第5話 タルンギ皇国/ミリアという娘


  (5)タルンギ皇国


 広大な領土をもつ、ここタルンギ皇国は、実力主義皇国と言われてきた。皇帝の直系に関係なく一族の傍系や、場合によっては家臣からも次帝を選出してきた歴史がある。


 だが近年は大きな戦争が無かったこともあり、一番平和的な実子継承が続いたことと、ここ数代の歴代皇帝が不運なことに少々、いやかなりの愚帝だったせいで、前々帝の頃にほころび始めた国政は、前帝の時代には王国中枢部の腐敗が深刻化していた。


 そんな中、度重なる悪天候による、大規模な食糧不足に見舞われた。慣例に基づき、国庫の備蓄品を放出しようとしたところ、備蓄と言える備蓄が消えていることが露見する。原因は権力を笠に私欲に走った貴族らの横領だった。


 さらに彼らは不当に得た利益で国家公務員にあたる中央官僚を買収、国の命ともいえる国家予算にも手を出していた。前代未聞の一大不祥事だ。


 幸いにもその額は全体にすると割合が低かったとはいえ、一般的な地方領土の税収数年分に当たる額といえばその規模がわかるだろうか。今すぐに皇国が転覆することはないにせよ、このまま放置できるような事態ではなかった。


 国の基盤である国民の危機に、相も変わらず散財を繰り返す一部貴族と官僚、さらにはそれを取り締まるはずの皇家の無関心さに、不正を見つけた善良な官僚は事態を打開してくれる指導者を探した。国民の不満は爆発寸前、暴徒と化す直前まで達していたのだ。



 そうした中、十年前に立ち上がったのが当時十八歳の第一皇子、現皇帝ヒューバード・アレックス・ターナーとその腹心パット・T・オトゥーリー率いる部下たちだ。


 真っ先に実父である皇帝を、自らの手で地下牢に投獄した。国の権力者である限り皇帝の利権を保持し続けるからだ。ヒューバードが実権を手にするためには、彼の存在は障害でしかない。


 罪状は国庫の私有化を防げなかった責任と、国内の混乱を招いた要因を作った為。実際には、皇帝の罪というより、権力者としての責務放棄だろう。皇帝の絶対的権力を手にしながら、それに付随する義務を果たしてない時点で、もはや皇帝とは呼べない。



 次にヒューバードの義母でもある第二皇妃を、皇帝とは別に「静養」という形で実質上幽閉した。当時、彼女に課すことができる最大の枷であった。


 隣国から嫁いできた第二皇妃キーラは、強力な後ろ盾を保持していた。甘やかされて育った彼女が、不当な扱いを受けていると母国に訴えようものなら、外交問題に発展しかねない。良くも悪くも、国内で片がつく皇帝より扱いは慎重にならざるを得ず、もっとも扱いに困る相手でもあった。

 

 その代わりではないが、我が国の人間に対して、ヒューバードは一切の温情をみせなかった。


 中央議会に席を置く保身しか頭にない古い貴族と、腐りきった中央の官僚役人どもはまとめて更迭こうてつ、それに抵抗した者は容赦なくその場で粛清しゅくせいした。その苛烈さは何とか言い逃れようとしていた残りの輩のいい見せしめになった。数人に凶刃を浴びせた後は、面白いほど粛々と捕縛できた。


 横領の主犯格は罪状と証拠を眼前に突き付け、簡単な裁判をした上で処刑。彼らの財産差し押さえと爵位返上の上、夫婦共々同罪と判断された者を除き、残った家族は平民として放逐した。


 上に従っていただけだと訴える配下の者も、結局は甘い汁を一緒に吸い職務を怠慢していた以上、罪からは逃れられない。財は没収、爵位も一番下へ降格した上で出仕を認めると通達すると、面白いほど離職していった。無能な奴らを清算できたのでむしろ願ったり叶ったりである。


 離職を希望した者は、基本的に平民と変わらない処遇になるが、その動向は厳しく監視された。心を入れ替えて真面目に働けば、生きていくのに最低限必要な対価は得られるよう配慮したのだが、贅沢に首まで使っていた豚共のほとんどは、半年と持たず新しい職場からも逃げ出した。


 逃げたところで身元の保証を失った逃亡者は、さらに底辺の暮らしへと身を落とすだけなのだが、そんな事もわからない馬鹿ばかりだった訳だ。この未来をヒューバードは見越していたのだろう。それらの報告を受け、わずかに黒い笑みを浮かべただけだった。



