第15話 策士/閑話(2)寂れた皇宮にて


  (24)策士


『…………は?』

『うん、それがいい。よし、善は急げだ』


 そう言うが早いか、さっさと自分だけ部屋に戻っていく。動くのも辛い病人はどこへ行ったのか。その後ろ姿を、茫然と見送っていたダグラスは、遅れて我に返ると慌てて後を追った。


『いや、ちょっと待って! なぜそうなる!』



 宮に戻り大股で彼の姿を探すと、寝室の隣から声が聞こえる。部屋と部屋を繋ぐ扉を大きく開け放つと、机に座るオーエンが居た。隣の部屋は執務室によく似た造りの書斎だった。脇机に置いた魔道具で誰かと通信をしている。



『――うん、そう。よろしく。じゃ、また後で』

『父さん!』

 思わず口から出た呼び名にオーエンは、驚いた顔で振り返った。


『今、言う? それ。……でもいいね。もう一回呼んでくれる?』

 ダグラスは顔が熱くなるのを感じたが、ぎゅっと眉根を寄せて答えた。



『いいから、何をしていたのか、説明してください。………父さん』

 ニコニコと満足そうに笑うオーエンに、照れくささより嫌な予感がしてくる。



『ふふふ、いいねー。これは癖になりそうだ。……でも、説明も何も。明日からの休暇をもらっただけだよ。期間は半年。せっかくだから、あの家の様子でも見て来てよ。ついでに墓参りも行って来たら? あ、墓はウィローに作らせたんだ。知らなかっただろ? 彼女の隣は、君にも絶対譲らないからね。旅から戻ったら話を聞かせてよ? あ、もちろん、嫁探しも忘れずに。一緒に連れて帰ってくれていいからねー。孫…は半年じゃ無理だから、帰って来てからでいいよー。蜜月も必要だしね』

 

 開いた口が塞がらないとは、この事である。照れくささなど一瞬で吹き飛んだ。一拍遅れてダグラスの大きな声が響いた。



『はぁっ?! 休暇って、しかも半年!?』

『あれ、足らない? さすがに隊長だし、それ以上ってなるとちょっと根回ししないといけないから、すぐには無理だなぁ…。ちょっと待ってくれる? なんとかするよ』


『いやいやいやいやいや、半年もあったら十分だ! むしろ十分すぎるくらいだ! 問題はそこじゃない! どさくさに紛れて情報ぶっこみ過ぎだろ、あんた! 何が「隣は譲らないからー」だ! 誰がこの年になって母親の隣を取り合うか、しかも墓の!』


『あんたって酷いなぁ、そこは「父さん」だろ。まあ、問題じゃないなら半年で決まりだね。僕も頑張るからさ、君も頑張ってよ』

『いや、ほんとに待ってくれ……、………え、決定? 今の短時間で? まさか、そんな簡単に長期休暇が取れる訳が…』

『ヒューバードは、快く承諾してくれたよ』

『嘘だ!!』

『えー、「父さん」を嘘つき呼ばわりするのは、ちょっと酷いんじゃない?』


 可愛く首を傾げているが、初老のおっさんである。その仕草に違和感がない分、可愛いを通り越して不気味だ。それにこの行動力、ヒューバードが師と仰ぐ理由がわかった気がする。


『君の小さい頃、ほんと可愛かった。女の子みたいでさ。もう一度あの感動を味わいたいなー。だから、嫁探し頑張ってね』

『………誰か嘘だと言ってくれ………』


 それまでの儚い病人ぶりがなんだったのかと思えるほどの行動力を見せたオーエンだったが、いくらなんでも急すぎる! とダグラスの猛抵抗でどうにか業務の引継ぎと後始末をする期間をもぎとった。彼の長期休暇は既に決定事項で、それから七日後、旅装に身を包んだダグラスは馬上の人となっていた。



