第6話

 領主様はすぐに見つかった。村の人々が囲う中心にひときわ豪華な服でいたからである。


 村人に「領主様!」と呼びかけられ笑顔で手を振っているのは白髪の子どもだった。歳は七、八歳くらいだろうか。


 その両脇に二人控えている。片方は王国の貴族令嬢が普段着に着るような豪華なワンピースのようなものを身に纏い、長い金髪を頭の両サイドの高い位置でくくった、アーヤと同じ歳くらいの女の子。もう片方は騎士の正装に近い格好をした三十くらいの男である。


「領主様、今日のお恵みを!」


 領主様を囲む人々は皆、神を崇めるような目で領主様を見ていた。青年と話した時に宗教のようだと思ったのはあながち間違いではないかもしれない。


「焦らずとも、今与えよう」


 子どもの高い声は、そこらの大人に負けない迫力と落ち着きがあった。その一声で村人は静まり返る。そして、手を上に上げた領主様が「あわれな者に救済を」と言うと集まった人々の手には新鮮な野菜や果物、肉魚、といった贅沢な食料が現れる。その瞬間、「領主様!」「領主様!」とわれるような歓声が上がった。


「領主様に感謝を」


 領主様の隣にいた女の子が静かにそう言った。決して大きな声ではなかったが、その一声は村人に響いたようだ。村人たちは「我らの命をもって領主様に感謝を」と口を揃え、首を垂れた。


 まるで宗教画の一枚のような光景。


 そしてその最後尾には、アーヤが生み出したはずの老人の『影』の姿があった。

 『影』も普通の老人と同じように食料をもらい、領主様を崇めている。


『影、聞こえてる?』


 試しに念じても『影』からの反応はない。

 領主様が去ると、村人たちはそれぞれの家に入っていく。『影』も迷わず家へ入ってしまった。


「一体、どういうことなの……?」


「それは、あなたの知るべきことではありません」


 独り言に返答が来たことにアーヤはビクッと体を震わせた。今アーヤは外から認識されにくいはずなのに。


「自分だけが特別だとお思いにならない方がよろしいわ」


 声の主は憎らしげにそう言う。

 どこかで聞いたことがある声だと思ったら、ついさっき領主様の横で「領主様に感謝を」と言った少女である。


 ひとまず撤退したほうがよさそうだ。

 少女がアーヤを捉える前にアーヤは素早く指を切り魔法陣に血を垂らした。


「また会いましょう、魔女さん」


 アーヤを取り逃したことを悔しがる素振りもなく、アーヤが消える直前、少女はそう言って笑った。その笑顔はとても美しく、しかし、得体の知れない不気味さがあった。



 逃げ帰ってきたアーヤは変装も解かずしばらく考え込んだ。


 村の青年に声をかけられた時には既に『影』はいなかった。門をくぐる前は話していたから門に何か仕掛けがあったりしたのだろうか。そうだとしたら影が領主様とやらを崇める一員になった理由はなんなのだろう。そもそもあの胡散臭い宗教のようなものはいったい何なのだ。あんな大勢に立派な食べ物を配るとかどういうトリックなのか。


 あれは魔術なのだろうか。しかし、何もないところにものを生み出すのはメイの固有能力ではなかったか? 


 アーヤが思考の沼から這い上がることができたのは帰ってきてから鐘ひとつ分過ぎてからだった。


 鐘は日の出を一つ目として一日に十二回町に響く。


 開けっ放しの窓から風が吹き込み、机の上に置きっぱなしだった本のページがパラパラとめくれ、ペンはコロコロと転がって机から落ちた。その音でようやくアーヤは思考から解放されたのである。


 アーヤは落ちたペンを拾い上げ、机に向かった。引き出しから新調したばかりのインクを取り出して白い便箋にペンをはしらせる。



拝啓

新しい緑が芽吹き風の精エルターニが舞い踊る季節となりました。いかがお過ごしですか。

さて、かしこまった挨拶はこのくらいにしてさっそく本題に入らせていただきます。本日私が散歩のために赴いた村にはどうやら宝が隠されているようなのです。惜しくも金色の妖精に阻まれてしまい真実にありつくことができなかったので、あなた様のお力をお貸しいただければと思い便りを送らせていただきました。つきましては、明後日不思議なお茶会を開催いたします。そちらの方でお話しできれば幸いです。

お返事お待ちしております。

敬具

アーヤ・レイア

帽子屋のカーレン・サグナン様

白ジアのユーメル・サグナン様



 アーヤは手紙を一気に書き上げると、何回か折ったり開いたりを繰り返して不思議な形を作り出した。それが終わると、先ほど手紙を書くときに使ったインクとはまた違ったインク瓶を取り出して簡単な魔法陣を描いた。


