第20話 ゲート/エリン
(35)ゲート
ミリアは強い光に囲まれた後、真っ白い世界に取り込まれていた。傍にはアッシュがぴたりとくっついているが、いかんせん視界がまったくなく上下左右がわからなくなる。
「アッシュ、アッシュ。絶対、離れないでねっ」
ミリアはアッシュの首に両腕をまわして縋りついている。アッシュはずっと低いうなり声をあげている。
(でも、この感覚。……覚えがある)
次第に光が弱まっていく。しっかりアッシュを抱いたままミリアは目を凝らす。そして光が完全に消えると、そっと立ち上がった。アッシュは傍を離れず、大きなしっぽでミリアをくるりと囲んでくれた。
ようやく辺りの明るさに目が慣れてきて、様子が見えてくる。まず緑が目に入る。いろんな木々に囲まれた森のような場所。一言に森と言っても、高い木が乱立する、うっそうとした元の森ではない。その証拠に、夕暮れの薄闇から、辺り一面十分に見渡せる昼間の明るさに変わっている。
「ここは、どこ…?」
「ミリア! 元気そうだねー。良かった」
(! この声っ)
急に聞こえた声は、どこか聞き覚えがあった。声に振り向いたミリアは大きな眼を見開いた。
「えっ、えっ!?」
それもそのはず、目の前に小さな人が浮かんでこちらに手を振っていたのだ。いつの間にか、アッシュのうなり声が止んでいる。
「ああ、やっぱり君の瞳はすごく綺麗だな! さすが俺様っていうか…ん? ミリアの首のその石……。へぇ、また珍しいもの持ってるね。まだあっちの世界にそんなの残ってたんだぁ。まあ、悪いものじゃないし、大丈夫かな?」
(間違いないわ、この声だわ。…ペンダント? これがどうかしたの?)
無意識に胸元の小さなペンダントを、指先で触れてちらっと視線を落とした。つけてもらった時と変わらず、きらりと光を返している。ひらりひらりと目の前を行ったり来たりする相手は、よく見ると小さな羽が生えている。小さな体に丈の短い上着を着て、腰にはひらひらとした布を巻きつけている。短い髪は茶色で瞳は金色をしていた。
「変なのがくっついてきたと思ったら、なるほどね。ミリアの護衛? へぇ?」
ふわふわと浮かぶ相手は、ミリアがまじまじと観察をしている間も、少しもじっとしていない。ひとしきりミリアの周りを飛んだ後、今はアッシュの鼻先に浮かんで彼を相手している。
(やっぱり、全然見覚えがないわ)
「あなたは誰? どうして私を知っているの?」
「そりゃ知ってるよ。君をこっちの世界に呼んだのも、君の瞳に魂を吹き込んだのも、俺様だもん。君のじいさんに頼まれてね!」
ミリアは、はっと息を飲んだ。
「私のおじいさん……? あのお店のおじいさん?!」
「そうだよ。あのじいさん、ああ見えて俺様達が見える珍しい人間だったからね。昔はそんな人間がもっとたくさん居たんだけど、いつの間にか随分と数が減っちゃってて。人間の一生は短いからさー。あ、あっちの世界とちゃんと繋がるのは年二回なんだけど、抜け道は結構あるんだよ。だから、暇になったらあっち行って、ちょこちょこ遊んでたんだぁ。今日も抜け道を使ったって訳」
たったこれだけの会話に含まれる情報量が多すぎて、ミリアの許容量を超えそうになっている。
「ちょ、ちょっと待って。一つずつ教えて!」
ミリアは見た目だけなら、夢みがちなお嬢さん風だが、実は好奇心も旺盛で、新しいことが大好きなしっかり者だ。決められた事を毎日きっちりとこなす勤勉さもある。毎朝のアッシュの毛づくろいや、床のモップ掛けがいい例だ。そして理解を深めるために、情報をまず整理してから頭の中で考えていくタチである。
その間、アッシュはずっとミリアの傍で大人しく座っている。しっぽはゆらゆらとミリアを励ますように撫でている。ミリアもアッシュから手を離さないでいる。彼女はちらりとアッシュを見た。
(アッシュが警戒を解いているわ。危険ではないってことね)
アッシュの賢さはダグラスから聞かされているし、ミリアも同感だ。彼がずっと彼女の傍を離れないのは、ミリアを守っているのだと、アッシュ本人から聞いた。これまでアッシュがダグラスと共にどれだけの月日を過ごしてきたか詳しくは聞いていないが、ミリアもダグラスと同じくらいアッシュを信用していた。
(36)エリン
「別にいいよ。何から知りたいの?」
その声にミリアははっとして顔を上げた。
「えっと、まずあなたの名前を教えて?」
「わふっ?」
