第49話 ジゼルの傷

 次の日の朝、寝ていたボクの意識を浮上させたのは、寝苦しさだった。

 身体の上に何かが乗っかっているような感覚に、不思議に思いながら目を開けると……


「あ! お姉さま目を覚ましたの! あのねあのね、シルリアーヌお姉さまの寝顔とってもとっても可愛かった! 朝起きてお姉さまのきれいな顔を見ることが出来るなんて、わたしすごくすごく幸せなの!」


 そこにいたのは、ボクの上に乗っかかって、きらきらとした目でボクを見つめるジゼルちゃんだった。


 あ、あれ? 昨日は確かジゼルちゃんの横で寝た気がするんだけど、ジゼルちゃんはどうしてボクの上に乗っているんだろう……?


「ふふっ、困ってるお姉さまも可愛いの! きれいなお姉さまのお顔がきょとんとしてるのは、とってもとっても可愛いの!」


 そして、ボクの胸にすりすりと顔を擦り付けるジゼルちゃん。


 あ、あれ? ジゼルちゃんってこんな子だったっけ?

 奴隷になって覊束の円環で自由を奪われて、辛い境遇だったせいだろうけど暗い顔で何も喋らず俯いていたような印象しかない。そしてその彼女が、きらきらとした目で饒舌に喋る今の光景とあまり結びつかない。


 もともとはこんな明るい子だったのかな?


 困惑しているボクの胸に顔を擦り付けていたジゼルちゃんは


「かたい……」


 そう言うと、身体をずらしてボクのお腹にすりすりと顔をすり家始める。


「やわらかい……」


 む、胸が無いのは仕方ないじゃないか!

 お腹がぷにぷにでゴメンね……。全然筋肉付かないんだよね……。


「シルリアーヌお姉さまのいい匂いがするの! ベッドもふかふかだし、あのミランダの所にいた時とは全然違うの! あの嫌な首輪も無いし、とってもとっても幸せなの!」


 目をキラキラとさせて言うジゼルちゃん。

 そういう風に言われると、ボクはジゼルちゃんを守ることが出来たんだ、という実感がわいてくる。


 ジゼルちゃんの頭を撫でてあげると、ジゼルちゃんがとろんとした顔で「ふわあ……」と声を漏らす。


「ジゼルちゃんのこれからの事も考えないとなぁ……あ、そうだ、そろそろ下に降りなきゃ」


 ジゼルちゃんの事を考えていて思い出した。今朝は1階の酒場にリリアーヌ達が来てくれるから、一緒にジゼルちゃんの事を考えるんだった。


「ジゼルちゃん、下にリリアーヌ達が来てくれてるから一緒に食事しながらこれからの事を相談しよ?」


 ジゼルちゃんも明るくなったみたいだし、これからいろいろ楽しい思い出とか作っていって欲しいな。



◇◇◇◇◇



 ……なんてことを、ボクは安易にも考えていた。


 下に降りた時ロドリゴさんに会ったんだけど、さっきまであんなに饒舌だったジゼルちゃんは怯えたようにボクの後ろに隠れてしまった。……そういえば、昨夜ロドリゴさんに会った時もこんな感じだった。


 店内を見回すと、奥のテーブルにリリアーヌとエステルさんを見つける。

 リリアーヌとエステルさんが並んで座っていて、その向かいに座るボク。ボクに隠れるようにおずおずと近づいてきたジゼルちゃんは、手招きすると下を向きおっかなびっくりという感じでボクの横に腰を掛ける。


 ロドリゴさんの時も感じたけど、出来るだけ他人と視線を合わせないようにしているその様子に、胸が締め付けられる。


「ジゼル、昨夜はよく眠れたかの? 覊束の円環が外れて良かったのじゃ」

「ジゼルさん、体調は大丈夫ですか? 悪い所があれば無理はいけませんよ」


 リリアーヌもエステルさんも、大変な境遇だったジゼルちゃんを気遣って声をかけてくれる。

 ジゼルちゃんはボクの腕に抱きつくと、見上げるようにして聞いてくる。


「ねぇねぇお姉さま、この人たちは誰なの? お姉さまと一緒にいたのを見たことがあるの」

「リリアーヌとエステルさんだよ。ふたりともミランダの所からジゼルちゃんを助け出すのにいろいろ協力してくれたんだ」

「それはありがとうなの! わたし綺麗でかっこいいシルリアーヌお姉さまに助けてもらって、とってもとっても嬉しかったの! お姉さまはきらきらとしてて、きりっとしてて、とっても素敵なの!」