 窓から身を乗り出し、腕を少し引いてサッと手紙を飛ばした。窓の外に滑らかに飛び出た手紙はちょうど吹いてきた風に拾われ飛んでいく。


 アーヤが手紙を送った相手、カーレンとユーメルの元へ飛んで行ったのだ。


「お茶会の支度、しなくちゃ……」


 アーヤが手紙を送った相手は、アーヤの数少ない信用できて仕事のできる知り合いなのだが、少し独特な兄妹だ。


 童話を好むあまり童話にのまれてしまったメルヘンな人たちと言うとわかりやすいか。

 

 彼らの好きな物語の一つである不思議な世界を冒険する話に擬えて、手紙やお茶会の挨拶では、兄のカーレンは帽子屋のカーレン、妹のユーメルは白ジアのユーメルと呼ばなければならない。


 白ジアというのは耳の長い小動物ジアの白い個体のことだ。とても可愛らしい見た目をしているが、凶暴な一面もある。


 ちなみに彼らが言うにはアーヤは物語の主人公の姉なんだとか。


 日も暮れかけているため買い物は明日でいいかとアーヤは思い、ひとまずお茶会のための部屋を整えることにした。不思議なお茶会の場所はいつもアーヤの住む山奥の崩れかけた家の一室だ。今アーヤの使っている家は暖炉で山奥の家と繋がっているため、さっさと山奥の家へ行きお茶会の部屋の埃を払った。



 アーヤが手紙を出した日から二日後。不思議なお茶会が始まった。ちなみに学園は体調不良で欠席である。


「お久しぶりですね、帽子屋のカーレン、白ジアのユーメル」

「お招きいただき光栄です、不思議な国のアーヤ」

「招待状をいただいた日からとても楽しみにしておりましたわ」


 交わされるのは毎度お決まりの挨拶だ。カーレンはたびたびアーヤのことを不思議な国のアーヤと呼ぶ。主人公の姉と言ったくせに、とアーヤは思うが、こういう点に関しては強いこだわりがあるようだから文句をつけてはいけないと知っている。


「お茶会を始めましょう」


 いつも通りアーヤのその一言で三人は席についた。


 テーブルに並ぶのはフルーツのたっぷり使われたケーキや、クッキー、色とりどりのマカロン、宝石のようなゼリー。それぞれの目の前に置かれたカップはカーレンにはコーヒー、ユーメルには紅茶、アーヤはココアが入れられている。とても豪華なティータイム。


 ……しかし、この中で食べられるのはそれぞれの好きな飲み物とクッキーと赤色のマカロンだけ。


 お茶会の度に三人では食べきれない量のお菓子を用意するのはお金も時間も食べ物ももったいない。そこでアーヤは食べ切れる分だけを用意して、テーブルの余ったスペースは幻のお菓子でうめているのだ。「本日のおすすめはクッキーと赤いマカロンです」とアーヤが言えば、二人は本物のお菓子がそれだと察し、手に取る。


 二人にとってお茶会というのはポーズにすぎないため、雰囲気さえあればすべて幻でも構わないらしい。


「最近帝都ではゼリービーンズとやらが人気なようだけど、食べたことはあるかい?」


 今回のお菓子に不満があったのか、流行に敏感なカーレンのただの雑談なのか、カーレンはマカロンを一つ手に取りながらアーヤに尋ねた。ゼリービーンズというのを食べたことがなかったアーヤは「食べたことはないけど、食べたいの?」と聞いた。


 だが、カーレンはただの世間話のつもりだったのか、食べたいとも食べたくないとも言わずに「まあ、気にはなるかな」と微笑を浮かべた。


「さて、アーヤは今回どんな冒険をしてきたのかな?」


 カーレンはコーヒを一口飲んでからそう尋ねた。


「今回は本当に不思議の国に迷い込んだかのような冒険だったの」


 アーヤは国境村であったことを正確に語った。カーレンとユーメルはふざけたごっこ遊びをしている人とは思えないくらい真剣に――彼らにとってはあのやりとりも真剣なのだが――ふむふむと話を聞いていた。


