第72話【閑話】×××の話

『現状維持だ、余計な事はするな』


 そう言われて通話を切られた……。


 俺の名前は×××、ここ最近の記憶が曖昧だ、本家に連絡してみるも、いつも厭味ったらしく仕事を振られるのだが、現状維持という意味の判らない指示を受けて終わった。


 何も仕事を振られていないのに何を維持しろと言うのだ……。


 ふと気づいたら頭がハゲていた、恐らく仕事中に反撃を受けたりしたのだろう、記憶と共に髪も無くなったようだ、仕事の話は誰にもしないので何が起きたか聞く相手すらいない、達成出来ていない仕事があるなら本家が何か言ってくるかと思ったが何もない。


 ――


『現状維持だ、何もするな』


 仕事が無い、いや収入は表ではアパートの所有および管理人という事になっており最低限生きていく事は出来る、どこぞの金持ちが倉庫や趣味部屋として借りているという事になっていて、直接では無いが本家が複数の部屋を借りているので余った空き部屋に賃借人を誘致する必要すらない、無いのは裏の仕事だ。


 暇だ……。


 部屋を掃除する事にした、やってみると自分の部屋が綺麗になっていくのが少し楽しくなってくる。


 中々落とせない汚れを落とす裏ワザか、ふむふむ、重曹? 諸々買いにいくか。


 部屋が綺麗になった、すると敷地内の地面が気になる、雑草が生え放題だな、なんでこんなになるまで放置してたんだ俺は。


 軍手を装備し片っ端から抜いていくしかないか、む? スライムをカードで召喚して処理をさせる裏技だと! なるほどそんな手もあるのか、モバタンで安いカードを探してみる。


 スライムという相棒が出来た、普段はアパートの周りを巡回させてゴミやら汚れを消化して貰っている、人の食事も食べれるのか……今日の晩酌に付き合って貰うか。


 部屋がピカピカになり、アパート周りも綺麗になった、そうなるとアパートそのものが汚く感じてきた。


 ――


『現状維持だ、特に頼む事は無い』


 裏の仕事は無いようだ。


 アパートの空き部屋の掃除をする、何年放置してたんだこれは……、いくぞスライム君。


 辛い戦いだった……、スライムを二匹に増員する羽目になった、まぁおかげで中は何処もかしこもピカピカだ。


 次は外だな、サビやら汚れはスライム君達が何とかしてくれたが……。


 ペンキを買ってこよう、ハケやら脚立も必要だな、屋根もやるか……命綱とか必要か。



 ――


『現状維持だ、お前に言う事は何もない』


 裏の仕事は無いようだ。


 アパートの前に立つ、うんすごく綺麗だ、まるで新築……は言い過ぎだがリフォームしたかのようだ。


 また暇になってしまった、何か好きな事をしようか……俺には何も趣味が無い事を思い出した、いつ連絡が来るかも判らない、時間の拘束される趣味なんて出来なかった、が、今は暇だ、何か習い事でもするか?


 ……何も思い付かなかった、散歩をする事にした、サクラは散ってしまったが暖かくなってきていて心地が良い。


 一周するのに走っても一時間はかかる巨大な公園内を歩く、木々が植えられている立ち入り禁止区域に何かが居る、あれは……猫か? 傷を負っているみたいだ。


 気まぐれに助けてやろうと思い近づいたが、こちらの気配に気づき威嚇してくる、親子のようだ尻尾が二本、猫又か……、攻撃されてはかなわん、魔眼を発動……はつどう? 使えない、何故? 俺の拠り所であり忌々しい力でもある魔眼が……ハハ、そうか、覚えてないが俺は神に罰せられる禁を犯したんだな……。


 目の前まで行っておいて立ち尽くす俺に、警戒していた猫又は困惑しているのが判る、こいつらに攻撃されて死ぬならそれでもいいか。


「おい、お前妖怪の猫又だろう? 助けが必要か?」


 昔、正と負の大戦があったらしい事は聞いている、妖怪には中立だった者も多かったとか、今もどちらの勢力にも所属していない者はかなり居るらしい。


 猫又からの答えは無いが、母親はやばそうだ、ジャケットを脱いで親子共々回収して帰る、手を引っ掛かれたがそれだけだった、今は両方気絶しているようだ。


 ――


『現状維持だ、特に言う事は無い』


 毎度の連絡を受けてからアパートの表を掃除する。


 そこに一階の部屋から一人の女が出てきた。


「あの……手伝いましょうか?」


「猫耳が残ってるぞ」


 女は頭を触ると慌てて集中を始める、猫耳は消えて残ったのは妙齢の女性だ、どうもあの傷を負った猫又は母ではなく姉だったらしい、妹の方はまだ上手く変化出来ないようだった、空いている部屋を金が有るとき払いで貸してやってる、女は仕事を探しているようだが……。


 仕事を紹介出来るかもしれない裏のツテもにも心当たりはあるが、使いたくは無い、アパートの管理手伝いでも頼んでみるか……いっその事妖怪専門のアパートにでもしちまうか、奴らは部屋を借りるのも苦労しそうだしな。


