第9話 田舎町ウィロー/昔馴染み
(11)田舎町ウィロー
「うわぁ…人がいっぱい…」
「おい、離れるな」
「あ、はい」
昼過ぎにウィローに着いた二人は、宿へキーヴァを預け、通りを歩いていた。馬から降ろされて、ミリアは揺れない地面に初めて感動を覚えた。その彼女の足元が覚束なかったのは、ミリアの瞳が驚きに大きく見開かれるまで。
ミリアにとって、何もかもが新鮮で物珍しい。かつてのおじいさんの店は住宅街に近く、しかも裏通りにあったため人形の時でさえ、これほど一度に人が行き交う光景を目にするのは初めてだ。
この町は小さいながらもそれなりに人口があり、商店も軒をつらねている。大きな街道が交わる立地ゆえ、自然と人と物が集まってくる。
「いいか、絶対に俺から離れるな。フードも取るな。お前の髪色はここじゃ目立ちすぎる。だいたいは普通の奴らだが、良いやつばかりとは限らない。おい、聞いてるか」
「はい。……あっ、あれは何かしら?」
「ミリア、今日は質問も却下だ」
「え。……はい、わかったわ…」
しゅんとする彼女に良心が痛むが、生まれたての子どものような彼女は、見る物聞く物全て目新しく見えるはずである。ミリアが自分の置かれた状況を正しく理解できるまでは、悪目立ちさせたくない。
ダグラスもできることなら目立ちたくない。ここは彼の過去と関わる町だ。お互いの利益のため我慢してもらうしかない。
「……また、連れてくるから」
「! はい!」
ミリアが弾けるように顔をあげ返事をした。きれいなブロンドが一筋フードから零れ落ちた。ダグラスの黒髪は少数派だが皆無という訳ではない。ただ、ミリアの金髪はこんな田舎町ではかなり目立つ。
平民の多くは茶色か赤髪が圧倒的で、王族や貴族に多いブロンドはもっと明るい金色をしている。その髪色が貴族のステータスとなり、婚姻の際の決め手の一つとも聞く。実に馬鹿馬鹿しいとダグラスは思う。
(髪の色なんかで、価値が決められてたまるか)
ダグラスの目の色は緑がかった深い碧眼である。少し色味が珍しくはあるが、異端というほどではない。だが、その髪色だけ見れば貴族という型枠からはみ出している。その事でこれまで浴びせられた言葉は数えきれない。
ミリアの髪は貴族のそれより濃い金色で、少しくすみがかった色合いだ。それが光を纏うと、その印象をがらりと変える。白く銀色にも見える貴族の髪色に比べ、彼女はまさに黄金色に輝き美しく煌めくのだ。
(あいつらが自慢している髪より、ミリアの方がずっと綺麗だ)
ダグラスはこぼれた髪をそっとフードに隠し、ミリアの手を引いて歩きだした。
「よし、だいたい買えたか」
「キーヴァ、重たくないかしら」
「これくらい楽勝だな。あいつは軍馬だ。大の男二人乗せて、川を飛び越えたこともある」
「わぁ、キーヴァすごい、恰好いい! あ、可愛いかな?」
妙なところを気にするのがおかしい。ほとんどの荷物をダグラスが持ち、二人は町の外れに足を向ける。時間を節約して、屋台の軽食で昼を済ませたので、帰る前にもう少し腹に何か入れておきたい。
そう考えて首を巡らせたダグラスは、通りの向こう側に揚げパンの店を見つけた。その奥に見える店の軒先を見たダグラスは、すぐに手にしていた荷物を道端に下ろした。
「荷物が多いから、ここで待ってろ。……食料買ってくる」
「はい。行ってらっしゃい」
「動くなよ?」
「もう、わかってるわ」
今日、何度言われたかわからない台詞にミリアは口を尖らした。皇城で女共の似たような表情を見た時は、何の感情も沸かなかったが、ミリアのそれは微笑ましいし、純粋に可愛いとしか思わない。そう感じる自分に戸惑いを隠せない。
「…それならいい。すぐ戻る。悪いが荷物を頼む」
足早に背を向けて、ダグラスは通り向こうに走っていった。
(12)
澄み切った冬の空は雲一つない。日差しが木にさえぎられる森と違って、町ではぽかぽかと暖かく感じる。
「それにしても、いいお天気。ほんとに嵐なんて来るのかしら」
小さく呟くと、荷物を小さく固めてすぐ傍の石垣に腰を下ろした。ここに着いてすぐは膝が笑っていたが、だいぶ体のこわばりが取れてきた。手足を動かすと、疲れはあるが動けない程ではない。帰りもキーヴァに乗ると思えば少し身構えるが、ダグラスのおかげで行きは楽をさせてもらった。
「帰りはちゃんと、一人で乗れるかしら…」
「君一人? すごい荷物だねぇ」
爽やかな声が近くからして、ミリアははっと顔を上げた。いつのまにそこにいたのか、ミリアの横に若い男が立っていた。
「持てる? どこまで行くの?」
親しげに話しかけている男に、ミリアはどうしたものかと考えた。見知らぬ人に話しかけられた時の対処法など聞いていない。
「おーい。聞いてる?」
反応のないミリアに焦れたのか、男はフードの中を覗き込んできた。その近さに驚き、急いで立ち上がって少し距離を取った。
「っ、だ、大丈夫です」
「わっ、目が綺麗な緑だね。君、ここらで見ないな。どこから来たの? こんな大荷物、大変だろ。手伝ってあげる」
「いえ、あの、大丈夫です。一人じゃないわ」
「大丈夫、大丈夫。俺こう見えて力あるんだ。君可愛いから、どこでも運んであげる」
そう言うと男は、勝手に地面に置いてある荷物に手を伸ばし始める。一人ではないと言っているのに、聞こえていないのか、それともわざとそうしているのか、どんどん荷物を肩に担いでいく。
「あの、困るわ!」
「怪しいもんじゃないから。任せてよ」
(自分は怪しくないっていう人が一番怪しいって、おじいさんが言ってた!)