声を出したアッシュを、ちらりと見たミリアはしーっと人差し指を口に当てた。
「だって、名前がわからないと呼べないもの。自己紹介は大切よ?」
「ははっ、名前が最初? いいよぉー! 俺様はエリン。君らの言葉でいうと精霊…またの名を妖精かな。ミリアはお気に入りだから、特別に名前を教えるんだからね」
「まあっ! やっぱり妖精さんだったのね。教えてくれてありがとう。よろしくね、エリン。知っているだろうけど、私はミリア。この子はアッシュよ。…次の質問、いいかしら」
礼儀正しく自己紹介をするミリアにエリンは笑顔で、くるりと回って見せた。少しもじっとしていない。
「どうぞ~」
「ここはどこ? 私はなぜここへ来たの?」
「ここは、俺様達の国と人間の国の間かな。俺様達はゲートって呼んでる」
「ゲート…入口、通路みたいなものかしら。元居た場所と近いの?」
「うーん、次元が違うっていうか、世界が別だから近いような遠いような? 答えるのは難しいや」
(近いけど遠いのね…。魔玉石は今は使わない方がいいわね)
「いいわ。じゃあ、次の質問に答えて? なぜ私はここへ来たの? エリンが連れてきたのよね?」
「どうしてここに来たかは、ちょっと後回しでいい? 連れてきたのはこの俺様だよ! すごいでしょー」
「確かにすごいわ。でも、なぜ理由を後にするの?」
「んー、ちょっと長くなるんだよねー。…次の質問は? もうないの?」
ほんの少しだが、エリンの声のトーンが下がった。慌ててミリアは声を上げた。
「まだまだあるわ! お願い、ちゃんと最後まで答えてほしいの。どっか行っちゃわないでね、エリン」
ミリアはこの小さな彼が、元の世界へ帰る鍵を握っていると確信している。山小屋からミリアが外に出なければ、もしかしたらこのような事態にはならなかっただろう。勝手に外に出た責任はミリアにある。
そう思うと胸がきりりっと痛む。見た目に反して案外過保護な彼は、姿を消したミリア達を酷く心配するだろう。エリンからできるだけ必要な情報を聞き出して、どうにかして元の世界へ帰らなければならない。
(私が人間になった理由も知りたいけど…。今はそれよりも聞かなきゃいけないことがあるわ)
「うん、どこにも行かないよ~。だって俺様が連れてきたんだもん。それにミリアはお気に入りだから、答えてあげる」
その答えにミリアはゆっくりと頷く。
(その言葉を、鵜呑みにしては…ダメ)
昔、おじいさんが彼女の手入れをしながら語ってくれた話には、よく妖精が登場した。彼が特別な目を持っていたというのなら、それも納得できる。
そして繰り返し聞かされたのは、彼らは総じて気まぐれだということ。気が向いたら快く手を差し伸べるが、飽きるのも早い。万が一機嫌を損ねてしまうと、とんでもない災厄が降りかかると何度も聞いた。目の前のエリンが機嫌よく居てくれる内に、必要な情報は手に入れたい。
「じゃあ、次の質問ね。私は元の世界に帰れるの?」
無駄な駆け引きをやめ、一番聞きたい事を聞いた。両手を合わせてエリンの答えを待った。
「うーん、どうしても帰りたい? こっちにずっと居てくれてもいいんだけど」
「もちろん、帰りたいわ! だって急にこっちに来てしまったのだもの。きっと彼が心配しているわ…」
ダグラスの顔を思い出すと、じわりと瞳に涙の幕が張ってしまう。
(ダメダメ、ちゃんと答えを聞き出さないと)
「彼って黒髪のでっかいあいつの事? ん~…まぁ、あいつだったらいいかな? じゃあ帰してあげるよ」
「ほんとっ?」
「でーもー、ここに呼んだのは俺様なんだから、俺様がいいよって言ったらだよ?」
「……確認してもいい? それは、どれくらい時間かかるのかしら?」
頬がひきつりそうになるのを、必死に我慢して穏やかに聞いた。
「それはミリアをここに呼んだ理由とも重なるから、んー、一日二日じゃ無理かなー? とにかく用が終わるまでだよ! あ、あっちの世界と時間の流れが違うから、あっちの時間はもっと過ぎちゃうけどー」
「そんなっ…お願い、できるだけ早く帰してっ…」
「だから、ミリア次第だってば。なんだかミリアも急いでるみたいだし、じゃあさっそく行く?」
「えっ、どこへ? ここを離れるの?」
「ミリアをここに呼んだ張本人のところだよ」
そういうとエリンは笑った。
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