第2話

 新学期初日、潜入調査開始一日目。


 任務を言い渡されてからわずか五日後である。学園の門をくぐったアーヤは、顔見せの時に言われていた通り、理事長室に向かった。新学年が始まるタイミングで編入してきたのはアーヤ一人のようだ。理事長室から出てきた男子生徒と入れ替わるように中に入る。編入生自体が珍しいらしく、その様子を見た生徒から様々な噂が広まった。


 アーヤはプラチナブロンドに大きな薄い水色の瞳の少女だ。どこからもれたのか、病弱であるという設定も広まり、誰かが『伯爵家の隠していた妖精』と物珍しい編入生のことを例えた。それを聞いた別の者が伯爵は彼女に特殊な能力があるから今まで隠して育てていたのだと言い、また別の者は神隠しにあっていたのだと言った。


 そうしてアーヤが理事長室で挨拶を終えて出てくる頃には、既に編入生は訳ありであるという噂がいくつも飛び交うことになってしまったのである。


 クラスに案内されたアーヤは何度か練習した通りに挨拶して、指定された席に着いた。アーヤを見る前に噂を耳にした生徒がほとんどで、拍手をするクラスメイトの多くはアーヤを見て噂の真偽を確かめようとしていた。


 クラスの担当教員が進級おめでとうと話すと、新学期早々授業が始まった。新学期初日といえども通常の授業日と変わらないらしい。


「前年度の終わりにフクテイ文学期のサラ誌に触れたと思うが、今日はその続き、ナンゼフ文学についてだ」


 アーヤたちのクラスは古典文学からだった。帝国の古典文学に触れる機会は少なかったので、聞いているのは面白い。学園に潜入するとこういう特典もついてくるのか、とアーヤはノートを広げながら思った。


「ナンゼフ文学とは、通常の文学作品とは一風変わったもので『サイハの音か 空は明 露に濡れ咲くか』というような短文が重なった作品だ」


 サイハというのは今も伝え継がれる海の神の笛の名前だ。サイハの音が聞こえると嵐が来ると言われることもあれば、サイハの音が聴こえると大漁だと言われることもある。王国でも海の神のサイハの音の伝承は大抵の人が知っていた。


「今の例は特に有名なもので、七音・五音・七音の一般的な型だが、七音・三音・九音のものもあり――」


 アーヤはほんの少しだけ緊張を解き、そのかわりに授業を楽しんだ。アーヤとしては任務を楽しむなど言語道断。気を引き締めて臨まねばならない。それでも、一般的な教育を受ける貴重な機会は、今後の任務にも役立つからと理屈をこねるだけの価値がアーヤにはあった。普段からアーヤが考えている、知らなくて良い知識などない、いつかどこかで何かしらに役に立つ、という持論もその気持ちを後押しした。



 アーヤ以外の生徒は去年から参加している授業外活動の場所へ行くために、それぞれ教室を出て行く。強制参加ではないようで、半分弱の生徒は参加していない。アーヤは理事長から自由に授業外活動の見学をしていいと言われていたので、今日は様子を見るつもりだったが、任務にあてる時間を減らさないためにも参加は辞退する予定だった。


 アーヤが校内図を見て考えていると「ご案内しましょうか?」と声をかけられた。その口調はどこか戯けたような雰囲気がある。ありがたい申し出ではあるものの、特にいく場所も決めていない。


