第8話 メイド

「……ちょちょ、ちょっと待ってよ、リリアーヌ!」


 ボクはリリアーヌの手を引っ張り、エステルさんから声が聞こえないくらいの距離まで無理矢理引っ張っていく。

 エステルさんの眉がしかめられるが、もうそんな事を気にしている余裕はない。


「なんじゃなんじゃ、ひっぱるでない」

「なんじゃじゃ無いよ! なんだよシルリアーヌって! 誰だよ!」


 出来るだけ静かな声で、と思ったけど思わず声を荒げてしまう。

 ボクにはシリルという両親がつけてくれた……訳じゃなくて捨てられていた時に添えられていた手紙に名前が書かれていたそうだけど……それでもシリルという大事な名前があるんだ。


「ほう、なら実は男子であると言えばよかったかの?」


 リリアーヌがにやりと笑い、ボクはうっと言葉に詰まる。


 それはそうなんだけど!

 どっちが良かったかと言われると困るんだけど!


「それに、リリアーヌの妹ってことは……お、王女殿下だってことじゃないか!」


 そう、ボクが第七王女であるリリアーヌの妹であるシルリアーヌと名乗ってしまうと、男が女の子の格好をしているとかどうとかいう次元の話ではなくなってしまう。


「王族を詐称することは死罪だよ!」


 そう、王族であると身分を詐称することは重罪だ。

 聞いた話によると、たとえ貴族の方であっても一族郎党死罪などの極めて重い罰が下されるという。平民のボクなんてもちろん死罪だし、両親もおそらく同罪、村のみんなも巻き込まれるかもしれない。


 そんなのは絶対にイヤだ。


「第七王女である妾がお主を妹にすると決めたのじゃ。安心せい!」

「ぜんぜん安心できないよ!?」


 ついさっき自分は第七王女で、家族に相手にされなくて何の力も無い、みたいな話をしてたよね!?

 リリアーヌが庇ってくれても、最終的に決定するのは国王陛下だよね!?


「ちっ、なんじゃ、妾の妹になるのはそんなに嫌かの? えらく頑なじゃのう……」

「だって、命がかかってるからね!?」


 リリアーヌは嫌そうに舌打ちをするけど、そういう問題じゃないからね!?


 なんだかボクを妹にすることにこだわるリリアーヌと、死罪は勘弁してほしいボク。

 お互い譲れないラインを話し合った結果――


「えと、リリアーヌの『妹分』のシルリアーヌ……と、いいます」


 ボクは、エステルさんの前でぺこりとおじぎをしていた。

 王族の詐称である『妹』ではなく、血のつながりは無い『妹分』ということにして。そう、結局ボクは男であることを隠し、女性であると偽りシルリアーヌと名乗ることを受け入れてしまった。死罪という言葉の前では性別や服装なんかささいな事だと思ってしまったからなんだけど、正直すでに後悔しているよ……。


 ボクの目指す漢の中の漢が、遠ざかっていくような気がする……。


 エステルさんの、下らない茶番を見せられたとでも言いたげな冷たい視線が痛い……。

 そしてリリアーヌは、なんでそんなに自信満々で胸を張っているのだろう……。


「…………」


 無言でじっ、と見つめて来るエステルさん。

 その視線に思わず後ずさってしまいそうになる。ボクがその視線に感じた感情、それは恐怖。


 リリアーヌはボクが男だと知ってるからそんなに気にならなかったけど、本来男のボクが女の子の格好をしていて、本物の女の人から気付かれない訳がない。

 男のくせに女の格好をして女の名前を名乗った変態だと、腕を掴まれ非難されるかもしれない。


 思わず、両腕で身体を抱きしめる様に抱え込む。


 でも、エステルさんから発せられたのは、呆れるようなため息ひとつ。


「まぁ、良いですよ。姫様も気を許していらっしゃる様ですし、これも姫様のいつものワガママなのでしょう」


 そして、ボクの格好を足元から頭の先まで、じっと見つめてくる。

 その視線にすでに厳しさは無く、ボクの身だしなみを確認するような視線だ。


 ボクの格好を見ておかしいとは思わないんだろうか?

