に三度の勤務のため、アーヤの転移魔法陣さえあれば休みの日にケランへ来て謎解きに協力するくらい余裕だという。


「転移魔法陣、描くのって少し時間かかるの。とりあえず帰りの分と次来るときの分の二枚は明日の朝までに描いておくから」


 明日の朝までに二枚と、次にグレンが来る時までに往復四回分くらいは描いておかないといけない。仕事があれば余計なことを考えなくてすみそうだ。


「さっき、国境の貴族についてと道を調べるのと、成分解析をしなきゃならないって言ってたよね?」


 アーヤがお茶を用意しようとキッチンへ行った時、不意にグレンは尋ねた。カーレンたちの話を考えていたようだ。


「次のお茶会で謎解きに使いたいんだって」

「僕、成分解析は得意な方なんだ。やってみようか?」


 アーヤも苦手なわけではないが、グレンはこういうことは人一倍得意だ。その申し出をありがたく受けることにして、奇跡を手渡した。


 グレンは着ていたロングコートの前を開いた。彼のロングコートな内側にはたくさんのポケットがつけられている。ポケットをごそごそと探って液体の入った小瓶やルーペや魔法陣の彫られた金属の板を六枚取り出した。

 少し削った奇跡と液体を混ぜたり、それを金属板に垂らしたりしていたグレンは、突然はっと息を呑んだ。


「……これ、エセナリン入ってる」


 アーヤは聞いたことのない名前にお茶を注ごうとした手を止めた。


「エセナリン?」

「さっき、麻薬の密売の話したでしょ?」

「麻薬の元が絶滅したはずの植物だったって言ってたよね」

「そうその通り」


 アーヤはこの話の流れから不吉なものを感じざるを得なかった。


「まさかそれがエセナリンだって言いたいの?」

「そう、その通り……」

「……そんなことってある?」


 グレンが調べた結果、この奇跡とやらはエセナリンの花粉とアーリアの種の中心部とベーガンという岩石の粉末が主な素材らしい。それらを魔術で固めている状態で、術者の魔力も素材の一つとして考えた方が良いとグレンは言った。


「岩石の粉末って体内に入れていいものなの?」


 アーヤの知る限り食用の岩石は存在しない。ベーガンは白地に黒の斑点がある岩石で、建物の土台に使われたりもする頑丈なものだ。粉末にするのも大変だろうにそれを食べて健康に害はないのだろうか。


「この原材料からして奇跡っていうのは体に有害ではあるだろうけど、ベーガンなんて誰も食べようとしたことはないしなぁ」


 グレンがそれぞれの材料の特徴をアーヤに説明していく。

 アーリアの種は鳥が食べないよう毒が仕込まれているが、中心部分には毒はなく魔導具の術式と道具のつなぎに使われるほど魔力伝導率が高い。エセナリンは根の部分が麻薬の材料に使われていたが、今のところ花粉の効果はわからない。ベーガンは建築材料に使われる硬いが粘度の高い岩石で、比較的安価で取引されている。


 アーリアの説明は今日ハラン教授がしていたものとほとんど同じだった。教授は「魔道具に利用するために近年過剰採取していて数が減ってきている」と言っていたか。アーヤは真面目にとった授業ノートを思い浮かべた。


「聞いているとなんだか魔道具の材料だと勘違いしてしまいそう」

「僕も食用だとは俄かに信じ難い」


 アーヤとグレンは顔を見合わせて少し笑った。


 しばらくして真面目な顔にもどったグレンは「アーヤはデグレエでの事件と今回の奇跡は繋がっていると思う?」と聞いた。


「今の世の中どんなルートで物がまわっているかなんて考えてもキリがないし断言はできない。でも、さすがに無関係ではないよね」

「植物の出所がわかるかもしれないしやっぱり僕も本腰を入れて協力するよ」


 絶滅していたはずの植物が同じ時期に離れた場所で使われていることがわかったなんて偶然の一言では言い表せない。ただの不思議な村の調査がバイオテロやら麻薬の密売やらと絡んできてしまうなんてまったくの想定外である。


 それに、この村のことを調べていればローザを潰そうとしている人物に近づけるかもしれない。



 絶対に、絶対にローザを守らなくては。



 思わぬ方向に広がってきた問題に、痛くなかったはずの頭が再び痛くなってきた気がした。

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