第29話 最前線・スライゴ領/黒く染まる大地


  (51)


「おい、皇都から本隊が着くのはいつだったか」

「あと三日くらいですかねー」

「それまで持つか?」

「持たせるしかないでしょう」

「確かにな。おい、お前ら! 気合い入れろよ! スライゴ軍の意地を皇都の生っちょろい奴らに見せつけてやれ!」

「おおっーー!」


 すでに埃と得体の知れない汚れにまみれた部下たちだが、まだ瞳の力は消えていない。あれから定期的にトーマスが魔道具で確認しているが、幸いにも魔獣の本隊分は、一つ山向こうから動いていない。


(そのまま帰ってくれたらいいんだが、無理だろうなぁ)


 これまでの辺境伯としての討伐経験上、視認した魔獣が何もせず引いたことは一度もない。皇都から円で飛んできた先遣隊が加わり、なんとかまともな交替体制を整えたが、終わりのない戦いに皆疲弊しているのに変わりはない。今、小康状態で辛うじて前線を死守できているのも、奇跡的な状況だ。


 最初に魔獣の姿を確認したのは、皇都へ報告するより五日前。この程度ならいつもの出現と変わらぬ規模であり、十分自軍だけで潰せると判断した。皇都へ報告など、よほどでない限りしないのが常だ。


(何かおかしい…)




 最初の異変は、一向に減らない魔獣に違和感を感じ始めた三日目だった。それまで雑魚が多かった魔獣の中に、意思を持つ格上の魔獣の出現率がじわじわと増え始め、その数の多さに胸騒ぎがした。勘と言ってもいいだろう。そして戦場におけるスターリンの勘は、外れた事がない。


『おいっ、あいつを先に倒せ! ほかの奴は後回しでいい。どうせ取りこぼしは罠にかかる』

『ダメですっ、矢が刺さりません!』

『はぁ? 銀矢を使ってんのか?』

『もちろんでさぁ! うちには魔法騎士なんてほとんど居ませんからね! 銀矢は必須ですよ!』

『だったら本気で打ち込めばいいだろ』

『打ってます~! だけど、本当に刺さらないんですよ~!』


 泣き言を言う部下は、会話中もその手を止めていない。それでも周りの雑魚より二回りは大きい個体は、まったく動じた様子がない。たった今放たれた銀矢も小枝でも当たったかのように、弾かれたように落ちるのが見えた。スタンリーは小さく舌打ちすると、大きく足を踏み出した。


『貸せ』


 部下の矢を奪い、銀矢を弓につがえる。集中して魔力を高めていく。


(よし、いけ)


 ―――ひゅんっ。


 綺麗な弧を描いて放たれた銀矢は、わずかに発光したように見える。スタンリーはスライゴ軍においては貴重な、魔力付与して戦える戦士でもあった。彼の他にも魔力付与のできる戦士はいるが、数が少ない。皇都のダグラス達が所属する魔法騎士隊ほど精度が高くない。それでもしないより付与した方がましなのは、確かだ。


 魔獣との闘いが始まりすでに三日。この陣で魔力付与のできる戦士は、現在スタンリーだけ。あとは反対側の陣営に二人、交代で休養中の三人が戻ったところで、どうしても少ない。休養といっても魔力が回復したらすぐに前線に舞い戻る事を余儀なくされている。領主だからとのんきに指示だけ出していればいい状況ではない。


 矢の行き先を追っていたスタンリーは、矢が刺さった瞬間、もんどりうって魔獣が倒れるのを確認し、弓を矢筒ごと部下に押しつけた。


『あとはお前らでもやれるだろう。きっちりとどめを刺しておけ。新たにでかいのが来たらすぐに言え。どうもいつもと違う。ちょっと調べてくる。おい、少し抜けるがいけるか』

『あいつを倒してくれたので、しばらくは大丈夫っす!』

『すぐ戻る』


 そう言い残して、スタンリーは前線を後にする。少し後方にある討伐用天幕へ急いだ。そこに控えているのは、剣士としてはさっぱりだが魔法の使える部下、トーマスだ。



『トーマス、居るか』

『はい、ここに居ます!』


 己の武がスライゴ軍において役に立たないことを承知しているトーマスは、自ら裏方を一手に引き受けている。常に一歩引いて立つ彼だが、補給物資の管理や分配、正確に戦況を把握した討伐計画を立てるなど、誰でもできるわけではない。そんな彼は優秀な魔術師でもある。