荷物を持っていかれると焦ったミリアは、慌てて荷物を持つ男の腕を掴んだ。その拍子に被っていたフードがふわりと背中へ落ちる。
(どうしよう! 持っていかれちゃう)
ダグラスに荷物を任されたのはミリアだ。彼女は男の手から荷物を取り返そうとするが、ミリアの背中に流れ落ちた見事な金髪に、男は目の色を変えた。彼女の頭の先からつま先までを、不躾な視線で舐めるように見た。
「ひゅ~…、すごい髪。なに、君、まさか皇都の人? 見た感じ貴族様…ってことはないよね。この町は初めて? ねえ、俺良いところ知ってるよ。荷物はどっか預けてさ、一緒に見て回ろうよ」
荷物を取り返そうと掴んだ腕は、いつの間にか反対に手首を掴まれていた。加減のないその強さに、鈍い痛みが走る。森で初めてダグラスと会った時でさえ、加減をしてくれていたのだと今更わかる。
「やっ、離して」
「大丈夫だって、俺この町なら詳しいんだ」
「私はどこも行かないわっ。…手、離して!」
逃さないと言われているように掴まれた腕の痛みと、笑顔なのに少しも目が笑っていないその表情にジワリと涙が滲んだ時、ふっと男が目の前から消えた。
ミリアが顔を上げる間もなく、慣れた匂いに包まれていた。何よりも安心できるその匂いと温もりに、全身に安堵感が広がっていく。
「――俺の連れを、どこに連れていく気だ」
「ひっ」
小さな悲鳴と共に荷物が落ちる音がした。ミリアがそっと顔を上げると、視線の先には眼光鋭いダグラスがいて、ミリアは彼の左腕にしっかりと抱き込まれていた。さらに横に目線を向けると、ダグラスの右手には抜身の長剣が握られていた。その切っ先は、男の顎先へヒタリと向けられている。
(剣、抜いてるっ)
確かに寝る時以外、彼は常に帯剣していたが、抜いた所を見るのは初めてだった。
「っ、ダ、ダグ」
「答えられないのか? どんな理由で彼女を連れて行こうとした。答え次第では…」
先ほどまで大きく恐ろしかった男は、こうしてダグラスに並ぶと途端に小者に見えてくる。にやけていた顔はすでに顔色をなくし、鈍い光を放つ剣先を見つめて両手を上げている。
「た、ただ俺は、彼女の荷物を運んでやろうと…」
「嘘だな。ではなぜこいつの腕を掴んでいた」
「そ、それは…っ」
にぎやかな通りはダグラスが剣を抜いた事で、一気に剣呑な雰囲気に包まれていた。店先の客も、道行く人も足を止めてこちらを見ている。
走ってきたのか、少し乱れた黒髪が日差しの元にさらされていた。そこでようやくミリアは、自分のフードが取れている事に気が付いた。
(フードが…っ)
皆の目線が、頭を指さしているかのように思えてくる。ミリアは視線から隠れるように、ダグラスにぎゅっとしがみついた。そんなミリアをちらりと見て、さらにしっかりと抱き寄せた。
「大丈夫か」
「うん。…もう帰ろう?」
「………次はない。とっとと消えろ」
ダグラスが剣先をおろすと、男はすぐさま踵を返して駆けだした。
「なんなんだよ! ちょっと声かけただけだろ!」
完全に間合いの外に出てから、捨て台詞のように叫んでから、路地奥に逃げ込んで消えた。騒ぎの中心人物が剣を収めた事で、辺りの緊張感は緩んだが、物珍しそうな視線は向けられたままだ。
男が消えた路地をにらんでいた彼は、しばらくしてからようやく腕の力を抜いた。二人の距離が物理的に離れていく。
「ごめんなさい…」
「いや、…遅くなってすまなかった」
「……ううん」
ダグラスはうつむくミリアに怪我がないことを素早く確かめると、彼女のフードを被せてやる。落ちている荷物をまとめて持つと、空いた左手でミリアの手を引いて足早にその場を離れようとして、ふいに明るい声に呼び止められた。
(13)昔馴染み
「――あんたもしかして、ダグラスじゃないかい?」