 ヒューバードは彼らの投獄と粛清のほとんどを一晩でやり切った。反旗を翻す間を与えぬ俊敏さと処断の正確さ、そして容赦ない冷酷さで十八歳という若さで、皇帝の椅子を手に入れた。


 その後、前帝が長く続く投獄生活で心神耗弱状態となり、政務続行不可と新議会が公式に認定、ヒューバードが名実ともに新皇帝を宣言したのは、革命を起こしてから半年後のことだった。


 天災をきっかけに急遽起こした形のクーデターは、からくも成功を収めたが、事後処理はどうしても後手後手に回った。早くから国の危機に気が付いていたヒューバードは、信頼のおける人材を確保した後に、時を選んで事を起こす計画を立てていた。


 事前に抑え込むことが間に合わなかった反乱分子は、正式に即位した後からも彼を悩ませ続けた。成人したばかりの若き皇帝に、皆が一様に頭を垂れる訳ではなかった。その一つ一つを前線に立ち時に武力で、時に知力で収めてきた。やるべきことはいくらでも出てきた。どれだけ真摯に取り組んでも圧倒的に時間が足らず、寝る間も惜しんで奔走した。


 パット曰く、腐ったじじい共で形成されていた中央議会の面々は、その顔ぶれのほとんどを一新し、伯爵以上の貴族が一時期激減し、国の税収も大きく落ち込んだ。だが、膿を出し切らないことには同じことを繰り返してしまう。


 そこでヒューバードは信用できる人材確保から始め、前帝の時代に失脚させられた元官僚を探しだしまずは復職させた。さらに意欲と能力のある者は爵位や経験がなくても進んで雇用し、その働きを見た上で要職につけていった。それこそ出自に関係なく採用されたことで、志願者が後を絶たず、彼らは新しい体制の大きな力になった。

 

 それから十年。ヒューバードは国を立て直すことに心血を注いできた。前帝はすでにこの世にいない。若き皇帝となったヒューバードを多くの国民は熱狂的に支持した。理由は明白だ。国民の生活が目に見えて好転したからだ。


 だが、問題がすべて解決したわけではない。小さな染みはゆっくりと広がり、やがて大きな闇となる。




  (6)ミリアという娘


 遠くから聞こえた音に、ミリアはふいに意識を浮上させる。久しく聞いていなかった誰かの声と、椅子を引くような音。そこに人が居ることを感じさせる生活音だ。


(…おじいさん…?)


 やたらと重い瞼をなんとか上げると、見知らぬ天井が目に飛び込んでくる。



(私、寝っころがってる?)


 これまでミリアの記憶にある情景は、いつもの定位置に座って見える代り映えしない世界だけだった。動けていた深夜は違う視界もあったが、そもそも閉店後の店内は薄暗く、視界は通りにある街灯の光だけだった。まだ暗い夜明け前にいつもの場所へ座り、そっと目を閉じて待つ。その数時間後、店のドアベルの音で瞼を上げて一日が始まる。その綺麗な緑の瞳に映るのはいつもと同じ。その小さな世界が全てだった。


(ここは…?)


 いくらほとんど見上げたことがない天井でも、そこが見慣れた店でない事くらいはわかる。視線を横へ向けると、やはり見たこともない壁と窓が見える。ふと、その窓の外に目を凝らすと積もった雪が見えた。


「あ…」


 白く輝く雪を見て、ミリアは昨夜のことを思い出した。お店にいたはずが、気が付いたら森の中に立っていたのだ。


(そうだ…っ、私、人みたいな体になってて…!)


 慌てて体を起こそうとするが、昨日は動けたはずの体が重くてたまらない。それに頭を動かす度にズキズキと痛みを感じる。


「どうして…? 何で?」


 零れる声は酷く掠れている。どうにか腕は持ち上げることができたが、頭を上げようにも、上体を起こそうにも体が言う事を聞かない。重い頭では思考も上手くまとまらない。その時、窓と反対側の扉が開く音がした。


 驚いて顔をそちらに向けるより早く、大きな影がひょいっと顔を覗かせた。


「起きたか?」

「ひゃっ…、あ、昨日の…?」


 部屋に入ってきた大きな男は、そのまま大きな手をミリアの額に当てる。ダグラスである。その手はやけにひんやりと感じて、とても気持ちが良い。うっとりと目を細めたミリアとは反対に、彼は眉間にしわを寄せた。


