第26話  【第2部】亡国・ニーナ/隊長代理

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 広いタルンギ皇国の南東の端、国境を兼ねる山脈を超え、さらに熱砂の砂漠を渡った先に、かつて美しい国があった。ニーナ王国である。数多あまたの神々をあがめ、自然を愛し、平和を愛し、石と暮らした国だった。


 ニーナ王国は立地的な問題もあり、人々の暮らしはおろか、王家についてもその多くは謎に包まれていた。小さな王国は自然の要塞に守られ、昔ながらの生活を営み、他国との交流はほとんどなかった。一応隣国にあたるタルンギ皇国ですら、ニーナ国との交流の記録は数えるほどだ。


 かの王国は石を加工する技術が極めて高く、砂漠を渡るすべを持つ少数民族によって、わずかに運ばれるニーナ国の石は、高額で取引された。石の他に、ニーナ国で作られる物には、そのほとんどに用途に応じた加護が付与されており、現在の高位魔術師が施す魔力付与より精度が高かったという。そちらも希少価値が高かったが、国外に持ち出される品は極わずかで、ニーナ製品に出合う事自体が奇跡だと言われていた。


 そんな謎多き王国が、滅亡したのは今から三十五年前。小さな国は王都の他に大きな町はなく、王都陥落はわずか三日三晩の出来事だった。


 侵略者は闇に紛れて王都へ侵入を果たすと、まっすぐ王城へ向かう道すがら、寝静まった家に次々と火を放った。王都は瞬く間に炎に包まれ、罪無き人々を家ごと焼き殺した。


 異変を知らせる一報が王城にもたらされたときには、王都はすでに火の海だった。ニーナ国王は、己の命と引き換えに全面降伏することを決意し、これ以上の被害を食い止めるべく、家臣の反対を押し切り、侵略者に交渉の場を求めた。


 そんな王を侵略者は、交渉の席で王の提案を一笑に付すとためらいなく王の首をねた。話し合いの場はその瞬間から、惨劇と化した。


 侵略者たちは一切の温情を見せず、半狂乱で王のむくろすがる王妃や、剣を抜いてあらがおうとした王太子や側近、別部屋に隠れていた年端のいかぬ王女や王子に至るまで、その首を切って回った。王城の兵士の捨て身の警護も圧倒的戦力の差に、ほとんどが討死した。


 それもそのはず。昔ながらの暮らしをしていた王国の武器や防具は、旧時代の物。平和を愛するお国柄が仇となり、お家芸ともいえた加護も武器へ付与されていなかった。さらに小国ゆえ、たとえ全兵士をかき集めたとしても、侵略者たちの半数にも満たなかったのだ。


 王族の亡骸は王城前広場にさらされ、残った家臣や兵士は王城内に留め置かれたまま、城に火を放たれた。生き残った国民は、燃え盛る王城を見て、王国の滅亡を否応なしに知ることになった。


 その後、王の死を嘆き殉死する者、侵略者に捕らわれていく者など、様々であったが、侵略者たちの目的はニーナ国の持つ高い技術力から生み出される宝の品であり、一部の技術者以外、いかなる助命も残留も認めることはなかった。わずかに生き残った民は国を捨て、散り散りに流浪の民となるしかなかった。



 だが、侵略者たちは致命的なミスを犯していた。ニーナ国独自の高度な技術は、自然を愛し土地をいつくしむ彼らにもたらされており、自然や神々をあがたてまつる対価として与えられた特別な力だった。美しい国土を焼き払った時点でその恩恵は失われてしまっていたのだ。


 欲した技術を手にすることができなかった侵略者たちは、すっかり痩せた土地に様変わりした元ニーナ国を数年で見限り、住む人のいなくなったかつての美しい国土は、やがて砂漠に取り込まれ、完全に地図から姿を消した。




「――とまぁ、これが俺のじいさんから聞いたかの国の末路さ。王国生き残りから直接聞いた話だって。結局、彼らの持っていた石の加工技術も、加護付与の力も、永遠に失われたって訳だ。馬鹿だよな、リムラックの奴らもさ」

