第3話 墓陵


 この聖都には近郊に小高い丘があり、そこには代々王家や都に住まう民を埋葬する墓陵群が存在している。この墓陵群には毎年、月の満ち欠けと魔力の関係でこの時期になるとアンデッドが出没するのでそれを浄化する必要があった。

 アンデッドはーー墓に眠る都の民の死体に悪しき魂が宿った存在だ。焼き払ったり、斬り裂いたりするのは死者に対する冒涜にあたる。よって聖女の祈りで中に巣食った悪しき魂、要するに霊体系の魔物だけを討伐している。長年聖女をしていたアリサにとっては非常に手慣れた儀式であり、とても簡単なお仕事だが新人聖女のルーナにとってそうではあるまい。何せボロボロに朽ち果てた死体が動いて迫ってくるのだ、その様子はさぞ恐ろしく感じるだろう。

 

 六人の騎士に守られたルーナが先を歩き、数歩遅れてアリサとユアンがついていく。

 時刻はもう月が真上に昇るような夜であり、墓場はシーンと静まりかえっていた。わずかに風に揺られて木の葉が擦れる音や虫の鳴く声が聞こえるだけで、後は九人の足音が静かな墓場に響いている。


 緊張感のある行軍の中、一人アリサだけがのほほんとしていた。

 

「一年来なかっただけなのに随分と久しぶりに感じるものね。相変わらずお墓は綺麗に掃除がされていて、舗装も完璧。死者を敬う、敬虔な聖都の方々と墓守の一族のおかげだわ。私ももっと頻繁に訪ねないと」


 騎士が持つ明かり以外に一切の街灯がないこの場所でそんなことを品評できるのはアリサだけだろう。のんびりした感想そのままに、前を歩くルーナに声をかける。


「去年はルーナ様はお一人で浄化を?」


「いえ、去年は聖女になりたてだったので大教皇様が一緒に来てくださいました」


「ああ、そういえば私の時もそうだった気がするわ。バシレイオス様はお元気?」


「それはもう、元気すぎるほどです」


「それは良かった。毎日のように顔を合わせていたのに、引退した途端にお会いする機会がなくなって残念」


「大教皇様もアリサ様に会いたがっておりましたよ」


「ぜひエスペランサへお越しくださいとおっしゃっておいて」


「はい」


 アリサとの会話で緊張感がほぐれたのか、ルーナの声がだんだん柔らかくなってくる。しかし周囲にいる騎士は前聖女の同行に戸惑いを隠せていないようで、チラチラとユアン達の方を窺い見ていた。

 まあ確かに無理もないだろう。ユアンとてこの同行に驚いているし……というかこんなことをしていいのだろうか……まあ、もし今代聖女がアンデットを浄化できなかったとなると大問題だから、アリサが付いてくることで自信を持てるというのなら良いか。良いのか……?


 生真面目なユアンが一人、煩悶としているのにも気がつかず一行は墓の奥へと進んでいく。アンデットがこの広大な墓のどこにでてくるかはわからないが、彼らは本能から生者に反応して襲いかかってくるので墓の真ん中で待機していれば自ずと近寄ってくる。

 寄って来たところを一網打尽にするのが儀式の定石だった。


 墓石に囲まれた墓場のど真ん中、一人の少女と一人の成人女性、そして七人の騎士が固唾を飲んで立ち尽くす。

 ルーナの顔は緊張にこわばり、アリサは吹いてくる夜風を気持ち良さそうに肌で感じている。

 そこに佇んでいた時間は五分か十分か。いずれにせよそんなに長い時間ではない。

 やがてアリサがユアンの隣でポツリと呟いた。


「……ルーナ様、来るわ」


 その言葉をきっかけにしたかのように闇の中からザッザッ、と音がした。騎士が光を向けたその先にゆらりゆらりと体を左右に揺らしながら歩いて来る、亡者の大群が。

 

