第272話 ちょっとうれしいことがあった、本日。

 ——次の作品のイメージが浮かんでは消えて行く……。もう来週には十二月になるっていうのになぁ。


 リビングのソファに寝転びながら和響は十二月一日から始まるカクヨムコンについて思い悩んでいた。


「はぁ……」と何度目かのため息をつき、それでも何か新作を書きたいと思い、ソファ横のサイドテーブルに山積みになっている書籍の中から小説の文庫本を手に取る。今手にしたものはずいぶん前に購入した『ほっこりミステリー』と書いてある短編集である。


「誰も死なない、優しくって心にじわりとするようなお話が書けたらいいのに」


 誰もいない平日昼間の自宅リビング。これまた何度目かの独り言を呟き、ページをめくる。ミステリーが書きたい。心にじわっと暖かさが滲むような読了感のミステリーが書きたい。そうは思っていても、書き始めるとだんだん猟奇的な事件になって行く自分のストーリーにもまた、思い悩んでいるようだった。


「別に、ひどい話が書きたいんじゃないんだけどな。でも、サスペンスな感じ書くの嫌いじゃないんだよなぁ〜。ああ、だめだだめだ。もうちょっと考えをまとめていくまでに暫し時間が欲しいんだってば」


 ページをめくる。東北の田舎を題材にしたミステリーは産業廃棄物をめぐって争う人間関係がベースのミステリーで、すぐに物語の中に没頭したのか、仰向けになった自分のお腹の上にクッションを置き、その上に文庫本を載せて読み進めて行く。はらり、はらりとページをめくり、そうか、ここでこういう伏線があるんだ。などと、また独りごちる。


 今年で四十三歳。一念発起して小説家になりたいとインターネット上の小説執筆サイトで書きはじめて一年が過ぎようとしていた。その間に書いた短編、長編は合計すると約六十作品。時にコンテストに応募し、落選して落ち込む日々を過ごすこの一年間で、自分は果たして成長しているのだろうか、そんなことばかりをここ最近は考えている。


 手のひらに収まる文庫本のページをめくりながら和響はふと気づく。そういえば最近文庫本を読む時の位置が離れている気がする?——と。ソファに寝っ転がりながらお腹の上にクッションを置き文庫本を読むスタイルはいつの頃から和響の日常に定着していて、それ自体は何年も前から変化していない。でも——。


 明らかに文庫本を持つ手の位置が昔よりも離れている気がする。まさか、これが老眼——。そうか、だから最近本を読んでいると腕が痛いんだと思い、おもむろに文庫本の表紙を今読んでいるところにしおりとして挟み込み、本を閉じる。ソファから起き上がり、腕をぶんぶん回しながら時計を見ると、お昼の十二時をすぎていた。


 ——ご飯、残り物があったよね。食べるか、いや、お腹が減ってないから食べずにいようか。でも、残ったら捨てることになりそうだからここは食べきらねばもったいないか?


 お腹など減っていない。だがしかしお昼に残り物を食べなければ夕飯の時に自分一人だけ昨日の残り物を食べているような気がする。それも専業主婦としてはあるあるかもしれないが、そうなるだろうと思うだけで、夕飯を作る気が失せてくる。


 お昼はまだ始まったばかり、本当にお腹が空くまでは本を読んでていてもいいような気がすると、もう一度ソファーに横になろうとして、ふとサイドテーブルの本の山、一番上に置かれたスマホに目が行った。


 ——つむぎさんの今日のご飯、覗いてみよっと。通知来てるはずだから。


 執筆サイトカクヨムで仲良くなった小烏つむぎさんのエッセイ【

11月・小烏さんちの台所(野菜戦争、美味しく作って皿に盛れ!)

作者 小烏 つむぎさん https://kakuyomu.jp/works/16817330648563881605】の通知を探し出し、近況ノートを読み、そしてコメントを打ち込む。


『大根菜大好きです! 今我が家の冷蔵庫にもあります!』


 大根の間引きした葉っぱを油揚げと炒めて煮たような写真の下に一番乗りでコメントを残し、今日の夕飯はうちも大根の葉っぱを炒めて煮ようと思ったところで、スマホがカクヨムから新しい通知が来たことを知らせる。『占いの館 〜カードからのメッセージ〜』復活します☆⭐︎』と近況報告したページにヒナさんが何やら書き込んでくれたという通知だった。


 ——あ、ヒナちゃんだ。えっと、なになに?


