第273話 お一人ファミレス待機な、本日。

 十一月二十六日。曇り時々小雨。


 雨水を蓄えた山々が呼吸をするように水分を吐き出したことで、工業団地は白い靄がどことなく漂い幻想的な雰囲気を醸し出していた。その様子を眺めながら町並みを見下ろすように高速をくだり、目的地の『ふれあい県民センターアリーナ』まで向かう。道路沿いには色とりどりの美しい紅葉、というよりは錆びた色の木々が連なっており、その光景がここはやはり工業団地なのだと感じさせられる。


 早朝、眠たい目を擦りながら布団から這い出た和響は、当初の予定よりも遅く目覚めたことに慌てふためき化粧も最低限にして、今年十四歳になる息子を車に乗せて自宅より一時間半のこの場所に来ていた。


 今日は息子の部活の試合。小学校から続けていた剣道を中学校に入っても継続していた息子は、中学二年に上がる少し前に卓球部に入りたいと言い出した。和響は最初、そんな今更、と思った。剣道部は保護者の繋がりも強い。それに試合に出ればそこそこの成績をおさめることが出来る。何よりも剣道着を着ている息子の姿は和響にとって「かっこいい〜」と全力で推してあげたくなるほど凛々しく見えていた。


「そんな、今更卓球部に入っても試合には勝てないと思うし。それに保護者会の付き合いが今から増えるのはちょっとやだなぁ」


 春休みに入る少し前、台所で夕飯を作っていた和響は息子に言った。


「でもお母さん、もう剣道はさ何年もやったし。それに卓球をやりたいって思う俺の気持ちを大事にして欲しいって」


「てか、なんで、卓球?」


「や、卓球部、仲の良い友達多くてさ、この間誘ってもらって卓球をしに行ったら俺、結構うまかったんだよね。それに剣道部って言っても全然コロナで練習なかったし、俺と雄也(仮名)だけしか部員おらんし。だからさぁ、卓球部に入りたいんだって」


「でも、人数の多い部活ってさぁ、保護者会とかめんどくさそうだし。それに田中さん(雄也の保護者)もうちが剣道部抜けるとさ、ほら、一人になっちゃいそうだし。ねぇ?」


「でも俺、もう剣道はいいんだって! だってそこそこ成績残せたし。卓球に挑戦したいんだって。いろんなことした方が面白いじゃん。高校に入ったら弓道部に入りたいって、それはもう剣道する前から決めてるしさ。だからさぁ、ね、お母さんお願い。卓球部に入らせて」


「ううむ……。じゃあ、最低限の保護者会の繋がりしか嫌だから試合にはついていかないかも」


「うん! 全然いいって! 試合は送迎だけで。それに部活も防具とかないからさ自転車で自分で行けるし」


「土日の部活の送迎が要らないのか、それはいいかも。わかった。じゃあ卓球部に入ってもいいよ」


「やったね!」


 あの時、きっと剣道よりもお金がかからないし卓球部もありかと思った自分がいかに甘かったのかと、和響は時々思い出す。


「たかっ! 部活のウィンドブレーカー18,000円もするの?!」

「たかっ! なんでラケットが一万円以上するの?!」

「え? なに? ラバー張り替えするための道具ってなに?」


 剣道よりはお金がかからないかと思っていた卓球もそこそこ出費がかさんだ。それでも本人が楽しそうだからと応援してはいるが、一度も試合風景を見たことのない和響はいまだ「かっこいい〜」と声を上げて卓球部の息子にときめくことはない。


『今日は個人戦なので試合終了した選手の保護者はそれぞれ迎えに来てください。各自現地解散です』


 卓球部保護者会会長の山田さん(仮名)からLINEでそう連絡が来たのは家を出る少し前だった。もちろん事前に試合参加についての注意事項でそのことは知っていた和響だが、改めて当日の朝にその連絡事項を読むと心底煩わしく感じた。高速を使って一時間半の試合会場。一旦家に帰るには遠すぎる。いつ終わるかわからない息子の試合。一回戦敗退だとしても、開始時間がいつなのかさえわからない。


 ——文庫本を何冊かとパソコン持っていけばなんとかなるかなぁ。


 何時間かかるかわからない待機時間。だとすればその時間を有効活用したい。そうでなければ他の子供たちの送迎も忙しい土曜日に一日かけて出かけるにはデメリットが多すぎる。


 息子を会場に送り届け程近いコンビニの駐車場に車を停めた和響は、どこか待機できる漫画喫茶がないかとスマホを検索した。


 ——は? うそ、漫画喫茶まで34キロ?! 


