第2章 プリンセスと不遜の魔女
第24話 あれから
「なんだか、いい気持ちだ――」
王都サンヌヴィエールの門をくぐったところで、大きく伸びをする。
頭上にはさんさんとお日さまが輝き、ぽかぽかと温かく気持ちのいい天気。通りを行き交う人たちも、心なしかいきいきとして楽しそうに見える。
どうしてこんなに晴れ晴れとした気持ちなのか、それは自分が良く分かっている。なんと――
いまの
ボクは
男の
格好なんだ!
男のボクが男の格好をしているのは当たり前なんだけど、このところずっとドレスを着て女の人の格好をしていたから、男の格好をするだけでなんとなく晴れ晴れとした気持ちになる。前のボクが着ていた服とローブはリリアーヌが持って行っちゃったから、同じような服とローブを買いなおしたんだ。
お金にちょっと余裕が出来たから少しいい服を買おうかとも思ったんだけど、よくよく考えてみると、悲しいけど男の格好をする機会はあんまりないんじゃないかと気が付いちゃったから、安いので済ませることにした。
あのダンジョンでリリアーヌと別れてから半月。
ずっとドレスで過ごしてきたから正直いい加減慣れて来たし、みんな優しくしてくれるからシルリアーヌとして生活するのがそんなに嫌って訳でもなくなって来てるんだけど、それでもやっぱりボクは男なんだ。
ベルトランみたいな漢の中の漢になる、という目的だって諦めたわけじゃない。
「意外とみんなシルリアーヌだとは気づかないんだよね……」
くるりと回り、自分の格好を見下ろしてみる。
なんの変哲もない安物のシャツとズボンとローブ。あとは髪を適当に纏めただけで、シルリアーヌとして過ごしていた時とそんなにも変わらないと思うんだけど、案外みんな気付かないみたいだ。リリアーヌから貰ったあのドレスの印象が強すぎるのか、人間の先入観ってすごいなぁ、なんて思ったりする。
「コレットさんにも挨拶しに行かないとね」
冒険者ギルドでレックスと言い合いになったとき、ボクが1人だけ逃げたりする訳ない、とかばってくれたコレットさん。お礼もかねて挨拶に行かないと、と思っていたんだけど実はまだ行けてなかったりする。
これはボクの考えが甘かったのかもしれないけど
「男の格好になれる時間がないんだよね。思ったより……」
リリアーヌと一緒に行動していた時はあんまり考えていなかったんだけど、ボクは鋼の戦斧亭の宿をシルリアーヌとして取っている。だから買い物や依頼がある時は、シルリアーヌとしての格好で出かけたり帰ってきたりしている。シリルとしての格好で出入りしたら、女装している変な奴だとバレるかもしれないし。
じゃあ、宿の部屋の中ではシリルとしての格好でいられるのかと言うと、パメラちゃんが遊びに来たり料理を教わりに来たりすることが多くて、いつ来られてもいいようにシルリアーヌとしての格好でいるようにしている。
正直、失敗したかもしれないと思ったよ。
シリルとしてもう一軒宿を取る、というのも考えたけどそこまでお金に余裕は無いし。
と、言うわけでボクはあれからずうっとドレスを着てシルリアーヌとしての格好で過ごしていたんだ。
「でも、今日は久しぶりの男の格好だ!」
思わず両手を握り締め、ガッツポーズをしてしまう。
いいかげんシリルとしてお世話になった人に挨拶に行かないと、と思ったボクは古着屋で男物のシャツと安いローブを買った。そしてシルリアーヌとして王都から出てそこらの森に出かけて、森の奥の人気のない所でこっそりと着替えて、シリルとしての格好でまた王都に戻ってきたんだ。
シリルとして誰かに会うたびにこれを繰り返さないといけないかと思うとゲンナリするんだけど……。
そんなことを考えていると、冒険者ギルドが見えてきた。
「こんにちわー」
ドアを開け、ギルドに入る。
「お、シリルじゃねぇか。久しぶりだな」とか声をかけてくれる冒険者たちに会釈をしつつ、奥のカウンターへと歩を進める。そこにあったのは、ギルドでいつもお世話になっているコレットさんの姿。
「シリルさん!」
コレットさんはぱたぱたとボクに駆け寄ると、そのままの勢いで抱き着いてきた。
彼女の柔らかい感触とふわりと漂う良い匂いに、思わず顔が赤くなるのを感じる。
「ちょ、コレットさん……っ!」
「シリルさん、良かったです……。死んじゃったとか大怪我したとか、いろんな噂聞かされて心配したんですよ。全然顔見せてくれないし……」
ぐすっ、と涙を流すコレットさん。
すうっ、とドキドキしていた気持ちが消えて、申し訳ない気持ちがこみあげて来る。
ボクはシルリアーヌとしては頻繁に顔を合わせていたから正直久しぶりという感じはしないのだけど、コレットさんはボクが死んだとかいろいろな話を聞かされて心配してくれていたんだ。ギルドに顔を出せないのはドラゴンに大怪我を負わされたから、という事にしていたし。
もっと早く顔を出すべきだった。
「ゴメンね、もっと早く来ればよかった。色々ごたごたしていて……ゴメン、言い訳だね」
「……ううん、こっちこそごめんね。シリルさんも大変だったのに、私の都合ばっかり」
申し訳ない、という気持ちも込めてコレットさんを抱きしめ返すと、コレットさんもこっちに体重を預けてくる。
そのまま、数秒とも数十秒とも知れない時間が流れて――
「オイオイ、ギルドの真ん中でお熱いこったなァ!」
「ああああ、俺のコレットちゃんがぁー-!」
周囲の冒険者たちの囃し立てる声に驚いて、同時にばっと離れる。
「ご、ごめんなさい! 私ったら、恥ずかしい……!」
「こ、こっちこそゴメン」
赤い顔でぺこぺこと頭を下げるコレットさん。
同じく何度も頭を下げているボクも、同じような顔をしているのだろうか?
