第6話 オーガ

 ボクは混乱していた。


 ボクが知っている王子殿下王女殿下の名前は、王太子ウィリアム殿下、第二位王子アレクサンドル殿下、第一王女ローレッタ殿下、くらいだ。街の市場の噂話で良く出てくるのは大体この3人の誰かで、殆どの平民はそれくらいしか知らないんじゃないかと思う。

 確か合計10人くらいの王子殿下王女殿下がいらっしゃったはずだけど、第七王女殿下の名前なんか聞いた事無いよ……。


 どうしようか。

 王女殿下に失礼なことを言っちゃったよ……。


「……分かってはおるのじゃ。……公務で城の外に出る機会がほとんど無い妾の名前が、民に覚えられていない事くらいは、の」


 リリアーヌははぁ、とため息をこぼし肩をおとした。

 その姿は、今までのわがままな女の子、というイメージからは程遠くみえた。


「確かに名前は知らなかったけど、初めて見た時はすごく綺麗で気品があって、一目でボクなんかとは違う世界の人なんだって思ったよ。ボクが物をしらなかった、ってだけの話だよ、きっと」

「……妾とそっくりなその顔で言われてものぅ……」

「え?」


 だから、大丈夫だよ、という気持ちを込めて言ったけど、その返答の言葉は小さくてよく聞こえなかった。 


 それから、ダンジョンを進みながらリリアーヌはぽつぽつと色々な話をしてくれた。


 自分が第七王女で王位継承権第十位であることから始まり、自分には王族としての公務などはまったく無く、父親である国王陛下はお忙しい事もありぜんぜん相手にしてもらえない事。母親である側妃様は自分を産んですぐ亡くなってしまった事。だから自分は父親や家族が認めてくれるような功績を欲して、聖遺物レリクスの眠るといわれるこのダンジョンに挑んだのだと。


 ボクはいままで王族の方たちというのは、溢れるようなお金と食べ物に囲まれて何の不自由も無い夢の様な生活をしているのだと思っていた。

 たしかにボクの育った村みたいに食べる者に困ったことは無いだろうけど、少なくともボクは両親の愛情を疑ったことは無かったし、オババや村のみんなも優しかったしボクもみんな大好きだった。

 だから大勢の家族がいながら誰にも振り向いてもらえない、というのはとても悲しい事だと思った。

 なんとかしてあげたい、と強く感じるほどには。


 ボクの事もリリアーヌに話した。

 育った村の事、血は繋がっていないが大切にしてくれた家族の事、ベルトランとの出会い、冒険者になるために王都に出てきたこと。そしてレックスが作ったパーティー「勇者の聖剣」に入れてもらったが、ドラゴンに遭遇した時に囮として使われ見捨てられたこと。

 

 リリアーヌが、ボクが家族に大切にしてもらっていた事を聞くと嬉しそうな寂しそうな複雑な表情を浮かべた事と、レックスに見捨てられた話を聞くと烈火のごとく怒り「無礼打ちじゃ!」と叫んでいた事が印象的だった。


 リリアーヌと話すのは楽しかった。


 ボクは、いつの間にかリリアーヌと昔からの友人の様に打ち解けていたのだ。

 お互いが、お互いの境遇に感情移入し同情してしまった、というのが大きかったと思う。でも、そんな優しいリリアーヌだけど、彼女は王女殿下だ。言葉遣いが失礼なら直すよ、と何度も言ったのだけどもリリアーヌはその度に首を横に振った。


 なんでも、リリアーヌが王女と言う立場を忘れて話せる相手と言うのは本当に少ないのだそうだ。

 使用人はあくまで使用人で彼女と対等ではないし、身分に関係なく話せるはずの家族は彼女にほとんど関心を持っていないという。


 それはとても悲しい事だと、ボクは思った。


 ――そして


飛燕斬スラッシュ!」


 掛け声とともに手の中のレイピアを振るうと、刀身から衝撃波が放たれ、オークの身体を真っ二つにする。


 その後もゴブリンやオークなどが現れたが、その程度なら苦も無く倒すことが出来た。

 今では、使えるようになっていた剣技スキルを試し打ちしてみるくらいの余裕もある。……国王陛下の執務室から持って来たというこの剣については……ボクは何も考えないようにしていた。現実問題として剣がないと困るし、あまり考えてもロクな考えは浮かばない様な気がしたから。


