第18話 森の迂回路/魔道具/山小屋


  (29)森の迂回路


 ダグラスとミリアの二人旅は、いたって順調だ。ミリアは、今日もダグラスの前にちょこんと座っている。馬に乗るのはずいぶん慣れたが、いかんせん彼女の足がどこにも届かないので、不安定さは中々改善しなかった。


 幾度も落ちそうになったので、ダグラスが片手でミリアを抱え込む横乗りスタイルに落ち着いた。それも慣れてしまえばそれが二人乗りの定位置になった。


「そろそろ小屋がある頃だと思うが」


 広大な森もまったく人の手が入っていないわけではない。古くから使われた森越えルートは、いくつかの施設が設けられていた。このルートの為に整備された、旅人のための山小屋がいくつかあるという。


 よく見ないとわからないが、森には確かに道らしきものが存在していた。もちろん、雪が積もるとまったくわからなくなるので、冬場は閉ざされる道でもある。


 その山小屋は誰でも使うことができ、昔ダグラスが森で迷子になった時、迷い込んだ先に小さな山小屋があり、そこには先客がいた。


 無事に暖かい部屋で夜を越した少年は、親切な旅人に山小屋の意味とルールも教わり、家への方向も教わった。少年は意気揚々と笑顔で帰宅すると、赤い目をした母親に、それはこっぴどく怒られた思い出もセットの記憶だ。


 今は旅人のほとんどが、多少遠回りでも大きな街道を選ぶ。馬車道が整備され、一日進める距離ごとに宿場があるからだ。昔は荷馬車を狙う盗賊が出る危険もはらんでいたが、ヒューバードの治世になり、各地に兵が配備されると盗賊は淘汰されてゆき、安全に行き来できる街道になった。それ以来、めったに森のルートは使われなくなったと聞く。



「ダグラスの言った通りだわ! あそこに山小屋があるわ」

「ああ。さて、中は使える状態か」


 突如現れた小さな小屋は、壁の半分が蔦で覆われており、年季を感じる造りだ。それでも、ここまで野営してきた二人には、屋根があるだけでも大違いである。


「よっと」


 キーヴァを止めると、ダグラスはさっと降りて、ミリアを抱えて降ろす。すぐにアッシュがミリアの隣に座り、彼女の手を下から救い上げて自身の頭に乗せた。撫でて欲しい時の催促だ。



「アッシュ、お疲れ様。毎日走って着いてきてえらいわ」

「わふっ」


 もっと褒めてと言わんばかりに、頭を擦り付けている。ミリアも心得たもので両手を使って頭全体をわしゃわしゃと撫でまわしている。


 デレデレのアッシュだが、本来の彼は、森におけるヒエラルキーの頂点近くに分類される種族だ。野生動物にとって上下関係は絶対で、地上の生き物で彼に勝てるのはクマくらいだろう。そして案外クマは臆病なので、自分から近づいてはこない。ちなみに空の王者は言わずもがな猛禽類であり、つまりハリーがそれにあたる。陸と空の王者を虜にするミリアがどれだけすごいか、当人はまるで自覚がない。


 アッシュを撫でまわすそのミリアの手首には、小さな石が付いた革紐がまかれていた。魔道具である。



  (30)魔道具


 この国には魔力を動力源とした様々な魔道具がある。森の家の家財道具はひと昔前のもので、魔道具がまだ一般家庭まで普及していなかった時代の旧道具だった。そんな魔道具の中には、ダグラスが休暇に入る前まで日常的に使っていた物もあった。


 ウィローでミリアが男に声をかけられたのをきっかけに、町で魔道具をいくつか購入することにした。さらにミリアと皇都へ行くと決めてからは、簡易コンロや、地面に置くと枕サイズから自動で膨らむ、簡易ベッドなどを旅支度品として買い足した。


 この簡易ベッドを店で手にしたダグラスが、人知れずがっくりと肩を落としていた。ちなみに簡易ベッドの上に寝袋を置いて使用するのだが、寝心地は通常の寝具に引けを取らないと旅支度品として大人気商品である。



 魔道具を買うに当たって、気になっていたミリアの魔力値を、ウィローの教会で測定してもらった。結果は一般的な数値のさらに半分以下で、かなり少ないことが判明した。その数値の低さもあり、旅道具の魔道具は必要最小限に抑えて、その他のほとんどを昔ながらの道具で揃えてある。


 たとえ魔力を使い切っても命に別条はないが、酷い倦怠感に襲われる。万が一魔力が枯渇してしまうと、しばらくはその場から動けなくなるほどだ。休養で徐々に回復するとはいえ、魔道具の使用禁止を選択するには十分な理由だ。


 そんな魔道具の中で、真っ先に購入した一つが魔玉石だ。一見普通のガラス玉だが、そこはれっきとした魔道具である。この魔道具は一対になっていて、玉は革紐に吊り下げられているのが一般的で、日常的に手首に巻いておく。


 その使い方は簡単で、利用者が何かアクシデントに見舞われた際、玉を紐から引き抜いて割る、という方法だ。乱暴に見えるがこの道具の開発理由が、「緊急時の連絡用」であり、広く普及している魔道具の一つだ。


 どちらかの玉が壊されることで、玉が割れた場所の情報を対になっている玉に送ってくる。小さな子どもや年頃の娘に持たせる親が多く、最近ではアクセサリーと見まごう造りの、指輪やネックレスになっている物もある。