『どうも、魔獣の様子がいつもと違う。目に見えて数が減らないのも気になる。お前、確か先月皇都で新しい魔道具を仕入れてきたと言ってたな』

『あ、あれですか? はい、持ってきております』


 そう言ってトーマスが天幕の隅の箱から出してきたのは、角度の付いた羽根が四枚付いた魔道具だった。羽根が一番大きく、その中央に四角い箱と小さな台座が付いているだけだ。


『空を飛ぶと言っていたな』

『はい、飛行魔道具です』

『飛ぶだけか?』

『ええっと、軽い物の運搬用と説明にはありましたが、よろしければスタンリー様の目的をおっしゃってください。ご希望に添えるよう多少の改造ならできます』


『山向こうの様子を知りたい』

『山の向こう…。それは人が行くのは不可能なんですね?』

『手前の森に魔獣の群れが居る状態では、厳しいな。それに嫌な予感がする。人を派遣するのは危険だ』

『確かに。では二日…いえ、一日半お時間をください。通信機を組み合わせて偵察機を作ります』


『なるほど、偵察機か! よし、頼む。無理そうなら早めに連絡をくれ。他の方法を考える』

『では、一旦城へ戻ります。必要な道具をかき集めて戻って参ります』

『そのまま、城で作っていいぞ?』

『いえ、万が一のことを考えて、すぐにお伝えできるここで作ります』

『そうか、助かる』

『滅相もありません。では、失礼します』


 トーマスは軽く頭を下げると、足早に天幕を出て行った。天幕に控えている別の部下から少し甘い味のする栄養剤と、一口で摘まめる携帯食を受け取り、歩きながら口に押し込んだ。スタンリーとてこの三日は無茶をし続けている自覚はある。意識して無理にでも体に何か入れておかないと、倒れてしまうだろう。


 咀嚼しつつ天幕を出て、前線に足を向けた。すぐに前方から半泣きの部下が駆け寄ってくるのが見えた。



『スタンリー様~! またでかいのが出てきましたー』

『きりがないな…。すぐ行く』


 小走りで前線へ戻り、すぐに弓を受け取った。


 こうした戦いはいつまでもできるものではない。スタンリーもわかっている。だが、無理だろうとやるしかないのだ。急いで魔力回復薬と銀矢の追加を指示して、矢をつがえるスタンリーだった。




  (52)


『お待たせしました! できました!』


 目の下に濃いクマを作り、トーマスが天幕から飛び出してきたのは、スライゴ軍が討伐開始して4日目の昼過ぎのことだった。


『でかした! すぐ飛ばせるか?』

『はい、一応近場でのテスト飛行はしましたが』

『時間が惜しい、すぐ飛ばすぞ。それはどういう仕組みだ?』

『新しい魔道具の方は飛ぶだけだったので、その下に通信系の魔道具を組み合わせました。遠隔で通信機を作動させる調整に時間がかかってしまって』

『いや、いい。十分だ。おい、ちょっとここ任せるぞ』


 そういいながらスタンリーは矢を放った。すぐに背を向けたはるか後方で魔獣がまた一匹倒れた。


『天幕に行くぞ。昨日より数が減ってきた。せっかく作ってもらった道具も空振りになるかもしれないな。すまない』

『いえっ、とんでもない。そのお言葉だけで十分です!』


 トーマスが皇都で仕入れた魔道具は、あらかじめ決められた場所へ飛んでいく魔道具だ。今回は山の向こう側、数か所を設定してある。あとは付け足した通信機から送られてくる映像を、受信機で見られるはずだ。



『では、行きます』


 トーマスの声の後、四枚の羽根が一斉に回り始めた。少し浮かび上がるのに時間がかかったが、浮いてしまえば安定して飛行し始めた。『通信機が重いようで、離着陸時に多少注意が必要ですが、今回は目的地では地上まで降りませんので、リスクは少ないと思います』

