第11話 真の憎悪 7

時刻は午前8時──土曜日。

僕、風見亮介が死ぬ当日。




「目が覚めたか、少年?」


命日にしてはあまりにも優しい声が僕の鼓膜を通る。


「起きてますよ」


床に寝そべっていた体を持ち上げる。

死神さんは壁にもたれ、座っていた。


「幼馴染との予定は10時半待ち合わせだろう?もう少し寝ててもいいのだぞ?」

「いえ、実はだいぶ前から目が覚めてたんで、大丈夫です」

「そうか」


僕の後ろにいる死神さんとの会話も残りわずかだと思うと、心臓がぎゅっと、痛い。


「もう出ましょうか。ちょっと寄り道したい場所もあるので」

「ああ、構わないぞ」



屋根裏の部屋を出る前に、部屋を見渡す。

電気も窓すらないせいで、暗い部屋だ。埃も舞っている。

正直ここには良い思い出はない。残像のように頭をよぎるのは、冬の大寒で震える体を自ら痛めつけ、寒さを凌ぐ自分。夏の猛暑で、鼻から血が出るくらいまで勉強する自分。親からの虐待を受けてる自分たちのみ。


そんな屋根裏に背を向け、僕はそっと扉を閉めた。




両親は、あれ以来、顔を合わせていない。といっても、二人とも部屋に閉じこもっている。きっと、また大麻でも吸っているのだろう。

最後に会う必要は────




自分の中にはなかった。





家を出てから、死神さんが口を開く。


「それで?寄り道したい場所とはどこだ?」

「行けば、分かりますよ。死神さんもよく知っている場所です」



そう言い、僕は歩み始めた。死神さんも何も聞かず、僕の後に続く。




「なるほど、やはりここか」


目の前に広がるのは学校だ。

自分が通っている高校。土曜日だから生徒は一人もいない。


「昨日、あっけなく帰ったのも、今日来る予定だったからか」

「はい、やっぱり、最後はここが良いです。先生とかがいるとまずいので、裏の非常階段で屋上に行きましょう」



裏口から校内に入り、非常階段を登り、いつもの屋上に辿り着く。


少し前に進み、網のところで足を止める。

網に手をかけ、外を見晴らす。

土曜日の朝方、皆が待ち望んだ週末。

オシャレをして出掛ける人、勉強の為に図書館に向かう学生、車に乗り、親子で遊びに行く人、


色んな人がこの街に住んでいる。そして、今日、その町の住人一人が消える。

でも、それを悲しんだり、憐れむ人は誰もいない。皆からすれば、知らない、関係のない人が死んだだけ。口では『可哀想に』などの言葉はいくらでも言うが、数秒後には自分達の世界に戻る。




「死神さん、僕は今日死ぬんですよね?」

「ああ、この後すぐにな」

「どうやって死にますか?」


「…駅前の交差点でトラックに引かれる…までしか私も知らない」

「ふっ、本当に…最後まで無様な死に方ですね…」




「怖いか?」


数秒の間を起き、死神さんが質問を投げかける。



「……」



振り向かない。

いや、振り向きたくない。見せれない。

唇を内側で噛み、我慢しているのにも関わらず溢れ出る涙を見せたくなかった。



「怖くない…わけないじゃないですか…」


やっとの思いで出た声も、自分で笑ってしまいたいくらいにか細かった。


「僕は、ここで死神さんに会って、初めて死への恐怖を知りました…でも、もう助からない…今度こそ本当に死ぬ…」


呼吸がしにくい、まるで崩れ落ちるように言葉が詰まる。


「でも…それでも、僕が死んでも、誰も気に留める事すらしないんですよ?…今まで味わった苦痛も、失敗も、経験も、誰の為にもならない…ただの空っぽな入れ物になる…そんなの…あんまりですよ…」