『和響さん、こんにちは! こえけん、2作品とも通過ですよ! おめでとうございます!!』


「は?」


 和響は自分の目を疑った。

 もう一度そのコメントを読み返す。


 ——こえけん?


『こえけん』と脳内に何度も文字を浮かび上がらせ、はっと気づく。


「え? マジで?!」


 大きな独り言を発し、急いでヒナさんにコメント返信を送り、小説サイトカクヨムのトップページをタップした。ヘッドフォンをつけて目を瞑った可愛い女の子が座っているイラストが目に入る。『第1回「G’sこえけん」音声化短編コンテスト』というタイトルと、『中間発表』の文字が網膜に飛び込んでくる。そうか、十一月に中間発表って書いてあったと思い出し、すぐさまそのアイコンをタップして自分の名前を探した。


 あった。

 あった。

 それも、二作品も。

 あった。


 ここ最近、自分の実力のなさに打ち拉がれ読書ばかりしていた和響の奥底に小さな光が灯った。良かった、少しだけでもきっと前進しているのだ。何も無駄な時間なんて過ごしていなかったんだ。奥底に灯った小さな明かりは、ふわふわとその明かりの範囲を少しずつ広げていくのがわかる。そして広がりはじめた暖かな光は下腹部へと移動し、胎児がもぞっと反射的に動き子宮内部を蹴っ飛ばした時のような、あの小さな衝撃によく似た感覚を和響の全身に響かせた。


 あった。

 あった。

 それも、二作品も残っていた。

 それに、知ってる人も何人も残っている。


 その中には中間選考通っていますよと教えてくれた、ヒナさんの作品【照れ屋な彼女のささやき事情 作者 ソラノ ヒナさん https://kakuyomu.jp/works/16817139557326972967】もあった。小濱さんの作品【しおんちゃんは内気でお茶目なダンジョンマスター🌟 作者 小濱宗治さん https://kakuyomu.jp/works/16817139557703656895】も、あった。その他にも、企画参加で出会ったカクヨムさんや、この一年で参加したコンテストで出会ったカクヨムさんの名前もあった。一人一人、知ってる名前を見つけるたびに心が弾んでいくのがわかる。


 弾みだす心の波動が全身に伝播し、ぐるりとお腹の中で重たい気持ちが回転したような気がした。


 ——いつまでも凹んでんじゃないってことだよ。


 そうだ、書くだけでは前には進めない。でも、書いていたからこそ、こうしてコンテストの中間選考を突破できたんだと和響は改めて振り返った。そして、中間選考を突破した自分の作品を読み返し、その時に読んでくれた方からいただいたコメントを読み返した。


 楽しそうだ。

 わたし、楽しそうに書いている。


 忘れていた気持ち。


 はやく前に進みたいと思っている自分を押さえ込むように本を読み漁り、はやく実力をつけたいと焦りながら次回作で悩んでいた自分を見るために、急いで洗面所に向かい鏡で自分の顔を見た。


 ひどい顔をしているかもしれない。

 そう思っていた。

 でも——。


 中間選考が通って嬉しいって顔に書いてある自分の姿がそこにはあった。


「良かったね、わたし。最後まで残れるかはわかんなくても、でも、中間選考通っただけでも良かったよ。ね? だからまた、書こうよ。怖がらずに、前向きに、楽しんで、書こうよ。でしょ?」


 書くだけでは上達しないかもしれない。でも、書かなければそれまでなのだ。それに気づけたことが何より嬉しいと和響は思った。


 ある十一月の、とてもよく晴れた気持ちのいい風が吹く日のことだった。



 そんな本日は、皆様からのお祝いのコメントをいただき本当に嬉しかった日でした。最後まで残ったらいいけれど、今日という日に中間選考通過のお知らせが来て、わたしはとても幸せでした。まだまだ足りないことはいっぱいあるけれど、それでも挑戦し続けたい。そう思えた、本日なのでした。



 お読みいただき、また、応援してくださった皆様、ありがとうございました。




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