「……ひっ!」


 朽ち果てた体にボロボロの服をまとったその軍勢に、まだ十歳のルーナは思わず息を飲んだ。虚ろな瞳は光を宿しておらず、体は変色して骨が見えている部分さえある。にもかかわらず悪しき魂を宿したその体は動くことを強要され、生きている者の生命力を嗅ぎ取り、それを蹂躙しようとこちらへと向かって来た。


 ここに自分たちがいるからこそ、街に被害が出ないのだ。手近な人間から襲うその単調な思考回路ゆえに、ゾンビを引きつけてとどめておくことができる。


「ルーナ様、浄化を。神に祈りを捧げるのです」


 慌てふためくルーナにアリサは極めて冷静な助言をした。ルーナは慌ててその場に膝をつき、祈りの言葉を口にした。

 

「てっ……天に召します我らが神よ、願わくばあなたの忠実なるしもべ、ルーナリウス・デュポアにその力の一旦を……っひい!」


 アンデットの発する怨嗟の声に反応しルーナの祈りの言葉が途切れる。一旦集中力が途切れてしまうとダメだった。ルーナは十歳という年相応の少女よろしく、目の前に迫り来る死者の大群に恐怖の声をあげ、その場に尻餅をついて目に涙をためる。


「こ、怖い……ゾンビが、ゾンビがいっぱいいるぅ……!」


 アンデットを普通に怖がるルーナを見ていると可哀想になって来る。周囲の護衛騎士がルーナを励ました。


「大丈夫です、ルーナ様!」

「御身は我々が守りますので、祈りに集中を!」

「ルーナ様の神通力があれば、アンデット如き一網打尽にできましょう!」

「さあ、お早く!」


 とは言いつつ、規定によって亡骸に傷をつけることはできないため騎士に出来ることといえばせいぜい肉壁になることぐらいだった。噂とは違ってアンデットに噛まれてもゾンビ化したりはしないけど、されて気持ちのいいものではない。できればさっさと浄化してもらいたいというのが騎士達の本音だ。

 だんだんと迫り来るアンデット。放っておけば増える一方のその数はすでに数百に及び、輪を描いて包囲して来る彼らを前にさしものアリサも大声を張り上げた。


「ルーナ様、周囲に惑わされずに祈りに集中すればいいのよ!」


「でも、怖い……アリサお姉様、助けてください……!」


 泣きじゃくるルーナはすでに心が折れている様子で、祈りを捧げるどころではなかった。

 もうすでに打てる手はあまりない。ルーナが奮い立つ前にこちらがアンデットに飲み込まれてしまう。ユアンがアリサをちらりと見ると、アリサは覚悟を決めたように一つ頷く。

 履いていた靴をぽいと脱ぎ捨てると、その場に跪き、両手を組んで天高くに突き上げる。そして朗々と祈りの言葉を口にした。

 

「天に召します我らが神よ、願わくばあなたの忠実なるしもべ、アリアローサ・ドゥ・シヴィニヨンにその力の一旦を貸し与えたまえ!」



 ーー聖なる祈りセイント・ジャッジ!!



 ドンっと音がして極太の光が天から降り注ぐ。

 まばゆい浄化の光によって視界が白く染まり、何も見えなくなった。

 逃げる時間も場所も与えないアリサの聖なる祈りの力は、アンデッドの体を貫き、その体に宿る悪しき魂のみにダメージを与えた。

 人間には何ら悪影響を及ぼさないその光は墓陵全体に広がり、アンデットを浄化し尽くし、そしてやがては収束した。

 

 再び暗くなった墓場に残ったのは、魂が抜き取られ元に戻った死骸だけだった。


 凄すぎるアリサの神通力を目の当たりにしたルーナとお供の六人の騎士はあっけにとられ、口を開いて立ち尽くしている。

 ユアンとしても久々に見たその威力に、やっぱりアリサ様の聖女としての力はまだ衰えていないな、などとのんきに思っていた。


「ーーさて」


 そんな一同の思いなどどこ吹く風なアリサは立ち上がると膝についた泥をはらい、そしてニッコリと笑った。その笑みは慈愛に満ちていた。


「終わったわね。ご遺体を埋葬し直しましょうか」


 そんなことを言いながら。



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