第8話 嵐の予兆/ミリア町へ行く


  (9)嵐の予兆


「ダグラス、大変!」

「どうした」

「嵐が来るって!」


 二人暮らしにも慣れてきた頃、ミリアは庭先から慌てて戻ってくると、そうダグラスに告げた。


「嵐? 雲一つないぞ」

「今はね。でも夜には大雨? 雪? 雷? とにかくたくさん空から落ちてくるって」


 生き物の声を聞くミリアの力は、自然に囲まれた森においては、実に使える能力だった。直接ミリアに話しかけずとも、あちらが敵意を持っていなければ彼らの声を聞く事ができた。だからダグラスがしとめる獲物の声は、最初から聞こえないのだと言う。


 そんな野生生物の危険を察知する能力は、正確な上その伝達の速さも人智をはるかに凌ぐ。特に天気の変化には敏感である。家を持たない彼らが生き延びるための知恵だからだ。



「家、大丈夫かな」

「……大丈夫、ではないな。残念ながら」


 数日前、氷交じりの強い雨雪で屋根がかなり傷んでしまった。幸いその日は短時間で止み、そのあとは好天続きだったので何とかごまかしてきたが、元々この小屋はダグラスが小さい頃、母親と暮らした古家だ。


 ダグラスが森を離れ、十年以上空き家のまま放置されていたのを、簡単に中を片づけただけでそのまま使っている。全体的な老朽化は否めない。いわゆるオンボロ家だ。



(元々ちょっと寝泊りができたらいいと思ってたからな)


「補強しようにも、資材がないな」


 嵐は確定事項として、何ができるかを考える。物置に少しだけあった資材は、ダグラスの簡易寝台で使い切っている。一番近い町、ウィローまで出れば資材は手に入るのだが。



(ミリアを連れて町へ…?)


 だからと言って森の中へ一人置いていくのは得策ではない。魔物は魔力を感知する。奴らは意外と知能が高く、自分より強い魔力を持った相手には手を出してこない。


 ここが森の奥深くでも、皇国トップクラスの魔力を誇るダグラスのおかげで、魔物は近づいて来ない。ミリアの魔力値は未知数な以上、人の気配に何が寄って来るかわからない。魔物は特に女子供を襲う。こうして悩む間も時間が過ぎていく。ウィローまでの距離を考えると悠長にもしていられない。


(目的の物だけ買って、すぐ帰ればいいか)


 窓も扉もガタついており、その上屋根も不安となれば『気が付けば柱だけが立っていた』なんて、笑えない未来を想像してしまった。ゆるく頭をふったダグラスは、壁にかけてあった外套を手にした。



「ミリア、行くぞ」

「どこへ?」

「ウィロー。町へ出る」

「町…? はい!」


 ダグラスの言葉に、ミリアはとびきりの笑顔で頷いた。



 手早く身支度を整え、二人は小屋を出た。小屋の裏手の小さな馬小屋には、ダグラスの愛馬、キーヴァが居る。葦毛あしげ牝馬ひんばだ。ミリアがアッシュの毛並みを手入れするようになったのも、ダグラスがキーヴァの手入れをしているのを真似たのが始まりだ。


 キーヴァは気位が高く、自分が許した相手しか、特に同性である女性には決して身体を触らせない。ミリアはさすがというか、初対面から触れるのを許されている。



「乗馬の練習をさせてやりたいところだが、時間がない。ぶっつけ本番で行くぞ」

「キーヴァが任せてって言ってるから、大丈夫」

「…一応、俺も居るんだが」


 ダグラスの小さなぼやきは、キーヴァの鼻先を撫でている彼女の耳には届かなかった。


 ここからウィローまで、馬ならば朝出て十分昼前には着く。初心者のミリアと二人乗りでも昼過ぎには着くだろう。買い出しと休憩、帰りの行程を考えるとあまり余裕はない。冬の日暮れは思っているよりも早い。


 町へ出るなら寝具を…と欲が出るが、そうなると帰りは荷馬車が必要になる。荷馬車では速度が出せず、帰ってから修繕をする事を考慮すると、寝具は諦めるしかないだろう。まだまだ寝袋の日々が続くようだ。


(ミリアの服も今日は無理か。……せめて、アレくらいなら?)


