第7話

 アーヤがお茶会を開いていたちょうどその頃。

 王宮では後に第一回エネルギー会議と呼ばれるようになる緊急会議が行われていた。


 現在帝国の主なエネルギー源は九割方が色油しきゆ。色油は紫気岩しきがんという岩石から生成する油で、紫気岩はカラトン山やS4といった山や、赤凌地帯と呼ばれる紫気岩の岩盤地層が地下にある地帯で採掘される。紫気岩には赤茶と赤紫と紫の三色があり、紫に近くなるほど色油の素となるLFという物質が高密度になっていて質が良い色油を取ることができた。


 紫気岩は高圧力をかけると液化する性質があり、その液化したものを紫油しゆという。これは微弱な振動を与えると固体化してしまうため、薬品などを用いて液状を保たせる。これが色油である。


 ただ、一般的に流通するのは赤紫の紫気岩で、赤茶のものは低品質として安値で細々と流れ、紫のものは富裕層のある種の特権・ステータスとして必要以上の高値で取引されていた。


 これまでじわじわと引き上がっていっていた色油価格だったが、高騰の勢いが増し、帝国内で混乱が起こることが予測されるようになると、静観していた各家も動かざるを得なくなった。有力貴族による紫気岩の買い占めがおこったのである。


 この事態を重く見た皇帝はまずラッツ家、ジュレイム家、リダレット家の三家を呼び、話を聞くことにしたのだった。


 赤凌地帯を領地に含むラッツ家やジュレイム家、そこに独自に製油技術を開発して台頭してきたリダレット家。この三家が今のエネルギー市場の中心である。


 集まった三家の当主は横並びにソファーに腰掛け、帝王が口を開くのを待った。ラッツ家の現当主ティニモウス・ラッツは帝王の古くからの友人であり忠誠を誓った家臣である。ティニモウスはなかなか口を開かない皇帝の目をじっと見つめた。


「本日其方らを集めたのは色油についての現状を説明してもらうためだ」


 皇帝はわずかに目を細め、足を組んだ。威厳ある口髭や鋭い目つきも相まって威圧的攻撃的に見えるが、ティニモウスはそれが、皇帝が集中して物事を判断するときのただの癖だと知っていた。


「申し上げます」


 ジュレイム家当主ザラバリアン・ジュレイムは色油の価格高騰は赤紫の紫気岩の保有層が途切れ赤茶の、それもほとんど茶色に近い紫気岩の層にぶつかり、掘り進めても赤紫の層が出ず供給量が減ったためだと話した。


 ティニモウスの領地でも似たようなことが起きている。何十年も大量に採ったつけであると考えられると言ったザラバリアンにティニモウスも賛同した。


「申し上げます」


 リダレット家当主ヨヌセス・リダレットが続いて口を開いた。


「先週の地震により我が領地は大きく被害を受けました。半数の製油工場が全壊、もう半数も復旧にしばらく時間が必要な状況でございます」

「ふむ。確かに報告を受けている」

「リダレットから供給している色油は全体の三割ほどでございますが、この地震の被害により供給がストップしてしまったため価格高騰に拍車をかけてしまったかと」


 先週リダレット領を襲った地震。揺れが大きかったにもかかわらず被害地域の範囲は領地の半分ほどにとどまった。リダレットは帝都と隣接しているが帝都では揺れを感じなかった。


「申し上げます」


 ティニモウスは二人が十分に現状説明をしてくれたため、懸念事項を伝えることにした。


「色油の供給自体は数週間で概ね元に戻るでしょう。しかし、今回の件は国民に不安を与えると同時に派閥争いに油を注ぐものとなると予想されます」


 ティニモウスはエネルギー市場を第一派閥が独占していることに不安定さを感じていた。リダレットの台頭で第二派閥も食い込んだが、第二派閥は第一派閥に非戦宣言をしているためリダレット一家のみではあまり変化にはならなかった。第三派閥、第四派閥がこの状況を好ましく捉えていないのはわかっていたし、この期に第一派閥の勢いを削ぎたいのか彼らがひそひそと動いているというのも耳に届いていた。


「ふむ」


 皇帝はティニモウスに続きを話すよう促した。

 ティニモウスは第三第四派閥が動き出していると伝えた上でこのままでは民も巻き込んだ内乱をも招きかねないと言った。


「ほお?」


 片側の眉を上げ皇帝はニヤリと口角を上げた。


「内乱にまでなると申すのか?」


「色油は既に我々の生活に必要不可欠なものになっております。そのためそれがなくなることによる不安も大きい。しかし、こうしている間にも紫気岩は買い占められ、本当に必要とする民に届かなくなることも時間の問題でしょう」


 ティニモウスは横目でザラバリアンとヨヌセスの反応を見た。考えていることはどうやら同じようで小さく頷いている。


「色油の供給が戻ったとして、ただそれだけでは人の不安は消えません。これが常に必ず手に入るものという認識ではなくなるからです。経済は滞り、余裕のない生活に民は不満を持つでしょう。しかし、貴族は今、民を治める義務よりも先に貴族間での争いで勝つことに躍起になっている」


 不満や不安の積もった民と自らの野望をこれ幸いと押し進める貴族。本来であれば簡単に諌められるはずの反発に対応が遅れて各地で一揆が起きたり、もしくは民の怒りの矛先をずらすために貴族が率先して争いを進めたりすることもあるかもしれない。過去にはそうして滅びた王朝もある。


