第27話 染み出す闇/臨時議会


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 アルバートが執務室を出て、ヒューバードは広い執務室に一人になった。パットはすでに各所へ指示を出すべく退出している。彼は執務室の椅子に深く背中を預け、ゆっくりと息を吐く。立て続けに由々しき問題が持ち上がり、さすがに頭が痛くなる。


(ミリアちゃんのことは、叔父上に託すしかなさそうだ。ダグの出陣は必須だ。…あの女の事もあるが、後回しになるな)


「出現場所は東の森か…」


 円を使わずに辺境伯の領地へ行くには、馬車で十日はかかる距離だ。先遣隊の派兵は円を使うにしても、一個中隊まるごと送るとなると、高魔力消費の転移魔法を何度も発動させなくてはならない。それらを発動する魔導士自身も、貴重な攻撃魔法の術者であることを考えれば、本隊は陸路移動が無難である。


(馬で早駆けできればもう少し短縮できるだろうが、歩兵もいるしそうもいかないな)


「それにしても…」

 ヒューバードは少し体を起こして、机に肘をついて顎を乗せる。


(何故、こんなに早い? 報告の通りなら、過去の出現数と比較にならない。前回でも過去最多だったというのに)


 再び椅子の背に体を預けると、片腕を上げて目を覆った。


(我らの預かり知らぬ所で、一体何が起こっている?)


 ヒューバードはパットが執務室に戻ってくるまで、そのまま深い思考の波を揺蕩たゆたっていた。




「東の森に魔獣の大群が?」

「ああ、午後に緊急議会を開く。すまないがいったん休暇はお預けだ」

「事情が事情なのでそれは当然構わないが…、ミリアは――」

「僕が責任持って対応するよ。だから、君たちはそちらに専念してもらって構わない」

 オーエンの宮で顔を突き合わせているのは、昨夜と同じ面々だ。ヒューバードとパット、宮に居たダグラスとオーエンである。何かと目のある昼間の密談には、もってこいの場所だ。


「………よろしくお願いします」

 ダグラスが深くオーエンに頭を下げた。オーエンは優しく笑ってその頭を上げさせた。


「父親が息子の大切に思う人を助けるのは、当然のことだよ。頭なんか下げなくても大丈夫だ。それに僕はきっと彼女の探索者に適任だと思うよ。君らが思う以上に僕の顔は広いんでね」

「何か進展ありましたか? 昨日の今日ですが」

「返答待ちってところかな。大丈夫、見当はついているから。それがだめでも二手も三手も用意してあるよ」

「一体だれと何を交渉しているのか、聞いても教えてくれないんでしょう?」

「まあね。守秘義務ってことで」


「父さん、ミリアの気持ちが何より優先ですから。……もし、戻らないという決断でも、それを彼女が望むならそうしてあげて下さい」

「うん、わかってる。きっとそんな事にはならないと思うけど、ダグラスは心配性だなぁ」

「誰かさんに似たもので」

「ぷっ」


 思わずヒューバードが小さく噴き出した。パットがちろりと視線を向けるが、小さく咳払いして澄ました顔をしている。


「あと、ヒュー。あの女の事だけど」

「はい」

「あれ以来、また動きが止まっている。でも何か様子がおかしい。表立ってはいつもと同じなんだが、何ていうかどうも引っかかる」

「こっちには報告は上がってないな…。どこがおかしいんでしょうか」


「それがハッキリとしない。…例えるならいつもと同じ部屋のはずが、どこか違和感が拭えない、何かがおかしいが、それがわからずもどかしく感じるような、そういった類の引っかかりだ」