 漫画喫茶はどうやらこの辺りにはないようだ。信じられないとデカデカ顔に描くように片手を頬に当てながら、それではどこがあるだろうかと思考を巡らせる。


 ——スタバ、あるわけないか、ここは山に囲まれた工業団地のある田舎町。あ、そうか、有名な渓谷とかあった気がする。ちょうど小説の取材だと思って行けば一石二鳥か!? 


 せっかく交通費を使って来たのだし、どうせなら小説の取材にしてしまえとスマホで近隣の有名な観光地を検索する。が——。


 ——うっそ、45キロ?! えー、まじでぇ〜。お迎え連絡きたらすぐに戻ってこれないじゃん! てか、観光地的な場所、結構どれも遠くね?


 どの観光地——と言っても渓谷だとかキャンプ場だとか公園だとかなのだが——も三十分以上かかりそうな場所にしかなかった。


 ——小説の取材旅行に来たつもりはボツだな。え〜、じゃあどこ? カラオケ、は煩くって集中して本を読んだりできないだろうしなぁ。え? じゃあラブホとかひとりで行っちゃう? ごろごろ寝ながら小説読めるし? ああ、だめだだめだ、40過ぎたおばさんがお一人様ラブホで小説を読むとか、ないわぁ。てか、しばらく行ってなさすぎてどうやって入室するか忘れたわ。


 まさかこの状況の選択肢のひとつにラブなホテルの休憩タイムを利用しようと思いつくなんて、と自分で自分に呆れながらも、心のどこかでは結構ありだと思っていた和響だが、お隣さんの声が聞こえて来たらちょっとな、と思い直し、スマホで検索するのをやめた。


「えぇ〜! じゃあどこだ?! この辺に友達住んでるけど急に連絡もなぁ〜。それだと本読めへんじゃん。一緒に待機時間過ごす保護者さんもいないし。てかそれはめんどいし。本を読みたいしパソコンも触りたいし、どうすんべ?」


 コンビニの駐車場で誰か話し相手がいるかのように長々独り言を言い放ち、スマホ画面を指でスクロールしていくと、全国チェーン店のファミレスの名前が目に止まった。


「そうか! ファミレスでドリンクバーでいいじゃん!」


 早速地図アプリで一番近いファミレスを検索する。車で十分の距離だと知った和響は、早速ナビモードにスマホを切り替え車を発進させた。





 ——そして現在。





 某有名ファミリーレストランの四人席に一人で座り、サラダ・ヨーグルトセット409円を注文、ドリンクバーの炭酸水を飲みながらこれを書いている。フリーワイハイ、コンセント付き、飲み物飲み放題、お腹が空けば注文できる。最高。欲を言えば会話が聞こえない場所が良かったことくらいだとろうか。通路を挟んだ向こう側に中年女性が二人で座り、一秒の隙もないほどに会話を続けている。


 ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。


 もうかれこれ二時間以上止めどない会話をしている。聞き耳を立てているわけではないけれど、聞こえてくる誰かの噂話。気にすればするほど声が大きく聞こえてくるのはなぜだろうか。この席に座った何時間か前の自分を呪いたい気分だと思ったところで、本日の日記を終了したいと思う。


「カラオケボックスの方が静かだった気がしなくもないくらい、二人組のおばさんの声がすごい耳障りだー!」(叫びたいほどの心の声)


 あわよくばここで短編一作くらい書けるかな、なんて一瞬でも思った自分が馬鹿だったかもしれない……。






お読みいただきまして誠にありがとうございました。

皆様、良い週末を!


 




 


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