第10話 決意/冷徹の氷魔人


  (14)決意


 マギーと別れた二人は早々にキーヴァを引き取り、森へ歩を進めた。しばらく走らせてからダグラスは馬を止めた。


「冷えちまったが、食おう」


 町を出てからずっと無言だったダグラスは、ミリアを下ろすとキーヴァを木につないだ。小さな包みの中にはすこし形の崩れた揚げパンと、揚げ芋、携帯用水筒には少しぬるくなった果実水が入っていた。さらにダグラスのポケットから小さなリンゴが出てきた。


「美味しそう…」

「ああ。揚げ物は食べたことがないだろ。大量の油で調理する。美味いが食べすぎると後で酷い目にあう」


 ミリアはパンに口をつける。揚げたパンに蜂蜜がたっぷりとかかっている。



「甘くて美味しいっ」

「……甘すぎるな」


 二人同時の感想が真逆で、ミリアは小さく噴き出して笑った。声を出して笑ったことで、塞いでいた気持ちが少しましになった。それからは二人で分け合って、お腹に詰め込んでいった。


 甘さにやられて食べあぐねていた、彼のパンまでミリアは平らげ、リンゴを半分ずつ食べると、最後に果実水でのどを潤した。



「美味しかったぁ。ふう、さすがに晩ご飯が入らないかも…」

「絶対食うよな」

「絶対じゃないわ。――あ、でもマギーさんのバケットは食べる!」

「やっぱり食うんじゃねえか」


 町を出てからようやくダグラスも小さく笑った。きっと今日も幸せそうな顔で、せっせと口に運ぶのだろう。小さな声で言い訳を連ねる彼女を目を細めて見つめ、おもむろに懐から白いレースを取り出した。



「それは?」

「後ろ向け。髪、結び直してやる」


 出がけにダグラスが整えた髪は、長距離の移動でだいぶ崩れている。手早く味気ない紐をほどくと、買ったばかりの髪紐で高い位置で結んでやる。ミリアの緩く波打つ豊かな髪は下ろせば腰まで届く。結んでも背中の中ほどだ。