 帰りの荷の量を考え、鞍を付けず厚手の絨毯じゅうたんのような物をキーヴァの胴に取り付ける。ミリアが座る前部分は毛布を畳んで重ねてある。気休め程度だが、ないよりましだろう。



「そろそろ行くぞ」

「はい」


 アッシュの頭を撫でていたミリアは、すぐにこちらへ駆け寄ってきた。護衛役の彼も行きたい素振りを見せていたが、ミリアに説得されたのか今はしっぽを揺らして見送りの体勢だ。


 馬に跨ることを考えて、彼女にはスカートの下にさらに下履きを履かせた。ダグラスの物は大きすぎたので、古い箪笥たんすをかき回して見つけた、彼の子どもの頃の物だ。さすがに丈が短いが、足が丸見えよりましだろう。


 ミリアを抱き上げてキーヴァの上へ乗せる。横乗りだと速度が出せないので普通にまたがらせている。小柄だとは思っていたが、鞍があったとしても鐙にまるで届きそうにない。これでは彼女が馬を乗りこなすのは夢のまた夢である。



(ポニーが丁度いいか?)


 存外に失礼な事を考えながら、ダグラスはその後ろへひらりと跨った。彼女の後ろから両腕を回し手綱たづなを握る。



「家を頼む」

「アッシュ、行ってきます! 」


 頷いたように見えたアッシュを見て、キーヴァごと背を向ける。戦場をともに駆け抜けてきた愛馬だ。鐙がなくても気持ちは伝わる。二人と一匹はゆっくりとウィローを目指して歩き始めた。





  (10)ミリア町へ行く


「大丈夫か」

「はい。なんとか?」

「もう少し速度を上げる。俺によりかかるように、しっかり体重を預けろ。その方が安定する」

「はい」


 ゆったりとした歩きから、並足に変わる。そうなってくるとどうしても体が上下にゆさぶられてしまう。ダグラスは強靭な下半身で自身の上体を支えられるが、バランスを取るだけで精一杯だったミリアは、途端に不安定になる。



「わ、わ…ひゃ」

「怖がるな。キーヴァと一体になれ」

「ど、努力、します。…わわっ」


 そうは言うものの、すぐには難しいだろう。ダグラスは左手をミリアの腹に回してぐっと自分に押しつけるように抱きかかえた。少しお尻が浮いたかもしれない。


「しばらくこれでいく。力加減を体で覚えろ」

「は、はい」


 ミリアのいつになく礼儀正しい返答に、先生と生徒のような気分になってくる。冬の森の空気はきりっと冷たい。その中を白い息をたなびいて進んでいった。

 

 しばらくそのまま進み、町まで残り半分ほどになった辺りで、ミリアの肩から余分な力が抜けたのがわかった。そうなると、やけに大人しいのが気になって来る。ちらりと見た顔はまっすぐ前を向いているが、顔色が悪い。



(風を正面から、まともに受けているからな)


「大丈夫か」

「……大丈夫」


(意地っ張りめ。……そろそろ限界か)


 しばらく走らせた後、ダグラスはおもむろにキーヴァを止めた。案の定、揺れが止まってもミリアの体は小刻みに震えている。



「…どうしたの? 町、まだだよね」

 小さく歯を鳴らしたミリアは、ぎこちなく後ろを仰ぎ見る。


「ミリア、こっち向いて座れ」


 意味が分からずダグラスを見上げるミリアを、ダグラスはひょいっと抱き上げると、横乗りの状態で座らせ彼女の体を自身の胸にぐいっと引き寄せた。そのまま自分の外套の中にミリアをすっぽり抱き込んでしまう。


「ダグ?」

「この方が寒くない。後ろに乗せるのはまだ無理だろう。そのまましがみついとけ」

「はい。……あったかい」


 外套ごとミリアをしっかりと抱き込むと、ダグラスは片手で手綱を握り、今度は並足より少し早い速度で走る。小さな体を右腕でしっかり抱き、自身の太もも上に細い足をちょこんと乗せている。いつもしっかり食べているが、彼女は彼が不安になるほどまだまだ軽い。


 慣れない乗馬と寒さに固まっていたミリアは、ダグラスの外套の中で背中に腕を回し、ぎゅっと抱き着いた。男の高い体温が冷えた体をじわりと温めていく。


 体がほぐれていくのを感じて、ミリアはダグラスの腕の中で、深く息を吸い込んだ。ミリアの大好きな彼の匂いだ。実は、以前取り上げられた上着の匂いを時々隠れて嗅いでいるのは、ミリアとアッシュだけの秘密である。



「ダグラス、ありがとう」

「別に。…落ちるなよ」


 落とすつもりなど欠片もないくせに、ぶっきらぼうに声を返したのは、湧き上がる感情をごまかすためだ。



(これはちょっと…選択を間違えたか?)


 それでも腕を解く気になれず、ダグラスはミリアを下ろすことなく、ウィローまで駆け続けた。


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