第136話 「学ぶ」ということ

 ゴールデンウィーク最終日。我が家にとっては普通の日曜日である。


「今日が終われば平日だー!」


 おっと、失礼いたしました。心の声が。しかし、「長いぞ!ゴールデンでもなんでもないウィーク!」と思っていたけれど、過ぎてしまえばあっという間でした。毎日バーベキュー三昧。意外とバーベキューって家事が楽なので助かりました。切って焼くだけなんですよね、バーベキュー。しかも焼くのが大好きなパパが焼いてくれるので、私はビール片手にフラフラしていればいいという。結構ゴールデンなウィークだった気が今になってしてきました。幸せなことだ。


 そんな現在時刻は十三時半。パパさんは仕事へ行ってしまい、小学生の子供たちは公園へ遊びに行き、中二男子は部活へ、中三女子はもちろん勉強をしておらず、ただいまピアノを弾いています。こうして書いている目の前で。


 先程のことでした。中三女子の一番ちゃんが、ソファーで目を瞑りながらミステリーの構成を考えていた私にいいました。


「お母さん、寝るの? もったいな! 今小説書ける時間じゃん」


「今、話しかけてほしくなかった……」


「え? ひどーい。小説書かないのって聞いただけじゃん」


「だから、その構成をもう一度シミレーションしてたんだって」


「ふうん、頑張って書いてね。私ピアノ弾くから」


「え?……ピアノですか? 勉強するからじゃなくて?」


「勉強の前にピアノ弾いて気分を高めるんだって」


「それ何分?」


「え? 十分」


「そっすか」


 そう言って、それならばその時間は小説ではなく、妄想日記だとやってきたのでありました。そうこう書いているうちに、ピアノが終了してしまいましたが。


「え? じゃあ小説モードになっていいのかも!?」


――ダメでしょ。書き始めたなら書かなきゃ。最近この妄想日記、雑だよ?


「うっ。今日はそっち側からのご登場で?」


――自由自在なんだって。自分で書いてて何言ってんの?


「だって、書いてるけど、なんか完全に乗っ取られてる感があるから」


――おんなじ人間の脳内なんだから、当たり前じゃん。バカなの?


「バカなの? って言ったね! そうそう、そのフレーズだよ君!」


 脳内再生くんが「バカなの?」と言って思い出しました。最初に長い小説を書いたのが「ガッチーズと怪党キューピー」なのですが、なんと今カクヨムで、


「朝読で読みたい、5分で本の世界のとりこになれる物語を募集!」

「5分で読書」短編小説コンテスト2022


 なるものをやっているようですね。まさーに!ガッチーズの子供たちのお話ぴったりじゃん! フーフーフーフー。鼻息が荒くなってきてしまいました。もう、それは何か一個くらい書きたい。


 ガッチーズは小学校六年生男子と二年生の女の子の探偵団なので、無茶苦茶ぴったりだと思ったわけです。その中に出てくる生意気な小学校二年生のリンちゃんの口癖が、「バカなの?」なので、思い出してしまいました。まさか、ここに誘導する為に、脳内再生くんは出てきたのだろうか。天才か!


 残り五十日あるようなので、とりあえず最終モードに突入しそうな「伝書猫」を仕上げてから考えたいなと思っています。それにしても、一番は全く勉強を始める気配が……、ない。


 そうそう、昨日の実力テストの日記を書いたらば、大好きなカクヨムさんがコメントをくださって、その内容がとても興味深く、今日の庭でお昼ご飯の時に、家族に話をしました。もうコメントもらってすぐさま家族の前で読みましたね。特に中学生、聞いてくださいよと言って。


《 中学生の時、社会のテストで先生が何を見てもいいっていう事がありました。教科書、参考書、自分のノートなど何でも。いわゆる公認カンニングです。全部で50問です。》


「ということなんだけど、さて、結果はどうなったでしょう?」


と私が聞くと、小学生の子供たちは、


「みんな百点取れた!」といいました。


が、木に登って枝に寝っ転がっていた二番ちゃんは、


「その時は良かったけれど、次のテストからみんな成績が下がった。だって、次のテストも同じだと思って、次のテストの時は勉強しなかった人がいっぱいいた」


と申しました。なるほど。お読みになったみなさんはどう思われますか?


正解は、


《 正解するために全部確認する人が続出で、タイムオーバー。ほとんどの子が普段のテストより点数が取れなかったんです 》


だそうです! 人間の欲って怖いですねってコメントにも書いてありましたが、本当にそうだと思いました。


 「学ぶ」とはどういうことなのか、それを考えさせる為に、このテストをしたのだとしたら、それを考えた先生は素晴らしいなと思いました。そんな経験を今子育て真っ最中の私に教えてくれた、星都ハナスさんに感謝です。


 「学ぶ」とは一体どういうことなのでしょうか? 最近このパターンをしていなかったので、久しぶりに瞑想をして、創造の源へ行きダウンロードしてこようと思います。少々、お待ちくださいませ。



――次元上昇――



「学ぶ」とは本来、その人自身が経験したことから、生まれ出るもの。誰かに教えられたことであっても、その人自身がそれを自分の中で「真実」として落とし込まなければ、それは「学び」ではなく、ただの知識である。



――ブレイクダウン――


 瞑想して意識を次元上昇し、「学ぶ」についてダウンロードをしてきました。改めて読み返してみると、確かにそうかもと思います。その人の中で「真実」として落とし込まなければ、ただの知識である。今は知識を詰め込む勉強ばかりな気がしてきますよね。私も勉強しなさいしなさいばかり言ってしまいますが、それは、「受験」や「進路」があるからで、本当に「学んで欲しいこと」はもっと別のところにあります。


 なんだろうか、書いていて、胸が苦しくなってきてしまいました。実は今日の朝、夫と話していたのです。


「なんで急にウクライナのニュース減ったんだろね」


「ね」


 新聞でもテレビでも、以前よりもグッと減っている気がします。そこに不穏なエネルギーを感じてしまうので、少々気持ち悪いですが、事態は依然として変わってないんですよね。なんなら明日五月九日がロシアの戦勝記念日で攻撃強化されそうだというネットニュースまで出ています。


 私たちは、歴史を教科書で勉強し、それを知識として持っているけれど、本当の意味で学んでいない。


 そんな言葉が書いているうちに湧いてきて、涙も出てきてしまいました。経験はその人だけのものです。今世この体で生まれてきた魂として感じることはその人にしかできません。だから、人は争いの歴史を繰り返してしまうのでしょうか。


「歴史を学ぶ」ということは、知識を詰め込むのではなく、そこで生きていた人々に想いを馳せて、過去からのメッセージを受け取ることのような気がしました。そういえば、そんなお話を書いている素晴らしいカクヨムさんを知っています。


【 四谷軒さん https://kakuyomu.jp/users/gyro 】


 勝手にご紹介をしてしまいますが、四谷軒さんの作品は、歴史物を読むのが苦手な私でもすぐに世界観が理解ができて、さらには読了後にいつも泣いてしまいます。四谷軒さんの作品の根底に流れるものが、「歴史から学んだ」事ばかりだからなのかもしれません。


 私たちは今、何を学ぶのでしょうか。


 今世、この身体でこの魂の経験がつめるのは一度だけ。多くのことを学び、未来につないでいきたいと改めて思った、そんな本日でした。








――黙祷





戦争から多くを学び、平和な世界にしていきたい。



 

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