「できたぞ。……よく似合ってる」

「ほんと? 可愛いレース。嬉しい、ありがとう!」


 ようやく弾けるような笑顔を見せて笑うミリアに、ダグラスは苦笑を返した。



「すまない、屋台の先でこれを買っていて遅くなった。お前には、怖い思いさせた。悪かった」

 ミリアは軽く頭を下げるダグラスの手を、ぎゅっと握った。



「ううん、ダグラスはちっとも悪くないわ。ちゃんと助けてくれたもの。それに、髪紐もうれしい。買ってくれてありがとう」


 きれいな笑みを返すミリアを見つめて、彼女の手を握り返した。その手を見下ろして、ミリアはポツリとこぼした。



「今日ね? 知らない男の人に腕を掴まれた時ね……すごく怖かったの。ダグラスは初めて会った時も怖いとは思わなかったのに、……あの人は近づかれただけで怖くて」

「ミリア…」

「でも、ダグラスが来てくれてすっごく安心したの。もう大丈夫だーって」


 ミリアは嬉しそうに顔を綻ばせる。無性に彼女を抱きしめたくてしょうがない。もはや湧き上がる感情を抑える気になれなかった。



「……お前は俺が守る。約束する。だから…、お前はそうやって笑ってろ」


 ダグラスはそっとミリアの手を解くと、そのまま腕を彼女の背にまわしてふわりと彼女を抱き寄せた。すぐに広い背中に細い腕が回り、ぎゅっとしがみついてくる。



「ありがとう、ダグラス。私、人間になってから毎日がずっと楽しいの。全部ダグラスのおかげよ。本当にありがとう」

「……お前は本当に……」


 回した腕に少しだけ力を入れてふわりとミリアを抱きしめた。そのまま言葉を途切れさせるダグラスに、彼女は首を傾げた。



「どうしたの? 大丈夫?」

 一度だけぎゅっと抱きしめてから、腕から解放する。


「いいや、なんでもない。今度マギーにちゃんと紹介する。バケットの礼も兼ねて一緒に行くか。……まともな寝具も欲しい」


 最後にぼそりと本音が漏れる。ミリアはダグラスを見上げてとびきりの笑顔を見せた。


「うん! 楽しみだわ!」

「帰るか。アッシュが待ってる」

「はいっ」


 静かな森にミリアの元気な返事が響いた。



 森の家に帰りついた二人は、町で調達した資材で大急ぎで家の補修をどうにか終わらせた。屋根に上がってみると、思っていたよりその痛みは激しく、いくつか小さな穴も開いていた。


 少しして降り始めた雨は、すぐに叩きつけるような雨風に変わった。夜になると一層雨脚は強まり、次第に雪に変わり大荒れの吹雪は一晩中続いた。一時雨漏りしたが、直におさまった。凍り付いたのだろう。


 窓にも板を打ち付けていたが、それでも朝には一枚割れていた。被害はほぼそれで終わりなんとか無事やり過ごせた。嵐が過ぎた庭先はひどい有様だったが、ミリアが張り切って片付けてくれたので、今は元通りだ。


 その庭先から改めて屋根を見上げて、ダグラスは小さく息を吐いた。



「春になったら屋根を張り替えるか」

「屋根を? 全部?」

「ああ。もう全体がもろくなってるから、ちょっと補修したくらいじゃ、次までは持ちそうにない」

「………次?」

 ダグラスの言葉の中の一言に、ミリアは目を瞬かせて聞き返した。


「次って、ダグラスはここに住んでいるんじゃないの?」

「……」

 どう答えればいいのかしばし考えるが、隠すつもりもない。彼はミリアの肩に手を置いてしっかりと目を見て言った。


「ここへは、休暇で来ただけだ。いつまでも居られる訳じゃない。いずれ俺は戻らないといけない」

「戻る……」

 眉を下げてダグラスを見上げるその瞳は、いつになく不安に揺れている。


(そうか。ミリアには、戻る場所がない)

 迷ったのは一瞬だった。



「ミリア、俺と一緒に皇都へ行こう」

 次の瞬間、ダグラスは力強くそう言った。


 それから厳冬が過ぎ、深い森の奥にも春の兆しが見え始めた頃、ダグラスはハリーを飛ばした。行き先は皇都ガーロである。




 (15)冷徹の氷魔人


 今年二十三歳になったダグラスは、皇都にて第一魔法騎士隊の隊長を務めている。平時である今はヒューバードの警護が主な任務で、彼の行く先全てに同行し、交代で寝ずの警護にも当たる。第一隊の平隊士は十人、それに副隊長と隊長の合わせて十二人で任務についている。


 近衛隊でなく彼の隊が任務についているのは、ヒューバードが第一隊に所属していたからだ。今は除隊しているが、古巣である元同僚の隊を近辺警護に指名した。ちなみに近衛隊と違い、有事の際は前線に配備されるのもこの第一隊である。


 若干二十歳で隊長に抜擢されたダグラスは、名実ともに実力のある騎士だ。剣の腕は言うまでもないが、彼の魔力が筆頭魔導士であるリーアムに匹敵するほど高く、その豊富な魔力から繰り出される魔力補正を上乗せした攻撃も、魔導士顔負けの攻撃魔法も、国一番の威力を誇る。


 ちなみにリーアムは、攻撃魔法も得意ではあるが、本人の性格から、部屋に籠って魔道具を作りだす方に、生きがいを感じている。もちろん有事の際は有無を言わさず前線へ連れていかれるが、本人の士気は幕舎の隅でいじけるほど低い。


 そんな彼が嫌々ながら放ったファイヤーボムは、敵を一撃で殲滅した。実に宝の持ち腐れである。そう言った事情から、ダグラスの右に出る者は現状誰も居ない。



 そんな彼だが、ダグラスはいわゆる孤児だ。父の名を黙して語らぬまま、彼の母親が鬼籍に入った以上、戦争孤児と同じような立場になる。だが彼の唯一で絶対の後ろ盾となったのが、当時第一皇子だったヒューバード、現皇帝だ。