「えっと、じゃあ本日の要件を伺いますね?」
コレットさんはまだ赤い顔を手でぱたぱたと扇ぎながら、カウンターの向こうへと回る。
ボクも冒険者たちの「俺のコレットちゃんを!」みたいな声を出来るだけ気にしないようにしながら、カウンターへと進む。
「今日は顔見せで、用事というほどの事はないんだけど……」
まずは、森から王都まで来る途中で採取した薬草などを換金しておく。
正直たいした金額にはならないんだけど、シリルとして安定して受けられる依頼はこれくらいだった。教会で神聖術をかけてもらうと結構な金額になるから、ふつうの平民は薬草を調合したポーションや、場合によっては薬草をすりつぶした物を使うのが普通だ。だから薬草は、高くはないけど常に需要がある。
「はい、大丈夫です。シリルさんの持ってくる薬草は状態もいいし、間違いもないので助かります。似ても似つかない雑草を持ってきて薬草だと言い張る人が、けっこう多くて困ってるんですよね……」
「それは大変だね……。ボクは村でオババに教わったから知ってるけど、確かにちゃんと教わらないと見分けるの難しいかも」
「分からないだけならいいんですけど、適当な草を持ってきて大きな声で脅して認めさせようとする人も多いんですよ! みんなシリルさんみたいな人ばっかりなら、受付も楽なんですけど……」
それはちょっと悪いように受け取りすぎなんじゃないかな、と思ったけど口には出さないようにする。
代わりに話すのは、今日話そうと思っていた本題といえる用件。
これからはシルリアーヌとしての活動がメインになると思うから、理由はぼかして今後はあまり来られないと伝える。宿でシルリアーヌの姿でいないといけない事もあるし、現実問題としてシリルとしてはお金を稼げないという事実。そして、半月前から会っていないけどリリアーヌとまた一緒に冒険者として活動するには、シリルでなくシルリアーヌでないといけない。
慣れてきたとはいえ、ドレスを着て女の人として行動するのには抵抗はある。
女の人になりたいと思ったことは無いし、ベルトランみたいな漢の中の漢になる、という目標だってある。だけども、あのリリアーヌと一緒に行動した二日間のあいだで、色々なしがらみが出来ちゃったのだ。
「そうですか……」
肩を落としてしゅんとするコレットさんと見ると、申し訳ない気持ちになる。
「でも、正直こうなる日が来るような気もしてました。シリルさんは薬草とか魔導具の知識が豊富ですし、冒険者になんてなるより商人になった方がいいと思ってました。シリルさんならどこの商会でも歓迎してくれるでしょうし……そういう事なんですよね?」
「え? そ、そうだね……?」
コレットさんの思わぬ言葉に、商人になるなんて考えたことも無かったボクは動揺してしまう。
商人? ボクが?
「でも、冒険者でもあるんですから、たまにでも顔見せてくださいね?」
「も、もちろんだよ! 薬草の採取も嫌いじゃないし、出来るだけ来るようにするよ!」
そう言って、ボクはギルドを後にした。
◇◇◇◇◇
「ボクって商人に向いてるのかな?」
ギルドを出たボクは、またシルリアーヌの姿に着替えるために王都を出て森へと向かおうと、門へと向っていた。その道すがら、ボクはそんなことを考えていた。
村でベルトランに危ない所を救われて、彼の様になりたいと思って冒険者を目指し始めた。でもボクの
周りを見てみると、王都の通りにはいろいろな商店が軒を連ねている。武器屋、道具屋、八百屋に肉屋……さまざまな商店がならび、そこで元気に商売に励む商人たち。商人になりたいと思ったことは無いけど、いろんなお客さんと話をして物を売ったりするのも、面白そうだとは思うんだ。
「……もしかして冒険者、向いてないのかなぁ?」
そんなことを考えていると、後ろからボクを呼ぶ声があった。
「おや、シリルではないですか」
「え?」
振り向くと、そこには1人の老人の姿。
商人が着るような簡素ながら上等な生地で出来た服に身をつつんだ、隻眼の老人。その特徴は高齢ながらぴんと伸ばされた背筋と、光を失った左目に走る大きな傷。
それは良く見知った顔で、村のオババの旦那さんのオジジだった。
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