「しっ、声が大きい。一応、襲撃者の黒幕は不明って事になってるだろ、滅多な事を口にしない方がいい」


「悪い悪い。でも口にしないだけで、皆知ってるさ。独り占めしようと欲を出して、二度と手に入らなくしちまったんだから、ほんと悪いことは出来ないって今では良い教訓だよ」

「…そうだな。それにしても、聞いていた話よりずっと酷いな。よくそんなむごいことが出来たもんだ」


「ほんとにな。でもリム…じゃなくて、あの国もその後、大きな災害に見舞われて、多くの国民が餓死か浮浪者になったらしいじゃないか」

「あー、それは俺も聞いた。国民に罪はないのにな。しかも、その損害を他国から補おうと戦争ふっかけてるって」


「そうそう、それであの国は今も年がら年中戦争だ。働き手が戦争に駆り出されるから、町には老人と女子供しかいないって」

「それは…、もうあの国ダメじゃないか? 直接の取引先にはないけど、影響が出そうだな。あそこもヒューバード様みたいな王様だったら、もっと違う国になってたのかな」

「うちの皇帝陛下みたいなお方が、そう何人もいる訳ないよ!」

「そりゃそうか」


 男二人は紫煙をくゆらせながら、荷馬車の横で町の向こうにそびえたつ山脈に目を向ける。亡国があった場所は、ここから山を越えた向こう、砂漠を渡った先にあった。


「それにしても、ニーナは砂漠を渡った先に突然現れる、オアシスのような美しい国だったって。じいさんが子供の頃、一度だけあの国に行ったって自慢してた。ま、砂漠で死にかけたらしいけど。俺も見てみたかったなぁ」

「そうだなぁ」


 この小さな町が、かつての王国へ渡る玄関口だったのは遠い昔の話である。




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 アルバートは焦っていた。今しがた辺境伯より受けた報告は、急を要する上に間違いなく最重要懸案事項だ。物理的に距離がある以上、十分な準備期間をとる暇もないだろう。

 第一魔法騎士隊の副隊長という立場の彼は、隊長ダグラス不在の今、隊長職を兼務している。兼務とは名ばかりで、副隊長の職務は隊長の補佐であるからして、補佐なしで隊長の職務をこなしていることになる。その多忙を極める彼が、靴音を鳴らして皇城内の最奥を目指して歩いている。いや、走る一歩手前とでも言った具合か。


(間隔が短すぎる。しかも規模が桁違いだ…。よりによってあいつが居ないこんな時に)


 アルバートはダグラスと同年入隊の同期だが、年はかなり上の今年二十九歳になる。十八歳で入隊はむしろ一般的で、ダグラスの入隊年齢が早すぎるだけだ。

 ダグラスが過去最年少で正騎士になって以来、あっという間に背も立場も抜かされてしまった規格外の同期の影に隠れがちだが、この若さで副隊長は出世頭なのは間違いない。部下になる隊員はまだ年上もいる。そんな将来有望なアルバートは初恋を貫いて昨年ついに結婚し、愛する妻は妊娠中だ。