 ダグラスが皇都へ来た時はまだ前帝の時代で、中央議会や官僚達は老獪な貴族がそのほとんどを占めていた。彼らは髪色ひとつに眉をしかめるほど保守的で、異端者である彼に良い顔をしなかった。


 ヒューバードが後ろ盾になったとはいえ、当時彼はまだ成人を迎えておらず、その立場は皇子と言えど万全ではなかった。前帝は第二皇妃の手前、正式に皇太子を決定していなかった。我を通したい第二皇妃と議会の板挟みになり、問題を先送りにしたのだ。


 数年後、事態は急展開を見せる。正妃が末娘の出産で命を落としたのだ。




 第二皇妃キーラの産んだ子は、ヒューバードの一つ下の第二皇子キリアンだ。人の上に立つ器ではないのだが、我が子かわいさで執拗に皇太子問題を蒸し返してきたのがキーラだ。


 正妃という絶対の後ろ盾を亡くしたヒューバードは、誰が見ても正統な皇子でその能力に秀でていても、一つ間違えば立場を奪われかねない緊迫した日々を送らなければならなくなった。


 彼は自身の立場を盤石なものにするため、日々の公務と鍛錬をより一層こなす必要があり、ずっとダグラスについていられるはずがない。賄賂を渡せば重用してもらえる第二皇妃に群がる輩からは、ヒューバードは敵視されるような状態だ。皇国の暗黒時代である。


 ただ、ヒューバードにはパットを始めとする、彼自身が選んで傍に置いた者が常に彼を守る立場に居たが、ダグラスはそうではない。


 八歳という年齢は成長期にはまだ遠く、かといって無邪気な子どもという年齢でもない。大人の狡さや世の中の事がわかり始める多感な年ごろだ。そして簡単に押さえつけられる体の大きさでもあった。なぜ、自分を皇都などに連れてきたのかと、ヒューバードを恨んだ時期もあった。


 彼が最年少の十二歳で軍部に入るまでの四年間、執拗に繰り返された彼に対する蔑みといわれのない暴力は、母親想いの優しい少年を、周り全て敵と認定する無表情な少年に変えてしまうのに十分な期間だった。


 魔力測定でヒューバードをも凌ぐ数値をたたき出したダグラスは、上級学校への入学を打診された。だが彼はその申し出を断り、見習い騎士からの軍部入隊を希望した。厳しい環境に身を置き、一から叩き上げられる道を選んだのだ。彼を虐げる者へ抵抗する力を、少しでも早く手に入れるために。


 本格的に剣を習い、最低限の学問と魔法学を同時に学び、残りの全てを自己鍛錬に当てた。溢れる魔力を自在に操れるようになった彼は、すぐに頭角を現した。


 入隊と同時に寮に入ったダグラスは、外部からの侵入者を寄せ付けない環境に身を置いた。それでも不遜な態度を取る相手は、一定数軍部にもいた。


 ダグラスはそんな彼らを実力で黙らせた。日々向けられる蔑みも表向きはめっきり少なくなった。その代わりというか、裏では相変わらず手を出されたが、人目がないのを逆手に容赦なく返り討ちにしていった。


 そうして二十歳で隊長になると、手の平を返したように近づく輩が増えた。その裏で相変わらず彼を蔑んでいるのは丸わかりで、彼はそれらの一切を取り合わなかった。


 その頃には屈強な男達の中でもひと際立派な体躯になり、目鼻立ちのはっきりした見目麗しい青年騎士になっていた。皇城内を移動するだけでも、女性に言い寄って来られることも増えていた。そのいずれも彼が笑みを向けることもなく、完全な拒絶の態度を貫いた。そしてついた二つ名が冷徹の氷魔人である。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る