「紫気岩の早期確保とともに派閥争い緩和の対策、国民への経済政策も行うべきかと」


 皇帝は満足げに頷き「ラッツ公の申す通り確かに我もその危険性はあると考えていた」と言った。

 しかし、一拍置いて次に皇帝が言ったのは、派閥争いに皇帝は関与しないということだった。




******




 今日のアーヤにはちゃんと目的がある。わざわざ午後から登校する気になった理由はこの日の時間割にあった。


 今日の授業、帝国地理の担当教員グリス・ハランの実家は辺境伯だ。それもあの村のある国境側の。


 ハラン教授の授業はフィールドワークも多く生徒からの評判も良い。ハラン教授の前の帝国地理の先生は生徒受けが悪かったようで、卒業生も今の学生が帝国地理を楽しく受けている様子を聞いては驚き、羨ましがっているのだとか。


 今日は一ヶ月後に行われる大規模なフィールドワークのための事前学習をすると前回聞いていた。


 教室のドアを開けると、殆どの生徒たちは着席していた。アーヤが慌てて自分の席に座ったとき、ハラン教授が入ってきた。


「今日は授業の前にまず、残念なお知らせをしなければならない」

 教壇に立ったハラン教授は少し伸びた前髪を右にさっと払った。


「来週予定していた『エネルギーと環境』のワークショップだが、延期することになった」


 生徒たちは残念な知らせと聞いてどんなものかと身構えていたが、大して楽しみにするようなものでもなかったワークショップの延期だと聞き力を抜いた。変に深刻そうな話し方をしないでほしいという心の声が、何人かの白けた目線から聞こえてくる。


 アーヤはその日カーレンたちとのお茶会の予定で休みになるため、延期であれば聞くことができると他の人と理由は違うがどちらかと言えば残念とは思わない側であった。


「教授、なぜ延期なのでしょうか」


 唯一ハラン教授の残念なお知らせをしっかり残念がった女子生徒が手を挙げた。


 ハラン教授は人差し指で頬をかいて「あー……」と一瞬言葉に詰まった様子をみせた。


「講師に来てくださる予定だったマクホン・ホノ殿が体調不良なのだそうだ。本人から先ほど連絡があった」


 一週間後の予定にも断りを入れるほど重病なのだろうか。生徒たちはワークショップが延期になったことよりも講師の病について関心を引かれたようだった。ざわざわと話し声が起こることはなかったが、それでも教室の雰囲気はそわそわとしている。


 ハラン教授はわざとらしく咳払いをして生徒たちを咎め、「では授業を始める」といつもより少し大きな声で言った。


「次のフィールドワークで行く東の山S4は――」


 アーヤは教授のよく通る声を聞きながらどこか様子のおかしいハラン教授を観察していた。


 何がおかしいって、彼の服装である。


 ハラン教授はいつも寄れたシャツに膝当てをした長ズボン。たまにベストを着ていたりするが、それもどこか古くさい。教授はオシャレなんかしていたらすぐ汚れてしまうからこれくらいでいいんだとよく言っていた。


 しかし今日のハラン教授は今帝都で流行っている最新のジャケットに襟付きのシワひとつない光沢のあるシャツ。ズボンはジャケットと同じ生地の細身のデザインのものだ。さらに赤いネクタイには鳥のシルエットの、美しいネクタイピンまでつけている。


 別にコーディネートがおかしいとかそういう話ではない。ハラン教授がそれを身につける心変わりが起きたことが不思議なのだ。


「――サラクス君、マーキン君、聞いているか?」


 ノートを取る手が止まっていたらしい。アーヤとマーキンと呼ばれた男子生徒はそろって首をすくめた。


「さて、そのあたりで出てくるのはアーリアという植物だ。これは――」


 今度こそ真面目にノートをとって授業を聞いた。S4の植生を語るハラン教授は、服装以外はやっぱりいつもの教授だった。


「――次の授業までに各自S4の植物を一つ選んで調べてくるように。それとマーキン君。話があるから来てくれるか?」


 ビルド・マーキンは常に眠そうな目をした小柄な少年で栗色の髪はあっちこっちにはねている。ハラン教授に呼ばれたビルドは面倒だと思っているのを少しも隠さずついて行った。


 そのときだった。


 アーヤの頭に何か硬いもので強く殴られたかのような衝撃がはしった。


 後ろを振り向く隙もなくアーヤの意識は闇に落ちた。




******




 嫌な夢を見た気がする。


 生々しかった夢は現実のことのようにしか思えなかった。でも、何がどういう夢かといわれると思い出せない。


 アーヤは天井を見つめてしばらくぼうっとしていた。


「目が覚めたか」


 声をかけられてアーヤはようやく現実に引き戻された。


 医務室のおじいさんは白衣のシワを伸ばしながらアーヤの寝ていたベッドの横へ来て脈を測った。


「あの、わたしはどうなったのでしょう……?」


 状況を思い出したはいいが、何が起きたか正直アーヤはよくわかっていなかった。


「教室で突然倒れたと聞いたが?」


 アーヤは「え?」と小さく口から声を吐き出した後、はっと原因に思い当たった。しかし、でもなんでそんなことが、とアーヤの頭の中は、今度は別の疑問でいっぱいになった。


「お前さんの体に異常はなかった。寝不足か?」

「……えっと、そうだと思います」

「少ししたら家帰って今日はぐっすり寝るんだぞ? ……まったく最近の学生は」


 やれやれと言いたげな様子で部屋を出て行く。部屋に残されたアーヤはひたすら困惑するしかなかった。


 ――わたしの『影』を壊した人がいる。

 アーヤの『影』は今まで誰にも壊されることはなかった。それは、『影』が見つからなかったというのもあるが、見つかったとして攻撃されてもそう壊れる代物ではないからだ。


 壊れたのは学園に送った『影』。

 『影』を壊した人物が学園にいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る