第21話 ダグラス帰城する/未知の世界


  (37)ダグラス帰城する


 皇城に設けられた陣に夜が明けきらない早朝、ダグラスとキーヴァが降り立ったのは、すぐにヒューバードに知らせが届けられた。


「――ダグラスが陣に現れた?」


 夜更け遅くまで政務をしていたヒューバードは、数時間前に寝床にもぐりこんだばかりだ。それでもさっと身なりを整えると伝令を迎え入れた。隣室で控えている近侍が急いでカーテンを開けていく。すぐに完璧な服装のパットが現れた。その後ろから目覚めの熱いティーセットのワゴンを引く女官が見える。


「はい、ケント隊長自ら敷いた陣を起点にされて、つい先ほど帰城されました! 陛下との面談を希望されておられます!」


 城壁近くにある陣の見張り兵が、紅潮した様子でヒューバードに進言する。彼らが常に守る陣は、予告なしに陣が発動する事は無く、さらに外郭近くの警備兵が皇帝の執務室へこうしてやって来ることも希少である。


 皇帝陛下に忠誠を誓った兵の多くは、皇国の英雄ヒューバードに心酔している。ヒューバードも彼らの働きに応じて正しく評価をし、気さくな態度で接している。末端の兵士にしてみれば雲上人の部屋に、お役目を持って足を運んだのだ。興奮するなという方が無理である。


 ちなみにキーヴァは陣の見張り小屋で預かってもらっている。今頃は腹いっぱい飼葉をもらっているだろう。



「わかった。心得ているとは思うけど、この事は口外禁止だよ。君の同僚以外で事情を知る者は居ないよね? で、彼は今どこにいるの?」


「ここに居ます」


 その声に部屋の中の全員が振り返った。旅装に身を包んだダグラスが扉の前に立っていた。



「ダグラス!」


「申し訳ありません、許可を貰う前に来てしまいました。一応気をつけましたが早朝ですので、陛下の部屋の前の護衛以外に姿を見られてはいません」

「いいさ、手間が省けた。パット、陣の方の後始末と午前中の予定の調整を頼む。君、名前は?」


「はっ。ライアン・ノップラーと申します!」

「ライアン、伝達ありがとう。ダグラスが帰った事はこの部屋を出たら忘れてくれる?」

「はっ!」

「うん、国防の一端を担う重要な場所だ。これからも頼むよ」

「あ、ありがたきお言葉…、はいっ。より一層精進いたします!」

「うん、よろしく。ライアン」


 ヒューバードがライアンをたらし込んでいる間に、パットがてきぱきと指示をしていく。すでに朝日は昇ったが、調理場担当以外の者はようやく起き出す頃だ。内情を知る男だからこそ、この時間の帰城なのだろう。


 部屋の入り口近くに立ったままのダグラスが、口を開いた。



「陛下、人払いをお願いできますか」

「…わかった。聞こえたよね。よろしく」


 入口に立っていた警護の二人が廊下に出ていく。広い執務室はヒューバードとダグラスの二人きりになった。



「それで? わざわざ陣を描いてまで飛んで戻って来るなんて、何があったんだい。君が保護したっていう女の子はどうしたの。部屋を用意してほしいなんて意味深な知らせをよこしたくせに、なんで君一人なのかな?」


 転移魔法は大きな効果をもたらすが、体にかかる負担も大きい。魔力値が二千を超えるダグラスですら、半分近い魔力を持っていかれるのだ。安易に普段使いするような魔法ではない。目の前で立ったままの従弟いとこの表情は硬いままで、状況だけでも緊急事態だとわかる。


「彼女が、ミリアが消えた。アッシュも一緒だ」

「……消えた? どういうこと?」


 ダグラスは眉根をきつく寄せると、小さく息を吐いた。その唇がほんの少し震えたのをヒューバードは見逃さなかった。自分よりも大きな体をした従弟の肩を叩いて、ソファーに座るよう促した。自ら用意されていたティーセットでお茶をカップにそそぎ、彼の前に置いた。そしてダグラスの向かいに座ると、顔を俯かせている彼に言った。


「まあ、まずは飲んだら? 適当に淹れたけど飲めるだろ。君、酷い顔してるよ。それ飲んだら、最初から説明してくれる? 状況を判断するにも、事情がわからないと動けない。君が女の子を保護したってことしか僕は知らないんだからさ」

