第16話 母の想い



  (25)母の想い


 時は戻り、現在の森である。肌を刺す寒さの日が少なくなり、もう随分と暖かい日が多くなった。森に残っている雪もあと数日で消えるだろう。気が付けばダグラスはこの森で三ヶ月を過ごしていた。ミリアが来てからは二ヶ月だ。


「荷物はこれで最後か」

「はい。これで終わり」


 屋根を全面張り替え終えた三日後、二人は旅装に身を包んでいた。今日、皇都へ向けて出発する。円を使わずあえて旅をすることを選んだ。色々理由はあるが、大きな理由はミリアの経験値を上げるためだ。幸いにも無理やり取らされた休暇はまだ半分ある。のんびり旅をしても余裕がある。


(屋根と気になる箇所の補修もした。これであと数年は持つだろう)


 母親と過ごした唯一の家だ。皇城での記憶はなく、彼の人生はここから始まっていると言ってもいいだろう。その家の中はすでに物は無く、元々少なかった家財の消えた小さな家が、やけにガランとして少し広く見える。


 悲しい記憶が同居するこの場所に、足を運ぶまで十年以上かかった。来ようと思えばいつでも来られたのだ。ただ、来ようと思わなかっただけで。


 いざ訪れてみると、思い出されるのは意外にも楽しかった日々だった。辛くないと言えば嘘になるが、それでも来て良かったと思えるほどには、彼にとってある程度区切りがついていたのだろう。


「途中から感傷に浸る暇もなかったしな」

「何か言った?」

「いや。もういいなら扉を塞ぐぞ」

「あ! そうだ。ちょっと待って」

「忘れ物か?」


 ミリアはパタパタと室内に戻っていく。すぐに戻ってきた彼女の手には小さなペンダントが握られていた。それを見たダグラスが目を見開いた。



「――それ」

「これ、ダグラスのお母さんのじゃない? 昨日、掃除をしてたらベッドのマットの下で見つけたの」


 彼女の手の平に置かれた小さなペンダントは、いつか見たままの姿でそこにあった。ダグラスの頭の中に、一気にある日の記憶が蘇ってくる。




『ダグ、私の可愛いダグ。ねえ、あなたが大きくなって守ってあげたい女の子ができたら、これを渡してあげて欲しいの』

『なに、これ?』


『ペンダントよ。こうして首にかけて使うの。……これはね、あなたのおばあさんから貰ったの。つまり私のお母さんね。お母さんはそのまたお母さんから。代々娘に受け継いできた物よ。でも私はあなたしかいないし、きっと妹もできないわ。だからあなたのお嫁さんに渡してあげて』


『ぼく、お嫁さんいないよ?』

『ふふ。ダグがずーっと大きくなって、すっごく好きな人ができたら、の話よ』

『かあさんのこと、大好きだよ』

『まぁ! 私もダグが大好きよ! ね、ちゃんと覚えていてね。そんなに高い物じゃないけど、あの国の物はもうこれしか残ってないの…』


『かあさん、どうしたの? 大丈夫?』

『…大丈夫。ちょっと昔を思い出しちゃっただけ。まだ先の話だけど、忘れないでくれると嬉しいな』


『うん、わかった。でも、かあさんより大好きな人なんて、できるのかなぁ』

『もう、なんて可愛いの! 大丈夫、大きくなったらあなたもきっと出会うわ。いい? ダグラス、この先あなたの思い通りにならない事がきっと降りかかるわ。……ごめんね、それは私達のせい。だけど、だからこそあなたも本当に大好きな人と一緒になってほしいの。わかる?』


『うーん、よくわかんないけどわかった』

『ほんとにわかってる? ま、まだまだ先の話だけどね』

『ぼく、大きくなったらかあさんを守る騎士になるんだ。だからすぐ大きくなるよ、それまで待っててね』

『それは楽しみね! ……ずっと、待ってるね』


 泣き笑いのような顔でほほ笑む母親の姿が、浮かんでは消えていく。母親に守られて、無邪気に将来の夢を語れた頃。この後すぐだった。母親が殺されたのは。



  (26)


 いつも通りに床に就いた夜、突然刺客が現れた。寝巻のまま二人で森へ逃げたがすぐに追い付かれ、ダグラスを庇った母は凶刃に倒れたのだ。ダグラスは逃げるのに必死で気づかなかったが、その時親子を密かに警護していた者が実は二人その場に居た。だが対する刺客は十人。一人が五人以上を相手する不利な状況の一瞬の隙をつかれ、その内の一人が親子に刃を向けた。


 その母親の最期の言葉に従い、ダグラスはすでに大きな体躯をしていたアッシュと森の中を必死に逃げた。走り続けてついに力尽き倒れていた所を、ヒューバードに助けられた。ダグラスが次に目を覚ました時は、すでに皇都だった。おそらく円を使ったのだとわかったのは、大人になってからだ。


 皇都へ来たばかりの彼は、森での暮らしを思い浮かべただけで、呼吸が苦しくなるほど情緒不安定だった。記憶に蓋をすることで、どうにか前を向くことができた。そうして彼は新しい生活をようやく受け入れることができたのだ。


 それ以来、目の前の事をがむしゃらにこなしてここまで来た。今の今までペンダントのことも、記憶の彼方にしまい込んでいた。


(……殺される予感が、あったのかもしれない)


 当時は理解できなかった事も、今では言葉の裏に隠された意味までわかる。ぐっと目を瞑ったダグラスを現実に引き戻したのは、ミリアの声だった。



「――ラス…、ダグラス! 大丈夫?」

「……ああ」


 目を開けた先には心配そうに見上げるミリアと、その手の中には確かにあの時見たペンダントがある。


(そうだ、あの日……置き場に困ってベッドの下に隠したんだ)


 子供らしい安直な隠し場所だ。それゆえに、奪われることも踏みつけられることもなく、ひっそりとそこにあったのだ。



「大丈夫? ごめんね、私てっきり」

「いや…、確かに母親の形見の品だ。礼を言う、ありがとう」

「偶然見つけただけだから。でもよかった」


 ほっとしたのか、ミリアが小さく笑う。全く似ていないのに、その笑顔が母親の笑顔に重なって見えた。ぐっと瞼の奥が熱くなったダグラスは、その顔を見られまいと小さな体を引き寄せた。


「ダグ?」

「すまない…少しだけこのまま」

「……うん」


 少しだけ語尾が震えてしまった。ダグラスはそのまま小さな体を、彼の両腕の中に閉じ込める。ダグラスはきつく目を瞑りミリアの頭に顔を伏せた。



「え、これ私が付けるの?」

「ああ、俺の首には小さすぎるし、女物だ。荷物に入れるより、お前が身に付けていく方が安心できる」

「でも、これ大切な物でしょう?」

「だからだ。ダメか?」

「……わかった。大事に付けるね」


 ミリアは戸惑った顔をしつつも、了承した。彼女の細い首に腕を回してペンダントを付ける。金鎖の先には小さな翡翠が付いていた。中に傷があるのか、少し揺れるとほのかな煌めきが生まれる。その色は、偶然にもミリアの瞳の色と同じだった。


(偶然か必然か。何もかも、仕組まれているみたいだ)


「よく似合ってる」

「すごく綺麗…」


 自分の胸元で小さく光るペンダントを見て、ミリアは嬉しそうだった。


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