 きらきらと目を光らせるジゼルちゃん。


 恥ずかしいからあんまり綺麗とか言わないで欲しいなぁ、なんて初めは思っていた。だけどそんなジゼルちゃんの様子に違和感を感じて……違和感の正体はすぐに分かった。

 今ジゼルちゃんはボクに助けてもらった時いかに嬉しかったのかを話してくれている。リリアーヌ達へもお礼を言ったように感じる。


 だけど――


 ジゼルちゃんはずっとボクの目だけを見て話している。

 リリアーヌ達の方はちらっと見ただけで、テーブルに移動するときも座った後も、そしてリリアーヌ達がジゼルちゃんに声をかけた時も、ずっとボクの顔だけを見つめていた。


「とくにリリアーヌはね、なんと王女殿下なんだよ? ジゼルちゃんを助けに行く時も国王陛下に話をしてくれて、とっても助かったんだよ?」

「そうじゃよ! 敬うがよいぞ!」


 そんなジゼルちゃんに、リリアーヌがスゴイ人なんだという事を説明してあげる。

 ドヤ顔で胸を張るリリアーヌの事を見もせずに首をかしげるジゼルちゃん。


「? よく分からないの。わたしにとっての王女様はお姉さま。そっちの人も王女様なの?」

「あ……」


 そうだった。ボクも王女殿下だった。

 

 視界の端でエステルさんがため息をひとつ。

 ごめんなさあい、そんなすぐに王女としての自覚とか出るわけないよ……。


「シルリアーヌお姉さまは、あいつらに捕らわれていたわたしを助けてくれた。わたしにとっての王女様で王子様で英雄で恩人なの! そっちの人は助けてくれなかった、偽王女なの」


 きらきらとした瞳でリリアーヌを偽王女と呼ぶジゼルちゃん。


「はあっ?! だれが偽王女じゃっ! 妾こそが真の王女、偽王女はそっちのシルリ……もがもが」

「ちょ、ちょっと姫様、ダメです! なに言おうとしてるんですか?!」


 反射的にリリアーヌが不満の声を上げて立ち上がり、なんだか大声で叫んじゃいけない事を叫ぼうとしてエステルさんに口を押さえられる。

 リリアーヌとエステルさんがそんなやりとりをしている間も、ジゼルちゃんは一時も逸らすことなくボクの目を見続けていた。


「はぁ……」


 ため息が出る。


 これは重症だよ。

 ジゼルちゃんが明るくなってよかった、なんて能天気に考えていた少し前のボクをひっぱたいてやりたい気持ちだった。盗賊に村を襲われ、両親を失い、そして天職を使ってしまい村の人達を自分の手で殺めてしまった。その後、奴隷となりミランダたちに酷い扱いを受けた、そんなジゼルちゃんは他人を酷く恐れるようになってしまったんだろう。


 幸いボクには心を開いてくれてるみたいだけど、リリアーヌやエステルさんたちへも心を開いてほしいんだけど……。


「それはそうと……」


 おトイレ行きたくなっちゃった。


「ごめんね、ちょっと席を外すね」


 みんなに断って立ち上がる。


「お姉さま、どこへ行くの? わたしも、わたしも行くの!」


 ジゼルちゃんがぱあっと顔を輝かせるけど、……うーん、ごめんね、おトイレに連れて行くのはちょっと……。


 「すぐ戻るから待っててね」とジゼルちゃんの頭を撫でると、席を後にする。

 ちょっと心配は心配なんだけど、リリアーヌもエステルさんもいい人だし、ふたりにももう少し慣れてくれるといいなぁ。

 

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