 いや、おかしいと思われたいわけじゃないけど……。男だとバレない方がいいんだけど……なんかもやもやっとする……。


「とはいえ、そうですね……姫様の『妹分』とおっしゃるには、いささか身だしなみが乱れていらっしゃるご様子」


 どうも、ボクの格好はエステルさん的にはお気に召さなかったようで。


「軽くですが、御髪と身だしなみを整えさせていただきたいと思います。姫様は、魔物がいないか周囲を見て回って来ていただけますか?」

「おお! そうか、頼むぞエステル! シルリアーヌよ、エステルは優秀なメイドじゃ。任せておけば間違いは無いのじゃ!」


 リリアーヌは、エステルさんが腰に下げている魔導袋から取り出したマジックポーションをぐいと飲み干し、空っぽだった精霊力を回復させる。


「目の届かない場所には行かないよう、お願いいたしますよ」

「分かっておるのじゃ~~」


 ぱたぱたと走っていくリリアーヌ。


「あ、ちょっ……」


 危ないんじゃないか、という間もなくリリアーヌは走って行ってしまう。


「大丈夫ですよ、この辺りの魔物はすべて殲滅しました。目の届く範囲内であれば、危険は無いでしょう」


 エステルさんは言いながらボクの後ろに回ると、魔導袋からブラシやタオルなどの道具を手際よく取り出していく。


「では、失礼しますね」


 瓶から水や何かの液体を取り出しボクの長い髪に、なでるように染み込ませてゆく。

 そしてブラシを取り出し、ゆっくりと梳いてゆく。


 その優しい手つきは、村にいたころよく母様が髪を梳いてくれていた事を思い出させる。

 あの頃は今ほど髪は伸びてはいなかったけど、母様はボクの髪の手触りを気に入ってくれていた。


 まぁ、男としてはあんまり褒められて嬉しい箇所ではなかったけども。


「…………」


 シュッシュッと柔らかい音がしていた。


 リリアーヌが向こうの方でちょろちょろと動きながら横穴を覗き込んでいるのを見ながら、しばらくお互い無言でエステルさんがボクの髪を梳いている音だけを聞いている。


 ……き、気まずい。


 ボクとエステルさんはついさっき会ったばかり。

 しかもいきなり王族詐称をやらかそうとしたボクに良い印象を持っているとは思えないし、そもそもボクは男のくせに女の子の格好をしているような奴だ。エステルさんは優しそうだし口には出さないだけで、やっぱり「気持ち悪い」くらい思っているのだろうか。


 いや、むしろ思っている方が自然と言えるかもしれない。


 ……気持ち悪くて、ごめんなさい……。

 など思っていると――


「……そういえば名乗っていませんでしたね。申し遅れました、私はリリアーヌ姫様付きのメイド、エステル・ド・オブランと申します」


 軽く頭を下げるような気配が伝わってくるので、つられてこちらも軽く頭を下げる。

 ……貴族様なんだ。まぁ、王族の使用人を勤めるくらいだから当然なのかな?


「あなたが何処の誰かは存じませんが、あなたがでないことはハッキリしています」


 なんだか妙な言い回しだな、と内心首を傾げたボクにエステルさんは続ける。


「ですが、先ほども申しあげたとおり、姫様が気を許していらっしゃる様なのであまり追及はいたしません」

「……ありがとうございます」


 思わず、ほっと息を吐くが


「――ですが」


 そこでエスエルさんの口調にわずかに殺気が混じる。

 ボクの髪が後ろからわずかに引っ張られ、いつの間にか抜き放たれたカタナがボクの右わき腹に添えられた。ボクはこの体勢からでは逃れられない、エステルさんがその気になれば一瞬で命を奪える間合い。


 ごくり、と息をのむ。


「もし、あなたが姫様に害をなそうと近づいたのであれば、私はあなたを許しません」


 硬い声のまま、エステルさんは告げた。


 いつでも命を取られかねない間合い、なのにボクの頭をよぎったのは、ああ、この人はリリアーヌの事が大事なんだなぁ、とそんな考えだった。


「ふふっ」

「……なにが可笑しいのですか?」


 思わず漏れた笑いに、エステルさんが問い詰めるように問いかけてくる。


「いえ、エステルさんはリリアーヌの事が大好きなんだなぁ、と思って。ボクもこの街でエステルさんみたいにボクの事を想ってくれる人が出来たら幸せだなぁ、って思っただけです」


 両親や村のみんなには大事にされていた自覚はあるけど、この街に来て冒険者になってからは、ボクの実力不足もあって厳しくされることが多い。

 至らないボクが悪いのだけれど、ボクがみんなのために力を尽くして、そしてみんなもボクの事を少しでも大事に思ってくれればそれはきっと素晴らしい事だと思うんだ。


 そう告げると、エステルさんの張りつめていた空気はいつのまにか霧散していた。


「……なんですか、それは。あなた本気で言ってるんですか?」

「ボクはなにかおかしな事を言ってるでしょうか?」

「……いえ、別におかしくは無いのですが……」


 ボクは何も間違ったことは言っていないと思うんだけど、エステルさんは戸惑う様な雰囲気だった。


「……なるほど、これは姫様が気に入られる訳ですね」


 そして諦めたように、はぁと息を吐いた。


「?」


 なにやら良く分からないけど、理解してもらえたのだろうか?


 そこからは、少し打ち解けて話をすることが出来た。

 エステルさんはリリアーヌの事をすごく大事に思っていて、彼女に仕えるメイドであることをとても誇りに思っているようだった。メイドとしてリリアーヌの事を支えていくのだと、とても誇らしげに語っていた。


 でも、エステルさんが一番食いついてきた話題は、腰のカタナの事だった。

 「腰のってカタナですよね? 珍しいですよね」と何気なく話題を振ったところ


「そうなんです! 大業物『備前守光正びぜんのかみみつまさ』、はるか東の国に伝わる由緒ある刀で、むかし母が使っていた刀なんです!」


 彼女はカタナがいかに使いやすいか、その刀身がいかに美しいかをとうとうと語った。


 最後の方は「はぁ」としか言っていなかったような気がするけど、ボクはエステルさんの事をすこし理解できたような、そんな気がした。

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