「ダグラスを呼び戻す…? いや、その決定は陛下次第だが、あいつが居ると居ないじゃ、まるで戦力が…」

「アルバート」

 ぶつぶつと独り言を言いながら、歩を進めていたアルバートは自身を呼ぶ声に足を止めた。顔を上げると回廊の影から出てきたのは、見知った顔だった。


「パット! 陛下はご一緒じゃないのか? 今、執務室へ向かっている所だが」


 ヒューバードの腹心、補佐官のパットだ。同い年の二人はヒューバードを警護する側と補佐官という立場以前に、親しい友人でもある。

 余談だが、アルバートの妻とパット、アルバートの三人は同郷の幼馴染で、お互いに片思いをこじらせていた二人の仲を取り持ってやったのは、何を隠そうパットである。


「今朝はちょっと所用があってね。陛下なら執務室にいるはずだ。……何があった?」

 察しの良い友人は、ちょっとした変化を見逃さないようだ。


「あぁ。……かなり厄介な事案だ。早急に議会の招集を頼むことになると思う」

「…わかった。とにかく陛下の所へ急ごう」

 きりっと顔を引き締めた二人は、急ぎ足で執務室へ向かった。




「辺境伯から?」

「ええ、今朝連絡を受けました」


 執務室ですでに書類と格闘していたヒューバードの所へ、アルバートとパットが一緒に入ってきた。護衛を廊下へ出し、三人になった所でアルバートは懐から一通の書類をヒューバードに渡した。


 辺境伯の魔道具通信による報告を、正式文書に起こした書類だ。報告を受けたのは管轄である第一魔法騎士隊だが、その内容は一騎士隊で判断できる内容をはるかに超えていた。


 ヒューバードは素早く中を確認して、きれいな眉をしかめた。そのまましばらく書類を眺めた後、パットに渡して腕を組んで目を瞑った。


「……早すぎるな」

「ええ、しかも規模が少なくとも、前回の倍以上と聞きました。これがもし本当なら、総力戦でも抑え込めるかどうか…」

 書類を確認したパットも険しい顔つきになる。


「ダグラス隊長に早急な帰城要請と、臨時議会の招集をお願いいたします」

「うん、そうだね。さっそく午後に皆を集めて議会を開こう。魔法省の重鎮とリーアムも無理やりにでも引っ張ってきて。近衛以外の隊は隊長もしくは副隊長を呼ぶように。パット手配よろしく」

「はっ、畏まりました」


「あとは、そうだな。出陣に備えた準備もすぐに始めないと…。兵糧の確認と武器類の補充がすぐにどれだけ納入できるか、商会長も呼ぶか…。あとは――」

「陛下、あの、うちの隊長は…」

「あ~、それは呼ぶ必要ないかなぁ」

「……え?」

 アルバートは口を開けて、動きを止めた。言葉の意味は理解できるが、内容が理解できない。


「ちょっと事情があってね、昨日から城に居るよ」

「はぁ~!? …っと、失礼しました。じゃあ、あの野郎…じゃなかった、あいつ…じゃなくて、隊長はすぐに復帰ということですね。承知しました」

 思わず出た声は思いの外大きく、この三ヶ月の彼の苦労がうかがえる。


「ははっ、ダグにも事情があってね。すぐにも旅先に戻る予定だったんだけど、これでそうもいかなくなったな…」

「取り急ぎ、各所に伝達を」

「そうだね。辺境伯から直接話を聞きたい。円ってスライゴの近くにあったかい?」

「馬で半日ほどの所にあります」


「じゃあ、特別通信ですぐに連絡を。少しの遅れは大丈夫だけど、議会中に必ず到着させて。アルバート、悪いんだけど議会には向かわせるから、それまでダグラスのことは伏せといてくれる? あいつの事情もちょっと厄介でね」

「はぁ、わかりました。では、私は先に失礼します」

「あ、アルバート」


 アルバートが一礼して扉に向かおうと背を向けた所で、声がかかった。条件反射でかかとを揃えて振り向く。ヒューバードはこの日一番の笑みを浮かべた。


「君のとこ、そろそろ産まれる頃じゃないか? 家には帰れているのかい?」

「なんとっ、もったいないお言葉です! 自宅には、……先週と一昨日も帰りましたので、大丈夫です」

「ははっ、大丈夫とは言えないなぁ。奥さんに恨まれたら、僕のせいにしていいからね」

「とんでもありません! ダグラスに休暇を取らせなかった、我々も同罪ですので、大丈夫です!」

「まぁ、そういうことにしておくか。産まれたら知らせてくれる? お祝い送るよ」

「陛下…っ、ありがとうございます! 家宝にいたします!」

「うーん、まだ贈ってないんだけど…」

 ヒューバードは苦笑するが、アルバートは上機嫌で部屋を辞して行った。


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