 暇だ、何か趣味でも探すか……。



 ――


『現状維持、以上だ』


 裏の仕事は無いようだ。


 何故か俺の部屋で猫又妹に人間社会の事を教える為に動画なんかを見せている、姉の方は台所で料理を作っている、モバタン等魔道具を起動させる事が出来ていたので魔眼が無くなった事に気づくのは遅れたが、先天の魔力もほとんど失っていたようだ、姉が色々手伝ってくれるのは有難い。


 妹の方は人型に変化しているが、部屋の中だと猫耳と尻尾なんかは出したままだ、姉を見習え姉を。


 姉は二十代前半、妹が小学生高学年くらいに見えるだろうか


「ハゲおっさん、次の動画見せてよ」


「誰がおっさんだ、お前らのがよっぽど年を食ってるはずだろうに」


「今の見た目が大事にゃんだよ、ハゲはスルーしたね、気にしてるの?」


「あらあら、女性に年の事を言うとか酷いお人だこと……私は好きですよその頭、ぬらりひょん様みたいじゃないですか」


 姉妹して最初の頃と態度が変わっている……姉にアパートの管理代行を頼んだらあっという間に空き部屋全てが妖怪で埋まった、しかも全員金を稼ぐ手段を持っている奴らだった……裏のツテを使って戸籍作成なんかを手伝ってやったりもした、掃除やら何やらも姉が優秀過ぎて俺の暇潰しが無くなってしまう。


 暇だ……暇だと余計な事を考えてしまう。


「暇なら私にもっと人間社会の事を色々教えてよハゲおっさん」



 ――


『現状維持だ』


 裏の仕事はもう無さそうだ。



 最近猫又の姉の距離が近すぎる、俺だってその意味が判らない訳じゃない、だが……。


 曖昧になった記憶はほんの短い期間のみだった、つまり俺は……俺のやって来た事を覚えている、幾人にも暗示をかけた、単純で簡単な誰誰に好意を持てのような暗示なら毎日のように本家からの指示があった……時にはゲスな内容の指示もあった、そのせいで亡くなった者もいるだろう、直接手をかけてないからどうだというのだ。


 俺は俺がクズだという事を知っている、ただ裏の仕事に追われて深く考える事もせずに動いていた事が、今この暇になった状況で重くのしかかってくる、俺はクズだ、……そんな俺が幸せを感じていいのだろうか?


 きっとこの年で初めて石板を触りに行っても魔力は貰えないだろう、いや、許されていない事を確認する事が怖くて触りに行く気がしない。


 もし過去の罪に対して天罰が俺に落ちるというのならそれを受けようとも思う。





 暇だ、この暇が俺をむしばむ、この心に湧きあがる物は……そうか、これが後悔という物なんだな……。



 ――


『現状維持』


 もう連絡をしても意味が無いのかもしれない。


 俺は俺の意思で生きて行かないといけない、心の中で本家に文句を言いつつも指示された事をやるだけなのは楽だったと気づく。


 アパートの前をスライム君と一緒に掃除している、行ってきます、と住人である雪女が仕事に出かけて行った、冥途喫茶とかいう場所に勤めているらしい、お化け屋敷と喫茶店の合体技とかだろうか? 大家さんなら撮影も歓迎するわよと言われている、猫又姉妹でも誘って一度行ってみるのも有りだな。


 ……怖がっている所を撮影するのか?


「×××さん、それが終わったら、二人でお買い物に行きませんか?」


 猫又の姉がそう呼びかけてきた、そう、俺は今、本当の名前で呼ばれている……。


 俺を〈惑わし〉と呼ぶ相手はここには居ない、もう魔眼も無いしな……。


「私もいくにゃ~」


 猫又妹がそう行って俺と姉の間に入り込み両方の手を掴む、油断すると尻尾や猫耳が出るだろうお前、大丈夫なのか? 先天の獣人化スキルとでも誤魔化すか……。


 スライム君に後の掃除をまかせて買い物に出かける。



 ――



 もう俺から本家に連絡はしない事にした。


 今日は猫又妹におねだりされて、雪女さんが働いているという冥途喫茶に、俺と姉妹の三人で行く事になった。


 姉妹は手を繋いで俺の前を歩いている、楽しみなのか妹の足が速く俺との距離が出来つつある。


「楽しみにゃ~」

「そうね~お化け屋敷とか私達がすでにお化けみたいな物なのだけどね~」




 楽しそうで何よりだ、そんな時俺の後ろから声がかかった。


「貴方が〈惑わし〉で合っている?」


 振り返ってみると制服の上から皮の保護パーツを各所に装備した、恐らく探索者だろう少女が俺を憎しみの目で見ている。


 罪に問われる事をいとわず自身の今後をかえりみないなら、なんだって出来るだろう、それこそ魔力のほとんど無い能力もないハゲたおっさん等どうにでも……。


「ああ……前はそう呼ばれていた」


「そう、貴方が……」


 目の前の少女から怒りが溢れているのが判る。







 どうやら俺に天罰が落ちるようだ、抵抗せずにそれを受けようと思う。



 姉妹に戸籍を作ってやり、遺産相続の遺言をモバタンで登録しておいて良かった……。


 俺の意識が消える瞬間に猫又の姉が俺の名を呼ぶ声が聞こえた気がした……。

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