第7話 オーガ2
「
唱えた瞬間、突き出した左手の前にごうごうと燃える火球が現れた。
下位下段の精霊術、ファイアボール。
天職を得た人が使えるようになる術には、2種類ある。
この世の精霊に働きかけて火や風を巻き起こす精霊術と、女神様の御力を借りて回復や護りの奇跡を起こす神聖術。術はそれぞれ、上位上段・上位下段・下位上段・下位下段と4段階に分かれていて、今のボクが使えるのは精霊術と神聖術それぞれ下位下段だけだと直感が訴えかけている。
「行けっ!」と叫び左手を振ると、火球が飛んでいき、左のオーガに着弾し燃え上がる。
それほど効いた風には見えなかったけど、それでも衝撃で数歩後退するオーガ。
「……ガ、ガグウッ」
「なあっ? 妾の精霊術より効いておるではないか!?」
リリアーヌの声を聴きつつ、次の術を放つ。
「
下位下段の神聖術、プロテクション。
光の壁を出現させて敵の攻撃を防ぐ術だけど、こういう使い方もできる――
「ガアッ!?」
右のオーガが、突如目の前に現れた光の壁に激突し、目を白黒させた。
敵の攻撃を防ぐ術だけど、敵の目の前に展開させると敵の行動を妨害することも出来る。
――これで、一瞬だけど真ん中のオーガは孤立した。
弓のように弾き絞った低く構えたレイピアを、全身のバネを生かし矢のように解き放つ。
「
剣技スキルの助けを借りて爆発的な瞬発力が生まれる。
蓄積された爆発力が方向性を持ち解き放たれ、流星のように奔るレイピア。
「ガアッ……!」
レイピアは、オーガの心臓があるであろう位置を貫いた。
崩れ落ちる、真ん中のオーガ。
「やった!」
思わず声を上げていた。
ボクが、なんの力もないと思っていたボクが、ベテラン冒険者でも苦戦するオーガを倒すことが出来た!
でも、気を緩めるのは早い。オーガはまだ2体残っている。
「ウ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ーーッ!」
仲間が殺されて激昂したのか、雄叫びを上げる2体のオーガ。
こん棒を振り上げて突進してこようとするけど、そうはさせない!
「
叫ぶと、地面から岩の塊が矢のような速度で放たれ、右のオーガに命中する。
「ガアッ!」と声を上げ、たたらを踏んだ右のオーガに向けて剣技スキルを発動。
「
4つの斬撃を一瞬で放つ剣技スキル、ターミネイト。
胴体!
右腕!
左腕!
剣閃が3本走り、切り付けられたオーガから血が噴き出る。
そして――
「はあああああっ!」
4本目の剣閃が走り、オーガの額に突き刺さるレイピア。
「よしっ!」
思わず声が出る。
あのオーガを、このボクが2体も倒すことが出来た!
あと1体、そう思い気が緩んだのもいけなかったのだろう。
「ガアアアッ!」
「う、うひゃあっ! こ、こっちに来るでない!」
ボクの後ろに下がっていたリリアーヌの方へと、突進するオーガ。
「い、いけないっ!」
精霊力を使い果たしているリリアーヌは、オーガに対抗する手段がない。
急いで駆け付けないとと思い、走り出そうとするが――
「……レイピアが、ぬ、抜けない!」
オーガの額に突き刺さったレイピアは、思ったより深く突き刺さっており、すぐに抜けそうになかった。
ならば神聖術のプロテクションで、と思い視線を向けた先で目に飛び込んで来たのは、リリアーヌの目の前でこん棒を振り上げるオーガの姿だった。
間に合わない――
そうボクが思った時、リリアーヌを護るように彼女とオーガの間に割り込んでくる人影があった。
その影は、ボクより2つか3つ年上の綺麗な女の人だった。
背中まで届く黒髪と、でも何より目を引いたのは彼女が身に着けた黒いエプロンドレス、そして頭の上のフリルの付いたヘッドドレス――そう、メイドだった。
そして、その腰には――
「はあッ!」
「ギャグウッ!」
走る一筋の剣閃。
その女の人が放った剣は、オーガの両目を正確に切り裂いた。
オーガがいくら頑強な肉体を持っていようと、剥き出しの眼球まで鍛えられているはずは無い。
「姫様には指一本触れさせません」
メイドさんの手の中の剣は、悲鳴を上げたオーガの大きく開けられた口の中へと正確に突き出され、そして脳天を貫いた。