「まだどこへ行こうか迷っているので大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


 しかし男子生徒はアーヤが断ったことを綺麗さっぱり聞き流した。アーヤ自身、それまでのやりとりがなかったと錯覚するほどだった。

 そして、男子生徒は「君って噂の編入生だよね?」と尋ねる。きっとこっちが本題だったに違いない。


 このあまりにも美しい――聞き流しコンテストがあったら満点で優勝しそうな流れにアーヤもさらりと乗せられてしまった。


「噂というのはわかりません。ですが、本日からこの学園に編入してきました」

「妖精だというのは間違ってはいないのかな?」


 帝国の妖精は美しく愛らしいが悪戯好きで、無慈悲な一面を持つと描かれることが多い。それは一体どういう意味だと思ったが、アーヤも負けじと聞き流しコンテストに挑んだ。


「そろそろ帰ろうかと思います。ありがとうございました」


 終始意地悪そうな笑みを浮かべてアーヤの奮闘を見ていた男子生徒は、面白そうに「これからまわるんじゃなかったの?」とアーヤをからかった。


 完全に初戦敗退だった。


「……少し気が変わってお茶が飲みたくなったのです」


 まだ敗者復活枠がある。めげるな私、めざせ優勝旗、と心の中で自分を励まして生き残りをかけたが、歴代最強のコンテスト優勝常連には敵わなかった。


「それなら僕の活動場所にいいお茶があるから、見学ついでにおいでよ」


 結局目の前にあった部屋にあげられ、気がつけばお茶をご馳走になっていた。


「今ちょうど一人メンバーが足りていなくて、もしよかったらどうかな?」


 そもそも彼が何の活動をしているのかも知らないし、任務に差し支える予感しかしない。さすがに、いくらなんでも、ここでは流されないぞと強く思ってアーヤは口を開いた。


「せっかくですけど、お断りさせていただきます。まだ一つも活動を見ていないのですぐ決めるわけにはいきませんから」


 アーヤがお茶のカップをテーブルに置き、立ち上がろうとした時、部屋に三人の生徒が入ってきた。男子生徒と女子生徒二人だ。入ってきてアーヤを見るなり男子生徒が険しい顔をした。


「会長、おそれながらこの女子生徒は一体……?」


 会長、と聞いてアーヤはこの団体が何かを理解した。代表生徒会である。学園内で会長という呼ばれ方をするのは代表生徒会のトップだけなのだ。研究会のトップなどは研究長と呼ばれる。それを事前資料で見たときは、どの団体でも会長なのに、とアーヤは思った。


 現在の代表生徒会の会長はラファイエ・サラ・エーガン。ラザール帝国第三皇子だ。外交を拒む内気な皇子様という噂はどうやら間違っているらしい。

 

「新しく入ってくれる書記さんだよ」


 聞き流しコンテスト優勝者もといラファイエは悪びれもせずそんなことを言った。一体いつの間にアーヤは書記になったのだろうか。


「なぜこの女子生徒なのでしょうか。このように重要な取り決めは厳正なる審査によって決めるべきです!」


 まったくその通りだ、とアーヤも思う。


「まあ落ち着いてよ」


 やはりこの皇子様とは気が合わなさそうだと考えたアーヤからはいくらが冷たい空気が滲み出はじめていた。


 別にコンテストに負けたからではない。惨敗だったから次は勝ちたいなどとは断じて思っていないが、それでも顔が多少引き攣ってしまうのは仕方ない。

 本人を置いて勝手に決めないでほしい。


 女子生徒の一人がアーヤを一瞥してラファイエの方へ向き直った。生粋のお嬢様といった雰囲気で、笑顔であるのに器用に目だけが冷ややかだ。


「少なくともまずエレン様やリーリア様からお声がけすべきではないでしょうか」


 ラファイエは視線をその横にいた、部屋に入ってから一言も口を開いていなかった女子生徒に向ける。光沢のあるストレートロングヘアが印象的な人だ。


「リンエイ会計はどう思う?」

「私は殿下が決定なされたことに従うまででございます」


 リンエイ会計と呼ばれた女子生徒は淡々と答えた。他の二人がラファイエの学友という雰囲気なのに対して、彼女だけは殿下の忠実な家臣というような雰囲気。


 しかしこのままでは本当にラファイエが話を推し進めかねない、と思ったアーヤは、ピリピリした空気の中で腹を括った。


「あの、すみません」


 四人の目が一斉にアーヤに集まり、居心地の悪さを感じながら一息で言い切った。


「わたし、入るなんて一言も言っていないんです。辞退させてください」


 アーヤのことを反対していた男子生徒と女子生徒はあたりまえだというような顔をしていた。リンエイ会計と呼ばれていた女子生徒は表情が変わらず読めないが、ラファイエさえ納得すればどうなっても構わないのだろう。


「彼女もこのように言っていますし、新しい書記は私が責任を持って探し出しますので」


 男子生徒はそう言ってアーヤに帰宅を促した。代表生徒会には近づかないようにしようとアーヤは心に決めて部屋を出る。他の活動を見る気力もなくなり、そういえば聞き流しコンテストは逆転勝利でいいだろうか、と変なことを考えながら帰宅した。



