第2話 現聖女ルーナの悩み


 本日一人目のお客様は都の最重要人物だった。ユアンは開店五分で店の看板を即座に「閉店中」へとひっくり返し、窓に張り付いて外に不審な人物がいないか視線を巡らす。腰に下げた剣をいつでも抜けるように構え完全に臨戦態勢だ。

 一方カウンターを挟んで会話をするアリサとルーナは平和そのものだ。


「パンは何にしますか?」


「あ……クロワッサンで」


「じゃあ、ジャムやバターは必要ないわね。ソーセージやベーコンは?」


「ソーセージを一本ください」


「卵料理はどうする?」


「半熟のオムレツを……」


「オッケーよ。最後の質問、飲み物は? オレンジか聖都特製林檎ジュース」


「林檎ジュースでお願いします」


「わかったわ、ちょっと待ってて」


 にこりと笑ったアリサは注文の品を手早く用意し始める。ユアンとしては気が気ではなかった。壁際に張り付いたままにルーナに質問を投げかける。


「ルーナ様、ここに来ることを誰かに伝えてありますか?」


「いいえ、言えば反対されると思ったから……」


「護衛の方々はどうされました?」


「撒いて来たわ」


「一体どのようにして神殿から脱出されたのです?」


「昔アリサ様に秘密の抜け道を教えていただいたんです」


「ああ、あの道は便利よねぇ」


 ルーナの言葉を受けたアリサがソーセージを焼きながらのんびりと答える。


「なんでも、歴代の聖女が息抜きしたい時に使う道らしくて、私も先代に教えてもらったのよ」


「そんな道があるなんて……もしかして、時々いなくなっては『神にお会いに行ってまいりました』と言っていたのってそれで?」


「そうよ」


「やめて下さい、何かあったらどうするおつもりなんですか!」


「何もなかったのだからいいじゃないの」


 ソーセージを皿に盛り付けたアリサが片手で卵を割りながらのんびりと言う。アリサはだいぶん肝が座った性格をしているが、もしや歴代聖女は皆このような性格なのだろうか。


「さあ、特製モーニングセットできたわよ」


「はぁあ……!」


 ワンプレートに綺麗に盛られたモーニングセットと、隣には林檎ジュース。それを見たルーナは歓喜の声をあげた。早速パンから手にとって口にすると、感動で震えた。


「あったかくて柔らかい……! それに甘くてとても美味しいです!」


「そうでしょうそうでしょう」


「ソーセージもパリッとしていて、噛むと肉汁が溢れます!」


「私特製のソーセージよ」


「オムレツ、フワッフワで中がトロトロ……! 上にかかっているケチャップも美味しいです!」


 聖女の食事は通常、毒味がされてから提供される。調理場から運ばれ、毒味を経るのでどうしたって冷めてしまう。温かいというだけでご馳走だろうし、それを差し引いてもアリサがこだわり抜いたモーニングセットは美味しい。きっとアリサ自身も美味しい食事を食べたいという欲求が強かったのだろう。

 店を始めるにあたってのアリサの食へのこだわりは物凄かった。オムレツも練習で千個は作ったに違いない。それを全部を食べるアリサもすごかった。食べ物を粗末にしないを地でいくスタンスだ。さすがは聖女。ユアンもちょっとびっくりなくらいのこだわり具合だった。


 綺麗に食事を平らげたルーナは食後に感謝の祈りを捧げる。さすが現聖女だけあって、そうした所は外出中であってもちゃんとしている。


「それで、さっきの浄化の儀式に同行してほしいという話なんだけれど?」


「あ、はい」


 ルーナは満足して緩みきった表情から一転、姿勢を正して相談をする格好へとなる。


「アリサ様ならよくご存知かと思うんですが、聖都近くの墓陵ぼりょう群に出没するアンデットの浄化に行く必要がありまして。それに今回、いよいよ私が行くことになったんです」


「なるほどね」


「これまで、浄化の儀式に臨んだことがないので不安で……実際のアンデットを見たら気絶しない自信がないと言いますか……アリサ様がお側で見ていてくださったら、きっと、すごく励みになると思うんです。だから……」


 ルーナは大きな紫の瞳をうるうると潤ませてアリサを必死な形相で見つめてくる。アリサは手をカウンターの上で組み、ちょっと考える仕草を見せた。


「私が聖女に抜擢されたのは五歳の時、そして初めて浄化の儀式に挑んだのは六歳の時。あの時の私も確かに緊張で震え、前の晩からよく眠れなかったことを覚えているわ」


「……! アリサ様でも……?」


「ええ。何せアンデットは夜中に出没するもの。わずかな護衛とともに日がくれた墓陵に赴き、たった一人祈りを捧げてアンデットの浄化をする……それに恐怖を覚えない人間がいると思う? 今とは違って自分の神通力にも自信がなかったし」


 肩をすくめてそう言うアリサ。ユアンとしては嫌な予感しかしなかった。


「後ろからついていくだけでルーナ様の助けになるなら、喜んでお供するわ。人助けは私の喜び、きっとこれも神のお導きでしょう」


「わあ、ありがとうございます、アリサ様!」


「アリサ様、またそのように気軽に引き受けて……!」


 慌てたユアンはアリサを止めにかかった。迷子の猫を探すとか、日々の仕事の愚痴を聞くとか、そうした些細な依頼ならばともかく今回のこれはちょっと度が過ぎる。今代聖女の聖務に同行するなんて、いちカフェ店員がやることでは絶対にない。

 しかしアリサは全くなんとも思っていないらしくごく気軽な調子で答えた。


「あらユアン。困った時はお互い様よ」


「しかしですね、この依頼は重要性が違いすぎます」


「悩みというのは人それぞれ。そこに大小はないと思うわ。頼まれたことを全力で解決するのがこのカフェ エスペランサの務めです」


 そんなカフェはどこにも存在しない。絶対に違うだろうという反論は、アリサの決意に満ち満ちた顔を前に引っ込めざるを得なかった。


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