名を呼ばれて反射的にミリアを引き寄せてから、後ろを振り返った。声の主はふっくらとした初老の女性である。大きなエプロンをつけているから近くの店の者だろう。
「誰だ、あんた。なぜ俺を知っている」
「いやだ、ほんとにダグラスかい? まぁまぁ大きくなって!」
「………?」
ますます眉間に皺を寄せるダグラスに、相手は物おじしない性格なのだろう。女性は肉厚なその手で、バシバシとダグラスの背中を叩いて顔をほころばせた。
「覚えていないかい? アイーシャがあんな事になっちまって、あんたも姿が見えなくなるし、ずっと心配してたんだよ。あたし、あんたの母さんと仲良くしてたんだけど、あんたは知らないかねぇ」
「……………パン屋の?」
「そうそう! パン屋のマギーだよ。思い出したかい? いやぁ、立派になって、あんたすっかり良い男っぷりじゃないか。あたしもうれしいよ。今はどこにいるんだい? 元気でやってるのかい? それにしてもこんな可愛い子まで連れてるなんてさー」
「マギー、……すまないがあまり目立ちたくないんだ」
「ああ、……じゃあ、うちにおいでよ。お茶でも飲んでいきな」
「いや、せっかくだが。時間がない」
「なんだい、そうかい。ああ、そうそう。さっきのエドナんとこの三男坊だろ。すまないね~、知らない若い子を見つけたらすぐちょっかい出すから、困ってんだよ。こんな田舎だし気持ちがわからいでもないけど、町の評判に関わるからね。あたしからちゃんと言っておくから。懲りずにまた来ておくれよ」
「すまない。よろしく頼む」
「まあ、ちょっと待ちなよ」
そのまま、立ち去ろうとするダグラスの腕をしっかりとつかむと、マギーは近くの店の前に立つ初老の男性に声を張り上げる。
「あんた、そこの籠取っておくれ! ――ほら、これ持っていきな。焼きたてだよ。あたしの自慢のバケットだ、その子と食べな。……元気でやるんだよ。また顔見せに来ておくれ」
「マギー…それは」
「あんたも一緒においで。ダグラスをよろしくね」
「あ、はい。ありがとうございます。マギーさん」
「……行こう」
マギーのおかげか、すっかりいつもの賑わいを取り戻した通りから、二人は足早に離れていく。笑顔で手を振るマギーに、ミリアは一度振り返って小さくお辞儀をすると、そのままダグラスについて歩いて行った。
「……ふぅ。ダグラス、あんた生きてたんだね」
小さくなる二人の背中を見つめて、マギーは小さく呟いた。
余談になるが、アイーシャことダグラスの母は、訳あって彼が小さい頃に森に移り住んできた。目立つ容姿のアイーシャは滅多に森から出なかったが、それでもひと月に一度は、町まで買い出しに出た。
そんなある日、アイーシャが男に絡まれていたのを、明るく正義感の強いマギーに助けられたのをきっかけに、町に来た時は二人でお茶を飲み、おしゃべりをする友人になった。
そんな二人の関係は、アイーシャが死ぬ直前まで続いていたのだが、それをダグラスはアイーシャの話でしか知らない。世話になっているパン屋のおかみさんが居ると聞いた程度である。アイーシャと共に町へ出たのは数えるほどしかないからだ。
そのアイーシャが何者かに無残に殺され、ダグラスも消えた後。ふた月経っても姿を現さないアイーシャを心配している頃、マギーは差出人不明の手紙を受け取った。そこに書かれていた場所へ行き、葬られた彼女の墓の存在を知るとその場に泣き崩れた。その日からこれまで、マギーは毎月花を手向けに足を運んできたのだ。
「アイーシャに嬉しい報告ができそうだ。……ほんと、よかったよ」
マギーはエプロンの裾でそっと瞼をぬぐうと、明るい顔で店へ戻っていった。
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