第51話 ♡♡♡カクヨムサイコー♡♡♡

 今日は久しぶりに、新しいアカウントを作って、某SNSへと、心の友に連絡を取るために行ってきた。


 結果。超怖かった! 愛に溢れたカクヨム天国で羽を伸ばし、心の充電をいつもしている私としては、もう、あそこの住人に戻れる気がしなかった。


  その某SNSは、昔イベントやらの告知でやり始め、その後大体7、8年ほどやっていたのだが、3年ほど前にアカウント削除をしてからは、ほぼほぼ見に行く事はなかった。ちょうどイベントを辞めた時期でもあったし、なんか人の日常をいつも見てるのが疲れたのである。


 ちょうどすぐに見つかった大好きな友人とコンタクト。すぐに友達になって、そこから繋がりたい友人を辿る。考えてみれば、辿れることも正直怖いけど、今日はそこは、「便利な機能」ということにしておいた。


 程なく、何人かの連絡を取りたかった友人を見つけ、メッセージを送る。そうだついでにっと、久しぶりにその友人の投稿記事を読み、ふむふむ最近はこんな感じなのかと思いふと、そのコメント欄に目をやった。


 『その考え素敵です!さすがなになにさんです』


 『それいいですね。ぜひシェアさせてください』


 などと、好意的なコメント。うんうん。さすがAちゃんだ。投稿の内容もいいしなと思って、そのまま下を読み進めていったところで、


 『えっと、いまいち意味がわかりませんが』


 と書いている人を発見した。まぁ、みんながみんな同じ意見じゃないからな、と思いながらその返信を見ると、


 『これは、こう言う趣旨のイベントのようなものなので、そういう設定なんじゃないかなと思います^^』


 と投稿者の返信があって、その後にまた、同じコメ主から、


 『でもそれでは、あれはこうでこれはこうですよね、やはりおかしいかなと思うんですが』


 と、書いてあり、その下にまた投稿者が、


 『それはですね………』


 と、丁寧に返すコメントが続き、何度か回答がしてあるのを読んだ。


  「うひょーーーー無理だ。私。ちょっと怖い!!」


 そういえばこういうやりとり、私もここの住人だった時してたわ。と思い出す。もちろん私が投稿者の方で。その頃は平気で対応してたけど、カクヨーム王国の愛で日々包まれている私には、もう恐怖でしかなかった。


 なぜ、意見が違うことをわざわざ討論するのだ?? 自分の意見は自分のページで書けばいいだけなんじゃないか?? そのコメしてる人も、もともと知ってる人だったので、そうか、確かに自分のところでそういう投稿して炎上するの嫌だもんね、だから人のところに言いにくるのか、などと想像した。ここは妄想ではなく想像である。


 カクヨムは誹謗中傷は基本しないとガイドラインに載っている。つまりは、自分の考えに合わない作品に出会えば、そのままスルーすればいいということだ。私は最初カクヨムにきて、これを読んだ時、素晴らしいと思った。誹謗中傷されては、いい作品が書けない。


 実は、カクヨムにくる前に、パソコンで書いたものを友人に見せたことがあるのだが、ひどい文章力すぎた私にアドバイスとして、あれやこれやをものすごくご指摘していただいた。あ、そ、そうなんだね、なるほど。と言って聞いていたけど、その後しばらく、妄想は浮かんでこなかった。彼女はきっと良かれと思って、日頃読書していて思うことを指摘してくれたんだろうけれど、書き始めの私には妄想の翼が折れる音が聞こえるほどに、もう書くのやめよかなってちょっと思った。ちょっとというのは、多分半日くらいだけれども。


 だが今は、そんな彼女のご指摘は全てその通りだなと、実際にカクヨムにきて思っている。ただ、書いてる最中のご指摘は、だいぶ胸をえぐられた気がしたのは本当だ。だからカクヨムのガイドラインを読んで、なんて素晴らしい! と思ったし、応援して書くコメント返信が一個しか返せないのも、おお! それな! と思ったのである。


 そんなカクヨムの愛に包まれて、ぬくぬくとこの2ヶ月間生きてきた私には、某SNSはちょいと刺激が強すぎたのである。だがしかし、小説家にいつかなりたいならば、こういうところも、せっかく来たんだし、もうちょっと覗いてみようよぉ、と、脳内の声が聞こえ始め、それもそうだねと、もうちょっと覗かしてもらうことにした。


 なんだろう。あんなに平気で8年くらい生息していた場所なのに、ものすごく異国に来たようだった。何がって、コメ欄の肯定的な人のコメは良いんだけど、さっきの人みたく、疑問投げかけ系、もしくは否定系のコメの中には、その辺りどうでしょう? と言い方は丁寧でも、その裏にある感情が、文字から浮き上がってくるように見えるのだ。


 ――その矛盾追求して暴いてあげようかなぁ〜


 ――私の方がもっと立派な考えだしぃ


 ――私の方がもっと良いこと言ってるしぃ


 そんな感情が、文字からゆらゆら浮かび上がって、投稿者である私の友人を追い詰めているのが見えてくる。そのコメに冷静に愛を持って返す我が友人。彼女の文字からはそういう変なゆらゆらは見えない。そんなこんなが何回か続いたのち、最後友人は、


 『なるほどー!』


 と書いて終了していた。さすが我が友。それは最強の終了ワードだ!この最後に語尾を伸ばす感じはさらに強力なパワーを出すと思う。


 なるほどって肯定されちゃったら、その次どういう風に突っ込めば良いか、次の一手がないのである。それともあるとすれば、なるほどとは、どう理解されたんですか?とか聞くのだろうか、もしそんな人がいたら、かなりめんどくさいなと思う。


 そんなコメ欄をしばらく拝見させていただき、こ、怖すぎてやっぱり無理だ! と、逃げ帰ってきた本日であった。


 あんな場所に平気でいれた自分がすごい。そりゃ、心も病むわな。と思った。確かに、その毒気にやられていた自分はどこかにいる。変な虚栄心を引っ張り出してきっちゃたりすることもあったし、でも、自分がそうじゃなくても、そういうコメとかをみれば、やっぱりそこから負のエネルギーを感じずにはいられないと思う。この発見は、そこから長く抜け出していたからこその、そして、愛で溢れるカクヨムにいるからこその発見だと思った。


 SNSは使い方。SNSを上手に使いこなしている人もいるし、たくさんの人とも繋がれるのは確かに良いことが多いけど、人の感情に引っ張られてしまうようだったら、少し間を開けるのも良いかなと個人的には思う。


 ちなみにうちの一番のLINEは友達が少しかいない。なんで申請したのに、友達追加しないの?と以前のエッセイで出てきた先生が亡くなった時に「マジうける」といえちゃう女の子から言われた時も、そんなに重要な用事なら、クラスLINEで流してと言って、撃退に成功した。若干14歳。彼女は私よりも強者である。


 そんな本日、今日はオチがなくても良いだろうか。


 今日こそ、オチがないのがオチでした〜てへ♡ を使っても良いだろうか。


 では、なんか今日は重たい話になった気がするので、せめてもと、最初と最後に私のカクヨム愛を記して、本日はここまでとしたいと思う。



 ♡♡♡♡♡♡♡♡カクヨムサイコーーーーーー♡♡♡♡♡♡♡♡



 本日もお読みいただきまして、誠にありがとうございました♡

 今日もあしたもいい日になりますように♡

 


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