 そして何より重宝がられている理由は、玉の精製時に魔力を込めるため、使用時に魔力を必要としない点である。魔力をうまく使いこなせない小さな子どもでも、安心して利用できるのが人気の理由だ。


 非力な子どもや女性でも確実に割れるようにと、紐と玉を結ぶピンが外れるだけで玉に細かいヒビが入り、そのままにしておいても割れる仕組みの物が最近開発された。少し割高だがダグラスが買ったのはそちらの方だ。



 その魔玉石をダグラスは二回目のウィロー訪問時に購入してすぐ、ミリアの手首につけさせた。対の玉を付けるのはもちろんダグラスだ。


 一般的な魔道具を使用する際は、己の魔力を起動部分に注いで動かすものが多い。幼い頃より魔力が体内にあるのが普通で、魔力を使うのが当たり前の世界で生きてきた者は、そう難しいことではない。だが、魔法の存在しない世界から来たミリアは、自分の体内にあるという魔力を感じることがまず出来ない。魔道具を使わせないのも、制御どころかまるで魔力の一端を感じ取ることができていないのが理由だ。


 便利な魔道具も制御できないまま魔力を注ぎ込むと、時には暴発を引き起こすことがある。今でも年に数件、幼い子どもが起こす事故として報告があがっている。この旅は、ミリアが魔力制御出来る様になることも、大きな目的の一つになっている。




  (31)山小屋


 きしんだ音を立てて、山小屋の扉を開ける。よどんだ空気が鼻につくが、見渡した限り、一晩過ごすには問題なさそうだ。ダグラスは軽く室内を見まわし、必要な物がそろっているのを確認する。


「どうやら、大丈夫だな。ミリア、今夜はここで過ごすぞ。薪を集めてくる。軽く掃除を頼めるか? どうやら数年ぶりの使用らしい。さすがに埃っぽい。掃除道具は備え付けがあるはずだ。窓を開けていく、寒くなったら閉めろ」

「あ、ほんとだ。掃除道具が揃ってる。あら? 薪ならここにたくさんあるわ」


「ああ。ここの物資は自由に使っていいが、次来る奴のために使った分は補充するのがルールだ。どうにかたどり着いた奴が、いきなり薪も何もない小屋じゃ困るだろ?」

「…確かに、そうね」

「少し戻った所に沢が見えた。キーヴァに水を飲ませるついでに、飲み水と薪を確保してくる。掃除が終わったら火をおこしといてくれ」

「わかった。さ、アッシュお掃除よ!」

「わふっ」


 張り切るミリアに柔らかな笑みを向けるとダグラスはキーヴァを連れて出ていった。おそらく、この間に少し辺りを早駆けさせてくるのだろう。走るために生まれたような馬に今回のゆっくりとした行程は、逆にストレスをため込んでしまうので、適度に走らせる必要がある。


 残ったミリアは、まず小屋の中の毛布を外に持ち出し箒ではたいた。途端にものすごい埃が舞い上がった。



「ごほっ、すごいほこり…」

「くしゅっ」


 さすがのアッシュもくしゃみをしている。一生懸命叩き続けてようやく埃が落ち着いてきた。そのまま木の枝にかけて、風に当てておくことにした。小屋に戻ると自分やアッシュの足跡がくっきりと残っていた。床の色だと思っていたのは、降り積もった埃だったようだ。


「これは腕がなるわ。アッシュしばらく外に出ていてくれる? 一回、履きだしちゃうから」

「わう」


 ミリアはアッシュが出たのを確認して、勢いよく箒で床の埃を集めて、掃き出して行く。ミリアは手ぬぐいをマスク代わりに口にあてている。隙間から入ったであろう土埃と、どこから入ったのか綿毛のようなふわふわした塵も、数年分ともなるとかなりの量である。



「これは、一度まるごと水洗いしたいくらいだわ」


 だが、季節は春とはいえすでに陽が中天を過ぎて久しい。今から床を濡らすと夜までに乾かないだろう。


「しょうがないわ。モップ……はないわね。うーん、雑巾だけか。あ、そうだ水がない」


 粗方掃き出したが、どうしても埃っぽいのが気になる。置いてあった箒の穂先がだいぶ傷んでいたので、細かいチリが残ってしまった。ダグラスの家では二日と開けずミリアは床にモップをかけていた。ちなみにミリアが来る前にダグラスがモップを使ったのは初日だけである。


 隅から隅まで二回きっちり履きだした後、ミリアは顔を上げた。



「アッシュ! ねえ、あなた沢の場所わかる?」

 ミリアに呼ばれたアッシュは、入口から中に顔をのぞかせる。


「わふっ?」

「そうそう、ここは井戸もないし、飲み水も雑巾を洗うほど残っていないわ。沢で水を汲んできたいの」

「わおん」

「だって、ダグラスはまだ帰らないと思うのよ。キーヴァを走らせているだろうし、薪も集めるって言っていたもの。だから、お願い。一緒に行って? アッシュ」


 アッシュはじっとミリアを見つめている。灰色の目は一度瞬きをした。


「ほんと? ありがとうアッシュ! よかった一人では不安だったの。アッシュが居れば大丈夫ね」


 ミリアの言葉にアッシュはぎょっとした顔をする。よもや一人でも行く気だったのか、とでも言いたげである。


「うふふ。さ、早く行きましょ。掃除が終わらないと座ることもできないもの」


 ミリアは小屋に置かれていた小さめの木桶を手に取ると、アッシュと小屋を後にした。先ほどより傾いた陽が、木々の合間からその煌めきを落としていた。


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