第19話 逢魔が時/光の柱/離別と覚悟


  (32)逢魔が時


 ミリアは旅用に買ってもらった、踵のない短いブーツを履いている。これまでほとんどキーヴァの上に居たので、たいして活躍はしていないが、森を歩いても問題のない山歩き用の靴だ。


「急いだほうがいいわね。ダグラスより先に帰らないと」

「わおーん」

「アッシュに乗れたらいいのにね。さすがに落とされそうだから、乗らないけど」

「わふっ」


「試してみるかって? やめておくわ。怪我でもしたら大変だもの。あなたの背中、人が乗れるように見えないものね」

 その背中に立ったのはどこのどいつだ。


「えーっと、確かこっちよね。キーヴァの足ではすぐ近くだったけど、歩くとどのくらいかしら」

 ミリアは木の上に居る鳥に顔を向ける。


「こんにちは。この先に小さな川があるはずなんだけど、知っているかしら? よかったら教えてほしいの」


 ―――ぴぴぴっ。


 鳥は短く鳴くと軽い羽音を立てて飛び立った。



「着いてきてって! アッシュ、見失わないでね!」

 ミリアは鳥を追うアッシュを追いかけた。



「はぁ、はぁ…、アッシュ…、ちょっと待って、もう無理」

「わおんっ」


 後ろを気にしながら先行していたアッシュの耳に、か細い声が届いた。すぐに引き返してミリアの元に走って戻ると、心配そうに手の甲を舐める。


「はぁ…、大丈夫。ちょっと息が上がっただけ。さすがに飛ぶ鳥と同じには走れなかったわ。あの子も先に行っちゃったし、失敗ね。はぁ、ちょっと落ち着いてきた。ふぅ~、もう近いのかしら?」


 弾んだ息をなんとか落ち着かせて、ミリアと一匹は耳を澄ませた。すると、かすかに水の音が聞こえた。



「あっ、聞こえる! 近いのよ。行きましょう、アッシュ」

 ミリア達が沢までたどり着いたのは、それからしばらくしてから。まずは汚れた手を洗い、ついでに顔も洗った。そしてそっと手で水を汲み、口につけた。


「はぁっ、冷たくて美味しい! アッシュも飲んで…ってもう飲んでるのね。美味しいわね、アッシュ」

「わふ」

 沢は思ったより大きく、少し行くと深さもあるようだった。


「そうだ、水を汲まないと」

 ミリアがふと顔を上げると、立ち並ぶ木々の向こうの陽が地平線に迫ろうとしているのが見えた。


「大変っ、陽が暮れちゃう。早く戻らないと」

 ミリアは急いで桶に半分程度水を汲むと、それを両手で持った。


「う、結構重い。でも半分だし…」


 それでもせっかくここまで来たのだから、できることなら持ち帰りたい。ダグラスが汲んできてくれる予定の水は、飲み水用なのでそれをもらうのは避けたい。


「頑張るわ。……どうしても無理だったら、途中で捨てればいいし」

「わおん」


 両手で桶を持ったミリアをアッシュが先導して、来た道を戻る。沢の音が聞こえなくなった辺りで、丸い夕陽の下側が地面にかかった。


「はぁ、急ぐとお水がこぼれちゃう。でも、急がないと…」


 揺れる水面が気になり、どうしても早く歩けない。そんなミリアを心配そうにアッシュは振り返るが、そのアッシュの向こうに見える陽はすでに半分ほど沈んでいる。



「どうしよう、ダグラスもう帰ってるわ、きっと。こんなに時間かかると思わなかったの。アッシュだけでも、先に知らせに行くのは? …うん、だめよね、やっぱり。私も一人は怖いし…」


 アッシュはミリアを守るべき相手だと思っている。妹のようだとも言ってくれた。


「ああ、もうすぐ沈んじゃう。せっかくだけど、お水、少し捨てるわっ」


 そう言うとすぐ傍の木の根元に、少しだけ水を流した。桶の三分の一ほどになり、幾分軽くなった気がするが、片手で持つにはまだ少し重い。それでも急ぎ足が気にならない程度にはなった。