あれでは、いくら筋肉や皮膚が頑健でも関係ない。
鍛えようがない口の中を貫いて脳を破壊されれば、生きている生物はいないだろう。そしてボクは、あのオーガ相手の実戦で相手の目や口の中という弱い部分を正確に攻撃するその冷静さと技術を、純粋に凄いと思った。
チン、と高い音が響き、メイドさんが剣を鞘に納める。
この辺りの国では見ることの無いシルエットの剣。シャムシールやカトラスとは違う大きく湾曲した片刃の刀身、初めて見る特徴的な装飾の柄。
「……カタナ?」
本で読んだことがある。遥か東の国で使われているという剣で、剣より切れ味に優れる武器だというけど、実際見るのは初めてだし使っているという人の話も冒険者ギルドでも聞いた事がない。
なんと声をかけるか迷っていると
「エステル! 助かったのじゃ!」
ぱあっと顔を輝かせ、声を上げるリリアーヌ。
エステルというのは……たしかリリアーヌがはぐれたというメイドだったと思う。そうか、この人が。
「姫様、お探しいたしました。ご無事でなによりです」
「すまぬすまぬ、悪かったのじゃ」
エステルさんは綺麗な所作で軽く頭を下げただけだったけど、リリアーヌはまるで親しい友人に向けるような笑顔を浮かべる。
ボクは家族に振り向いてもらえないと嘆いていたリリアーヌに、そのような気の置けない相手がいることが嬉しいと思った。
でもそれよりなにより、ボクの頭から離れなかったのは、エステルさんの身に着けているメイドの服装だった。
戦闘系の
たとえどんなに強力な天職を持っていたとしても、メイド服を着ていては天職の祝福は発動しない。もちろんメイドという天職はあるけど、それは非戦闘系の天職で礼儀作法や家事の腕に補正がかかるだけで、戦闘能力に補正がかかることは無い。
つまり、ついさっきオーガを一瞬で倒した剣の腕は、彼女が天職を持っていたとしても持っていなかったとしても、天職の補正抜きの素の実力だということになる。
――すごい。
素直にそう思った。
才能はある人なのだろうけど、天職抜きで魔物と戦えるまで技量を高めるのは並大抵の努力では不可能だ。
おそらくボクなんかでは想像もできないほど、血のにじむような鍛錬をしたのだろう。
レックス達に色々酷い事も言われたけど、エステルさんの剣を見れば確かにボクの剣の腕なんてまだまだなのだと理解できた。
それに、リリアーヌと親し気に話しているエステルさんの背筋はぴんと綺麗に伸ばされていて、その所作は指の先の先まで美しかった。
漢らしい力強さの中に繊細さを併せ持つベルトランとはまた違う、美しい繊細さの中に息づく力強い意志と努力。
「……かっこいい」
思わず声が漏れた。
……すると、なんだかエステルさんがこっちに向かってドヤ顔をしているような気がするんだけど……気のせいかな?
「ところで姫様、この見所のある……ンンッ、無礼にも姫様のドレスを着ている方はどちらさまでしょうか?」
エステルさんがこっちに向かって、訝しむような視線を向ける。
「失礼しました。ボクの名前は、シ……」
シリルです、と名乗ろうとして、その言葉は喉の奥でつっかえた。
……エステルさんの言うとおり、今ボクはリリアーヌのドレスを着て女の子の格好をしている。
シリルという名前で男だと名乗ると、ボクは女の子の格好をする変態だと思われるんだろうか?
天職がプリンセスでお姫様らしい格好をしないと発動出来ない、という理由があるにはあるんだけど、天職がプリンセスだというのはあまり言いたくはないし、だいいち女の子の格好をしていること自体が漢の中の漢になるというボクの目的の真逆だし知られたくない。
だからと言って、女だと名乗るなんてのはもっての外。
そんなのはボクの目指す漢じゃない。
「……え……と……」
言葉が、出ない。
エステルさんの訝しむような表情は険しさを増していき、右手が腰のカタナに伸びる。
これは、まずい。
そう思った時、リリアーヌがどこか誇らしげに声を上げた。
「この者の名はシルリアーヌ! 妾の『妹』じゃ!」
「ふわあっ!?」
変な声が出た。
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