「……あまり時間をかけたくない」

「わかってるよ。だから、要点をかいつまんでよろしく」


 ヒューバードはにっこりと笑った。




  (38)未知の世界


「――なるほど。現れた時とよく似た光の柱が見えて、その子とアッシュが姿を消したと」


 しばらくして、パットが各所への指示を終わらせて戻って来た。出来る補佐官は、片手で摘まめる朝食を携えていた。ご丁寧に魔力回復薬も用意されている。もちろん、ダグラス用である。


 まだ残り魔力が人並み以上あったとしても、大きな術式は体への負担も少なくない。これがダグラスでなければ、動き回るのも辛い疲労感に襲われていただろう。


 通常なら十分な睡眠で回復するが、今は手っ取り早く回復させておいた方が良いと判断されたようだ。それらをテーブルに置き、それぞれが口に運びながら話を進めている。ダグラスも少し落ち着いたのか、勧められるまま大人しく口にしていた。



「陣の発動時も光るよね。それとは違うのかい?」

「まるで別物だな。明るさが違いすぎる。まともに目が開けていられないくらい光っていた。あと、魔法陣はほのかに青白く光るが、それはほぼ白一色だった」

「なるほどね」


 ヒューバードは甘く味付けられた鶏肉が挟まれたパンを、一口で口に放り込んだ。これまで口にした四つ共、種類は違うがすべて肉入りである。パットが素知らぬ顔をして、野菜がたっぷり挟まれた物をヒューバードの前にそっと置いた。彼は目を閉じて考えこんでいて気が付いていない。



「光の場所は木の向こうにはっきりと見えていた。場所は間違えていない。木桶の横にアッシュの足跡があったし、そこだけ掃き清められたみたいに丸く円になっていたのも不自然だ」

「んー、そのミリアちゃんだっけ? 彼女のここへ来る前の経歴は一旦置いておこう、さすがに聞いた事がない。そんな事あるんだな…」


 目を開けたヒューバードが、目の前のパンを無造作に口に放り込む。数回咀嚼そしゃくして顔をしかめた所へ、パットがすかさず淹れたてのお茶を目の前に差し出した。素直にそれを一口飲んでから、ヒューバードが口を開いた。



「ただ、光の柱の現象は、昔読んだ書物に似たような記述があったと思う。円い痕もどこかで見た気がする。……精霊、妖精、どちらにせよ人外の力だと考える方が、彼女がやって来た経緯からして、可能性高いと思うな」

「こちらから世界を渡ることは可能だろうか」


「どうだろうね。過去に消えた人間はたくさんいるみたいだけど、世界を渡ってまたこちらに帰って来た人間ってのは、少なくとも本では見た記憶がない」

「ですが、記録が残っているということは、帰ってきた人物がいるってことなのでは?」

 パットが口を挟んだ。確かに一理ある。


「そもそもここに書かれた内容が、真実であるか確かめるすべがないんだけどね。まぁ、パットの意見も一理あるかな。書かれていたことが真実だとしたら、世界を渡って帰ってきた人間が書いたってことになるね」

「確証はないが、疑わしいものはあるということか」


「そうだね。それにしても精霊かぁ。ミリアちゃんの存在から絡んでいるとなると、一筋縄じゃいかない相手だよ。ダグは神に近い彼らと彼女を取り合うのかい? その覚悟はあるの?」

 ダグラスは膝に置いた拳をぐっと握りこんだ。


「ミリアが、…彼女が何も言わずに姿を消すとは思えない。それくらいは短い付き合いでもわかる。事故にせよ、意図した計画にせよ、あいつが望んで行ったとは思えない」

「何かに巻き込まれたって可能性もあるか」


 ヒューバードが別の可能性を思案する間も、ダグラスはじっとテーブルに視線を落としていた。しばらくして、口を開いた。



「俺はあいつが…笑って過ごせるようにしてやりたい。それだけだ」

「………」


(それは、ほとんど愛の告白と同義だって気が付いていないんだろうな、こいつは)


 ヒューバードは口元だけで笑うと、可愛い弟の気持ちを汲んで立ち上がった。そこでようやくダグラスも顔を上げた。

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