 学園都市の仮住まいに戻ったアーヤは、任務のために必要なことを考えていた。


 アーヤは無意識にロケットペンダントに手をやる。手に入れた経緯は忘れてしまったが、ローザになる前にはすでに首に下げていたように思う。アーヤにはどういうわけだかローザになる前の、十二才以前の記憶がなかった。


 ココアを一口飲んで、アーヤは任務内容の封筒の中身を思い返した。


 Ⅰ 帝国の未発表の知識・技術の入手

 Ⅱ 帝国民の情報を一括管理するホールへのアクセス

 Ⅲ 帝国の派閥争いへの介入


 任務にあった帝国の派閥争い。これは学園内でもあるものらしい。学園はただの子どもの集まりではなく、この国の縮図のようなものだった。一歩学園に入っただけでおおよその内情がわかるのだから、任務三つ目に関しては簡単に解決の目処がつきそうだ。


 帝国の未発表の知識や技術は学術都市内に『影』を潜ませれば自然と掴めるだろう。ホールに関しては保存場所がわかればアクセスはアーヤにとっては簡単な作業。

 となればまずアーヤがやらなくてはならないのは情報収集だ。これはアーヤの得意分野である。


 星の使い手と呼ばれるアーヤは火と光の一般魔術の他に星のかけらを生み出すことができる固有能力があった。これこそが星の使い手の由来である。


 星のかけらは光魔術から生まれたと思われる特殊なもので、アーヤが思う通りに動くのだ。アーヤの分身のようにもできるし、影のように実体を持たないものにもできる。光魔術の管轄ではない水や土にすることも可能だ。


 こう聞くと万能薬のようである星のかけらだが、一度に多くのかけらを生産できないという難点もあった。かけらはアーヤの生命力を奪っていくからである。大抵夜の睡眠で回復する程度に生産を留めていて、使わない時はかけらを保存しておいている。ローザとして活動しはじめた頃に王が任務のためにも溜めておく方が良いだろうと言ったのだ。珍しくまともな役に立つ助言に、アーヤは従っていた。


 そのため手元には結構な量のかけらが溜まっていた。一日に回復できる生命力よりも多く生み出すとどうなるのかははっきりとはわからない。何しろ固有能力というだけあって前例がないからだ。固有能力の保持者はそれでできることとやってはいけないことがなんとなく頭に浮かぶ。


 今回は『影』を六つ作ることにした。


 アーヤは手のひらを胸の前で合わせ、祈るような仕草をした。合わせた手のひらからわずかに水色の光がもれる。


 夜の海のような香りがふわりとアーヤを取り巻いた。


 アーヤが手を開けばそこには小指の爪ほどの大きさの深い青をした半透明のガラスのようなものが六つあった。これこそが星のかけらである。アーヤはそれを親指と人差し指で一つずつつまみ、机に一列に並べた。その上にかざすように手を浮かせ、目を閉じる。

 星のかけらがほんのりと発光して、ぐにゃりと形を変えた。


 アーヤが目を開ける頃には六つのかけらは『影』になっていた。それをアーヤは、王宮に、学園に、城下町に、平民街に、議会にそれぞれ一つずつ送る。


 この学術都市は王都と扉一つで繋がっている。それだけ帝国が学術都市を重視しているとわかる配置だ。そのためアーヤのいる場所からは王宮や議会などへ馬車を使えば短時間で行くことができた。帝国の主要な情報機関の調査が容易い。


 アーヤの生み出す『影』は五感をアーヤと共有している。さらに、アーヤから特に指示がなければ勝手に指示をこなすための最善を模索する優れものだ。


 さて、何か有益な情報は得られるだろうかとアーヤは窓を開け、闇に溶け込んで見えなくなった『影』を見送った。


 部屋に一つ残された『影』はアーヤの影に吸い込まれた。六つ目の『影』はアーヤの取り逃がした情報をキャッチしてもらうためのお目付役である。アーヤは潜入調査のときは大抵こうして自身にも影を潜ませていた。


 春の夜はまだ寒い。開け放たれた窓から入り込んだ空気が部屋を冷やす。窓を閉めてと言うかのようにアーヤの影がサワサワと揺れた。

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