「様になって来たではないか! さすが妾が見込んだだけはあるの!」


 倒した魔物の魔石を取っていると、なぜか得意げな顔でリリアーヌが近づいてくる。


 メイジの天職を持つリリアーヌは精霊術で魔物を牽制してくれていたけど、正直あんまり効いていなかったよね……。ゴブリンくらいなら倒せるけど、オークになるとそんなに効いていなかったし、なにより数発撃つと精霊力がつきて術を打てなくなるから持久力もそんなに……。


「なんじゃ、なんか言いたげじゃの?」

「そ、そんなこと無いよ! 気のせいだよ!」


 ぶんぶんと首を振る。


「しかしじゃ、だいぶ慣れてきた様じゃの。エステルとはぐれ、お主も戦えないと聞いた時はどうなるかと思うたが、これなら行けそうじゃの!」


 リリアーヌの声に、頷いて答える。

 ボクも正直このまま死ぬのかな、なんて考えが脳裏をよぎったけど、なんとかなりそうな気がしていた。


「そうだね、天職が使えるようにしてくれたリリアーヌには本当に感謝しているよ。……まぁ、この格好には慣れないけど……」


 視線を下げると、やっぱり目に入るのはひらひらと揺れる純白のドレス。

 何度見ても恥ずかしい。

 顔が赤くなるのを感じる。


「……しかしなんじゃの。見た目美少女のお主が顔を赤くしてもじもじとするのは、何か新たな扉が開きそうな気がするの……」

「な、なに言ってるんだよ! び、美少女なんかじゃないし、そもそもボクは漢らしい漢になるために王都に出て来たんだからね!」


 リリアーヌの軽口に声を上げて反論すると、リリアーヌは「漢らしい漢のう……」と胡乱げな目でボクを見た。


 ひどい!

 ボクの夢は、ベルトランみたいなカッコイイ漢になる事なんだからね!


 腰に手を当ててわざとらしく怒ったように見せてみたが、リリアーヌの胡乱な眼差しはそのままだった。


「はいはい、分かったのじゃ。漢らしい漢らしい、これで満足かの? それより魔物が来るのじゃ」


 投げやりなその言葉に思わず頬を膨らませてしまうが、その後に続く言葉でボクは我に返る。


「魔物が?」

「そうじゃ、あちらから物音がしたのじゃ」


 視線を向けた先に現れたのは、2メートルを超える巨大な、それでいて筋肉の塊の様な密度感あふれる肉体。丸太の様な太さの腕には、巨大な、人には扱えないだろうほどに巨大なこん棒が握りしめられている。そしてその相貌はまるで鬼の様で頭の左右に生える角。


「……オーガ」


 リリアーヌがごくり、と唾を飲み込み呟く。

 それはまさしくオーガだった。しかもそれが3体。


 オーガはゴブリンやオークとは魔物のとしてのレベルが全く違う。

 ギルドでベテランと呼ばれるC級冒険者でないと相手に出来ないような魔物、それがオーガ。

 天職の力を使えるようになったとはいえ、ボクの様なF級冒険者が勝てる相手ではないんじゃ……。


 レイピアを握りしめた手の平に、じっとりと汗をかいているのが分かる。

 しかも相手は3体、こちらはボクとリリアーヌの2人で、しかもリリアーヌの精霊術はどこまでオーガに通じるか……。


 悲観的な感情に支配されそうになった、その時――


「ウ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ーーーッッ!」


 真ん中のオーガが上を見上げ力の限り咆哮をあげた。

 その咆哮はボクの生物としての根源をゆさぶるような攻撃的な意思に満ちていて、ボクの身体は思わず強張り、しかも汗ばんでいたレイピアを取り落としそうになった。


 そして、ボクの身体が強張った隙をついて、左側のオークがこん棒を振り上げ突っ込んできた!