「さ、急ぐわよ。アッシュ」

「わん!」

 それからしばらくしてついに、最後の光が姿を消してしまう。


「ああ、沈んじゃった。ねえ、アッシュ、山小屋はまだかしら」

「わおん」

「近くまで来ているのね。よかっ…――きゃっ!」

「バウバウッ!」


 ミリアがほっとした瞬間、彼女とアッシュはまぶしい光に囲まれていた。そのまま、一人と一匹を包んだ光はその光を強め、しばらくして辺りから光が消えると、そこには丸い円が描かれたように残り、中央に木桶だけが地面にポツンと転がっていた。




  (33)光の柱


 太陽が地面に沈むより少し早い時間、ダグラスはキーヴァと山小屋へ戻ってきていた。小屋から少し離れた柔らかそうな草の生える場所へキーヴァを繋ぎ、たてがみをひとしきり撫でてから小屋へと足を向けた。


「ん?」


(人の気配がない?)


 すでに夕暮れが迫っている時間帯なのに、そばの木の枝にはミリアが干したのであろう毛布が吊られている。開かれた窓から見える薄暗い小屋の中に灯りが付いていない。


 ダグラスは次の瞬間、手に持った薪をその場へ捨てると小屋へと駆けだしていた。扉に手を掛け、大きく開け放った。小屋の中は見渡すまでもない。そこに誰もいなかった。


「どういうことだ…」


 己の鼓動がやけにうるさく聞こえる。目だけは部屋の隅まで見回し、隠れられる場所を探すが、小さな山小屋にそんな場所などない。床の埃は掃き清められており、ミリアの痕跡はちゃんと残っている。


「アッシュ…、アッシュ!」


 アッシュはミリアの傍を絶対に離れない。そのアッシュも見当たらないなら、ミリアはここには居ないということになる。



「くそ、いったいどこに…」


 その時、床の上に無造作に残された雑巾が目に入る。かがんでそれを手に取る。ただの薄汚れた乾いた雑巾だ。山小屋に置いてあった物だろう。それをぐっと握りこんで考えを巡らせる。


(暖炉に火が付いていない、まだ掃除の途中だった? ミリアなら、頼まれた事を途中で放り出さないはず……)


 ダグラスは、手の中の乾いた雑巾を見た後、はっとして顔を上げる。


「あいつまさか、水を汲みに?」


 ダグラスは乱暴に扉を閉めて外へ飛び出した。が、すぐに戻ってきて、小さな暖炉にすばやく火をくべ、備え付けのランプにも火をつけると窓際に置いた。


(あいつが戻ってきた時、灯りが目印になる)


 火をつけるとすぐに外へ出て、繋いだばかりのキーヴァの元へ走った。



「キーヴァ、ミリア達が居ない。お前も一緒に気配を探ってくれ」


 ゆったり草を食んでいたキーヴァは、目を丸くしてすぐに鼻息を荒くいなないた。ミリアの話によると、ほとんどの生き物は人の言葉をおおよそ理解できるのだという。キーヴァならダグラスの言葉を、ほぼ正確に読み取ってくれるはずだ。


「行こう。おそらくアッシュと沢に向かったんだ。すれ違っていないから、別の場所から降りたに違いない」


 沢へ降りる道は何も一つではない。ダグラスはキーヴァを伴っていたので比較的広い道を行ったが、小動物の通る道ならそれこそ無数にある。そのどれかを使ったのだろう。ひらりとキーヴァに跨ると、ダグラスはすぐに鞍から腰を上げた。



「はぁっ!」


 大きく前足を掲げると、キーヴァは全速力で駆けだした。その二人の後ろでは今まさに陽が沈もうとしていた。


「直に陽が暮れる。その前に見つけないと。頼む、キーヴァ」

「ヒヒーン!」


 今帰って来たばかりの道を引き返し、ダグラスは必死に目を凝らす。


(持たせてある魔玉石は割られていない。少なくともミリアに危険が及んではいない)


