陸 緋織、神と遭遇する。
緋織が社に居着いてから、一ヵ月が過ぎようとしていた。叶衣の助けもあり、彼女はすっかりツキノカミ様として馴染んでいた。彼は最初こそ、嫌々だったが、今では緋織のため、様々なことに力を貸していた。
また、叶衣が過ごす時間も、社の中が増えてきた。村には同年代もあまりいなかったため、彼にとっても、緋織と過ごす時間が、一番充実していたのだろう。二人はお互いに友情以上のものを感じていたに違いない。
そんなある日……緋織と叶衣が社の中に戻ると、そこに装束を着た、真っ白な肌の男が立っていた。目の下に赤い逆三角のマークがあり、目は黄色、身長は二メートルはあるだろう。少なくとも、ただならぬ者であることは確かだった。
「おお、お前か。我が羽衣を持っていってしまったのは」
男は硬直した緋織を見た。
「あなたは……」
叶衣が社の中に入ろうとすると、男は目にも留まらぬ速度で移動し、叶衣の額に指先を当てた。一切の痛みや、違和感はない。しかし、叶衣はそこから先、一歩も動くことができなかった。
「おっと、不用心に入ってくれるな。ここから先は、神の居所なるぞ」
「…………あ、あなたは、まさか――」
「そのまさか、である。我が名はツキノカミ。この土地の、偉大なる豊穣神である」
「ええっ!」
緋織が驚いて、自然と開いた口に手を当てた。
「神様って、本当にいたんだ……」
「当然いる。それともお前は、あの社に神以外の誰かが住んでいたとでも? あの社に、神以外の人間を住まうなど、到底許される行為ではない」
「うっ……」
緋織は胸の奥がチクりと刺されたような気がした。
「ツキノカミ様……は、どうして戻ってこられたのでしょうか?」
訊ねたのは叶衣だった。
「我が天界で悠々自適に暮らしている時だ。我の住処にどこぞの不届き者がいると知ってな。おまけに神の真似事をしていると……我にとってこれほど不名誉なことはあるまい…………本来であれば戻ってくるつもりはなかったが、罰当たりな人間には、相応の罰を与えねばな……であろう? 人間の女」
神々しい――と言えば、聞こえはいいかもしれない。しかし、その時の空気は、明らかに凍り付き、緋織に牙を向いているようだった。
「まずは羽衣を返してもらうとしよう」
その言葉と共に、叶衣の前にいたツキノカミ様が消え、一瞬にして緋織の背後を取った。それから、瞬きをしている間に、緋織が羽織っていた羽衣は奪われてしまっていた。
「…………あのっ!」
「うむ。やはりこの羽衣は、我の方がしっくりくる。で、罰だが……まずは、お前の正体を暴くとしよう」
「今まで、ツキノカミ様のふりをして、すみま――」
ツキノカミ様が指を鳴らすと、緋織は一瞬にしてその場から消えた。叶衣は目の前で起きた出来事が理解できず、ただ水を求める魚のように口を何度も開閉させた。
「安心するがいい。殺してはいない。殺される、かもしれんがなぁ……」
ツキノカミ様が不敵に笑みを浮かべた。
叶衣はその姿に、圧倒的な恐怖を抱いた。
勝てない。こいつには勝てない。本能的に、人間と神の、確かな隔たりを感じた。
彼には、ただその場で立ち尽くすことしかできなかった。
「――せんでした……え?」
緋織は気付けば、知らない村の中心に来ていた。いや、知らないはずがない。彼女は即座に理解した。この村こそ――この村こそが、月ノ神村なのだと。
「さて、下界の人間どもよ。この声が聞こえるか?」
空から声が聞こえた。緋織はこの声に聞き覚えがあった。ツキノカミ様だ。不思議な声につられて、村中の人々が家から出てきた。緋織の存在に気付き、全員が彼女を取り囲むようにして、集まる。神の如き装束を身に着けた彼女が、我々を呼んだのか、と……。
「ああ、その女ではない。お前たちを呼ぶのは、天より呼びし、我だ」
全員が雲一つない空を見上げた。
「我はツキノカミ。お前たちを支え続けた豊穣の神である。さて、お前たちが取り囲んでいるその女だが、実はつい先月から、我の名を騙り、我の社に住み着いておった不届き者である。豪勢な服装をしてはいるが、それらは全て、我の物。その正体は、どこぞの村からやってきた、逸れ者よ」
ツキノカミ様の言葉に、村中がざわつき始めた。彼女の頬の傷を見て、なにやら話す者もいた。彼女はその視線と空気に、覚えがあった。かつて村で受けた迫害と似ていたのだ。
「あんた、本当かね?」
他の村人より、僅かながら飾り付けのある服を身に着けた男が言った。
緋織は何度か目を逸らし、どう答えようか悩んだが、彼女は目を閉じると、どうするべきか、判断できた。
「……本当です。皆さんのこと、今まで騙してすみませんでした。いつかは打ち明けるつもりでしたが……このような形になってしまい……」
「なんと罰当たりな……!」
別の男が言った。
それに同意する人間が、次々に声を上げた。もはやそれを止めることは誰にもできなかった。声はどんどんと熱を帯びていき、やがて一人が叫んだ。
「火あぶりにするべきだ! そしてツキノカミ様に捧げよう!」
全員がかすかに動揺し、一瞬だけ静寂が訪れた。その過激な発言に、正気を取り戻したかのように見えた。しかし、それは淡い期待だった。
再び村中が賛成の意見を上げていき、やがてそれは憤怒の嵐となって、緋織を取り囲んだ。彼女は目を揺らし、体を震わせ、恐怖と戦うので必死だった。
「では、十四日後、この女の死をもって、ツキノカミ様に捧げるとしよう」
緋織は全くの無抵抗だというのに、強引に押し付けられて、両手足を縛られた。
かくして、緋織は十四日後の死を待つため、月ノ神村の牢の中で過ごすこととなった。
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