第13話 魔性の女/あの日の真実
(20)魔性の女
『元々叔父上は宮にこもって研究ばかりしていたから、今さら閉じこもってもバレなかった。一年くらいは』
そこで言葉を切ると、ヒューバードが表情を消した。
『あの女、キーラに生まれたばかりの君の存在を知られてしまった』
『……第二皇妃』
正妃亡き後、政治に興味のない皇帝をいい事に、実権を握った女だ。今もなお「静養」という形で離宮にいる。
『あの女はまだ幼い君を脅威と判断した。後に自分の息子と争うのは僕以外では君だろうと。仮にも皇帝の甥だからね。叔父上のことは、軽んじていたんだろうね。引きこもりの変人だと』
(あながち、間違いではない)
ふっと口元が緩みそうになるのを、慌てて引き締めた。
『何度か危ない目にあったけど、ああ見えて叔父上は強いし、警護も精鋭揃いを配備していて、いざとなったら妻子を守れると思っていたんだ』
『だけど、そうはならなかった…』
『うん。僕はその場に居なかったから、随分後から聞いた話だ。ある時、叔父上がどうしても出席しなければならない催事があって、当然あの女も出席するから大丈夫だろうと、宮を留守にした』
『でも、警護の者は居ましたよね』
『もちろん。だから卑怯な手を使ったんだよ。毒を盛ったんだ、幼い君の食事に』
『毒?!』
『ああ。小さい子用の食事は、君専用だから狙いやすい。後で調理場の人間が一人死体で発見された。弱みを握られていたのか魔が差したのか、まぁそんな事情どうでもいいさ。それで、君の異変に気づいたアイーシャ様が、すぐに口に指を突っ込んで吐き出させたけど、体の小さい幼児だからね。その影響は大きくて、七日間生死の境をさまよったと聞いた』
『…………』
もちろん、まったく記憶にないが、ぞっとする話だ。それを傍で見ていた母は、どんな思いだったのだろう。
『そこで、叔父上は苦渋の決断をした。それを手助けしたのは、まさかのうちの母だった。叔父上が万が一の時の協力者として選んでいたのは、母だったんだ』
『正妃様が』
『そう。それで君はそのまま死んだことにして母の指示で森へ逃がした。実際、皇族の血を引いた子さえ消えれば、皇城を出たアイーシャ様にまでは危険は及ばないだろうと。正式な妻だとは思ってなかったんだろう』
どうして私利私欲のためにこんな非道なふるまいができるのか、ダグラスにはまったく理解ができない。
『何も知らなかった僕はしばらくして宮に遊びに行った。そしたらそこは誰も居なくて、叔父上は研究室に籠ったきり出てこなくなった。それから何度訪ねても叔父上には会えなくなった。公の場にも一切出なくなって、実際、死亡説も流れたんだ』
『でも、…生きてた』
『そう、叔父上はあの女の目を欺くために、徹底して表舞台から姿を消すことで、あの女の興味を削ぐことに成功した』
話がここで終わりならよかったのに、とダグラスは思う。ただ事実はもっと残酷だ。
『――では、なぜ母は殺されたんですか』
『きっかけは、僕の母が亡くなったからだ。あの女はすぐに実権を握った。僕があの時真っ先に粛清した宰相と、当時からつながっていた。そして君が生きているのが、知られてしまった。母が生きていたら円の使用もできなかったはずだ』
ヒューバードの母は事件の直前、末娘エマの出産で命を落としてしまった。そこから不幸は連鎖していった。
自らの命を投げうって、我が子を凶刃から守った優しくて強い母だ。自分が死ねばよかったなどという考えは、彼女の死を冒涜することになる。きっと彼女は子を守れた事を、誇りに思っているだろう。母親の笑った顔が浮かんでは消えていく。
『円は高位魔法を使う。母亡き後、監視を強化していたから、彼らが動いたのがわかった。すぐに後を追ったけど、すでにアイーシャ様は回復魔法ではどうしようもない状態で、そのまま眠るように逝ってしまわれた…』
あの日の記憶は断片的だ。追体験させられるかのようなヒューバードの言葉に、その断片的な記憶が頭の中をよぎっては消えていく。
回復魔法は疲労や目に見える傷は治せても、傷ついた内臓や、失った血が戻ることはない。致命傷を負った時点で、魔法であろうとなんだろうと助かる見込みはほとんどなかったのだ。
(21)あの日の真実
『逃げなさい、振り返らずに! あなたは生きるのよ!』
母の最期の言葉だ。胸を貫かれて声を出すのも辛かっただろうに、腹にずしりと響く声だった。そして最後にふっと笑って唇だけで『愛してるわ』と彼女は確かにそう口にした。そのまま崩れ落ちた母の姿を見てダグラスは、弾かれたようにその身を翻してその場から駆け出した。
逃げなきゃ、とただそれだけを思って、アッシュと二人で森を駆けた。いつまでも追いかけられている気がして、力尽きて気を失うまで走り続けた。
『暗殺者も手引きした者も、僕らが残らず始末した。ただ、あの女とのつながりを証明できるものがなかった。内情を吐かせる為に残していた証人も、歯に仕込んでいた毒で自害したよ』