「第二皇妃の事ですか」

「ダグラス。元、ね。叔父上と隠密部隊の目でもわからないなら、思い過ごしかもしれませんが、相手が相手だけに用心した方がいいですね」

「ああ、監視は強化してるよ。それと悟られないようにね」


「どちらにせよ、僕はしばらくこちらにかかりきりになるので、叔父上、よろしくお願いします。いざというときは、皇帝権限で好きにしてくださって結構です」

「それは最後のお楽しみにとっておきたいなぁ」

「…お楽しみ…」

 思わずオーエンの言葉を反芻したダグラスに、当の本人は目尻に皺を寄せて笑った。


「アイーシャを手にかけた罪、身体を切り刻んだ所で足らないけどね」

 顔は笑っているのに、ぞくりとする笑顔だった。

「ははっ、まぁまともに死ねるはずがないよね~」


 続くヒューバードの言葉に無言で頷くパット同様、小さかったダグラスはさておき、ここに居る面々はキーラと直接相対してきた過去がある。キーラに対する憎悪は、被害にあったダグラスよりも深いのかもしれない。





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 ヒューバードが緊急招集した臨時議会は、おおいに紛糾した。すぐに討伐隊を編成して出陣すべきと訴える急進派と、国境に近いことから防護壁を築いた上で、状況判断してから動くべきとする慎重派が真っ向から衝突した。


 ヒューバードは議会招集の経緯を簡単に説明した後は、聞き役に徹しており、今のところ発言していない。双方の意見を中央の椅子に座って黙って聞いているだけだ。その表情はうっすらと笑みの形に口角があがっており、面白がっているようにも見える。


 埒のあかない言い合いに変化が生まれたのは、早馬と円を駆使して国境の領地から駆け付けた、辺境伯の登場からだ。辺境伯は、あちこち破れが見える薄汚れた軍服を着こみ、無精ひげを生やしたまま議場へ現れた。染み一つないきらびやかな衣服をまとう議員達の中で、異彩を放っていた。



「スタンリー辺境伯、遠いところを呼びつけてすまない。大丈夫かい?」

「陛下、私は大丈夫です。残してきた配下の者が心配ですので、すぐにお暇することになりますが」

「……それほどか?」

「はい。魔獣の出現を確認したのは五日前です。討伐していく中、どうにも違和感を感じたので、魔道具で偵察機を作り昨日飛ばしたところ、魔獣本隊を山向こうに発見しました。それまで本隊だと思っていたのは、ただの先陣だった事がわかり、急ぎ報告した次第です」


 スタンリー辺境伯は、手渡された清拭用の布で軽く手と顔を拭うと、若干顔色が戻った。出された温かい飲み物を一口飲むと、思わずと言った風に一つ息を吐いた。


「とにかく、これまでの討伐の規模とは桁違いです。その先陣と思っていた中にも、通常の討伐なら数匹程度しか居ない意思を持つ魔獣が、倒しただけで数十匹。明らかにこれは異常な数だ。おそらく本隊にも同様か、それ以上の特異個体が含まれているでしょう。こちらへ出向く直前の報告では、本隊と思われる全体数は、前回の三倍から五倍」


「そんな馬鹿な! 前回は過去最多だったじゃないか!」

「それの五倍だと? 何かの間違いでは…」


 スタンリーは拳でダンと机を叩いた。


「そう思いたいなら、どうぞご自由に」

 スタンリーの態度に憤慨する議員を見て彼は、ここにいる面々と自分の間に明らかな意識の違いを感じ取っていた。


「私は派遣される討伐隊の編成規模についての議会だと思い、はるばる馳せ参じたつもりでしたが、……よもや討伐隊を派遣するしないの論議をこの期に及んでまだしているとは」

 すっと目の温度を下げたスタンリーは押し黙る議員を眺めて、大きな息を吐いた。


「この未曽有の事態に皇都から出陣なさらないというなら、私共は自治権を主張し、タルンギ皇国からの離脱を宣言いたしましょう」


 スライゴ領の独立宣言ともとれる言葉に、大きな議場に動揺が走った。それを馬鹿にするように鼻で笑ったスタンリーは、上座に座るヒューバードに顔を向ける。


「そういう協定を結んでいたはずですが? 陛下」

 話を向けられたヒューバードは笑みを消した顔で、ゆっくり頷いた。


「ああ、その通りだ。辺境伯の治める領地は元より自治領だ。双方の利害関係の元に協定を結び、皇国の属国に名を連ねているに過ぎない」

「ご説明ありがとうございます、陛下。ですが、我々は自治領といえど、小国には変わりありません。当然ながら私共の兵士だけでは、今回のような規模の魔獣討伐は無理ですね」