「まだ下がってないな。どうだ、何か腹に入れられそうか?」

「下がる…? 下がるって何?」

「薄着で雪の中歩いたから熱が出たんだ」

「熱が、出た…」

「そうだ。で? 食べられるのか、どっちだ」

「もしかして食事のこと? 私が…食べるの?」

「………お前以外に誰がいる」


 当然ながら、ただの人形は食事を必要としない。店で飴玉を見つけた時も包装紙が綺麗だから持ち帰っただけで、食べようとは思わなかった。翌日大量の蟻がたかっていて、恐怖を味わう羽目になったのは苦い思い出だ。


 ミリアは、自分が今どういう状態なのか、まるでわからないままだ。そんな彼女の反応に、疑念を我慢できずダグラスが口を開いた。



「……なあ、お前はなんなんだ。どこから来た? 怪しすぎんだよ、色々と…」

「どこからって…、おじいさんのお店に居たのに…気が付いたら森にいて」

「おじいさんの店? 店の売り子でもやっていたのか?」

「いいえ、売り物だったの」

「おまえ、まさか…っ」


 ダグラスは大きく目を見開いてミリアを凝視した。氷魔人と呼ばれているが、彼とて健全な成人男性である。そこは適度にしかるべき場所と相手に、欲求を満たしてもらったこともある。軍部に所属する男の登竜門だとのたまい、後輩を良心的な店に連れていくのは、先輩の役目でもある。


 若い娘が自分を「売り物だ」などと聞かされて、よからぬ店を連想してしまうのは、もはや致し方ないだろう。


(おいおい、ちょっと待て! こんなあどけない顔して!? ていうか、どこの店のじじいだ!)


 全力であらぬ方向へ思考がぶっとんだダグラスを正気に戻したのは、次に続いた彼女の言葉だった。



「私、昨日までは確かに人形だったのに」


 よからぬ妄想のせいで頭を掻きむしりそうになっていたダグラスは、ぴたりと動きを止めた。


「――――は?」


 油の切れたネジのように、ギギギギと音がしそうな動きでミリアに顔を向けたダグラスは言葉にならない声をあげる。


「いや、え、…人形? は?」

「そう、ビスクドールって言うの。あなた、知っている? アンティークって言えば聞こえはいいけど、ただの古ぼけた人形ね。大事にしてくれたおじいさんは、……少し前に亡くなってしまって。だから、私を欲しがる人はきっと現れないわ」

「…………」


 ミリアは天井を見つめて、ふぅと息を吐いた。ダグラスはそんなミリアを穴が開きそうなほど見つめている。



「それで、お店を片付けに来た知らない男の人に、捨てられちゃうって思ったら、よくわからないままどこかに落ちて、それで気が付いたら森に居たの。……あなたはあの男の人とは関係なさそうね」


 ミリアの喋りが止まった所で、ダグラスははっとして我に返る。


「いやいやいやいや、色々全部おかしい! ちょっと落ち着け!」


 落ち着くのはダグラスだ。そんなダグラスを不思議そうに見て、ミリアは再び口を開く。彼女なりに状況を整理したいのだろう。噛みしめるようにゆっくりと話していく。


「だけど自由な時間もおしまいみたい。……昨日は手も動いたしちゃんと歩けたのに、今はもう腕を動かすので精一杯。体が重くて仕方がないの。…だからきっとまた薄汚れた人形に戻っちゃうんだわ。――あら? そういえば、喋るのは問題ないのね…?」


 ミリアは首をこてんと傾けた。角度が変わったからか、急に咳が出て止まらなくなる。体を丸めて咳き込むミリアに、ダグラスは慌てて手を差し伸べた。



「おい、大丈夫か、ちょっと起こすぞ。まだ熱下がってなかったな。……悪い、やっぱり話は後にしよう」


 咳がこんなに苦しいことを知ったミリアは、熱が出るという症状をぼんやりと理解した。確かに体が熱く、頭もくらくらする。ダグラスはミリアの半身を起こしてやり、枕を腰に置いてゆっくりと背中をさすった。


 しばらくしてようやく落ち着いたミリアに、ダグラスは一緒に持ってきていた水を飲ませた。体が欲していたのだろう、彼女は素直に口をつけてから驚いた顔をする。大きな瞳が落ちそうに見開かれている。


「…美味しい。お水? 初めて飲んだわ」

「いくらなんでも初めてってことは……いや、いい。とにかく話すのは体調がよくなってからだ。問いただしたい事が無限にありすぎる。――いいか? お前が今そんな体調なのは間違いなく熱のせいだ。熱が下がったら直に元気になる」

「ほんと?」


 途端に目を輝かせるミリアをもう一度じっくりと見る。布団から出る細い腕や首元に、人形のような継ぎ目はどこにもない。なめらかな白い肌だけだ。ダグラスはしっかりと頷いた。