『……帰ってきたら除隊とか、されて…ないよな…?』


 とてもこれから休暇を取ろうという顔ではなかったが、見送りに来てくれたヒューバードと補佐官のパット、同期入隊でもある副隊長に深く頭を下げる。



『不本意ながら、これより長期休暇を頂きます。ご迷惑をおかけしますが、留守の間よろしくお願いします』


「他の隊士が取りづらいから」という理由で、ヒューバードから長期休暇取得命令なるものを出されてしまった。もちろん、そんな理由は後付けだ。


 とはいえ、軍部入隊後一年経過した者から、ひと月ほどまとまった休みを取るのが普通で、二年目以降、一年に一回は長期休暇を取得できる。実家が遠い者でも帰省できるよう配慮されており、率先して取得するよう言われている。


 それを入隊以来一度も取っていなかったダグラスは(取る必要がなかったからだが)後輩が取得しづらくなると、言われてしまっては断れない。前例のない休暇取得命令だったが、軍の上層部にも二つ返事で了承され、もはやひとたまりもない。


 軍の総長などには、「これまで取って来なかった十年分まとめて、十ヶ月取得するか?」と提案されてしまい、丁重にお断りしたほどだ。副隊長なのに隊長の仕事も兼務させられる同期には、まったくもって頭が上がらない。美味い酒でも土産に買ってくると決めた。さらに円の使用まで申請してもいないのに許可が下り、仕方なく長期休暇を受け入れたのである。


 そうしてダグラスはアッシュとキーヴァ、ハリーを伴い森へと向かったのが秋の終わり、ミリアが森に降り立つひと月前の事である。





  閑話(2)寂れた皇宮にて


 ダグラスが長期休暇に旅立った日、オーエンの皇宮にヒューバードがおしかけてきた。勝手に書斎のソファーにどっかり座るとすぐに口を開いた。


『本当の狙いは何なんですか? 叔父上』

『藪から棒になんだい、ヒュー』

『はぐらかそうとしてもダメですよ。僕は騙されませんからね。ダグを半年間も皇都から追い払った理由があるんでしょ』

『うーん、やっぱりヒューはダグより数倍は腹黒いよねー。僕の息子は彼女に似て心根が素直だ』

『なんとでも言えばいいですよ。腹黒くなくて皇帝なんて務まるもんか。話題をすり替えようとしても無駄です。さっさと白状してください。どうせ、余命わずかってのも嘘でしょ?』


 ふっと笑ったオーエンは、実に嬉しそうだった。大きな机からヒューバードの前の一人掛けソファーに移動して、長い髪を後へ払って腰を下ろした。この髪はアイーシャが亡くなった日から切っていないと言う。以前のオーエンを知る者でも一瞬誰だかわからないだろう。


『ダグラスってさ、ほんと真面目な良い子だよね。決して恵まれた環境じゃなかったのに、表向きは鉄仮面装っているけど、中身は真っ直ぐで優しくてそして強い。僕の血、入ってるのかなぁ~、アイーシャに似てくれてよかったけど』


 そうは言うが、二人の立ち姿は驚くほど似ている。昔のオーエンを知る者なら連想してしまいそうなくらいだ。


(そうならないように、叔父上は気を使っていたけどね)


『さっさと教えてください。こう見えて僕多忙なもんで時間が有り余っている訳じゃないんですよ』


 部屋の隅に控える補佐官パットが、鼻で笑う音がした。ヒューバードはじろりと睨んだが、パットはどこ吹く風で既に澄ました顔をして立っている。



『ヒューも把握しているだろ。あの女の動き』

 がらりと声のトーンを変えて紡がれた言葉は、隠しきれない殺意が見え隠れてしていた。


(いよいよ、本気を出すのか)


 ヒューバードは武者ぶるいのような感覚に、まっすぐオーエンを見つめて頷いた。


『ええ、もちろん』

『ようやくだ。腐った輩はこの国に必要ない。……十年前に君が事を起こした時どうして闇に紛れて消さなかったのかと、どれだけ悔やんだことか』

『……これ以上国を荒れさせたくなかったんでしょう? 国内だけで僕らは手一杯だった。その上国外からの圧力が加われば、この国は立ち直る時間を稼げないから』


 ヒューバードの言葉にオーエンは笑みを返すだけだった。静かに控えるパットは表情を一切変えていない。腹の内は同じだろう。



『その前に、叔父上。ちゃんと答えてください』

『ん?』

『あなた、元気ですよね? 弱々しそうに見せていますが、実は鍛錬も続けているんじゃないですか? 六十でその体、もう色々と隠しきれていませんよ。それでよくダグを騙せたもんだ』


