【2/1配信開始】引退聖女のモーニングカフェ

佐倉涼@4シリーズ書籍化

第1話 聖都にあるモーニングカフェ


 カフェ エスペランサ

 聖都の隅に一年前に開店したそのカフェは一風変わった営業形態だった。

 営業時間は午前のみ、客席はカウンターの七席だけ。

 メニューはただ一つ、その名はズバリ『モーニングセット』。

 

 けれどこのモーニングセットはーー注文する人によって内容が変わる。

 トースト、クロワッサン、ロールパン。

 バターの量やジャムの種類。

 ソーセージやベーコンの枚数。

 卵料理はスクランブルエッグ、オムレツ、目玉焼き、ゆで卵の四種類から。半熟、固め、ほとんど生。火の通り加減も選べます。

 サラダはとれたての新鮮な生野菜を。

 飲み物はコーヒー、紅茶、オレンジジュースに聖都自慢の林檎ジュース。

 

 そしてこのカフェの一番の特徴は、一年前まで聖都の大神殿で聖女をやっていた人物が接客をしている点だろう。

 今日も朝早くからカフェの煙突には煙が立ち上り、パンが焼ける香ばしい匂いが一体に漂っていた。



「んーっ、今日もいい感じね! ねっ、ユアン?」


「そうですね、アリサ様」


 ミトンを両手にはめ、かまどを覗き込んでいるアリサがカウンターの方で作業をしているユアンに声をかける。

 

「あっ、ユアン。また私のことを様付けで呼んだわね。もう引退してるんだから敬称は無しって言ってるじゃない」


「申し訳ありません、癖で……」


「もうっ」


 振り返ったアリサはミトンをはめた両手を腰に当て、ちょっと怒って頬を膨らませた。

 銀髪は綺麗にまとめられ、ブラウンと赤のチェックの三角巾を頭に巻いている。ワンピースの上には揃いのエプロンも締められていて、見た目は完全に一介のカフェの従業員だ。

 しかしユアンからすればアリサはただの従業員ではなく、元聖女であり自分が守るべき存在だ。ずっと護衛を任されていたのでどうしたって敬称が抜けないらしい。一年共に暮らしていてもそんな感じなので、いい加減アリサとしてもどうにかならないかなと思っている。


 アリサとユアンの付き合いは長い。

 アリサが五歳で聖女になった時、ユアンは護衛に抜擢された。ユアンはアリサの六歳年上なのでこの時まだ十一歳だ。神殿でも位が高い聖女の護衛に十一歳の少年が抜擢されるというのはなかなかに無いことで、まあ数いる護衛の中でも話し相手のような位置付けだった。

 以来ユアンはずっとアリサの側で彼女のことを守り続け、引退した後もこうして護衛として共に居続けている。神殿から出たことがない彼女を一人市井に放置するのはあまりにも心配すぎた。変な詐欺に引っかかったり、変な男に引っかかったり、逆に変な人々にまつりあげられたりしないか気が気でない。

 

「今日はどんなお客様がいらっしゃるかしらね」


「さあ……ですがあまり無理難題をおっしゃる方が来ないといいのですが」


 ユアンは海のように深い青い瞳を歪め、コーヒー豆をミルでキュコキュコと挽きながら答える。この一年間の営業でユアンの心労は神殿にいる時よりも募っている。アリサの方は生き生きとしているけども。


「あら、どんな難解な問題だろうと、解決するのが私の役目というものじゃない?」 


「それは聖女の役目であって、カフェの従業員の役目では無いと思いますよ」


「そうだったわね……でもそうしたら、カフェの店員ってどんな役回りがあるのかしら」


「普通に考えたら料理を作って出すだけだと思いますが」


「そう言われればそうね!」


 焼きたてパンをかまどから出したアリサは、ハッとしたように目を見開いて答える。確かにそんな普通の店員じみたことをしたことなど一度もないから、意外に思うのも当然だろう。それもどうかと思うけれど……。


 そうこうしているうちに開店時間だ。ユアンが店の外に出て扉にかかっている看板をくるりとひっくり返して「営業中」にした。

 さあ今日はどんなお客がやってくるか。できれば平穏無事に営業を終わらせたい。 

 そう、変な悩み相談などされず、普通に料理を食べて帰っていくようなお客様に来て欲しい。


「あのー……」


 ユアンの腰のあたりから小さな声が聞こえて来た。


「ん?」


「あの、元聖女アリサ様のいらっしゃるカフェはこちらであっておりますか……?」


 非常に自信なさげな声の持ち主はまだ子供だ。一見しただけでわかる上質な白いローブのフードを頭からすっぽりと被り、上目遣いでユアンのことを見つめてくる。その顔を見たユアンは衝撃のあまり卒倒しそうになった。

 その少女は潤んだ紫色の瞳でユアンを見上げ、切羽詰まった声でこう言った。 


「お願いいたします、アリサ様に会わせていただけないでしょうか!? 私、どうしても、アリサ様に相談したいことがあって……!」


 ユアンのつけているエプロン(アリサのものとは違いシンプルなブラウンのもの)を掴みながら、必死な表情でぐいぐいと迫ってくる少女の顔にユアンは見覚えがありすぎた。


「おっ、落ち着いてください! ここは人目がつきますからひとまず中へ!」


 扉を開け、少女の背中に手を回して中へと促した。店内は焼きたてパンと、先ほど自分が挽いたコーヒーの香りでいっぱいだ。少女は一瞬足を止め、何をしに来たのか忘れたように「わあ……!」と言って胸いっぱいに芳しい香りを吸い込む。

 そこにアリサの元気な声が響いた。


「いらっしゃいませ! ……あら?」


「あ! アリサ様!」


 少女はぱあっと顔を輝かせカウンター内にいるアリサの元へと駆け寄った。


「ルーナ様じゃない、どうしたの?」


「実は、アリサ様に折り入ってお願いがあって参りました」


「一体どんなお願いかしら」


「はい、実は私、今夜浄化の儀式へと赴くことになりまして……初めての浄化儀式で……全然まだ、自信がなくて……アリサ様、あの、そこに同行していただけないでしょうか!?」 


 目にいっぱい涙をためてそう叫ぶ少女に、アリサは困ったように頬に手を当て、首をかしげた。

 

「ひとまず、モーニングセットでも召し上がって落ち着いてはいかがでしょうか? 『現聖女』ルーナ様」


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