第17話 墓参り/出立


  (27)墓参り


 皇都への道はウィローと反対の方向になるので、マギーには先日別れの挨拶をしてきた。もちろんミリアも一緒だ。あの日の出会いから二度ほど訪ねており、ミリアはすっかりマギーのお気に入りである。


 生前の母親を知るマギーの昔語りは、この地の思い出に鮮やかな色を付けてくれた。予想以上に彼ら親子の事情通だった彼女のおしゃべりを、あわててダグラスが止めるという場面もあった。


 マギーは新米母アイーシャの、子育ての悩みや苦労を聞く良き相談相手だったようで、幼いダグラスの微笑ましい話や、彼自身が覚えていないいたずら話まで、笑ってたくさん聞かせてくれた。それをダグラス本人よりも、ミリアが目を輝かせて聞いていて、マギーはそんなミリアの様子をとても嬉しそうに見ていた。別れの時はマギーを泣かせてしまったが、最後は明るく笑って送り出してくれた。


 最後の日に、ダグラスが母親の墓参りをするつもりだと話をすると、マギーは数日前にも花を手向けてきたと言った。これまで欠かさず参ってくれていたらしく、彼女に丁寧に礼を述べた後、ミリアと二人で訪ねた。そこは墓地とは思えない美しい場所だった。小さな墓石の前には、マギーが手向けてくれたであろう花が置かれていた。



 ― 最愛の妻アイーシャへ 永遠の愛を捧ぐ オーエン ―



 墓石に彫られた言葉だ。オーエンという名前はこの国では珍しくない。家名を刻んでいないのはあえてそうしたのだろう。そしてオーエンが拘っていたアイーシャの隣とやらは、呆れ果てる規模だった。


(隣も何も、他に墓なんかないじゃないか)


『――家でも建てるつもりか?』

『家? 家がどうしたの?』

『…いや、なんでもない』


 もはや隣という概念ではない。小高い丘の頂上には木がなくアイーシャの墓と一面の花畑があるのみだった。オーエンに墓がウィローにあると聞いた時は、なぜウィローに?と思ったが、実際にこの場に立つとうっそうとした森ではなく、ここを選んだ理由がわかった気がした。


『ここならマギーさんも来てくれるし、ダグラスのお母さんもきっと淋しくなかったと思うわ。お花も綺麗だし』

『そうだな…』


 ダグラスは小さな墓石の前に膝をつくと、持ってきた花を添えて目を瞑った。



(母さん、来るのが遅くなってごめん。…父さんに会ったよ。色々思うところはあるけど、すごい人だってのは分かる。今も、母さんにべた惚れだよ。こっちが恥ずかしいくらいにね)


 飄々とした年齢不詳なオーエンの姿を思い出す。年を重ねた今も十分魅力的だが、二人が出会った頃の三十代という年齢なら、若々しさに落ち着きが加わり一層男気が増す頃だ。その彼が笑いかけでもしたら、二十歳にもならない娘などイチコロだっただろう。


(……母さん、面食いだったんだね)


 口元に浮かんだ笑みをすっと消し、ダグラスはきつく目を瞑った。



(あなたの子に生まれた事を、俺は誇りに思います。産んでくれて、守ってくれて、……ありがとう)


 オーエンのことだから、アイーシャの森や町での行動も筒抜けだったのだろう。彼女がこの国で友人と呼べる唯一の相手がマギーだ。


(なんとなくだが、……きっとあの人、ここに何度も来てる)


 墓石の裏に隠すように、古ぼけた小さなスツールが置かれていた。年季の入ったそれは、返事のない相手と語り合うのにぴったりに思えた。妙に整備された一人だけの墓所。ここだけ見事に咲き誇る花々、ふと一人で墓前に座るオーエンの姿が思い浮かび、その想像は妙に確信を得ているように思えた。


 ミリアに母親の死の真相は語っていないが、ただの死でないことは肌で感じているのかもしれない。彼女は何も言わず、一緒に手を合わせていた。


(母さんが生きていたら、きっとこいつを可愛がっただろうな。俺以上に)


 その光景は笑顔あふれる酷く優しい世界だった。ダグラスは墓石に手を伸ばしそっと表面を撫でた。


(どうやっても過去は変えられない。だったら、前へ進むしかない)


 ダグラスは深く頭を下げて、ゆっくりと立ち上がった。柔らかな春風に花が小さく揺れている。ただがむしゃらに生きてきた男に、立ち止まってこれからの人生を考えるいい機会をオーエンは与えてくれたのかもしれない、とダグラスは思う。


(考えよう。これからのことを)


 母親の墓前で彼は確かに地に足を付けて立った気がした。




  (28)出立


「さあ、行くか」

「はいっ」


 二人はキーヴァに跨り、家に背を向けて歩き始めた。今度はもちろんアッシュも一緒だ。狼の血を引くアッシュはかなり速く走れるが、キーヴァを早駆けさせるつもりはないので、十分アッシュにもついて来れるだろう。そう急ぐ旅でもないし、何よりミリアを連れている。


 ハリーは自由に飛んで、二人が皇都に着くころに合わせて皇都で落ち合うのだと言う。ミリアがその賢さに驚きの声を上げると、少し違うとダグラスが説明する。


「俺らが着く日がわかるんじゃなくて、今も付かず離れず近くを飛んで着いて来ているんだ」

「え、そうなの?」

「ああ、呼んだらすぐ来るぞ。呼んでみるか?」

「いいわ。用もないのに呼んだらハリーに悪いもの」

「あいつは喜んで来ると思うがな…」


 ある日、ハリーにミリアを会わせたら、案の定すっかり気に入られた。呼んでもいないのに次の日、ミリアにネズミを献上しに来たほどだ。


(そういえばハリーはオスだったな…)


 嫁にでもしようと思ったのだろうか。さすがの彼女も顔を引きつらせて、なんとか説得してお持ち帰り頂いていたので、ハリーの貢ぎ物作戦は失敗に終わっている。


(もう、生き物全般、ミリアを好きなんじゃないか?)


 皇都でダグラスに少しでも取り入ろうと、愛馬であるキーヴァのご機嫌を取りにきては、ものの見事に撃沈していた女共を思い出す。機嫌よくミリアを乗せるキーヴァを見たら、と想像してみた。



(お高くとまった女共がどんな顔をするか、見物だな)


 一人で想像して腹黒い笑みをこぼしていると、ミリアが不思議そうに見上げていた。



 森の道を選んだのは、余計な負担をかけずにミリアの経験値を上げる為だ。皇都に近くなるとどうしても街道を行くしかないので、旅の最初は気楽に過ごせる森がいいと総合的に判断した。こののんびりとした森の街道を行く間中に、休憩時と夜をミリアの魔力制御の練習にあてている。人気のない森は魔力制御練習に最適である。


 大きな木が乱立する場所を抜け、見晴らしの良い高台に出た。ミリアが森の家がある方を振り返って見る。寂しそうに呟いた。


「もう、家が見えないわ」

「木に囲まれているからな。だいたい、あの辺りだ」

「また来られる?」

「苦労して屋根を張り替えたんだ。このまま放置したら、俺の苦労が報われない」

「確かにそうだわ! じゃあ、…また連れてきてくれる?」

「……ああ。そうだな。また来よう」


 一人で過ごしていた最初のひと月あまりは、ここで過ごすのはこれが最後だという気持ちでいた。だから家にも手を加える気はなかったのだ。


(また来ようと、思えるとはな)


 最後にもう一度小屋のあった方を見て、また前を向いた。


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