 ダグラスの前ではずっと、病人らしい立ち振る舞いをしていたようだが、今、目の前に座る人物は背筋がまっすぐ伸び、捲った袖から見える腕は筋力逞しく、衰えはどこにもない。


『失礼だな、僕はまだ五十九歳だよ』

『一つしか変わらないだろ!』

『いや、そこは大きく違うと思うぞ』

『いいから! 答えてください』


 額に手をやり、頭が痛そうにするヒューバードを眺め、オーエンは実に魅惑的な笑顔を見せた。往年の頃を彷彿とさせる、力強く自信にあふれた笑みだ。



『僕を誰だと思ってる? 自由を手に入れても、体が動かなかったら話にならないじゃないか』

『やっぱり……。きっと怒りますよ、あいつ』

『怒るかな? でもきっと笑って許してくれるよ。だって、僕の息子だもん』

『六十のおっさんが「だもん」とか言わないでください。気持ち悪い』


『だからまだ五十九だってば。気持ち悪いってひどいなぁ。……じゃあ、作戦会議と行こうか?』

『ええ、いいですよ。――あ、パット今日のこの後の予定は? っていうか、お前もこっち来い。そこじゃやりにくい』


 これまで微動だにしなかった彼は、その言葉にさっと長椅子へ移動してきた。


『では、失礼して。…この後の予定は、若手議員との会食が入っています。ちなみにこれまで当日延期を五回しています』

『うーん、正直どうでもいいんだよな…さすがに六回目はまずいと思うかい?』

『さぁ、私の口からはなんとも』

『五回も六回も十回も変わらないよ。今日である必要のない予定には変わりない』

『確かに。よし、無期延期にしよう』

『はぁ……、わかりました』


 同席したばかりのパットがそれを伝えるべく、腰を上げかけた所でオーエンが止めた。



『ああ、うちのを使えばいいよ。――聞いてたよね? あっちの宮に連絡入れておいて』

『御意』

『わっ、いつの間に』

『この方が、オーエン様の…』


 音もなく現れたと思ったら、あっという間に姿を消した。



『あいつだけじゃないけどね。顔は覚えても意味がないよ。いくつも顔を変えられる』

『すごいな。僕も作ろうかな…』

『僕が死んだら君に仕えるよう言ってある、そのうち君のものだ。まぁ、あと三十年は生きるしまだ先の話だけど。使いたい時は貸すよ。あそこまで育てるのに十年じゃ無理だから』

『九十まで生きるつもりですか!』


 確かに実年齢より若く見えるが、長い歴史を紐解いてもそこまで生きた皇族はほとんどいない。近親婚の多かった皇族は短命の比率が高い。



『だてに研究に人生つぎ込んでいないさ。息子の嫁と孫も見ないといけないし、うまくいけばひ孫もこの腕に抱けるかも。それにアイーシャの分も生きるって、決めてるから。そうだな…、無事に百歳超えたら隠居してもいいかな』

『百歳まで現役?!』

『まさか研究ってそっち系…?』


『やる事やりきったら、もう少し早く隠居してもいいかな。アイーシャの故郷も訪ねていきたいし。だから、新しい戸籍はもう手に入れてある。ちゃんと僕の息子と同じ苗字にしたよ。あの子が居ない間に、新しい生活基盤も整えないとね。あ、皇城の適当な部屋をいくつかもらうよ。いいよね』

『好きにしてください。……作戦会議より、今の話の衝撃の方が大きいな』

『同感です』

『さ、おしゃべりはこの辺にして、やろうか。楽しい作戦会議』


 この日、明け方近くまで部屋の灯りが消えることはなかった。


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