カップ麺とちらし寿司

綿引つぐみ

カップ麺とちらし寿司

「今夜はちらし寿司ね」

 良いこと悪いこと、母は何かの記念日に決まってちらし寿司を作る。

 良い日には華やかな具材で。哀しみを伴う日には昔ながらの落ち着いた色合いで。

 いつからのことなのか、どういうきっかけで始まったのか、分からない。

 でもきっと、わたしが生まれる前から続いている習慣なのだと思う。

「あれ。今日って何だっけ?」

「何言ってんの。命日じゃない」

 そうだ今日は父の命日なのだ。

 数年前父は比較的若く亡くなった。

 古い一戸建ての二階家に、それからわたしは母と二人で暮らしている。

 今日は何か他のものが食べたい気分だったけど、母がちらし寿司を作るとなればしかたがない。

 わたしは自分の食欲をなだめる。


 母が生きた年数に応じて、ちらし寿司の日はかなりの数になっている。

 わたしが父の亡くなった日に、咄嗟に思い至らないくらいにだ。



 そういえばずいぶん前に、全く何でもない日に母が突然ちらし寿司宣言をしたことがある。

 朝、出がけにニコニコしながらそういわれて、わたしは会社で仕事をしながら今日は何の日だっけ、とずっと考えていた。

 でも何も思い当たらない。まあ何かの記念日だ。それには違いない。

 わたしはそう思って駅前で幾本かの花を買って帰った。


「今日でふるさとで暮らした日より、この家で過ごした時間のほうが長くなるの」

 キッチンで椎茸を煮しめながら母はいう。

 いわゆる授かり婚というやつで、実家でわたしを産んでから母はこの家にやって来た。

「ふーん」

 当時は父方の祖父母も健在でわたしたちは五人暮らしだった。

「ということはわたしの歳で母さんはわたしを産んだのか」

 そう軽く思ったくらいで、その時はなんでそんなことにこだわるのかと、訝しげにも感じた。

 あるいはそんな感慨もあるのだと少し驚いたくらいだった。

 けれど今となってはその言葉は重く響く。

 あれはもしかしたらそろそろ先のことを考えたら。あなたはどうするの。というわたしに対する投げかけだったのかもしれない。

 この家とあの家。少女の自分が住む家。

 あの家、がわたしにはない。結局わたしは結婚はせずにこの家に暮らし続けている。

 ずいぶんたくさんの時間を、この家で過ごしてきた。あの何でもない日の母の歳もこえた。

 近頃は仕事のほとんどがテレワークになって、家にいる時間は余計に増えた。

 夜だけでなく昼も母と食事することが多くなった。



「夜はしっかり食べるからカップ麺でいい?」

 わたしは母に尋ねる。

 ちらし寿司となるとなぜか母は大量に作る。翌朝には残ったごはんが太巻きになるのが決まりだ。そこはしっかりと食べざるをえないのだ。

「せっかくだからあれ、緑のたぬきにしようかしら」

 母がいう。

 それは父が好きだったものだ。父はカップ麺といえばひたすら緑のたぬきだった。そもそもの蕎麦好きで、発売当初からずっと食べているといっていた。

 それで母の管理する棚には、今でも必ず緑のたぬきが買い置かれてある。 母のこの習慣は今でも変わらない。

 父が人生で一番最後に食べたカップ麺は緑のたぬきだった。人生で一番食べたのもおそらく。


「これ。記念日にちらし寿司作るのっていつからやってるの?」

 わたしにとってはあたりまえの行事だが、それを始めたのは母だ。お湯を注いで待つ間になんとなく訊いてみた。

「父さんと付き合ってるときにいつの間にか記念日には、って約束事みたいになって。それが二人で暮らすようになって、結婚記念日にはちらし寿司を食べるっていうふうに定着したのかな。それが始まり。で、あなたが生まれてからはずいぶん増えちゃって」

 そうだね。

 と、わたしは口に出さずに同意する。ほんとうに記念日の半分以上はわたしがらみなのだ。

 約束が始まったころの、恋人同士の若い二人がちらし寿司を食べている姿を、わたしは思わず想像する。

「あでも。一度だけ結婚記念日に作れなかった時があったわよね」

 そういうと、母は温かいどんぶりを手で包みながらわたしを見る。

 そう。一度だけ二人の結婚記念日にちらし寿司を作れなかった時がある。

 ちょうど大きな地震があって電気が止まりそれどころではなかった。あの時はコンロで沸かしたお湯で三人で緑のたぬきを食べたんだ。



 ぴぴぴぴ。

 とスマートフォンのタイマーが鳴る。

 母とわたしはカップ麺のふたを開ける。

 今まで確かめたことはなかったけれど、あの何でもない日のちらし寿司、父はその意味を知っていたのだろうか。

「ねえ憶えてる? むかし、突然なんでもない日にさ──」

 母と娘。二人暮らし。もしかしたら周りからは少しさみしそうに見えるかもしれない。でもこういう毎日も悪くない。

 なんでもない、ただ父が亡くなっただけの日に、ゆっくりとした時間の中でわたしは母と、午餐にカップ麺を食べている。

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