「ああ、俺には普通の人間にしか見えないし、お前は現実に生きて、此処にちゃんと居る。生身の人間だから、昨日の雪の散歩で風邪をひいた。……薄着に気づかず、そのまま歩かせたのは俺の落ち度だ。だからとりあえず面倒をみる。どこかに突き出したりも今はしない。ここまではわかるか?」


 ふいに言葉を切り、ミリアの目を見て問う。ずっとダグラスを見ていた彼女は、ゆっくり頷いた。



「……でも私、どうして…? 何もわからないわ」

「お前にわからない事が、俺にわかるわけがない。……皇都にでも行って文献を調べたら手がかりがあるかもしれないが、どうだかな。こんな話、聞いたこともない。だがまずは体を治すのが先だ」

「体を治す…。そっか。昨日、森が凄くすごく寒かったから、それで人間の体は熱が出て、風邪…を引いた? そういうことなのね」

「そうだ。ともかく早く治す事に専念しろ。少しでも何か食った方がいいが、食えるか?」


 昨日よりわからない事が増えたが、今は何より体調優先だ。雉のスープと昨日の固くなったパンで粥を作ってある。


(味に自信はないが、そうまずくもないはずだ。一応アッシュも食べた)


 哀れアッシュ、毒見役である。



「……食べてみたい」


 ミリアにとって初めての食事である。ただの水があれほど美味しかったのだから(発熱という調味料が加算されているが)食事にも当然期待が高まる。ただ、彼女の体が本当に食事を受け付けるかどうかは、食べてみないとわからない。


(食べずに諦めるより、食べてみてどうにかなった方がいいわ。少なくとも一度は食べられるんだもの)


 水は飲めたのだから、食べ物だって大丈夫かもしれない。ミリアは期待を込めてダグラスに頷いた。


「あまり期待しないでくれ」

「きっと大丈夫だわ。だってお水も美味しかったもの」

「いや、そりゃ水は水だろう…。まあいい。ちょっと待ってろ」


 ミリアの頓珍漢な返事にダグラスの肩から力が抜けた。そのまま背をむけようとして、おもむろに振り返った。



「そうだ。お前、名前は? ……あるのか?」


 不審者扱いから始まったので、ずっと「お前」呼ばわりだ。今更だが、幾分体裁が悪い。そして、ミリアは誰かに名前を問われるという行為が初めてだと気が付いた。少し恥ずかしそうに小さく答えた。


「もちろん、あるわ。…ミリアよ」

「ミリア、良い名だな。…俺はダグラスだ。足元の毛むくじゃらは知ってるだろうが、アッシュだ。他にもいるがまあ追々、な」

「わふん」


 名を呼ばれたアッシュがベッドを回りこんで枕元に頭をポテリと乗せた。大きなしっぽは床を掃除しているかのように振られている。名前を褒められたミリアは嬉しそうに笑みをこぼした。元相棒のデレデレ具合に思わず「裏切り者め」と小さく呟いてダグラスは部屋を出ていった。



「アッシュ? よろしくね。私ミリア。撫でてもいいかしら」


 少しだが状況がわかって、先ほどより落ち着いたミリアは、目の前に差し出された頭の毛にそっと指を入れた。アッシュは気持ちよさそうに目を細めている。しっぽはもはや箒状態だ。


「フワフワ…気持ちいい…アッシュも気持ちいいのね? ……ああ、なんて可愛いのっ」


 片手から両手になり、ついに体ごと抱き着いてしまった。アッシュも遠慮なくミリアの顔を舐め回し始めた。


「きゃっ、くすぐったい。アッシュったら、可愛い良い子ね」


 ひたすらキャッキャウフフと、撫でては舐められるのを繰り返していると、すっかり興奮したアッシュがその巨体で枕元に伸び上がり、そのままミリアに突進した。



「――持ってきたぞ」

「きゃうっ!」


 ミリアがアッシュに飛びつかれてひっくり返ったのと、ダグラスが扉を開けたのはほぼ同時で、不埒な男に押し倒される図にしか見えず、アッシュはあえなく部屋から閉め出されるのだった。



「きゅ~ん…きゅ~ん…」

「この駄犬が! 反省しろ!」


 昨夜の恨みもあるのだろう、その日一日アッシュはミリアの部屋(ダグラスの寝室ともいう)への出入りを禁止された。


「わぉーーーん…」

「うるさい!」


 哀れアッシュ。自業自得である。


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