立つのも難しくなり、僕はそのままひざまづく。


みっともない泣きじゃくる声は、我慢しようとすればするほどに、喉をこじ開け、音を発する。






「立つんだ、少年」

「え、?」



ドウ。」



振り向き、見てみると、死神さんの右手の血管はバツ印に赤く光る。僕をこの屋上から落とそうした時の、力を発動しようとしていた。

しかし、あの時のように、手を突き出すのではなく、


その手をこめかみに優しく当て、小さく呟く。


記憶キオク。」





その刹那、空が一瞬にして、夜みたく、暗くなり、空いっぱいに星が現れた。


「こ、これは?…」


あまりに非現実的な光景に、僕は呆然とする他なかった。

まるで、プラネタリウムの中…いや、もっとだ。


まるで、宇宙に放り出されたみたいに星が近い。



「これは『記憶の星』。見えている星のような光は、私が今まで、誘ってきた人間達の輝きだ。」

「こ、こんなにいっぱい?!…」


百個、いや、千個?、途方に暮れるくらいの量の星だった。

間違いなく、この人生の中で一番綺麗な星空といっても良いくらいに美しかった。

息をするのもつい忘れてしまいそうなくらいに見惚れて、ただ見つめていた。



「ああ、今まで、本当に色んな人を送り届けてやった。」



星たちが徐々にその輝きを増して、綺麗な六角形になる。

一つ一つ、その枠内に人のような影が浮かび上がる。だんだんと解像度を上げていき、しっかりと顔が見える。彼らの声らしきものもはっきりと聞こえてくるようになる。





「妻を一人残し、病気で亡くなった老人も、」

『大丈夫じゃよ、家内もきっとすぐ、わしの元に帰ってくるはずじゃよ。』


「長年の夢だった、プロの水泳選手になれたのに、デビュー数日前に、小さい子供を、通り魔から守ろうとした青年も、」

『僕の夢より、その子のこれからの夢の方が大事ですから、良いんです。』


「結婚式に向かう時に交通事故にあった女性も、」

『あの人は、無事なのね?なら、何が問題なの?あー、でも、もうちょっとだけ一緒に寄り添いたかったなぁ』



みんな……みんな、凄く優しい笑顔だ…。

でも、どこか悲しんでるようにも見える…。

未練でも、悔いでもない。でも、言葉にするには難しい何かを感じられる。



「問題なければ、陰から見守る。そうでない場合は、彼らと言葉を交わし、死を優しく受け入れさせる。それが死神の使命。だがしかし、」


ふと、死神さんの声が低くなる。



も、たくさんいる」



「亡くなった母に会う為、自らの首を切り裂いた女の子も、」

『いやだー!!ママに会いたいよ…!』


「娘を殺された憎しみを消せずに、人混みに押され、電車に引かれた男性も、」

『あみを殺したやつを殺すまでは…死ねないんだよぉぉぉぉぉぉ!、、』


「恋人の不注意で妊娠してしまい、その恋人に逃げられ、責任感の圧で、お腹の中の子と一緒に命をたった、女子大生も、」

『私には…、この子を一人で育てる自信がないんです…だから、お父さん、お母さん、ごめんね…』



怖い…。

鮮やかに光っていたさっきまでの星とはまるで違う。

枠内が最終的には赤黒い血で染まり尽くされる。

表情から、目から、彼らの真の憎悪…が見える。まるで、今にも、星から飛び出してきて、未練をはらそうとしているみたいだ。

憎しみも、痛みも、悲しみも…全部が見える。

見てるだけでも、吐きそうになるくらい悍ましい。


「助けてやれなかった。」



「でも、君は違うぞ」


「君が死んでも、私の記憶に一生残り続ける。ただの入れ物なんかじゃない。」



死神さんは真っ直ぐに僕を見て、芯のある声で語りかけた。



そうだ…僕には死神さんがいる…。たったの数日とはいえ、死神さんは僕にたくさんのもの教えてくれた。今までも誰も踏み入れようとしなかった、僕の心に優しく入り、受け入れてくれた。

僕が死んでも、この人が何度だって僕を思い出してくれる。

十分すぎるじゃないか…



「ありがとうございます、死神さん。もう、覚悟が出来ました」


再度、星たちに顔を向け、


「皆さんのおかげで勇気が出ました。ありがとうございます。いま、そっちに行きますね」



そう言ってから、死神さんは星たちを消し、時間が迫っていたので、駅へと向かった。






最寄駅の交差点まで、あと数十メートル。

ほどほどに人たちがすれ違っていく。そんな人達を避けながら、僕と死神さんは歩く。


覚悟は出来た。それに間違いはない。

それでも、手足は震えていた。やっぱりまだどこか怖いのかも知れない。



すると、僕の左手を誰かがぎゅっと握りしめた。


「交差点まで、こうして歩こうか」

「死神さん…何度もありがとうございます…」


死神さんの手はあったかい。

落ち着ける温もりだ。自然と震えや恐怖心も消える。



そして、駅前の交差点で足を止める。

信号は赤。

隣には死神さん。他に誰も渡る人はいないようだ。

偶然なのかは分からないが、死者は僕一人で済むようだな。


不思議だ。

何も聞こえない。とても静かだ。

そして、感じる。これは死の静けさだ。

音はないが、謎の圧迫感と緊張感で体が縮まりそうだ。







青信号まで──5



「死神さん」

「なんだ?」



青信号まで──4



「信号が青になっても、僕、動けないんで……背中、押してくれます?」

「分かった、私が殺してやろう」



青信号まで──3



「最後に…最後に死神さんの名前、教えてくれますか?」



青信号まで──2



「シュアルナ。シュアルナ・ミア・リッパーだ」



青信号まで──1


後ろから猛スピードで迫る車の音が聞こえる。




「…素敵な名前ですね。僕、シュアルナさんに出会えて、幸せでした。では、さようなら。」



青信号まで──0



「ああ、死ね、風見亮介。」




──────────────────



視界は一瞬にして真っ黒。

音速の速さで遠のいていく意識の中で聞こえたのは、


ガードレールが潰れる音、


ガラスが割れ、飛び散る音、


そして、






自分の頭蓋骨が割れ、脳みそが潰れる音。





土曜日

風見亮介、死亡。

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