限りなく黒に近くても、証拠を押さえなければ皇城に巣くう毒花は追い詰められない。問答無用で切り捨ててしまっては、独裁者と同じ所に落ちてしまうだろう。
『だけど、君の姿がどこにも見当たらなくて。次の日の朝になって、アッシュと寄り添うように眠る君をようやく見つけた。手足は傷だらけで、その頬は涙の後が幾筋も残ってた』
アッシュはどんなに引き離そうとしても、意識のないダグラスの服を噛んで離さなかったと後に聞いた。小さな主人を守るために、暴れに暴れたアッシュは、その場で殺されていてもおかしくなかった。
ヒューバードが習ったばかりの眠りの魔法を使って、ようやく二人を連れ帰ることが出来たのだという。一緒に連れて行こうと決めたヒューバードには感謝しかない。ダグラスが皇城で目を覚ました後、傍にアッシュが居なければ、彼は正常な精神を保てなかっただろう。
『僕もまだ大人とは言えない年だったけど、絶対に君を守るってその時に誓った』
その誓いの通り、ヒューバードは十三歳でありながら、ダグラスに第二皇妃の手が及ばないよう、あらゆる手を尽くした。それはもちろん、ヒューバードの前に姿を現したオーエンの協力あってのものだ。その時オーエンはヒューバードに全てを打ち明けてくれた。そして彼が涙を流す姿をヒューバードは初めて見た。
『皇城は安全な場所ではないよ。だけど、遠く離れた場所でも命を奪われるのなら、どこに居ても同じだ。だったら近くに居た方がまだましだ。それに気づくのが遅すぎたけど、もうこれ以上大切な者を奪われないために、僕らは君を城に連れて帰ることにした』
笑みを消したヒューバードは、その整いすぎた顔立ちから途端に冷酷さを増す。気弱な相手なら、視線だけで動けなくなるだろう。
『唯一良かったのが、君の容姿も名前も、あの女は把握できなかったこと。それを知ったこれまでの襲撃者は全員息の根を止めたから、情報があの女まで伝わらなかった。だから、あえて懐に飛び込んだ。灯台元暗しだよ』
一旦そこで言葉を切ると、ヒューバードは目つきをさらに鋭くした。
『襲撃者の死体と一緒に、別人の子どもの遺体を添えて、あの女の宮の庭に返してあげたよ。都合よく同じころ死んだ身寄りのない貧民街の子だ。君とは似ても似つかない容姿の子をね。本物の君は山賊に襲われて全滅した隊商の生き残りで、賊の討伐を指揮していた僕に保護されたってことにした。ケントって名前はその時に僕が付けた偽名だ』
ダグラスが現実を受け止めきれず、アッシュと共に部屋に閉じ籠っていた二ヶ月の間に、新しい環境は整えられていた。図らずもその期間がいい目くらましとなり、第二皇妃の興味を引くことなく、ダグラスは新しい生活を始めることができた。
『数年ぶりに顔を合わせた叔父上は、そのまま死んでしまうかと思ったよ。だけど、君を殺すよう命じた相手が生きている。幼い君を絶対に守り抜くと、叔父上は奮い立った。だから、その日を境に本当に死ぬ事にした』
『方向性が違うような気もするが、そんな事が可能なのか?』
『金があれば、世の中大抵のことはできるさ』
黒い笑みを見せる男は、その甘い美貌に騙されそうになるが、彼はその手を汚すことをまるで厭わない。ただ罪なき相手を処罰してきた前帝や義母と、決定的に違うのはその信念だ。彼は実の父よりオーエンと通ずるものがある。
『君の時より派手に立ち回ったよ。今度は叔父上によく似た死体を用意して、偽の死亡診断書を手に入れ、大っぴらに葬式まで執り行った。すでに居ないものと思われていた叔父上が、生きていたことに世間はまず驚いて、次に自殺ってことに奴らは納得したんだ。叔父上はまさに世捨て人だったから』
その葬列に参加していた第二皇妃が黒い扇の影で、こっそりほくそ笑んでいたのをヒューバードはしっかりと見ていた。握りこんだ拳が震えるのを抑えるのに、大変だったと吐き捨てるように言った。
『本当は父なんかより、叔父上の方が皇帝になるべき人徳者だったんだ。…その彼が死ぬしかなかったことに、強い憤りを感じた。まぁ、別人の棺だけど、社会的には抹殺されたと同義だ。この国にもう本当に未来はないんだと思った。……まぁ、僕が皇帝の座を父から奪うと決意する、きっかけにはなったけどね』
子どもの頃、一度だけ遠目で見かけた第二皇妃を、その時とても恐ろしい人だと感じたのを覚えている。そしてあの十年前の運命の日を境に、彼女は皇城から姿を消し、それ以来会っていない。
守りの硬いヒューバードより、先にこちらに矛先が向いたのは自然な流れだったのかもしれない。だからといって、 簡単に許す事が出来るはずもない。だが、当事者の内、一人はすでに死に、もう一人は今にも愛する妻の後を追おうとしている。残るダグラスは、過去ではなく今を生きている。
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