「ウオ゛オ゛オ゛ーーーッッ!」

「ひ、ひいっ……飛燕斬スラッシュっ!」


 思わず剣技スキルを放つが、オーガの咆哮で少なからず恐怖を感じたボクの腰は引けていて、そこから放たれたスキルはオーガのこん棒で容易く弾かれてしまった。


「シリル! 土精霊よ貫けロックバレット!」


 リリアーヌが精霊術を唱える。地面の岩が集まり一つの大きなな岩石となり、そしてそれはオーガに向かって発射された。

 オーガに着弾し、大きな音と共に砕け散る岩石。


「ガ、ガグウ゛ッ……」


 オーガは、あんまりダメージを受けた様には見えなかったけど、それでも全く何の痛みも無い、ということも無いんだろう。腕や足を抑えて憎々しげにこちらを睨みながら、グルグルと言いながら数歩下がった。

 しかしオーガの視線は常にこちらをしっかりと捉えている。


 まずい


 これはまずい


 まずいまずい。


「これはちょっと危ないかの?」


 リリアーヌが、引きつった笑いを浮かべながらボクの横に並ぶ。


「危ないなんてものじゃないよ! やっぱりオーガなんて敵いっこないよ!!」


 知らず、本心が口から漏れていた。

 いちど漏れていると分かっても、ひとたびあふれ出した気持ちはそう簡単には収まらない。


「そもそも、ボクってパーティーでもほとんど戦った事なかったんだよ! 雑用係だったから! 役立たずだって言われてたし……やっぱボクなんかには無理なんだよ!」


 自分でも何を言っているのか良く分からなかった。半狂乱で騒ぎ立てるボクに、リリアーヌは静かに言った。


「でもお主は、そのベルトランとやらに認めてもらえたのじゃろ? 教えを受けたのじゃろ? ならば妾はシリルなら出来ると信じておるのじゃ」


 こともなげに言うリリアーヌを、つい茫然とみつめてしまった。

 どうして、そんなこと言うの?

 どうして、今日初めて会ったばかりのボクをそんなに信じてくれるの?

 それとも、実は奥の手の精霊術があったりとか、何か考えがあるの?


「まぁ、妾の精霊力は今のでカラッポじゃからの! 死ぬときは一緒じゃ、安心せい!」


 いろいろと考えていたボクの考えを、リリアーヌはからからと笑いながら一蹴した。


 ――今わかったよ、リリアーヌは何も考えてないだけなんだって事が。


 ――でも、思い出したことがある。


 ベルトランは言っていた。自分に何が出来て何が出来ないのか、相手は何が出来て何が出来ないのか、よく考えろと。自分の手札を並べて考えるんだ、どう使えば最大の効果を発揮することが出来るか、と。

 そして、ボクは生まれて初めて天職の加護に触れ、身体能力が強化され剣技スキルが使える様になって、浮かれていた。

 ベルトランも使っていた剣技スキルを使って、ベルトランみたいに魔物を倒せることが嬉しくて仕方なかった。


 でも、それじゃ駄目だ。


 ベルトランに教わった事をぜんぜん生かせていない。


 ボクは、リリアーヌに「後ろに下がっていて」と声をかけると、すう、と息を吸った。


 今まで浮ついていた心が、平常心を取り戻していくのを感じる。


 姿勢を落とし、レイピアを持つ右手を大きく引き左手の平を相手の方にかざす構え。ベルトランに教えてもらった構え。


 そうだ、思い出した。

 プリンセスの天職は剣技を使い剣を振るだけの天職じゃない。プリンセスの天職の最大の特徴は万能性。剣技スキルも、も、も、それぞれの専門職には及ばないが、バランスよく使えることが最大の強みだ。


 だから、オーガ達にむけた左手に力を籠め、叫んだ。


火精霊よ集えファイアボールッ!!」

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