「それでは自治権を主張しても魔獣に食い荒らされるだけではないかっ! そちらに何の利があってそのような発言をされるのか!」


 飲み切ったカップを静かに机に戻し、一緒に出された数粒で高い栄養価を誇る木の実をいくつか口に放り込むと、奥歯でかみ砕いた。ごくりと口の中の物を飲み込んでからゆっくり立ち上がると、冷え冷えとした笑顔を見せた。


「やれやれ、みなまで説明しないとおわかりになりませんか? ――我々は領民と領地を守ることだけに専念すると、申し上げているのです」


「……どういうことだ?」

「さぁ…、一体スタンリー殿は何を言っている?」


 議員は十年前の革命でほぼ総入れ替えになっており、平均年齢はぐんと下がっている。この場に顔を連ねる議員で、実際に戦場に出た経験のある者は半分に満たない。真面目に職務をこなす優秀な人材ではあるが、予想外の事態にも柔軟に対応できるかどうかは、また別の話である。


 よく言えば実直、反対に言えば頭の固い彼らに、常に最前線で領地を、国境を守ってきた辺境伯の言葉は、すぐには実感しにくいのであろう。



「――つまり、辺境伯は自身の領地は守るが、魔獣が領地外、つまりスライゴをすり抜けタルンギ皇国内に入る奴らを阻止する義理はない、と言っている」


 口を開いたのはそれまで沈黙していたダグラスだった。彼の言葉にスタンリー辺境伯はにやりと笑った。前回討伐では最前線で共に魔獣討伐をした二人である。長期にわたる討伐期間の間、酒を酌み交わし、腹を割って語り合った戦友の一人だ。


 スライゴ領は縦に長い形の領土で、今回魔獣討伐の最前線はその北限の地。スライゴ領の首都は南方にある。ダグラスの言うように、北部の一部の境界線だけを死守するだけなら、スライゴ軍だけで十分戦える。


「さすが、魔法騎士隊長どのはわかっていらっしゃる。…そういうことですよ。おわかり頂けたかな?」

「そんなバカな話があるものか!」

「そうだそうだ! 辺境伯の地位に居られるのも、皇国の庇護があってのものだろう! 後ろ足で砂をかけるおつもりか!」


 特に若い議員の二人が席を立って大きな声を出した。一年前に爵位を継いで議員の仲間入りをした二人だ。二年前の討伐には参加していない。


「では逆に君らに聞くが、手を貸す気のない相手を、なぜ我々が命がけで守らなければならぬ? 協定で結ばれた対等の関係にあるはずの相手を、なぜ無償で助けねばならぬ?」


 部屋のどこかでくすっと笑う声が聞こえた。親子以上の歳の差がある相手からの言葉だ。それまで優位にあろうとした彼らも、次の言葉が出てこなかった。彼ら以外に勢いよく立ち上がった若い議員も、スタンリーの問いかけに答える者は、誰一人居なかった。


 ―――パンパンパン。


 軽い手を叩く音が響き、全員が音のする方が見た。ヒューバードがゆっくりと立ち上がった。


「スタンリー辺境伯。議員たちの非礼を僕から詫びる。すまなかった。伯の言う通り、全軍で討伐に当たるつもりだから安心して。同時に防護壁を布陣するのも進めよう。防護壁の場所はもちろんスライゴの向こう、国境側だ」


「……ありがとうございます。では、引き続き国境警備の任務に戻りますので、この場を辞してよろしいですか」

「ああ、大変な時に来てもらって申し訳ない。兵糧と武器、魔法薬は好きなだけ持って行ってもらって構わない。必要数を伝えてくれ。すぐに出られる隊は明日にでも円で派遣しよう」

「はっ、寛大な処置ありがとうございます」


 それからの議会は事務的な内容に特化し、もう誰も出陣を否とする発言は口にしなかった。議会の扉が再び開かれたのは日暮れ間近だった。

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