 本気のキーヴァの足なら、沢まではそう時間がかからない。そう思った時、少し先に眩しいほどの白い光が出現した。



「なにっ!?」

 かすかに犬の吠える声が聞こえた気がした。




  (34)離別と覚悟


 光の強さは昼間の太陽のようで、思わず手をかざして薄目で光の発現場所を見る。木々の向こうに見える光は、真っ直ぐ上空にも伸び円筒状に光を放っていた。……そして跡形もなく消えた。


「………くそっ」

 知らずに緩めていた手綱をもう一度強く引き、キーヴァと風を切って駆けていく。


(頼む、間違いであってくれ!)


 もはや、ダグラスには確信めいた予感があった。何度もよぎるその予感を無理やり追い払って、すぐに光が消えた場所へたどり着いた。


 飛び降りるようにキーヴァから降りて、何かが転がっているそこへ走り寄る。そこには地面に広がる小さな水たまりと、横倒しになった木桶が一つ、転がっていた。


「嘘だろ? ミリア?」

 桶は山小屋にあった物だろう。水たまりのすぐ横には、くっきりと大きな犬の足跡が残っていた。


「……アッシュ」


 情けなくも震えそうになる体を叱咤して、キッと顔を上げた。彼女達が居たであろう場所をじっと見つめる。よく見ると桶を中心に丸く円が描かれたように、そこだけ小石もなく綺麗な丸になっていた。


(森に現れた時と似た光。…だが、今度は)


「…アッシュが傍に居る。ミリアは一人じゃない」

 ぐっと拳を握りこんだ。爪が手の平に食い込むがさらにきつく握った。


(大丈夫だ、アッシュがあいつを守っている)


 地面に転がる木桶を見つめる。ダグラスはその場に立ち尽くした。すっかり夜の帳が辺りを覆いつくしても、彼はそこにいた。心配そうにすり寄ってくるキーヴァの鬣を撫でてやる以外、動こうとしない。そのまま朝をむかえるまで彼はそこに居た。


 徐々に白んでいく空に顔を上げると、一度目を瞑り、再び瞼を開いた時には覚悟を決めた。



「俺は…あいつを守ると、約束した」


(あいつが自らの意思で、何も告げないまま姿を消すとは思えない。…だったら、俺がやることは一つだ)


 歩み寄って来たキーヴァの首筋を撫でてやってから、彼は少し開けた場所を探し、そこに大きな陣を描き始めた。己の魔力を注ぎ込んで描く、術式魔法である。この国でも彼とリーアムの他には、数名しか発動させることができない。その数名以外の殆どが発動する条件すら満たしていないのだ。ダグラスも練習以外で初めて発動させる。集中したまま迷いなく陣を描いていく。


 全てを描き終わると、ダグラスは軽く息を吐きだした。そして指笛を鳴らした。さほど待つことなく舞い降りたハリーに餌をやり、持っていた残り全て拾いあげた木桶に入れて地面に置いた。森においてハリーが餌に困ることはないだろうが、しばらくは狩りをせずとも過ごせるはずだ。


「ハリー、よく聞いてくれ。ミリアとアッシュが消えた。俺は皇都へ行って情報をかき集めて来る。お前は、ミリア達が戻って来た時のために、ここで居てくれるか。もし、あいつらが現れたらすぐに皇都へ知らせて欲しい。わかるな?」


 ハリーはじっとダグラスの目を見つめた後、くるっと首を回した。了承の合図だ。ダグラスはハリーの背中を撫でおろすと、空に放った。そのまま木の上高く舞い上がり、はるか上空で旋回をしている。



「頼んだ! ハリー」


 キーヴァと描いたばかりの陣の中心に立ち、もう一度ハリーに声をかけると、甲高い声が返って来た。ダグラスはキーヴァの手綱を持ち、転移魔法を発動する。描いた陣から光が上へ浮かび上がる。足元から青白い光に包まれていき、彼らの姿をうっすらと覆っていく。光の消えた後は、彼らも陣も跡形もなく消えていた。


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