 アーヤが一通り話し終え、ココアに口をつけると、ユーメルが口を開いた。


「アーヤさんは今回の冒険の不思議は、いったいなんだと思っていらっしゃるの?」


 ユーメルの言う不思議とは、謎の真相に迫るための鍵のことだ。


「私はやっぱり領主様の存在だと思う」


 アーヤはすぐに答えた。あの日鐘ひとつ分悩んだのも無駄な時間であったわけではない。


「あ、でも、領主様というより、領主様の従えていた魔女かな」

「なぜそう思うのかしら?」

「魔女はわたしに『自分だけが特別だとお思いにならない方がよろしいわ』と言ったの」


「特別というのがアーヤの魔術に対することだとしたら、それと同じような力を持っていると解釈できるよね」

 カーレンが口を挟む。


「その通りだと思う。だから、影と同じようなことができるのだと仮定して考えてみたの」

「いい着眼点だと思うわ」


 ユーメルはあらゆる出来事からヒントを見つけることが得意である。ユーメルの見つけたヒントは多くの問題を解決に導く。


「『影』って内部で空間を切り離すでしょ? だから、それと同じようにしてあの村は作られたんじゃないかと思って」

 アーヤの突飛な意見にカーレンは驚いた様子もなく説明を促した。

「村を?」

「実現可能かと問われると正直無理だとは思うんだけど、そう考えたらいろいろ辻褄は合うし」


 『影』たちがあの村でアーヤから切り離されて自由になったことも、『影』に潜っていたアーヤをいとも簡単に見つけられたことも、『影』に潜った途端に正気になったことも説明がつく。


 アーヤの話したことは全てが憶測の域に過ぎない。しかし、彼らはそれをそんなことはあり得ないとすぐに否定せず、毎回じっくり考えて意見をくれる。


 ユーメルは顔に触れた茶色い髪の毛を耳にかけた。


「そこまで有能な魔術師がいるとしたら噂の一つや二つあってもおかしくはないわよね。それなのに彼女の存在をはじめて聞いたわ」


「でも、もしそうだとしたら」

 カーレンが話し始めた。

「そうだとしたら、それはとても厄介だ」

 カーレンはクッキーを綺麗な手つきで口に運んだ。


「もうすでに厄介なんだけど」

 アーヤは分かりきったことを言わないで、とため息を吐いた。


「そうだね。もうすでに厄介だ」

 カーレンはアーヤの胡乱な目つきをさらりとかわす。

「でも僕はね、その村はただの始まりに過ぎないと思うんだ」

「アーヤが持って帰ってきたという奇跡とやらとご馳走はここにあるかい?」


 アーヤは村へ行ったときに腰につけていた袋をカーレンに手渡した。


「詰め込んだ食べ物はなくなっちゃったの」

 

 アーヤは他人事のように言った。アーヤは果物やら肉やらを袋に入れたはずだったが、帰ってきてみればそこに入っていたのは果物のヘタや肉の小骨。確かに袋に食べ物が入っていたと申し訳程度に説明してくれるほどのものしかなかったのだ。


 唯一、奇跡と呼ばれていたものはそっくりそのまま残っている。


「ユーメル、どう思う?」


 袋の中身をカーレンがユーメルに見せた。


「今日の不思議はここから」


 ユーメルはそう呟いた。


「七日後にもう一度お茶会を」


 カーレンがそう言ったら何か調査の始まりである。

「七日後までにお茶会の小道具は必要?」

「手紙を出すからそれを集めておいてくれるかい?」


 カーレンとユーメルはアーヤに手を振って帰って行った。


 不思議な村に行ったせいか、カーレン達と不思議なお茶会をしたせいか、彼らが帰ってからもアーヤの頭の中は不思議の国へトリップしていた。村から帰った日のように壊れた蓄音機さながらに言葉を垂れ流すことはしなかったが。



 お茶会の後片付けをしていたアーヤの元にさっそくカーレンとユーメルから手紙が届いた。手紙と言っても彼らから来るのは次のお茶会までに用意しておかねばならないものの一覧である。しかしこんなに短い時間では家にたどり着かないだろうに相変わらず仕事が早い。


 アーヤは彼らがどこに住んでいるか、普段どのようなことをしているか詳しくは知らなかった。知っているのは山にあるアーヤの家から南西の方角に住んでいるということだけ。アーヤと彼らはあくまで不思議の国で偶然出会ったお茶会のお客様同士なのだった。


・国境を収めている貴族についてとその貴族の帳簿

・村に繋がる道が接する他の街のリスト

・奇跡の成分表とそれに類似するものの一覧


 それが次のお茶会までにアーヤが用意すべき小道具らしいそれらはほとんどアーヤの考えていたものと同じであった。


 貴族の財産について知るには王宮の財政管理局に保管されているデータと、貴族の屋敷にあるだろう裏帳簿を見なくてはならないが、それ以外は自力でどうにかなるものだ。


 アーヤはチラリと窓から覗くお日様を見て、お茶会は午前中で終わったし午後から学園に行こうか、それともカーレンたちからのリストの小道具集めをしてしまおうかと悩んだ。


 たしか今日は午前中は選択科目で、午後は魔術理論と帝国地理だったか。


−−学園へ行こう。


 テーブルをあらかた片付けたアーヤは暖炉を潜ってケランの家へ戻った。着ていたよそ行きのワンピースを脱いでいつも学園へ着て行っているワンピースを着直す。


 アーヤが学園に行くことにしたのは、小道具集めのためにもなると考えたからだった。協力してくれるカーレンとユーメルが心置きなく舞台で舞えるように小道具係は走り回るのみである。

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