『ああ。すごいな。もう見えなくなった』

『元々、僻地に薬を届ける目的で作られているので、あまり大きなものは運べませんが、巡航速度はかなり早いようですね』

『なるほど』

『飛行開始後、しばらくしてから通信を始めるように設定しています。そろそろです』


 受信機の前に二人で立った。よくある魔道具通信の玉だ。球体がゆえ、取り付けに余分な苦労があったが、玉より小さめに四角くくりぬいた箱に入れ、ひっくり返すという逆転の発想で解決できた。全方向の映像が四角い窓の範囲に狭まったが、様子を探るという目的は十分果たせるだろう。


『あ、映りました。もうすぐ山を越えます』

『早いな』

『目的地までは一直線に飛びますから最短距離です。設定地点では少し速度を落として周回するようにしました』


 受信機の映像は色がほとんどない。これもびっくりするほどの金を出せば鮮明な映像を映し出す通信機が手に入るが、よもや偵察に使用するとは思っていなかったのだろう。よくある一般的な通信機である。


『だいたい、この辺りですが』

『……ん? なんだ? あそこから色が濃くないか?』

『ほんとだ。植生の違いですかね?』

 そのまま映像は進み続け、ついに決定的映像を映し出した。


『なんだ、これは…』

『えっ、これって、まさか』


 さらに設定した奥の目的地へ休みなく飛び続ける魔道具から、送られてくる映像に二人は言葉をなくして立ち尽くしていた。

山向こうに終わりの見えない魔獣の群れが、辺り一帯を黒く染めていたのだった。


 トーマスは万が一のことを考えて、送られてくる映像を記録できるよう別の魔道具を受信機側に取り付けていた。そうして記録された映像を何度見返してみても、山向こうの裾野からはるか先、まさに延々と続くかのように黒い塊、魔獣の大群がそこに映し出されていた。



『俺たちは、悪夢を見ているのか?』


 スタンリーがようやく発した言葉に、トーマスは返事できなかった。スタンリーも返答など期待していないのだろう。そのまま押し黙っていた。


 その沈黙が破られたのは、前線から天幕へ駈け込んできた部下の声によってだった。


『スタンリー様! でかい奴がまた!』

『っ、すぐ行く』

 スタンリーは天幕を出るべく足を向けるが、すぐに立ち止まってトーマスに向き直った。



『もはや一軍で手に負える規模じゃない。皇都へ報告だ。緊急通信の準備と、さらに詳しい映像解析を頼む』

『は、はいっ』


 トーマスの返事を聞いて、今度こそスタンリーは天幕を出て行った。



 これが皇都でアルバートが第一報を受け取る直前の話である。すぐに皇都へ呼び出され、仕方なく領地を離れる羽目になったが、皇都から十分な兵糧と銀矢などをせしめてきたので、タダでは転ばぬスタンリーとしては上出来である。


(あの時、トーマスが飛行魔道具を仕入れていなかったらと思うと、ぞっとするな)


 あり得た別の未来を思い浮かべ、思わず肝が冷える。


「そうなったら、潔く逃げるしかないか」

「え、何か言いましたか?」

「いや、なんでもない」

「スタンリー様! 今夜は久しぶりにゆっくり寝られると思うと、うれしいです~」

「そうか、今晩は満月か」


 昔から魔獣は満月の夜は姿を見せない、と決まっていた。どこへ消えるのか月明りが辺りを照らし始めると、忽然と姿を消すのだ。代わりに新月の夜は、反動のようにその勢力を増大させるので厄介でもある。それを考えると勝負はあと半月、次の新月までに決着をつけるべきだろう。


「月が出るまであと少し。お前ら、気を抜くなよ!」


 スタンリーは、皇都から持ち帰った魔力回復薬を一息で飲み干した。高価な回復薬は普段なら極力使わない主義だが、無償となれば話は別だ。


(それに今使わなくて、いつ使うって言うんだ)


 だるかった体に、魔力が体の隅々までみなぎってくる感覚をしっかり味わってから、スタンリーは凄みを増した顔を上げた。


「スライゴ軍の意地を見せつけろ! 行くぞ!」

 スタンリーの声に野太い声が時の声を上げた。


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宵闇に輝くジェダイトの乙女 りべろ @kaula

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